294話 天使、あるいは……
彼は誰よりも先を駆ける。
彼の前に立つのは血に飢える魔物だけ。
彼の後ろにあるのは血に溺れる死骸だけ。
ただの一人の犠牲者も出さない彼は、天使と呼ばれた。
そして――
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それはいくつもの不幸が重なって起きた人災だった。
まず一つは砲を使った新戦術。
それは大きな戦果を挙げるものだったが、ロード種を殺しきれず、魔物に余力を残してしまうという欠点が報告されていた。
だがそんな危惧があったとしても、費用対効果に優れるその新戦術を使わない理由にはならない。
砲を使わなかったから必要以上に騎士や戦士が死んだ、防壁に被害が出た、そんな事になれば防衛司令部の責任は免れないのだから。
新戦術の弊害である魔物の余力は主に守護都市の戦士たちが狩るはずだった。
それが二つ目の不幸だった。
敗走した魔物の集落を見つけることも、余力を残した魔物の群れを狩ることも、そう簡単な事ではない。
守護都市の戦士の、一部のパーティーはそれをしたと虚偽の報告を上げることがあった。
それらが正しく行われたかどうかには調査と審査が入るのだが、限りはある。
審査は重要であるが、実際に魔物を狩るわけでもなく、狩られたかどうかを調べ、時にはケチを付ける、理解を得られ辛い職務でもある。
他の都市と比べても特に公権への反発の強い守護都市では尚さらに戦士から嫌われるため、当然のことながら務めたがる騎士は少ない。
彼らに戦士たちの全ての仕事を調べる余力はなく、問題のある――あるいは問題があるとしたい――パーティーの仕事を中心に執り行われていた。
加えて審査官と仲の良い、例えば頻繁に食事をおごり、娼館等での接待をかかさないパーティーの手抜き仕事は見過ごされ、産業都市からの残党討伐の依頼でもそれは起きた。
だからいくつもの魔物の群れが、余力を残して荒野で力を蓄えた。
三つ目は戦力の不足。
産業都市の皇剣ロマン・タイジャは隣の商業都市に出向いていたために不在であった。
また守護都市から派遣された中級、上級の戦士たちも、名家の接待を受けるため、防衛本部からは離れていた。
そうなれば産業都市の持つそもそもの戦力、虎の子の守護都市上級を中心に防衛体制を築くしかないのだが、それすらも出来なかった。
四つ目は、名家同士の足の引っ張り合い。
防衛戦が始まったにもかかわらず、自家が保有する戦士も、自家が接待する戦士も出さず、他家に出させて戦力を削ごうとする悪質な政治判断。
それらが産業都市を危機に陥れた人災の、全てであった。
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産業都市の防衛司令部では大音量の警報が鳴り響き、否応なく緊張を強いる。
「砲はどうした。なぜ戦果が上がらない」
「だめです。効果ありません。敵の魔法に阻まれて着弾地点が大きく逸らされています」
荒野の魔物はある意味では幻である。
ゆえに彼らに力はあっても十分な経験はない。
満足に食事も得られない荒野に発生した彼らは、同類を食らいながら生き延び、満たされぬ飢えに突き動かされながら豊穣の楽園を目指す亡者だ。
だが彼らは亡者であると同時に生者でもある。
正しい命となるのを目前にして敗北に打ちのめされ、偽りの生すら奪われかけて、何も学ばぬはずもない。
同じ経験をした者たちに、共感をしないはずもない。
砲は確かに強力な武器だ。
重く硬い砲弾が高速で上空から突如として襲い掛かる。
着弾の轟音と粉塵は耳と目を奪い、危険の出所を認識することも出来ずに一方的に蹂躙される。
それは確かに脅威である。
だが砲弾は安価で高い戦果を挙げるというその設計思想から、呪錬がなされていない。
魔力を利用した砲台の加速機能を十分に受け止められる反面、魔力による妨害にも弱いという側面があった。
初見では、魔物は対応できずに敗走を余儀なくされた。
だが敗北を噛みしめた二戦目では、そうはならなかった。
ハーピーはワイバーンほどではないが風を操り砲の軌道を逸らすことができ、彼女らのロード種は竜巻すらも操り、砲を無力化した。
サンドリザードは地中深く潜り、砲弾が耕す大地の、さらに奥深くを進み、ロード種はそんな固い地盤をかき分けて群れを先導した。
トロールは類い稀なる再生能力を頼みに愚直に進み、ロード種は進んで砲に身を晒して自らの強靭さを示し、部下を守り、士気を鼓舞した
来るとわかっているただの鉛玉が混乱をもたらすことはなく、中級以上の魔物たちの歩みは衰えることはなかった。
そんな彼らが、産業都市の大門を目指して進軍してくる。
中級単体でも外縁都市では被害を覚悟しなければならないというのに、それが三種も――学習し、手ごわさを増して――やって来る。
そして複数種の魔物が協力して襲って来るというのは魔物が活発になった証拠であり、それは竜の襲来を予期させるものだ。
防衛司令部は大門の破壊、産業都市の陥落、結界の消失、そしてこの国の崩壊という最悪の事態を怖れ、守護都市上級の戦士を囲む名家へ緊急要請を繰り返した。
政庁都市とのホットラインを持つ名家は、しかし竜の襲来がないことを知っているがために、その要請が戦力を引き出させたいがための方便だと受け取った。
他の名家がそれを主導しているのであろうと、深読みをして。
かくして虎の子の上級は温存され、既存の戦力だけで防衛戦をする事となった産業都市の大門は、無残にも陥落するかに、思われた。
「こちら守護都市ギルドメンバー。セイジェンド・ブレイドホームです。緊急の救援要請を聞きつけてやって来ました」
守護都市上級のギルド・カードを通行許可証にして、防衛司令部に入り込んできたセージはそう言った。
セージは司令部を見渡して、顔見知りがいないことに少しだけ寂しさを覚えた。ゲイツ一等騎士や彼の上司は三年前の責任を取って閑職に左遷されていた。
「きみが、天使か」
「そう呼ばれていますね。
何やら対応も後手になっているようなので、お節介にやって来ました。
今のところ竜は確認できませんが、見つけ次第一報を入れますので、その際はすぐに守護都市のジオレインを呼び出してください。
私が呼んでいると言えばすぐに来るはずです。
良いですね、竜を見つけたらすぐにうちのバカ親父を呼ぶのです」
「あ、ああ」
独特の剣幕に押されて防衛司令は頷いた。
「じゃあ片づけてきます。何かあればご連絡を」
セージはそう言って耳元のイヤーセットを指で叩き、防衛司令部を出ていく。
「一人で行く気か」
防衛司令がたまらずそう言った。
三種の魔物はどれもが強敵で、数も多い。
防衛司令部の騎士や戦士では多対一の形をとらなければ逆に狩られてしまう。そして魔物たちの進軍速度が速すぎるために門の外で防衛陣形をとる時間はない。
ゆえに被害覚悟で、大門を利用した防衛戦をするつもりだった。
セージが外に出るのだとしても、防衛司令部から外に出せる戦力はない。
小出しにする余裕も、付き合いで無駄に出来る戦力もここには無いのだから。
「ええ。これくらいなら問題ないので。
それでは特別報酬、期待していますね」
セージはそれこそ天使のように無垢な笑顔でそう言って、部屋の外に出て階段を駆け上がっていった。
そして屋上から飛び上がり、
「――っ、砲、砲が」
管制官が悲鳴を上げた。
「報告は正確にしろ」
「すいません。セイジェンドに砲弾が直撃しました――いえ、え? 乗って、えっ?」
オーダー通り正確な報告をしようとしたところで、セージから訂正の通信が入り、管制官は軽い混乱に襲われた。
「どうした。何があった」
「天使が魔物の先頭集団に接敵」
別の管制官がそう報告を上げた。
「もうか。早すぎるぞ」
「砲に、砲弾に乗って、移動したとのことです」
混乱から立ち直った管制官がそう正しい報告を上げて、砲弾って乗れるんだと、そんな感想が防衛司令室に生まれた。
「――はっ。
映像、出せるか」
「はい」
正気に返った防衛司令が指示を出し、すぐにそれは実行された。
モニターに映されるのは、砲弾の射線に入らない程度の高さで飛ぶ呪錬装具の鳥の視界だ。
そこには空を飛ぶハーピーを縦横無尽に狩り殺していくセージの姿があった。
「……やはり、手数が足りていないな」
一方的な戦いを見て、しかし防衛司令は苦々しげにそう言った。
セージの上級という実力はまがい物ではなかったと安堵できたが、それでもたった一人で抑えられる数は限りがある。
映像では圧倒しているものの、戦術マップ全体からすればそれはあくまで一部分での戦果に過ぎない。
防衛司令は僅かに迷う。
セージが外に出て戦う以上、砲撃は控えるべきだ。常識と道徳に照らし合わせて考えるならば、そうするべきだ。
しかしセージを囮にして魔物の大部分を処理できるのであれば、それは非常識で非道徳ではあるが、国防という一点に重きを置くならば、正しいと言える。
よって防衛司令ははっきりと口に出して命令を下すことにした。
全てが終わった後で、だれに責任があるのかを明確にするために。
「砲は継続しろ」
「良いんですか?」
「かまわん」
「かまいません。照準はこちらで援護しますので」
防衛指令室にセージの声が響き渡って、防衛指令室が無言になった。
「あ、これは通信魔法の声を大きくしているだけで、私が通信魔法を使っているわけではないのですよ」
あ、そうですか。
防衛司令はそんな事を思ったが、それは言葉にはならなかった。
「ええと、状況報告。
砲の着弾地点にずれ。ハーピーによるものではありません」
「どういうことだ」
「セイジェンド――セイジェンド様によるものと推測。魔物への直撃が増えています」
事実、戦術マップ上の、セージから離れた地点にある魔物の反応が消えていった。これまでは足止め程度の効果しか無かった砲撃が、戦果を挙げている形だ。
防衛司令は震えた。
空で何十という魔物に囲まれ、圧倒し、それだけに飽き足らず目の届かぬ戦場でも猛威を振るのかと。
「長くて呼びにくいでしょうから、どうぞセージと。
そういう事ですのでどうぞ気兼ねなく。ハーピーはこのまま砲を利用させていただければ無力化できると思いますので、これからサンドリザードの処理を致しますね」
空を降りて着地したセージは何事かを呟く。
その瞬間、彼の身体から膨大な魔力が噴出し、モニターの映像が掻き消える。
「何が起きた」
「計測器を振り切る魔力反応です。偵察鳥とのリンク、切れました」
「すぐに復旧させろ」
「はい。いいえ。リンクは完全に消失、おそらく機能不全に陥っています。予備のものを向かわせました」
「それでいい。早くしろ」
「はい。
――映像、来ます」
新しく映ったのは、大きくひっくり返された地面だった。
結界から流出する実りで溢れていた緑は、まっ茶色の土色に変化していた。
そのひっくり返った地面に砲弾が次々に舞い落ち、土砂と一緒にサンドリザードの肉片が空を舞った。
サンドリザードの中でもひときわ大きな個体が、怒りの咆哮を上げてセージに襲い掛かる。
それをひらりひらりと躱しながらセージは次々と地面をひっくり返し、そこに砲弾を誘導し続けた。
千体近かったハーピーとサンドリザードは瞬く間にその数を半分まで減らす。
魔物は進軍よりもセージの排除を優先するべきだと、ロード種を中心にセージへと襲い掛かるが、彼らの爪も牙も魔法も、一向にセージを捉えることは出来なかった。
一騎当千。
たった一人の戦士が、戦場を支配し、圧倒する。
それはまさしく英雄譚のような、非現実的で心躍る戦いだった。
「これが、守護都市上級……」
「いやいや、一緒にされたらたまらんぜ」
防衛司令の言葉を訂正したのは、上級の戦士だった。
名前はプルーノ。産業都市名家が勧誘する、守護都市から派遣されたギルド・メンバーだった。
「貴様、今ごろ現れてどういうつもりだ」
「そういう話はお前らの大将に言ってくれ。俺は話を聞いてすっ飛んで来たんだぜ。
しかし歯ごたえのある獲物が来たと思えば、ずいぶん面白いもんが見れたな」
転送される映像と、戦術マップから消えていく魔物の反応、自身の魔力感知に、探査魔法。
プルーノはそれらを駆使して、セージの闘いを分析していた。
「強いとは聞いてたが、なるほどな。たしかに、化け物だ」
「同じ上級の戦士から見ても、なのか」
プルーノは肩をすくめた。
「さてね。持ってる魔力は、上級中位ってところかな。
さしで闘り合って負ける気はしねえが、同じことは出来ねえ。
目が良いうえに、頭ん中がバケモンだな。何もかも見通してますって、感じがしやがる。
これが出来るとしたら飛翔剣のラウドか、全盛期の当千カナンぐらいだろうよ」
ごくりと、防衛司令は唾を飲んだ。
それはつまり、すでにセージがこの国で最高峰の防戦能力を持つという意味だ。
それが人伝に聞いた話であったならば、いつもの宣伝工作だろうと笑って、信じなかっただろう。
だがたった一人で産業都市大門を陥落させかねない脅威を相手取り、対等に戦うどころか圧倒するのを見て、信じざるをえなかった。
「さて。トロールの到着だな。
ロード種は上級中位相当だ。タイマンならともかく、他のロード種に手下の援護もあるとなると、さすがにきついだろうな」
他人事のようにプルーノがそう言って、防衛司令は我に返る。
彼の投げやりな言い様に怒りは覚えなかった。
プルーノは実情はどうあれ防衛のための戦力で、防衛司令の部下という扱いになっている。
そして守護都市上級という強力すぎる戦力である彼は、命令外の戦闘が固く禁止されている。
それを理解し、従う意思があるからこそ、そんな言い方をしたのだと気が付いた。
そしてそれは同時に、いつまで子供一人に戦わせているつもりだと、そう揶揄する意味も込められている。
感心し、呆けていることなど防衛司令には許されないのだ。
「援護を頼む。トロールを抑えてくれ。
防衛軍も大門から出陣させる。援護ぐらいは果たせるだろう」
「そうこなくちゃな」
プルーノは血の気が溢れる笑顔で頷き、外へと向かう。
防衛司令はマイクをとって、直接出陣命令を出そうとして――
「各員、新たな英雄の援護だ。我らが故郷を脅かす魔物どもに正義の鉄槌を――」
「あ、邪魔なんで止めて下さい」
「――くだ、え?」
――セージに遮られ、呆気に取られて声を上げた。
「このまま一人で十分です。むしろ出てこられると砲弾を止めなくてはいけないので余計に時間がかかります」
「意地を張るなよ、セージ。ハーピーやサンドリザードのロードに手こずって、トロールまで抑えるのは無理があるだろう」
「それは誤解ですよ、プルーノさん。撤退を防止するためにロード種には手を出してないだけです。
あと、ちょっと必殺技を試したいので、巻き込みたくないんですよね」
プルーノはおやつのお預けを食らった子供のような顔で防衛司令の顔を見る。出て良いだろと、その顔には書いてあった。
防衛司令は少し迷って、考えを修正させた。
英雄願望のある若者は無理を背負いたがる。
セージの考えは好ましくもあったが、しかしたった一人の戦士にこれ以上のリスクを背負わせるわけにはいかない。
だから防衛司令はセージを刺激しないよう、言葉を選ぶことにした。
「すまないが、勝ち戦であるのならば尚更に部下たちも出させてやりたい。故郷を守ったのだと自信を持たせてやりたいのだ。
そしてプルーノは出させる。彼が邪魔になることはないはずだ」
「そうだそうだ。ふざけんな糞天使」
「わかりました。それじゃあ必殺技でたぶんロード種は殺せるので、その後はご自由にどうぞ」
セージからの通信はそれで終わる。
「俺は行っていいんだよな」
「ああ。ロード種を殺した後というのは、君以外に向けた警告だろう。
子供のわがままと思うかもしれないが、彼は間違いなくこの都市を救った英雄だ。気を悪くせず助けてあげてくれ」
「そもそも気にしてねえよ」
そう口にした勇ましいプルーノの横顔は、しかし一瞬で歪んだ。
それにわずかに遅れる形で、再度モニターの映像が消えうせた。
そしてモニターだけではなく、戦術マップも魔力反応を捉えられなくなっていた。
「またか。復旧急げ」
「……直りません。機器が完全にショートしています」
「予備の偵察鳥も即座にロストしました。リトライしますか?」
「やれ。
何が起きている?
……プルーノ?」
硬直するプルーノの表情を、防衛司令は改めて見た。
その顔は、恐怖に染まっていると表現するのが最も相応しかった。
そんな青ざめた顔のプルーノが、ゆっくりと口を開く。
「二つ、訂正する。
タイマンでも俺はあいつに勝てない。
そして警告には、俺も含まれる。
行けば、死ぬ」
ただ一人、セージの魔力を肌で感じ取れたプルーノは震える声でそう言った。
それから、5分が経った。
偵察鳥は近づくことも出来ずに壊れ、管制の計器も完全に破損し状況は不明。
探査魔法でもなにも捉えられず、目視で大門の物見台から魔法や土煙が上がるのを確認して、戦闘継続中の報告が上がるだけだった。
新しい英雄を失うわけにはいかない、その思いから防衛司令は出陣を強行しようとするが、それをプルーノが押しとどめた。
出れば死ぬと、出れば必ずセージに殺されると、必死になって押しとどめた。
そんなやり取りは長く続かず、プルーノは折れた。
防衛司令に説得されたからではない、セージの魔力が元に戻ったことを感じ取ったのだ。
出ると決まれば誰よりも早く戦場まで駆け付けたプルーノは、そこで屍の山を目にする。
ハーピーやサンドリザードは言わずもがな、類い稀なる回復能力を持つはずのトロールさえもが、わずか一刀で絶命し横たわっていた。
そんな山の頂で、一人立つセージの姿を目にする。
「……死神」
プルーノは思わずそう言った。
セージはかすかに笑い、崩れ落ちた。
「っ。大丈夫か」
「すいません。しばらくねるので、あとよろしくおねがいします」
慌てて駆け寄り抱き留めたプルーノに、セージはそう言って気を失った。
触れ合う事でセージの魔力の流れが異常に乱れていることを感じ取り、それが魔力回路の崩壊を意味していると理解したプルーノは、しらず安堵のため息を零した。
それを自覚して頭を横に振り、プルーノはセージを抱き上げ、腕のいい医者に見せるために走った。
産業都市第一級防衛戦。
たった一人で死を運び、山と築いたセージは、この時初めて死神と呼ばれた。




