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新卒エンジニア、観察ノートを開く(上巻) 観察を、始める  作者: どん


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第16話「家族みたい、断る夜」

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名、企業名等はすべて架空のものです。実在のいかなる存在とも関係ありません。

 六月の第三週、金曜日の夕方。


 Slackの全社チャンネルに、牧野マネージャーからメッセージが来ていた。


「新卒の皆さん、今夜、自社サービス事業チーム主催で、新卒歓迎会を開きます! 駅前の『海宝亭』にて、十九時開始! みんな、絶対、来てね!」


 絵文字が十個以上、並んでいた。乾杯の絵文字、笑顔の絵文字、ハートの絵文字、それからなぜか、桃の絵文字も混じっていた。


 ……「新卒歓迎会」は、配属の頃にすでに各部でそれぞれ、やってもらっていたはずではなかったか。


 心の中で、僕は軽く首をかしげた。


 チームAでは配属の翌週に、諏訪マネージャーが簡単な歓迎ランチをやってくれていた。お昼の時間に社員食堂で、チーム全員で軽く食事をして、終わり。一時間で解散。「夜の歓迎会は桐谷くんのペースで、希望があればやりましょう」と諏訪さんは言ってくれた。


 僕は希望を出していなかった。


 葉山さんも丸山さんもたぶん、チームBで軽い歓迎ランチを、もうやっているはずだった。


 なのに、なぜここで自社サービス事業チーム主催の、別の歓迎会が企画されているのか。


 ……たぶん牧野さんが、新卒に興味を持っている、ということなんだろう。


 心の中で、僕は自分にそう説明した。


 同期六人の社内Slackのプライベートチャンネルに、丸山さんからメッセージが来た。


丸山:あ、これ、出ないとマズイっすか?

葉山:全社チャンネルで新卒名指しだから、たぶん、出ないと感じ悪い

アユシュ:私、Yes, I will go

黒木:行く

杉本:出席の予定、しています

葉山:じゃ、皆で行くか

蒼太:皆、行くなら、僕も、行く

丸山:じゃあ、決定っすね


 六人、揃って出席。


 ……皆で行くなら、たぶん、大丈夫。


 心の中で、僕は自分にそう言い聞かせた。


 


 十九時、駅前の『海宝亭』。


 お店の入り口で、自社サービス事業チームの社員らしい人たちが、すでに何人か待っていた。牧野マネージャーが声を上げて、僕らを出迎えた。


「新卒のみんなー! ようこそー!」


 声が駅前の通りに、響き渡った。


 近くを通っていた地元の人らしいおじさんが、ちらっとこちらを見た。


「皆、ぜんぶ揃ったね! じゃ、二階の宴会場、こっち!」


 牧野さんは嬉しそうに、皆を店の中に誘導した。


 二階の宴会場は、二十人ほどが入る広めの和室だった。長机がコの字型に並んでいて、座布団が人数分、敷かれていた。


 自社サービス事業チームの社員は十人ほど。新卒は六人。合計十六人。


 席順は牧野さんが、決めていた。


 僕の席は牧野さんの隣だった。


 葉山さんは、牧野さんの反対側の隣。


 他の四人はそれぞれ自社サービス事業チームの社員と、ぽつぽつ、間に挟まれて座らされていた。


 ……新卒を、囲い込む配置だ。


 心の中で、僕はちょっと構えた。


 研修の時、牧野さんは新卒の顔を、覚えました、という目で見ていた。あの時の目の意味が、この席順に出ている気がした。新卒六人を、自社サービス事業チームの大人たちが、ちょうど囲むように座らせる。偶然ではないのだろう。


 乾杯。


「ようこそ、ヨキエルへ! 家族みたいなチーム、楽しんでいってね!」


 牧野さんがジョッキを、高く掲げた。


 全員で、乾杯した。


 和室の天井は低く、宴会の声がよく響いた。畳の匂いと、揚げ物の油の匂いが混じっている。隣で牧野さんが、もう二杯目のジョッキに口をつけていた。


 最初の三十分は、まだ楽しかった。


 料理は美味しかった。地元の海の幸。刺身の盛り合わせ、焼き魚、煮物、揚げ物。お酒も地元の銘柄が、いくつか並んでいた。


 牧野さんはぐるぐる、皆の席を回って、それぞれの新卒に話しかけていった。


 遠くの席で、牧野さんがアユシュさんに話しかけているのが、こちらまで聞こえてきた。


「アユシュくんね、うちは家族みたいなチームだから、過ぎたことは、ぜんぶ水に流すんだよ」

「過去の失敗とか、気にしなくていいからね」


 アユシュさんはたぶん「ありがとうございます、はい」と、短く答えていた。


 ……「過ぎたことは、水に流す」。


 心の中で、僕はその一言を半秒、引っかけた。


 「過ぎたこと」は、「過去の失敗」と置き換えてもたぶん、意味は通じる。それを「水に流す」というのは、たぶん、あまり良くないことだ。少なくとも、新卒に向けて最初に語る言葉として聞く言葉では、たぶん、ない。


 なぜなら、会社というのは、過去の失敗を踏まえて、少しずつ良くなっていく場所のはずだから。


 この前のリリースの手順書にも、失敗したらどう戻すか、が細かく書いてあった。失敗は、水に流すものではなくて、書き残して、次に備えるもの。たぶん白瀬さんなら、そう言う。牧野さんの「水に流す」は、それとはちょうど逆を向いていた。


 心の中で、僕はそう思った。けれど口には出さなかった。


「桐谷くん、チームA、どう?」


 牧野さんが僕の隣に戻ってきた時、聞いてきた。


「諏訪さん、いい人ですよね、はい」


「諏訪さんね、彼女、本当にしっかりした人だよね。家族みたいなチームを作ってる」


 ……諏訪さんのチームは、家族みたい、ではないと思う。


 心の中で、僕は思った。本物の信頼関係と「家族みたい」はたぶん違う。けれどそれを口に出すのは、まだ早いと判断した。


「桐谷くん、君は、優しい顔してるね」


「あ、はい?」


「いやー、君、たぶん、若い女性社員にモテるタイプ、だね! 家族みたいに可愛がられるタイプ!」


 ……「可愛がられる」。


 心の中で、僕はぴくっとした。


 葉山さんの「ぴくっと」とはたぶん、違う種類だった。けれど確かに、ぴくっとした。


「あの、僕、たぶん、そんなことはないです」


「いやいや、絶対、そう! 家族みたいな可愛がりが必要なタイプだよ、君は!」


 ……「家族みたい」が、ここでも出てきた。


 牧野さんは満足そうに、ジョッキを傾けた。


 お酒が入っていた。けれどまだ完全に、酔っているわけではなかった。


 葉山さんと、視線が合った。


 葉山さんの目が軽く、僕に何かを伝えていた。「気をつけて」というメッセージ。たぶん。


 僕も頷き返した。


 一次会が終わった。


 時刻は、二十一時。


 牧野さんが立ち上がって、宣言した。


「じゃあ、皆! 二次会、行くよー! 駅前のカラオケ!」


 ……二次会、聞いていない。


 心の中で、僕は思った。


 Slackの招待には十九時開始、とだけ書いてあった。終了時刻は書いていなかった。けれどお酒の席で終了時刻を明示しないのは、たぶん、二次会前提、ということなのかもしれない。


 葉山さんが立ち上がって、こう言った。


「すいません、私、明日、家族との約束があるので、ここで失礼させてください」


 声は丁寧だった。けれど、はっきりしていた。


 牧野さんの表情がほんの一瞬、固まった。


 それからすぐに、笑顔に戻った。


「えー、葉山さん、もうちょっといいじゃん! 家族みたいなチームの二次会だよ?」


「すいません、本当に明日の朝、早いので」


「そう、残念だなー、でも、また、次、ね」


 葉山さんが頭を下げて、宴会場を出ていった。


 牧野さんが次に、僕を見た。


「桐谷くんは、どうする?」


 ……順番に、聞いてきた。


 心の中で、軽く構えた。


 他の同期の丸山さんとアユシュさんと黒木と杉本さんは、なんとなく二次会に付き合う雰囲気に、流されつつあった。皆、断りにくいと感じている、たぶん。


 でも、葉山さんが断った。


 葉山さんが断れたなら、僕も断れるはずだった。


「すいません、僕も、明日、用事があるので、失礼させてください」


 言葉が、口から出た。


 牧野さんの表情がもう一度、ほんの一瞬、固まった。


 今度は戻りが、少しだけ遅かった。


「桐谷くん、まだ入社して二ヶ月だよ? 家族みたいなチームの二次会、来ないと損するよ?」


「すいません、本当に、明日、朝、早いので」


 言いながら自分でも、嘘が薄いと思った。土曜日の特に用事はなかった。けれどここで引き下がってはいけない、ということだけははっきり、感じていた。


「君、ノリ、悪いね」


 牧野さんが笑顔のまま、そう言った。


 ……「ノリ、悪い」。


 心の中で、僕はその言葉を繰り返した。


 牧野さんはそれから少し声を抑えて、こう付け足した。


「君、たぶん、出世しないタイプだよね」


 ……出世、しない、タイプ。


 心の中で、ぴくっとした。


 でも、僕はここで引き下がるわけにはいかないと思った。


「すいません、失礼します」


 頭を下げて、宴会場を出た。


 階段を降りた。


 


 駅前の通りに出た。


 夜の風が頬に当たった。六月の夜の風はもう、湿気を含んでいた。


 葉山さんが店の前で待っていた。


 僕を見て軽く、手を上げた。


「桐谷くんも、断った?」


「うん、断った」


 歩き出した。


 桜並木通り、葉桜の影が街灯の光に、ちらちらと揺れていた。


 しばらく二人で、無言で歩いた。


 葉山さんがぽつりと、こう言った。


「家族みたい、嫌いだよね」


「うん、嫌い」


 答えた。


「『家族みたい』って、本物の家族とは違うじゃん」


「全然、違う」


「本物の家族は、二次会、強要、しない」


「うちの家族、しない」


「私の家族も」


 二人で、軽く笑った。


 しばらく歩いて、葉山さんがもうひとつ、こう言った。


「桐谷くん、断れたね」


「葉山さんが先に、断ってくれたから」


「私も、桐谷くんが断ってくれて、心強かった」


 ……お互いに、そう思っていた。


 断る、というのは、たった一人だと、とても重い。でも、先に誰かが断ってくれると、その重さは半分になる。今夜、葉山さんと僕は、その半分ずつを、お互いに渡し合っていた。


 葉山さんが続けた。


「次からたぶん、もっと、断りやすくなると思う」


「うん」


「『ノリ悪い』って、五千回、言われても、断り続けよう」


「五千回」


 葉山さんが笑った。


「比喩」


「うん、知ってる」


 しばらく歩いて、葉山さんが、ふと、声のトーンを落とした。


「私さ、東京の会社の内定、蹴って、ここに来たじゃん」


「うん」


「東京の理不尽は、人を擦り切れさせるまで、気づかせてくれない。笑顔と、優しい言葉で、じわじわ削ってくる」


 葉山さんは、夜の桜並木を、まっすぐ見ていた。


「ここの理不尽は、毎日ちゃんと、痛い。痛いって、すぐ分かる。それって、たぶん、まだマシなんだよ」


 ……痛いほうが、まだマシ。


 葉山さんの言葉は、いつも、僕の半歩先を、言葉にしていた。


 


 寮への道、駅への道、別れる場所が来た。


 葉山さんは今夜、駅の方の別の場所に泊まる予定らしかった。「妹がこっちに、遊びに来てて」と葉山さんは説明してくれた。


「お互い、月曜日、また」


「うん」


 軽く手を振って、別れた。


 


 寮に戻った。


 部屋に上がって、ジャケットを脱いだ。


 


 ノートを机に置いた。


 今日のページに、こう書いた。


 牧野マネージャーの、新卒歓迎会。


 「家族みたい」を、十回くらい聞いた。


 「過ぎたことは、水に流す」を、二回くらい聞いた。


 二次会、カラオケに強引に誘われた。


 葉山さんが、先に断った。


 僕も、断った。


 牧野さんに「ノリ悪いね」「出世しないタイプ」と言われた。


 書きながら、僕はペンを止めた。


 もう一行、書いた。


 断れた、初めて。


 書いてから、その文字をしばらく見ていた。


 牧野さんに「ノリ悪いね」と言われた時、本当はぴくっとした。「出世しないタイプ」と言われた時、もっとぴくっとした。


 でも、断れた。


 そして葉山さんと桜並木通りで、「家族みたい嫌いだよね」と確認した。


 その瞬間、僕の中で何かがほんの少しだけ、強くなった。


 「ぴくっとする」を貯めていくと、いつか、ぼん、と来る。葉山さんはそう言っていた。


 でもたぶん、「ぴくっとする」を誰かと共有できると、ぼん、と来る前に、軽く放出できる。


 葉山さんと僕の、桜並木通りの五分間がそれだった。


 ノートを閉じた。


 窓の外、六月の梅雨入り前の夜風が、開けた窓からすっと入ってきた。


 明日は、土曜日。


 「明日、用事があるので」と嘘をついた。


 でもその嘘はたぶん、必要な嘘だった。


 いつか、嘘をつかなくても断れるようになりたい、と思った。


 その日までたぶん、僕は何回でもぴくっとして、何回でも葉山さんと夜の桜並木通りを歩くんだろう。


 


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