緊急避難
「あの日、僕は死のうとした」と秋晴が言う。
「死のうとした?」
明日香も親のDVに悩んだ一人だ。秋晴の気持ちが分ると思ったのだろう。だが、聖一を殺害した動機は違うようだ。
「WCPに認定されてから、全てが変わってしまった。皆、化け物を見るような眼で僕のことを見る。腫れ物を触るように僕を扱う。友だちは皆、離れて行った。パパだってそうだ。気に入らないことがあれば、直ぐに殴りつけていたのに、僕がWCPだと分かった途端、手を出さなくなった。僕が怖かったんだ」
自分自身が経験したことだ。俺には秋晴の言うことが、よく理解できた。
「殴られなくなったのなら、それで良かったじゃないか」と平尾。
「僕がWCPだと分かった途端、ママに捨てられた。僕だけを置いて、家を出て行ってしまった・・・」
流石に、これは辛い。
「好きになった子がいた。だけど、僕がWCPだと分かった途端、逃げて行った。僕がWCPだと分かった途端、皆、僕から離れて行く。会社の面接だってそうだ。WCPだって言うと、途端に顔を曇らせる。『うちには君は向いていないかも』なんて、綺麗ごとばかり言って、本当は僕のことが怖いくせに。WCPを雇うのが嫌なだけだ。もう生きているのが嫌になった」
「それで、死のうとした。そうだな?」と聞くと、「そのつもりだった」と秋晴が答える。「あの日、僕は死のうとした。パパも疲れていた。ギャンブルで借金を抱えて首が回らなくなっていた。僕が死ぬのなら、一緒に死んでくれるって言う。それを信じた訳ではないけど、僕を殺してくれって頼んだ。だから、パパに首を絞めてもらった」
暴力を振るえなくなったことで、聖一はギャンブルでストレスを発散していたのかもしれない。秋晴は自殺しようとして、聖一に首を絞めてくれと頼んだ。聖一が秋晴を殺そうとした。だが、死んだのは聖一だ。
「苦しくて、気を失った。これで死ぬことができる。そう思ったのに、気がついたら、パパが死んでいた」と秋晴が言う。
「気がついたら死んでいた⁉」
「緊急避難だ!」と何処からか声がした。
忽滑谷だ。反対側の山の斜面に忽滑谷がいた。
「忽滑谷~!」
ここからだとやつの居る場所に辿り着くまでに、やつは姿を消してしまうだろう。
「生命が危険に晒された時、満月の有無に係わらず、無意識の内に狼男に変身してしまうことがあると聞いたことがある。きっと、その現象が起きたのだ」
確かに、そういう事例があることを、書物で読んだ記憶があった。
俺はこっそり背後の平尾に合図を送った。俺が忽滑谷の注意を引いておくので、その間に回り込んで忽滑谷を確保しろ――という合図だ。
KY野郎だが、頭は良い。平尾は直ぐに俺の意図を察して姿を消した。
「奥田秋晴君。我々と一緒に来たまえ。我々の楽園に。そうすれば、人も目を気にする必要はない。誰も君を差別したりなんかしない。皆、WCPなのだから。WCPだけが暮らす楽園だ。満月の夜にだって、狼男に変身したって構わない。どうだい? 私と一緒に来てくれないか」
秋晴が忽滑谷に目を向ける。心を動かされたようだ。
「さあ、私のもとに来るんだ!」と忽滑谷が両手を広げて叫んだ途端、秋晴の体がぐらりと揺れた。「無理だ。僕はパパを殺してしまった。この先、もっともっと人を殺すかもしれない。僕には生きている資格がない」
秋晴はそう言い残すと、展望台から落下して行った。
俺は駆けた。
秋晴が落ちた場所に向かって一目散に駆けた。草むらに落下したようだ。だが、展望台からは地上まで十メートル近くある。無事で済む訳がない。生きていれば奇跡だ。
草むらに駆けこもうとした時、もくもくと草むらが隆起した。
「何だ~!」
草むらから狼男が出て来た。
緊急避難だ。生命の危険が感じた秋晴は、無意識の内に狼男に変身してしまったのだ。
「来るな~!」と背後から追って来る明日香に向かって叫んだ。
明日香が足を止める。
「大人しくしろよ」
俺は特殊警棒を構えた。
「動くなよ。そこから動くな」
狼男に変身した秋晴は、口元から、だらだらと涎を垂らし、ぐるぐると喉を鳴らしながら、ゆっくりと近づいて来た。俺の言葉が分っていない。
秋晴の体が一瞬、沈んだ。
――来る!
俺の本能が叫んでいた。
秋晴は人間離れした跳躍で間を詰めて来ると、俺に向かって、鋭い鍵爪を持った手で横殴りに殴って来た。
恐らく、この一撃で聖一は死んだのだ。
今の俺の体力では狼男に変わった秋晴には勝てない。やつの平手を受け取ることなど不可能だ。だが、身についた戦闘能力は俺の方がはるかに上だ。スキルで勝負できる。
俺は秋晴の一撃を交わすと、ふところに飛び込んだ。
そして、警棒をやつの胸に叩き込んだ。
「うげっ!」
秋晴が呻く。次の瞬間、一般のスタンガンの倍はある二百ボルトの電圧をお見舞いした。
「うげげげげぇ~!」
秋晴が感電し、悲鳴を上げる。
一発では倒れない。すかさず、もう一撃、警棒をお見舞いしてから、再度、電圧を食らわせた。
「うがあああ~!」
悲鳴を上げて、秋晴が草むらに倒れた。
気を失ったようだった。秋晴は見る見る元の人間の姿に戻って行った。
奥田秋晴を確保することが出来た。
秋晴を確保したところに、平尾が戻って来た。
「どうだった?」
「逃げられました」
平尾は忽滑谷を負ったが、やつの居た場所に着いた時には、既に姿を消していたらしい。相変わらず、逃げ足の早いやつだ。
こうして奥田聖一の殺人事件は幕を迎えた。
報告書を書いていて、俺は思った。もし、俺に生命の危険が迫った時、俺は狼男に変身してしまうのだろうか? 無意識の内に人を傷つけてしまうのだろうか?
――大丈夫。俺は覚醒者だ。狼男に変身したとしても、自我を保つことが出来るはずだ。




