293話 保護者会
ブレイドホーム家の呼び鈴が鳴らされる。
鳴らした人物は勝手知ったるといった態度で、返答を待たずに門をくぐって敷地に入った。
「……無作法だな」
「珍しいところで会うな、鬼騎士」
そして出迎えに来たアールと出くわして、挨拶を交わす。言葉そのものは当たり障りなくとも、両者は剣呑な空気を発し相対していた。
「ちょっとクライス、入り口で立ち止まらないでよ――げ、アール・マージネル」
「ずいぶんとご挨拶だな、客人。追い返されたいか」
「ふざけんな、テメエに用はねえよ」
クライスとペリエが、アールと睨み合う。
それを止めたのは同じく呼び鈴を聞きつけ、遅れてやって来た保育士だった。
「あらお久しぶりです。こんなところで喧嘩ですか?」
保育士は一般人だが、長く守護都市に住んでいる。良く分からない理由で戦士が殴り合う事に慣れていたし、その暴力はそう簡単に自分たち力ない者に向けられないと信頼もしていた。
そんな保育士の気安い態度にクライスは一旦、怒りを抑え込むことにした。
「いや、そういう訳じゃない。こいつ何でいるんだ? こいつは悪い奴だぞ」
「おい止めろ」
クライスの言葉をアールが遮り、保育士は首をかしげる。
「え? それは私には何とも。セージとジオさんが決めた事ですからね。それに真面目な良い方ですよ」
「あなた、恥って言葉を知らないのかしら」
ジオへの過去の悪行はもとより、三年前にセージたちに何かをしたであろうことを――詳細は知らないまでも――察しているペリエは、冷たい目でアールを責めた。
「……それについては悪い事をしたと思っているが、お前たちに謝罪を求められる理由は無いだろう」
「しなくていいさ。ただ大事な子の家に、お前みたいなのがいるってのは許せねえだけだ」
アールは口をへの字に曲げて、再び発せられたクライスの怒気に向き合う。
クライスは拳を握りこみ、しかしそれを振るうことなく解いた。
「いいのか」
「ああ。殴り返す気のない奴を殴る気はねえ」
「セージの恩師だからな」
「ちっ……。セージが許してなかったらぶん殴ってるからな。それ忘れんなよ」
ペリエよりも三年前の事件を詳しく知るクライスは、そう吐き捨てた。
「……その、過去に何か?」
「悪い事だよ。悪い事したんだよ。すっごい悪い事だよ。あれだ。女の子の裸覗いたんだよ。セージの裸も覗いたんだよ」
「……えっ」
保育士は気持ちの悪いものを見る目をアールに向けた。
子供たちに近づけない様にしようという目だった。
アールの胸を深くえぐる目つきだった。
「悪い事は、確かにしたが……ぐっ。いいだろう。
とりあえず上がれ」
アールはそう割り切ることにして、二人を家へと案内する。
庭を歩きながら、二人に質問をする。
「それで、何の用だ」
「セージ君にお祝いを言いに。出るんでしょ、武闘祭」
「俺は別件もあるけどな。それで、どこにいるんだ」
その質問には保育士が答えた。
「特訓をするらしいですよ。一週間ぐらい帰らないかもと、そう言っていました」
「特訓って、今更?」
「方便だろう。ジオの武器庫が空になっていたから、下準備だろうさ」
ペリエの疑問にはアールが答える。
「飛翔剣。ジオさん対策か」
「ああ、本気で勝つつもりらしい。実力の差を武器で補う気だろう」
「……ちょっとワクワクしちゃうわね。
全盛期ならともかく、ブランクも呪いもある今のジオ様になら、セージ君が勝っちゃうんじゃないかしら」
興奮気味に口にしたペリエの間違いを、アールは訂正する。
「ジオの呪いなら解けたぞ。デイトが、命がけでな」
「え? クライス、知ってた?」
「一応、そうらしいって噂は聞いてたが、はっきりとは知らなかったな」
「なるほど、別件とはその確認か?」
「ま、そんな所だ」
実際には違うのだが、アールに詳しい事を教える気はなかったので、クライスはおざなりに頷いた。
そんなやり取りをしているうちに家に着く。
「俺はジオを呼んでくる。二人の案内を任せていいか」
「はい、わかりました」
アールと距離をとっている保育士が短く答えた。
少しづつ打ち解けていた相手だったのにと、アールはちょっと悲しくなった。
リビングに通された二人は保育士から麦茶を振舞われて、のんびりとジオを待つ。保育士はごゆっくりと言い残して、仕事に戻った。
「なあ、ペリエ」
「何よ」
「さっき全盛期のジオさんならともかくって言ったけどよ――」
クライスはそれを言うべきかどうかわずかに悩み、ペリエの視線に先を促された。
「――全盛期のジオさんにも、今のセージなら勝てるんじゃないかって、そう思うんだ」
ペリエはゆっくりと手を上げ、クライスの額に当てた。
「熱はないわね。じゃあボケたのかしら?」
「ボケてねえよ。この前あいつと試合したってのは言ったよな」
「ええ、聞いてるわよ。でも言っちゃあ悪いけど、あなたが練習試合で測れる程度の強さじゃジオ様には敵わないでしょ」
親バカもたいがいにしなさいと、ペリエは諭すように言った。
クライスもわかっていると頷いて答える。
「試合だけならそうなんだけどな、でもあいつの、神子の力ってのを見てよ」
「眼だけじゃなくて?」
「ああ。魔力供給と、その暴走を見た。
ずいぶん昔に竜と対峙しただろ。その時を思い出したよ」
ペリエはため息をつき、しかし――
「おおげさね。あの時の私たちは這いつくばるだけで何も……何も、出来なかった、わよね」
――クライスの表情、その真剣さに押されて、言葉を萎ませた。
「同じだ。何も出来なかった。ただの圧力だけで、本当に何も出来なくなっちまった。
もうあいつは上級を超えて、特級って域に入ってる。そう感じたよ、俺は」
「それは、すごいわね」
クライスが嘘を言っていないことが、付き合いの長いペリエには良く分かる。だからこそ言葉を失い、ありふれた相槌を打つしかできなかった。
「すごいけどな。暴走って言ったろ。
あからさまにやばい力だった。
セージにお遊びの大会であんなもん使うなって、忠告しようと思ったんだけどな。
それに――」
「それに?」
クライスは気の迷いを払うように、頭を振った。
それはきっと脅える心が生んだ妄想だ。
セージが己を殺そうとしてたなど。
「――いや、何でもない。
っと、ジオさん」
「久しぶりだな、クライス」
リビングにジオがやって来て、クライスとペリエは席を立って出迎える。
ジオはソファーに座って、二人を見る。何も言いはしないが、その目は座らないのかと問いかけていた。
二人は苦笑して、上げた腰を再び下ろした。
「それで、どうした? セージならどこかに出かけたぞ」
「いえ、皇剣武闘祭の出場を聞きましたので、お祝いの言葉を送りに。セージにも、とは思いますけどね。あいつ、今どこにいるんですか」
「知らん」
ジオの返事はシンプルなものだった。
そして俺の武器を持って行きやがってと、愚痴をこぼす。
「ははは。二人が決勝大会で戦うの、楽しみにしていますよ」
「む。
……一つ聞きたい。
セージと戦った時、俺は負けた方が良いのか?」
ジオは真顔でそう言って、クライスとペリエは呆気にとられた。
「なんだ?」
「あ、いえ、意外だったんで。
ジオさんもそういう事気にするんすね」
「……あいつがそうしろと言ったからだ」
ジオは不機嫌な顔でそっぽを向いた。
クライスたちはあいつが誰を指すか良く分かった。
二人もよく知るセージは、勝つためなら何をやってもいいと考えている節があるからだ。
「……いや、それはジオさん。本気でやりましょう。
誰が最強か教えてやりましょうよ」
「……最強、か。そうだな。俺は最強だ」
「ええそうです。あ、でもやりすぎて殺したりとかはダメですよ。わかってると思いますけどね」
クライスの言葉にジオは鼻を鳴らす。
「俺がセージを殺すか。
……他の奴も、殺さない方が良いのか?」
「そうですね。余裕があるならそうして下さい。お祭りは一般のちっこい子も見ますから。
ああ、でもあくまで余裕があれば、ですからね。手加減して負けちまったりしないでくださいよ」
「ああ、わかっている」
ジオは素直に頷いたが、見ていられなくなってペリエが口を挟んだ。
「クライス、誰に向かって言ってるのよ。相手は優勝経験者のジオ様なのよ」
「あ、ああ、すいません。生意気言いました」
「いや、そんな事はない」
ジオはそう言って首を横に振った。
クライスは言葉に詰まった。そんなジオの態度に違和感を覚えたからだ。
「気に掛けてくれているんだろう。生意気とは思わない」
そんなクライスを見て、ジオが重ねてそう言った。
それで違和感の正体に気が付いた。
「変わりましたね」
思わず、クライスはそんな言葉を漏らした。
「変わった?」
「ええ。変わりました。
人並みに気を遣……え、ええと、まっとうな社交せ……いえ。
優しく、そう、優しくなりましたね」
「……クライス」
ペリエが呆れた目つきでクライスを見た。
「そうだな。変わったのかもしれない。
……いや、俺はきっと、変わりたいんだ」
「変わりたい、ですか」
「殺しはもう、十分やった」
ジオはそう言って口を噤んだ。
クライスは優しい――年下の弟分の成長を見るような――目でジオを見て、言う。
「変わりましたよ。セージたちを拾って、守ってきたじゃないですか」
ジオはそれに答えず、そっぽを向いた。
それが拗ねた子供のように見えて、クライスは気持ちのいい笑い声をあげる。
「ははっ、そりゃセージは出来が良いですけどね、ジオさんがいなきゃ、あいつはここにはいないんです。
今のあいつがいるのは、間違いなくジオさんのおかげですよ。
拾ったってだけじゃありません。あのきかん坊の父親やれるのなんて、ジオさんだけですよ」
クライスがそう言うと、ジオは伏し目がちに小さく呟いた。すまんと、その謝罪は誰の耳に届くことも無くそのまま消えた。
「どうかしたんですか?」
「何でもない――なんだ?」
慌てて走る足音がリビングに近づいてきて、入ってくるその男を見据えてジオは問いかける。
入って来たのはアールだった。
その顔色は青ざめて血の気が引いており、絞り出す声は悲しみと苦しみでひどく震えていた。
「落ち着いて、聞いてくれ。ジオ」
「何だ?」
「セージが、産業都市の防衛戦で倒れた。
命に別状はないが、二度と剣を振るうことは出来ないだろうと」
やりきれない悔しさで目に涙を浮かべるアールを見ながら、クライスはしばらく前にそんな顔した覚えがあるなーと、そんな事を思った。
「そうか」
そしてなんとなーく大した事ないのだろうと、勘が働いているジオも気のない様子で相槌を打った。
それを見てアールが激高し、今すぐ産業都市に行けと叱り飛ばし、ジオが必要ないと言って、どったんばったん大騒ぎが始まった。
ちなみにセージはその一週間後に五体満足な姿で帰って来て、
「あれ? 親父何やってんの?」
「お前のせいだ……」
セージの無事を確認するまで帰って来るなと家を追い出されたジオと、門の前で鉢合わせた。