幕間 後日談・秋
「まっすぐで、ございます」
鷲尾さんが言った。
病室の、窓の前だった。
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十月十五日。金曜日。
警察病院の、退院の日だった。
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窓の台に、定規が一本、置いてあった。
鷲尾さんは、それを取った。
光にかざして、目を細めた。
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「反って、おりません」
それから、鞄にしまった。
鞄の、一番まっすぐなところだった。
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迎えに来たのは、赤城さんだった。
背広だった。
羊羹の箱を、持っていた。
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「厚さは」
鷲尾さんが聞いた。
「……揃っている」
赤城さんは言った。
「定規は。三本、使った」
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鷲尾さんは、少しだけ、笑った。
初めて、見た顔だった。
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「大臣」
「何だ」
「二十年、お世話に、なりました」
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赤城さんは、何も言わなかった。
鷲尾さんの鞄を、持った。
重さを、確かめるみたいに、一度、持ち直した。
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病院の玄関で、鷲尾さんは、一度だけ振り返った。
二つ下の階の、窓を見ていた。
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十一月八日。月曜日。
実家の、郵便受けだった。
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絵葉書が、一枚、来ていた。
ロンドンの、消印だった。
グリニッジの、丘の写真だった。
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宛名は、母だった。
裏に、細い字で、英語が一行。
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母は、父に渡した。
父は、眼鏡をかけて、読んだ。
三十年、為替を読んできた人だった。
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「……柚子は、まだですか、だそうだ」
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「まだよ」
母は、葉書を、冷蔵庫に磁石で留めた。
羊羹の、すぐ上だった。
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十一月二十九日。月曜日。
夜の、警察病院だった。
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『ジョン』から、電話があった。
短かった。
「来てくれ」
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病室には、『ジョン』と、共さんと、『ホラー』がいた。
ベッドの上の男は、目を閉じていた。
息が、浅かった。
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窓の台に、急須があった。
共さんが、八月から、置いていっていた。
湯呑みが、二つ並んでいた。
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『ホラー』が、前髪を上げていた。
男の、後ろを見ていた。
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「……来ました」
『ホラー』が言った。
「迎え」
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「どんな」
『ジョン』が聞いた。
『ホラー』は、少し考えた。
「静かな、方です」
「急がせて、ません」
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男の口が、少しだけ動いた。
英語ではなかった。
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「……ごちそう、さま」
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七十年代の東京で、覚えた言葉らしかった。
五十年、使っていなかった言葉らしかった。
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それきりだった。
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共さんが、湯呑みを一つ、洗った。
もう一つは、洗わなかった。
半分、残っていた。
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『ジョン』は、長いこと、窓の外を見ていた。
それから、鞄から、紙の束を出した。
夏至の山で、拾った紙だった。
五十年前の、担当者の、紙だった。
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「……返す、相手が。いなくなった」
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「わしが、思うに」
肩の上で、メレオスが言った。
「その紙は。返さんで、ええ」
「なぜ」
「覚えとく者が。持っとれば、ええ」
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『ジョン』は、紙の束を、鞄に戻した。
一枚も、折らなかった。
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十二月一日。水曜日。
俺の、アパートだった。
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壁の、カレンダーをめくった。
十二月だった。
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メレオスが、金色のペンを持っていた。
去年の十二月は、『かきんのひ』と書いていた。
冬至の日だった。
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今年も、同じ日に、丸をつけた。
それから、書いた。
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『ゆずゆ』
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その横に、小さく、もう一行。
『ぜろど くる』
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「……課金は」
「今年は、ええ」
メレオスは、ペンのふたを閉めた。
「柚子が、浮かべきれんほど、あるからのぉ」
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その夜。
アパートの、屋根の上だった。
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金色のボタンの子供が、一人、座っていた。
北を、向いていた。
隠り山の、方角だった。
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伊左衛門の、葬式の夜も。
同じ屋根の上で、同じほうを、向いていた。
あのときは、一人で、泣いていた。
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「伊左衛門」
子供は言った。
「お前の、孫はのぉ」
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少し、黙った。
下の部屋で、健司が、くしゃみをした。
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「相変わらず。不器用じゃ」
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「火は、まだ、たまに、でかくなる」
「受け身は。まあ、ましになった」
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「家族が、増えた」
「アメリカの、のと。九十三の、のと」
「イギリスの、時代劇の、のと」
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「……お前の、茶を。全部、飲んだ、男も、おる」
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風が、吹いた。
冷たかった。
冬の、手前の、風だった。
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「約束は。まだ、果たしとる、途中じゃ」
子供は、立ち上がった。
「冬至に、また来る。柚子を、浮かべすぎて、な」
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屋根の上には、もう、誰もいなかった。
下の部屋の窓に、明かりが、ついていた。




