49ラムーダ駐屯地2
――ラムーダ駐屯地、地下B区画。
――ビィィィィィィィィンッ!!
――ビィィィィィィィィンッ!!
けたたましい警報音が、地下区画に鳴り響いていた。
「現在、カリン・フェナードを追跡中!」
グレーの軍服を着た兵士が、巨大な保管庫の中を駆け抜ける。
「対象は少女一名、および負傷者一名を伴っている!」
「応援を要請する!」
その先を――。
カリンとアメリが、巨大な結晶の間を縫うように必死に走っていた。
「はぁ……はぁ……!」
カリンは背中のジールを支えながら、逃げ道を探す。
アメリも必死にカリンについていく。
「お、お姉ちゃん……!」
「こ、ここが……ハーブルなの……!?」
「どう見ても違うわ……!」
カリンは息を切らしながら答えた。
「ピィッ!」「ピィピィッ!」
二羽のシルフィも、カリンたちを追って飛んでいく。
どこまでも続く結晶の列を走っているうちに、どこから入ってきたのかさえ分からなくなっていた。
カリンは走りながら、周囲を見回す。
(クレイドバッテリーがこんな奥まで続いてる……。)
(この数……、普通じゃない……!)
「こっちだ!」
「いたぞ!」
背後から、兵士たちの声が近づいてくる。
「……っ!」
カリンは振り返る。
(けど、今はそれどころじゃない!)
その時――。
「ん……。」
カリンの背中で、ジールがゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界に、見慣れない結晶の群れが映る。
頬には、誰かの赤い髪がさらりと触れていた。
「……なんだ、ここ……。」
まだ状況が飲み込めず、ジールは目を瞬かせる。
カリンは、背中から聞こえた声に気づくと、安堵の笑みを浮かべた。
「ジールさん! 目が覚めたのね! 体は大丈夫? 痛いところはない?」
その声に、アメリもジールを気にするように見つめた。 「い、痛くない……?」
「ん? ああ、痛くねぇけど……なんだこりゃ。いったい、どうなってんだ?」
ジールは周囲を見回し、それから自分がカリンに背負われていることに気づいた。
「って、おいおい! 姉ちゃんにおぶられてんじゃねぇか!」
慌てて顔を上げる。
「お、重たくねぇか!? 大丈夫か!?」
突然、背中で身じろぎされ、カリンは思わずバランスを崩した。
「わっ……!」
すぐに体勢を立て直し、苦笑する。
カリン「ええ、平気よ。目が覚めてよかったわ。でも、今はちょっと厄介なことになっているの。少しだけ、じっとしていて下さい。」
「あ、ああ……?」
ジールは戸惑いながらも、カリンの背中で大人しくなった。
その間にも、結晶の向こうから兵士たちの声が近づいていた。
「この先を捜索しろ! まだ遠くへは行っていないはずだ!」
「対象を傷つけるな! 生きたまま確保しろ!」
ジールは、結晶の隙間から見えたグレーの軍服に目を見開いた。
「……って、ルクセリア兵じゃねぇか!?」
「姉ちゃんたち、追われてんのか!?」
「説明は後です!」
カリンは前を向いたまま、足を止めずに答えた。
その時――
「お姉ちゃん! あれ何!?」
アメリが、前方を指差した。
結晶の隙間から、ゴトゴトと動くベルトコンベアが見えた。
その上を、大きな木箱や砲弾ケース、銃器の入った箱、大型の輸送箱など、様々な物資が次々と運ばれている。
「道が……動いてるよ!」
アメリは目を丸くした。
「……あれ、どこまで続いてるの?」
カリンは、ベルトコンベアへ目を向けた。
「わからない……けど……。」
その時――。
運ばれている大型の輸送箱に、蓋が少しだけ開いているのが見えた。
カリンの瞳が、キラリと光った。
そして、アメリの手を取った。
――そして。
「いたか!?」
「いえ、こちらにはいません!」
兵士たちが保管庫の中を探し回るなか、ベルトコンベアは変わらず、ゴトゴトと輸送箱を運び続けていた。
その箱のひとつが、兵士たちのすぐそばを通り過ぎていく。
――カタッ。
わずかに、蓋が動いた。
「……。」
隙間から、カリンがそっと顔を覗かせる。
後ろからアメリもひょこっと顔を出し、二羽のシルフィが箱の縁にひらりと舞い降りた。
周囲では、兵士たちが慌ただしく行き交っている。捜索に加わる兵士は次第に増え、けたたましい警報も鳴り続けていた。
カリンは息を整えながら、兵士たちの様子をうかがった。
「ルクセリア兵が、あんなに……。」
アメリも、兵士たちを見つめる。
「……あの人たち、お姉ちゃんにひどいことする人なの?」
カリンは、アメリの頭をそっと撫でた。
「ううん。そういう人たちじゃないわ。」
アメリ「……?」
「ただ、今は私を捕まえるように言われているの。」
「だから、見つからないようにしていれば大丈夫よ。」
カリンは、安心させるように微笑んだ。
ジールは、恐る恐る声をかけた。
「姉ちゃん……軍に追われるようなこと、何かしたのか?」
カリンは、少しだけ俯いた。
「……私は、カリン・フェナードです。」
ジール「え……?」
カリン「現在、祖父であるアルバ・フェナード教帝の殺害容疑で、指名手配されています。……ご存じですよね?」
「カ、カ、カリン・フェナード様だってぇ!?」
ジールが思わず声を張り上げる。
「しぃーっ!」
アメリが慌てて口元に指を当てた。
ジール「おっと、すまねぇ……!」
その時。 カリンの目に、頭上の看板が留まった。
そこに記されていたのは――。
――地下B区画。
(地下B区画……。)
(ここは……軍の地下施設なの?)
カリンは、整然と並ぶクレイドバッテリーに目を向けた。
(それにしても、どうしてこんなに大量のクレイドバッテリーが……?)
「お姉ちゃん!」
アメリが、小さく声を上げた。
「トンネル!」
カリンが目を向ける。
ベルトコンベアは、そのまま暗い通路の奥へと入っていく。
「……行こう。静かにね。」
カリンは輸送箱の蓋を閉じた。
――ゴトゴトゴト……。
しばらくして、箱の中が再び明るくなる。
カリンが、そっと蓋を開けた。
「……!」
顔を覗かせた先には――。
――地下A区画。
壁には、そう記された看板が掲げられていた。
その広大な空間には、大型の銃火器が大量に並べられていた。
カリン(ここは……兵器の保管庫かしら?)
すると、アメリが言った。
「あのね、前にミオちゃんとも、こうやって箱に隠れたんだよ!」
「ジェニス宮殿に入った時ね。」
カリンは、少し苦笑した。
「もう……私のために、あんな無茶までしてたんだから。」
ジールは、口を挟まずに聞いていた。
アメリは小さな声で続けた。
「あの時のミオちゃんも凄かったんだよ! 箱の中を真っ暗にして!」
カリンが尋ねる。
「真っ暗って、魔法で? 何をしたの?」
アメリは思い出すように、顎に指を当てる。
「確か――。」
少し考えてから、アメリは答えた。
「なまりで覆えば、とおらないとか……?」
「通らない……?」
カリンは、首を傾げた。
そして――ハッとする。
「透過検査装置!!」
カリンは、ベルトコンベアの先へ目を向けた。
そこには、大きな門のような装置が設置されていた。
――ウィィィン……。
装置が低い音を響かせながら稼働している。
ベルトコンベアに乗った輸送箱が、その内部を次々と通過していく。
「……!」
カリンの表情が一変した。
「まずい……!」
「ピィッ……!」「ピィ、ピィッ……!」
二羽のシルフィも、警戒するように鳴いた。
カリン
「アメリ! ここも見つかっちゃう! 移動するわ!」
アメリ「えっ!? う、うん!」
カリンは、ジールを縛っているベレットの柄を握った。
ジールは、カリンの手元に目を向けた。
「ん? なんだ!?」
そして――。
――シュッ!!
赤いクレイドの帯が、勢いよく天井へ伸びていく。
しなやかな帯は高く舞い上がり、そのまま太い鉄骨へ巻きついた。
――ガシッ!
ジール「なっ……!? なんだ? 赤く伸びた……!」
カリンはアメリを抱きかかえる。
「しっかり掴まって。それから、静かにしていてね。」
「うん……!」
アメリは小さく頷き、カリンの腕にしがみついた。
カリンは、背中のジールにも声をかけた。
「ジールさんも、落ちないようにしっかり掴まっていてくださいね。」
ジールは戸惑いながらも、短く頷いた。
「お、おう!」
カリンは帯を縮め始めた。
――シュル……シュル……
帯は静かに短くなり、カリンたちの身体がゆっくりと天井へ引き上げられていく。
その下では――。
カリンを探すルクセリア兵が、A区画へ次々と入ってきていた。
カリンたちは、その頭上を静かに上っていく。
「最重要指名手配犯だ! 絶対に逃すな!」
「まだB区画にいるんじゃないか?」
「いや、かなり身軽な少女とのことだ。恐らく逃げ足も早いはずだ! 地下をくまなく探せ!」
「絶対に地上へ出すな!」
「ああ。カリン・フェナード……教帝殺しの重罪人だ!」
「絶対に捕まえてやる!」
「このラムーダ駐屯地内で、確実に取り押さえるんだ!」
やがて――。
カリンの手が、太い鉄骨へ届いた。
鉄骨へ身体を乗せると、アメリをそっと降ろした。
アメリは下を覗き込み、首を傾げた。
「……あれ、お姉ちゃんの悪口?」
カリンは目を伏せた。
「悪口じゃないわ。」
「ただ……みんな、間違ったことを本当だと思っているの。」
アメリは、顔を上げた。
「それなら、みんなに教えてあげなきゃ。」
「ええ。」
カリンは、わずかに視線を落とした。
「だけどね、今の私じゃ、本当のことをみんなに伝えられないの。」
その時――。
「姉ちゃん……もう大丈夫だ。そろそろ降ろしてくれ。」
背中から、ジールの声がした。
カリンは振り返り、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「えっ? でも、お医者様に診てもらった方がいいわ。」
「んー、平気だ。だから、降ろしてくれ。」
ジールは、自分の身体を確かめるように肩や腕を動かした。
カリンはジールの身体を支えながら、ゆっくりと背中から降ろした。
「よっと……。」
ジールは鉄骨に腰を下ろし、軽く息を吐いた。
「俺、やっぱり魔獣の巣でやられたのか? あそこまでは覚えてんだけどよ……。」
カリン「ええ。ジールさんは、落ちていくアメリをかばって、怪我をしてしまったのよ。」
「……ああ、そうだったのか。」
ジールは、ようやく思い出したように頷いた。
「ジールさん、ありがとう……。」
アメリは、少し恥ずかしそうに顔を上げた。
「おう。……ん?」
ジールは自分の腕や胸元に触れ、不思議そうに眉を寄せた。
「俺、怪我してたんだよな? なのに、どこも痛くねぇぞ……?」
「アメリが魔法で治したんです。」
カリンはそう言って、アメリの背中をそっと押した。
「えっ、嬢ちゃんが!?」
ジールは目を丸くして、アメリを見つめた。
「そいつはすげぇな! 嬢ちゃんのおかげで、すっかり元どおりってわけか!」
アメリは、もじもじと指先を合わせた。
少しだけ顔を上げ、ジールの様子を確かめる。
「アメリ、はじめて魔法を使ったの……。そしたらジールさん、痛くしてたから……。」
ジールは一瞬きょとんとしたあと、自分の身体を見下ろした。
「んー、なんか衝撃があった気もすっけど……でも治ってんだ。」
そう言って、ジールはアメリの頭をくしゃっと撫でた。
「こちらこそありがとな、嬢ちゃん!」
「わわっ……!」
アメリは驚いたように肩を揺らした。
けれど、すぐに口元をほころばせ、照れくさそうにうつむいた。
その様子を見届けてから、カリンは下を覗き込んだ。
(この規模の施設に、これだけの兵士……。)
カリンは目を細め、周囲を見渡した。
(さっき上空から見た距離からしても、間違いない……。ここは……。)
「ここは、ラムーダ駐屯地だな。」
ジールが、確信を込めた声で言った。
カリンは振り向いた。
「ジールさん。」
ジール「そんで、なんで魔獣の巣から軍の基地内に来ちまったんだ?」
カリンは、ここまでの経緯を話した。
「へー。地下にそんな空洞があって、ラムーダ駐屯地に繋がってたのか!」
ジールは驚いたように声を上げた。
カリンは、そんなジールの顔をじっと見つめた。
そして、少し言いにくそうに口を開いた。
「ジールさん……。その、私のことは……なんとも思わないのですか?」
ジール「ん? なんだよ、急に。」
「私……教帝殺害の容疑で、指名手配されているんですよ。」
カリンは、そっと目を伏せた。
「……何かの間違いなんだろ?」
ジールは、あっさりと言った。
カリン「え……?」
ジールは、呆れたように笑った。
「だってよ、細っせー姉ちゃんが、こんな役にも立たねぇオヤジをずっと背負って、助けてくれたんだぞ。」
「そんな姉ちゃんが、人を殺すような人間だとは思えねぇよ。」
「それに、子どもが大好きなカリン・フェナード様、ってな。そんな話、俺だって知ってるぜ。」
そう言って、ジールはアメリに軽く頷いてみせた。
カリンの瞳が、かすかに揺れた。
ジールの言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
ジールは、そんなカリンの様子を気に留めることなく、言葉を続けた。
「それにしても、最近の政府と教会の変わりよう、どうにもおかしいと思ってたんだよな。」
そう言って、カリンに目を向けた。
「……あの事件も、何か裏があるんじゃねぇのか?」
「……ええ。」
カリンは、静かに頷いた。
ジールは、思わず声を上げた。
「そうなのか!? だったら、そう訴えりゃいいじゃねぇか!」
カリン「けど、確実な証拠はありません。それに……今の政府と教会が、本当は何を目的としているのかも分かっています。」
「……それは、お話しできませんが。」
ジールはしばらくカリンを見つめていたが、なぜか納得したように頷いた。
「……そうか。」
「……なぁ、知ってるか? 今、アルファリア教会がルクセリア政府に統合されたことで、あちこちで暴動が起きてるんだ。世界中でな。」
「……!」
カリンは目を見開いた。
ジール「特に北や東の国じゃ、政府に反発してる国もあるらしいぜ。傭兵まで雇って、軍とやり合ってるところもあるみてぇだ。」
「……そう、なのですか……。」
カリンは俯いた。
胸元に手を当て、ぎゅっと服を握りしめる。
教会が政府に統合されたことで、各地で争いが起きている。
女神メイデスを崇め、人々の拠り所となってきた教会。その変革に反発し、武力をもって抵抗する者たちがいる。
そして、その変革の発端は――カリン自身。
カリンは、胸が締めつけられるような思いに駆られた。
ジールは、俯いたカリンを見て慌てた。
「ち、違う、違う、姉ちゃん! っと、失礼。カリン様。あんたを責めてるわけじゃねぇ。俺が言いてぇのは――」
「全ての人間が、あんたを疑ってるわけじゃねぇ。女神様を信仰してた者たちにとっちゃ、教帝こそが使徒なんだ。そこに例外なんてねぇ。今回の事件だって、政府の陰謀だと考えてる人間は世界中にいるってことだ。」
カリンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとうございます。」
小さくそう告げてから、表情を引き締めた。
「私からお話しできることは……私が捕まれば、政府の思惑どおりになってしまう、ということです。」
そして、握りしめた手に力を込めた。
「……必ず、この状況を変えてみせます。だから、絶対に捕まるわけにはいかないんです。」
「ジールさん……あなたを巻き込んでしまって、ごめんなさい。」
カリンは、申し訳なさそうに目を伏せた。
だが、ジールはニッと笑った。
「よし、決まりだ。俺も手を貸すぜ」
「ここから逃げ出そうじゃねぇか。」
カリンが慌てて顔を上げる。
「ジールさん!? そんな、危険です!」
しかし、ジールは得意げに口角を上げた。
「へっ、俺は少しばかり、ここの構造を知ってんだ。」
「ほんと?」
アメリは、意外そうにジールを見つめた。
「ああ。ずっと昔に別れた女房が、ラムーダ駐屯地の兵士でよ。駐屯地公開祭があったときに、あちこち案内してもらったんだ。」
ジールは懐かしそうに笑った。
「まあ、昔の話だけどな。」
カリンは、小さく頷いた。
「そうだったのですね。奥様が……。」
そして、辺りを見回した。
「この場所は、駐屯地のどのあたりなんですか?」
「ここは地下二階だ。確か、A区画の地上階には兵舎があったはずだぜ。まずは上に行こう。」
ジールはそう言って、天井を見上げた。
「あっ! あれ! 前にミオちゃんと入った!」
アメリが指差した先には、何本か先の鉄骨の向こうに、通気口が見えていた。
「おお! よく見つけたな、嬢ちゃん!」
ジールは、アメリの頭をポンポンと撫でた。
「にしても、あんたらの友達のミオちゃんって、随分わんぱくな魔法使いなんだな。ははっ!」
(確かに、そう聞こえちゃうわね……。)
カリンは苦笑しながら、通気口へ目を向けた。
「鉄骨を移動しましょう。気をつけてね。」
「ピィ!」「ピピィ!」
二羽のシルフィが先導するように飛んでいく。
カリンたちは、足元に気をつけながら鉄骨を渡っていった。
やがて、通気口の前までたどり着く。
カリンは慎重に格子を取り外した。
その奥には、人ひとりがどうにか通れそうな、暗い換気通路が続いていた。
――ギ……ギギッ……。
金属が擦れる、小さな音。
「……?」
少し離れた場所で、兵士の一人が顔を上げた。
「どうした?」
「いや……今、何か聞こえなかったか?」
「警報がうるさくて分からん。気のせいだろう。」
兵士たちは再び、捜索へと戻っていった。
***
――ラムーダ駐屯地、中庭。
銀狼の目の前には、ミオを抱き抱えたプラド将軍が立っていた。
その口元には、嫌な笑みが浮かんでいる。
フェンリル『アッシュ。今すぐ引け。すぐに殿下を見つけなければならぬ。』
「ふざけんな、フェンリル!! ミオちゃんが苦しんでるんだぞ!!」
アッシュの怒声が、中庭に響き渡る。
『お前に何ができる。奴のクレイドを抜き取る技と、我のクレイドを喰らう能力は相性が悪すぎる。』
『それに、お前はまだ我の力を使いこなせていない。ここにいても勝ち目はない。自分が一番よくわかっているだろう。』
「……っ!」
アッシュは歯を食いしばった。
そのやり取りを、プラド将軍は興味深そうに眺めていた。
(あらぁ……喧嘩かしら?)
そして、腕の中のミオへ視線を落とす。
ぐったりとした小さな身体は、ぴくりとも動かない。
(変態閣下の新たなご所望は、この子だけだしねぇ……。)
(カリン・フェナードはどうするべきかしら?)
プラド将軍は、ちらりと管理棟を見上げた。
(……一度、指示を仰がないといけないわね。)
そして、再び銀狼へと向き直る。
「あらぁ? お姫さまの元へ向かわなくてよろしいの? 若様♡」
「……っ!」
アッシュの牙が、ぎりりと鳴った。
(くそっ……!)
カリンを探さなければならない。 だが、目の前には意識を失ったミオがいる。 どうするべきか。アッシュは焦りを募らせていた。
フェンリル
『アッシュ。いい加減にしろ。殿下の身が最優先だ。聖痕を授かりし者が倒されたのであれば、その者を救う義理などない。ここまでの者だと割り切れ。』
「……は?」
アッシュの目が、カッと見開かれた。
「何もわかってねーな、フェンリル!!」
銀色の毛並みが、怒りに震える。
「んなことしたら、カリンちゃんはどうなる!? ミオちゃんを見捨ててカリンちゃんを助けたって、それがカリンちゃんを苦しめることになるって、なんでわかんねーんだよ! このデカワンコ!!」
『デ……デカワンコ……。慎めよ……アッシュ。』
フェンリルの声が、わずかに低くなる。
銀狼の瞳が、鋭さを増す。
「それに……ミオちゃんは大切な仲間だ。」
「俺は絶対に見捨てない。」
その時――。
管理棟の方から、複数の兵士が中庭へ向かって駆けてくるのが見えた。
さらに、訓練場の方からは装甲車が接近してくる。
『時間がないぞ。ここも囲まれる。』
「……ああ。」
アッシュは、プラド将軍の腕の中でぐったりとしているミオを見つめた。
そして――。
「フェンリル。20%、クレイドくれ。」
『……バカな。何をする気だ……!?』
「よろしくー。」
アッシュは軽い調子で返すと、その場で人間の姿へと戻った。
そして、一歩。
また一歩と、プラド将軍に向かって歩き出す。
『くっ……。勝算はあるんだろうな……。』
フェンリルの声とともに、アッシュの身体を銀色のクレイドが一瞬だけ包み込んだ。
その光は、すぐに消えていく。
プラド将軍は、そんなアッシュを見て楽しそうに笑った。
「あらぁ。聖獣はおしまい? そうよねぇ。あなたの最強の武器は、その身分だものね♡」
アッシュは答えない。
やがて、プラド将軍の目の前まで歩み寄ると、腕の中のミオをじっと見つめた。
「…………。」
そして――。
ヘラっと、いつもの笑みを浮かべた。
次の瞬間。
――シュンッ!
アッシュの姿が、プラド将軍の視界から消えた。
プラド将軍「……!?」
すると――。
「ニャー。」
腕の中のミオの顔に、一匹の猫が身体を擦りつけていた。
「なっ……!? 猫ぉ!?」
プラド将軍が思わず声を上げる。
猫はミオの頬から離れると、くるりと顔を上げた。
そして――。
「ニャッ。」
どこか人を食ったような顔で、プラド将軍を見上げる。
次の瞬間、猫は軽やかに跳躍した。
プラド将軍の腕を飛び越え、そのままホイップクリームのように大きく巻き上がった髪の上へ。
「ちょっ……! 何なのよ、この猫ぉ!?」
プラド将軍が慌てて顔を上げる。
だが、猫は止まらない。
ふわりと髪の上から跳び上がると、空中でくるりと身体を回転させた。
(アルティメットマーキング!!)
――パシャッ!
辺りに、細かな飛沫が飛び散った。
「…………。」
プラド将軍の顔から、笑みが消えた。
「…………は?」
猫はそのまま地面に降り立つと、最後にプラド将軍の靴へと狙いを定めた。
――ピシャッ!
そして――。
タタタタタッ!!
猫は何事もなかったかのように、その場から駆け出した。
プラド将軍の身体が、わなわなと震える。
「いやぁぁぁーーーッ!! なによコレぇぇぇ!!」
握りしめたステッキが、小刻みに揺れた。
「汚いわねぇぇぇーーーッ!!」
猫は振り返ることもなく、そのまま兵舎の方へと姿を消していった。
そこへ――。
兵士たちが中庭へ駆け込んできた。 続いて、装甲車が轟音を響かせながら乗り入れてきた。
装甲車の扉が開く。
恰幅のいい女性が降り立つと、プラド将軍のもとへ足早に歩み寄り、敬礼した。
「ゾフィー大佐、到着いたしました!」
「カリン・フェナードと聖獣が現れたとのことですが、現在の状況は?」
「…………。」
プラド将軍は答えなかった。
ただ、ゆっくりと顔を上げる。
その頬が、ぴくりと引きつった。
「……ゾフィー大佐。」
「はっ!」
プラド将軍
「今の猫……どこへ行ったか、見たかしらぁ……?」
「…………はい?」
ゾフィー大佐は、ぽかんと口を開けた。
タタタタタッ!!
猫は、非常階段の下へと駆け込んだ。
「ふん。アルティメットマーキング、成功〜。」
得意げな声が響く。
『何が成功だ。体は豚ではないか。』
フェンリルは、低い声で指摘した。
猫姿のアッシュは、自分の体をまじまじと見下ろした。
猫の顔に、ぽてっと丸い子豚の体。 どう見ても、まともな変身とは言い難かった。
「なっ!? さっきまで猫だったよな!? なんでだよ〜! また失敗かよ〜!」
アッシュは短い足をばたばたと動かし、納得がいかない様子で声を上げた。
『お前……キサラギの魔法使いに小便をかけたのか。』
「ミオちゃんにそんなことできるかよ!」
アッシュは、むっとした声で言い返した。
「プラド将軍にはクレイドをたっぷり混ぜた濃ゆ〜いのをお見舞いしてやったけどな! ミオちゃんには求愛用の臭腺をくっつけたんだ。」
「これで二人の匂いを嗅ぎ分けられるし、居場所だってバッチリ追えるぜ!」
『匂いによる追跡か……。我の嗅覚を利用するとは、なかなか考えたな。アッシュ。』
「だろ? それとさ、カリンちゃんの居場所なら、匂いをつけなくても判るんだろ? フェンリル。」
『無論だ。皇女殿下のクレイドを見誤るはずもない。隠密に向いたその姿のまま進め。急ぐぞ、アッシュ。』
アッシュは、ふっと表情を引き締めた。
「……ああ。急ごう。」
猫(子豚?)は、ぽてぽてと短い足を動かしながら、非常階段を駆け上がっていった。




