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天斯流転  作者: ジョシュア
第二章:いく世の春を せきとめて
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不破と不和

「もうお別れなのか?」


 オヒトは寂しそうに言った。志乃はごめんね、と小さく言う。

 あのあと、三人は一度、村へと帰り、体の調子を取り戻すことに専念していた。

 運よく、京士郎と志乃には外傷はなかった。

 血の一滴も流さずに鬼に勝つこと。それは志乃からすれば、あまりにも出来すぎたことだと言う。

 本来であれば一軍を差し向けて勝てるかどうか、という相手である。それを、わずか二人で倒してみせたとあれば、誰もが耳を疑うだろう。

 一晩あけて、二人はすぐにでも旅立つことに決めたのだ。

 志乃はオヒトに、一枚の書状を預けた。


「これを持って、不破関まで行きなさい。ここであったことをきちんと伝えること」


 それは一人残るオヒトを思ってのことだった。

 このあたりにはもう、誰もいない。オヒトの親戚はみな、土蜘蛛とともにいなくなってしまったのだ。

 そんな彼を一人置いていくのは偲びないと、不破関を頼るように言ったのだった。

 土蜘蛛討伐の話を土産にすれば、彼らだって無視することはできないだろう。


 幸いにして、不破関は道沿いに進んで半日もせずに到着する。オヒト一人であっても大丈夫だろう、という志乃の判断だった。

 分かれ道。京士郎と志乃は、オヒトの背を見送った。


「ずいぶん優しいんだな」


 京士郎が志乃に言うと、彼女は少しだけ物憂げな瞳を見せた。


「わかるでしょ。お父さん、お母さんがいない寂しさ」


 それには答えず、京士郎は頬を掻く。


「それに、なんか弟みたいで、可愛いじゃない?」

「そういうもんか」

「ええ、そういうものよ」


 志乃は満面の笑みで言った。

 小さいことは気にするのに、自分が鬼に売られたことはあっさり許してしまう。そんな志乃の神経はわからないが、京士郎にはそれが好ましく思えた。

 ぐっ、と志乃は体を伸ばす。まるまる一日、寝たきりだったのだ。体のあちこちが痛むのだろう。


「顕明連は、あなたに預けるわ」


 志乃は改めて、そう言った。

 京士郎は手の中にある刀を見る。宝刀、顕明連。志乃が言うに、この世に類を見ない宝であるのだという。

 その重みを理解することはできない。

 しかし、鬼と対抗できるという事実そのものが、この宝の重みを語っているように思えた。


「いいのか? 俺が使って」

「自分しか使えない、って言ったのはどこの誰よ。いいの。使われてこそ、なんだから」


 使えるものはなんでも使う主義、という考えは二人が同意するところだった。

 ならば使わせてもらおう、と京士郎は刀を腰に帯びる。

 以前よりも少しだけ、重みが増したように思える。それは志乃からの信頼からなのだろう、と思った。


「さあ、早く精山様を追いかけないとね」


 志乃がそう言って、京士郎は一瞬だけ首を傾げてしまった。すると彼女は、京士郎の胸ぐらをぐっと掴んでくる。


「もしかして、忘れたわけじゃないよね?」

「わ、忘れてねえよ! ただ俺の目的じゃねえから、うっかり失念したというか」

「それを忘れたって言うのよ!」


 ふん、と志乃はそっぽを向いた。これには京士郎もむっとしたが、そんなことよりも大切なことを言わなければならないと思った。


「おい、もうあんなことを言うなよ」

「なんのことよ」

「死んだ方がまし、だなんてことをだ。あんなこと、言うもんじゃない」


 ばつが悪そうな顔を浮かべる志乃は、だって、と小さくつぶやく。

 京士郎は志乃の身に何が起こったのかは知らない。あのとき、土蜘蛛の元へ向かうと、志乃の口から聞き捨てならない言葉が聞こえた。だから近づいて、言葉を遮った。悲しいことを言うな、と伝えるために。

 死んでも構わない、というのはとても悲しい言葉だと思った。

 どうして悲しいのかはわからない。もしかするとそれは、寂しいという感情なのかもしれない。

 その二つの区別を、京士郎は明確につけることができない。

 けれども、どちらも志乃へと向けたものであり、よくないものであることはわかる。

 死を望まないでくれ。それは同時に、ともに生きてくれ、という意味でもあることを京士郎はまだ知らない。

 けれども京士郎は、純然たる想いを志乃へとぶつけていた。


「……わかったわ。その場限りだとしても言わないわよ、もう」


 顔を赤らめて、志乃は言った。

 よかった、と京士郎は胸を撫でおろす。


「だいたい、胸を揉まれたくらいで大げさだ。それとも腹だったか?」

「はあ!? 乙女にとっては大きな問題よ! あとお腹は揉むほど肉ないし! 」

「そういうものなのか」

「あんただって揉んだでしょうに!」


 そう言われて、京士郎は思わず自分の手のひらを眺める。わきわきと、指を動かした。


「思い出すなあ!?」

「いってぇ! 叩くことはないだろうが!」

「あんたねえ……」


 はあ、と志乃はため息をつく。


「最後まで精山様探し、手伝いなさいよ。責任とってよね」

「なんのだよ」

「私の胸を揉んだだけじゃないでしょ。唇だって奪ったくせに」


 初めてだったんだからね、と志乃は言った。

 しかもあんな、舌まで入れて。

 京士郎はそう言われて、胸のことよりも思い出してしまう。

 顔面蒼白だった彼女の、けれども艶やかな唇に、自分の唇を押し当てるときの感覚。

 やむを得ない状況だった、志乃を生かすためには仕方なかった。

 そんな風に言葉を重ねることもできたが、上手く口が回らなかった。

 いま思い出している光景は、あのときよりもずっと鮮明で、色彩に溢れているのだ。

 きっと自分の記憶の志乃に、目の前の志乃を重ねてしまっているのだろう。

 無意識のうちに神通力も働いていて、五感が鋭敏になる。志乃の匂いが強く感じられて、京士郎は思わず顔を赤らめた。


「え、えっ、そこは照れるの!?」


 志乃はさらに顔を赤らめる。火が吹くのではないか、というほどに。少なくとも茹ってはいるようだった。

 二人して口を開いたり閉じたりし、そして黙りこくる。

 気まずい空気が流れた。オヒトが去ったあとでよかった、と思う。

 沈黙を破るように、志乃が言った。


「い、行きましょう。今度こそ精山様を見つけるために!」

「……関所を破ったのを咎められたくないからだろ」

「それは言わないで!」


 あれこれと言い合いながら、二人は道を進んでいく。

 さらなる東、朝日かぎろひが昇る方へ。

 不破関を越えて、二人の不和は少しだけ、解けていた。




    *     *     *




 土蜘蛛が去った洞窟に、その鬼はいた。

 妖艶ながら快活な女の鬼、茨木童子。

 彼女は闇の中に生きるのをよしとする者であった。

 かつて土蜘蛛が居た残骸を眺める。

 京士郎と志乃が潜った洞窟は、実のところ大して深くはない。

 それもそうだ。彼らが土蜘蛛から逃げるために走った距離は、明らかに山の規模を超えている。

 土蜘蛛は己の住処を、己の理で塗りつぶしていたのだった。物理的な距離を変質させてしまうほどの陰気で淀ませている。

 陰気であろうと、陽気であろうと、その均衡を崩せば、現実の空間に歪みを生み出してしまうものである。

 ここは多くの魂が集い歪められたがゆえに変質していたのだった。


「なるほど、京士郎。やつはまこと、我らが弟よ。それも特に似ておるな、あやつに」


 そう声をかけたとき、茨木童子の背後に現れた影があった。

 くすり、と茨木童子は笑う。それは鬼としての嘲笑ではない。愛しい者へと向けたものだった。


「妬いたか、お前さまや?」

「そんなことより首尾はどうだ、茨木」


 むう、お前さまは女心がわからぬ。茨木童子はそう言った。


「上々よ。もう少しだけ頑張ってもらいたかったが、いま京へと攻め入られてはちと困る。我が妹たちが仕事を終える前に来られては、計画がおじゃんだからな」

「そうか」


 そっけなく、その影は言った。

 まるで当然であるかのように、だ。

 裏を返せば、それは茨木童子への信頼でもあった。決して口にはしないが、彼女であればできて当然であると言っている。


「お前さま、まさかそんなことを聞きにきたわけではあるまい? 不完全な分身とは言え、こんなところに顕現させる余裕もないはずじゃろ? あまり無理はするな。妹たちが悲鳴をあげる。無論、私とてだ。ああ、私に会いに来たかった、というのなら大歓迎だ。ほれ、もっと近うよれ」


 茨木童子がそう言うも、影は答えない。

 むう、と頬を膨れさせる茨木童子は、まるで人の少女のようであった。


「つまらん。これならば京士郎の方がからかいがある」

「京士郎か。どうだ、あいつは」


 ようやく、影は茨木童子の言葉に反応を示した。

 構ってもらえたのが嬉しかったのか、茨木童子は少し機嫌をよくする。


「うむ。ずいぶんと活きがいいやつだ。このままいけば、数年のうちに私と同じほどの力は手に入れるだろうよ。いまも心が揺らいでおる。少し押してやれば、傾くだろう。ただ……」


 あの小娘め、忌々しい気配がする。

 茨木童子はそう言った。眼中にないように振る舞っていたが、茨木童子が真に危険視していたのは志乃であった。

 彼女の存在がどうにも気にくわない。握り潰せば死ぬような存在のくせに、目障りなのだった。

 それこそ、嫉妬にかられているようだった。鬼としての情か、女としての情か、判別がつかないのだ。


「あの小娘がいる限り、京士郎は決して傾かぬ」


 京士郎が暮らしていた鈴鹿村へ迷い込むあのときに殺しておけば、とも思ったが、もはや遅い。

 人の娘だと侮っていた。いまだってそうだ。だが、京士郎にあのような影響をもたらすとは思いもしなかったのだ。

 まだ遅くはない。京士郎から上手く離さなければ、と。いま殺してしまえば、京士郎が鬼に堕ちたとして、茨木童子の味方には絶対にならないだろう。


「……邪魔になるのであれば、殺せ。その小娘も、京士郎もともどもだ」

「もちろんだ。だが、あの小娘の魂が甘美な匂いを放っているのは確かで、喰らえばさぞかし精がつくだろう。お前さまの目覚めを三ヶ月は早めるかもしらん。京士郎を引き入れれば我らの計画も盤石のものとなろう。お前さまも見ていただろう、違うか?」


 茨木童子がそう聞いた。影は答えない。

 くっくっく、と茨木童子は笑った。


「やはり妬いておるだろう? あの晩のことを見ていたんだろう? そりゃあ、てっとり早い手段で接吻したのはやりすぎたかと思ったが。お前さまはともかく、京士郎には少し刺激が強かったか」

「くだらん。俺にはもう、そんなもの残されてはいない」


 びしり、と影は言った。茨木童子も冗談を紡いでいた口を閉じる。


「俺はまた眠りにつく。他のやつらも好きに使え。やつらが障害になると判断したならば容赦をするな。一年、時機がずれたとて問題はない」

「御意に」


 茨木童子が答えると、影は消えた。

 去っていったあとを眺めて、嘆息する。

 まったく、素直にならないやつだ、と。京士郎のことが、離れた弟が気になって気になって仕方ないくせに。

 本当によく似ている。容姿もさることながら、性格も、力も、その有り様も。京士郎はそっくりであった。

 自身の思い出と、京士郎の姿が重なる。

 同じ悲しみと、同じ寂しさを持つ彼は、やがて自分たちと同じ道を辿るだろう。

 気づかせてやらねばならない。大切なものを失ってからでは、遅いのだぞと。

 それと同時に、もしかすると、という予感があった。

 京士郎は自分たちが思っている以上に、大きなものになっていくのではないか。


「なあ、お前さん。もしかしたら、いつまでも寝てるわけにはいかなくなるやもだぞ」


 京は北西、大江山。そこに陣を張り、未だ本体は寝ている愛しい人……酒呑童子に向けて、茨木童子は言った。

 

第二章完結

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