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幕間 後日談・秋

「まっすぐで、ございます」


鷲尾さんが言った。

病室の、窓の前だった。


***


十月十五日。金曜日。

警察病院の、退院の日だった。


***


窓の台に、定規が一本、置いてあった。


鷲尾さんは、それを取った。

光にかざして、目を細めた。


***


「反って、おりません」


それから、鞄にしまった。

鞄の、一番まっすぐなところだった。


***


迎えに来たのは、赤城さんだった。


背広だった。

羊羹の箱を、持っていた。


***


「厚さは」


鷲尾さんが聞いた。


「……揃っている」


赤城さんは言った。


「定規は。三本、使った」


***


鷲尾さんは、少しだけ、笑った。


初めて、見た顔だった。


***


「大臣」


「何だ」


「二十年、お世話に、なりました」


***


赤城さんは、何も言わなかった。


鷲尾さんの鞄を、持った。

重さを、確かめるみたいに、一度、持ち直した。


***


病院の玄関で、鷲尾さんは、一度だけ振り返った。


二つ下の階の、窓を見ていた。


***


十一月八日。月曜日。

実家の、郵便受けだった。


***


絵葉書が、一枚、来ていた。


ロンドンの、消印だった。

グリニッジの、丘の写真だった。


***


宛名は、母だった。


裏に、細い字で、英語が一行。


***


母は、父に渡した。


父は、眼鏡をかけて、読んだ。

三十年、為替を読んできた人だった。


***


「……柚子は、まだですか、だそうだ」


***


「まだよ」


母は、葉書を、冷蔵庫に磁石で留めた。


羊羹の、すぐ上だった。


***


十一月二十九日。月曜日。

夜の、警察病院だった。


***


『ジョン』から、電話があった。


短かった。


「来てくれ」


***


病室には、『ジョン』と、共さんと、『ホラー』がいた。


ベッドの上の男は、目を閉じていた。

息が、浅かった。


***


窓の台に、急須があった。


共さんが、八月から、置いていっていた。

湯呑みが、二つ並んでいた。


***


『ホラー』が、前髪を上げていた。


男の、後ろを見ていた。


***


「……来ました」


『ホラー』が言った。


「迎え」


***


「どんな」


『ジョン』が聞いた。


『ホラー』は、少し考えた。


「静かな、方です」

「急がせて、ません」


***


男の口が、少しだけ動いた。


英語ではなかった。


***


「……ごちそう、さま」


***


七十年代の東京で、覚えた言葉らしかった。


五十年、使っていなかった言葉らしかった。


***


それきりだった。


***


共さんが、湯呑みを一つ、洗った。


もう一つは、洗わなかった。

半分、残っていた。


***


『ジョン』は、長いこと、窓の外を見ていた。


それから、鞄から、紙の束を出した。


夏至の山で、拾った紙だった。

五十年前の、担当者の、紙だった。


***


「……返す、相手が。いなくなった」


***


「わしが、思うに」


肩の上で、メレオスが言った。


「その紙は。返さんで、ええ」


「なぜ」


「覚えとく者が。持っとれば、ええ」


***


『ジョン』は、紙の束を、鞄に戻した。


一枚も、折らなかった。


***


十二月一日。水曜日。

俺の、アパートだった。


***


壁の、カレンダーをめくった。


十二月だった。


***


メレオスが、金色のペンを持っていた。


去年の十二月は、『かきんのひ』と書いていた。

冬至の日だった。


***


今年も、同じ日に、丸をつけた。


それから、書いた。


***


『ゆずゆ』


***


その横に、小さく、もう一行。


『ぜろど くる』


***


「……課金は」


「今年は、ええ」


メレオスは、ペンのふたを閉めた。


「柚子が、浮かべきれんほど、あるからのぉ」


***


その夜。


アパートの、屋根の上だった。


***


金色のボタンの子供が、一人、座っていた。


北を、向いていた。

隠り山の、方角だった。


***


伊左衛門の、葬式の夜も。

同じ屋根の上で、同じほうを、向いていた。


あのときは、一人で、泣いていた。


***


「伊左衛門」


子供は言った。


「お前の、孫はのぉ」


***


少し、黙った。


下の部屋で、健司が、くしゃみをした。


***


「相変わらず。不器用じゃ」


***


「火は、まだ、たまに、でかくなる」

「受け身は。まあ、ましになった」


***


「家族が、増えた」


「アメリカの、のと。九十三の、のと」

「イギリスの、時代劇の、のと」


***


「……お前の、茶を。全部、飲んだ、男も、おる」


***


風が、吹いた。


冷たかった。

冬の、手前の、風だった。


***


「約束は。まだ、果たしとる、途中じゃ」


子供は、立ち上がった。


「冬至に、また来る。柚子を、浮かべすぎて、な」


***


屋根の上には、もう、誰もいなかった。


下の部屋の窓に、明かりが、ついていた。


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