8話 影法師ふたつ
「(え? え? 王子がとつぜん饒舌になったわ……あとなんだかお声も渋くなってない?)」
「(どうやらトップギアになってしまったようです)」
バルコニーの王子はじっとお姉様を見つめている。
「おお、君。見たまえよ、満点の星空を! 綺麗なのは月だけではないのだ。例えばこの天に浮かぶおとめ座さえも、君のブロンドを照らすためにあるのだと、俺は真に思っているよ!」
王子の視線がいくらか遅れて、空に行ったりお姉様に行ったりする。幸い口元はよく見えないけど、必死に動かしているに違いない。
しかし恋は盲目なのである。お姉様は王子の言葉に深く感嘆の声を漏らした。
「(やだ……すっごい褒められてるのは分かるのだけど、私どうすればいいのっ!?)」
「(お姉様はよく頑張りました。あとは私にお任せください)」
「(ええ? まかせるって言ったって……)」
「(私は声優を目指したこともあるのです。まあ、大船に乗ったつもりで王子の瞳をまっすぐ見つめていてください)」
「(う、うん。じゃあおねがいっ!)」
握られた手をぐっと握り返すと、お姉様は一生懸命に王子を見つめた。
私は空いた方の手で頭の羽根飾りをつかみ、言葉を紡ぐ。
「私がおとめ座なら……あー、あー。ごっほんえっほん。王子はしし座流星群」
まずい。普段から大きな声なんて出さないから、変な感じだ。
「どうした? 言葉があちらこちらに散ってしまって俺まで届かないようだ」
「……夜は暗いですから。私の言葉は手探りで王子の耳を見つけなければならず、月光やおとめ座の明かりをもってしても耳元までは照らしてくれません」
「ほう! しかし俺の言葉はそんな苦労を味わわないようだが?」
声の主は嬉しそうに即答する。
主旨はすこしずれるけど、私はみんなが楽しくやれればいいと思う。
「それはそうでしょう。だってあなたは高いところから言葉の星を降らせているんですから。私は下から上へ持ち上げなくてはなりません。言葉を届かせるのも一苦労です」
「ははは! だが、もうずいぶんと上手く昇ってくるようになった」
「ようやく、慣れてきたんだからねっ」
私もようやくトップギアだ。
いや、でも一段下げておこう。一瞬、お姉様の握力が凄まじいことになっていた。
そして、あともう一押し。
「もしその高さから、角材のごとく重く鋭い言葉を落とされるようなことがあれば、私は死んでしまいます。それはもう、即死です」
「くっ……くくっ……」
声の主はくぐもった笑い声をあげ、今まですぐに返していた言葉をつまらせた。
「はははは! 降参だ! 愛おしい君よ。キスだ、キスをしよう! さあ昇ってくるがいい。俺の姫。気取った才気の鎧などかなぐり捨てて、星の数ほどある言葉などよりも、もっとも雄弁な証明を!」
王子は覚悟を決めた顔つきになり、両手を広げて待っている。
「(さあ、行ってくださいお姉様。最強の一撃をお見舞いしてやりましょう)」
「行く……いくわっ!」
お姉様の背中をぽんっと叩くと、はじかれたように駆け出してバルコニーの階段を上っていった。
そのあとの二人はとっても自然体。
三秒抱き合い、三秒見つめ合って、めいっぱいキスをした。
私たちはそれを見届けたあと、背を向けて家路についた。
「いい焦らしでした。彼らに必要なものをよく見抜いてしましたね」
「いや、俺は俺で楽しませてもらった。しかし最後のはきついな。俺の頭に角材が落ちてきた」
がはは、と豪快に笑うリッピーどの。
「なんだか雰囲気かわりました?」
「ああ、角材を落とされたからな」
「根に持つじゃないですか」
彼は無敵の剣客にして、詩人。ネズミの騎士でもあり、角材に恨みをもつもの。
そして、私と一緒に悪巧みをしてくれる頼もしい友人だ。
「お鼻にちゅーしてもいいですか?」
「正気か? ……いや、しかし次にお前が何を言うのかわかったぞ」
「はい。ネズミだけに──」
「……っっ!」
別にお姉様たちを見て羨ましくなったというわけではない。……と、思う。たぶん。
だから、これは何となくなのだ。
それに彼の最後の雄弁がちょっと気がかりだった。
思い上がりかもしれないけれど、愛しい姫とは私のことを言っていたのかな、なんて。
それから数日経ったあと、私たちの家には誰もいなくなってしまった。
二人のお姉様も、お母様も、お城で優雅な生活を送っている。
「さて……。この家は私には広すぎますね」
「寂しいのか」
「ちょっと違います」
とりあえず、私のできる事はした。
寂しい気持ちになる事があるとすれば、それは椅子に座れなかった人たちの事を考えた時だけだ。
愛おしい家族たちは今、立派な椅子に腰を落ち着けて幸福を享受している。
──私には、まだやらなければいけない事がある。




