第九十八章 対の、傘
「……傘が」
赤城さんは、扉のところで言った。
書類の束を持ったままだった。
戻ってきた。
束を、机に置いた。
「聞かせて、もらう」
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『ブル』は、傘を肘にかけた。
内ポケットから、葉書の束を出した。
細い紐で、十文字に縛ってあった。
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「二十枚で、ござる」
「年に、一枚。一月に、届き申す」
紐をほどいた。
一番上を、机に置いた。
英語だった。
万年筆の字だった。
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「例の、職人で、ござる」
『ブル』は、読んだ。
「貴殿の、傘は」
「巻き直しの、時期を。一年、過ぎて、おり申す」
***
「……そう、書いて、あるんですか」
「書いて、ない」
『ジョン』が、横からのぞいていた。
「ディア・サー、だ。普通の、英語だ」
「心で、ござる」
「心で、訳すな」
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「十五枚目は」
『ブル』は、少し間を置いた。
「傘は、生き物で、ござる」
「……怒って、ますね」
「怒って、おり申す」
***
二十枚目。
今年の葉書だった。
一行だけだった。
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『ブル』は、訳さなかった。
『ジョン』が読んだ。
「……スティル」
「まだか、だ」
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「返事は」
「毎年、書き申す」
「何て」
「来年こそ、と」
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「それが、どうした」
赤城さんが言った。
「葉書と。円卓と。何の、関わりが、ある」
「二行目で、ござる」
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『ブル』は、一枚目を指で押さえた。
催促の下に、もう一行あった。
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「なお。お連れの、一本は」
「本年、一度、お預かり、いたした」
そのあとに、日付があった。
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「……お連れ」
「傘は、二本、ござった」
「同じ、日に。同じ、店で。あつらえ申した」
「一本は、拙者」
「一本は。あの男で、ござる」
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対の、傘だった。
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「職人は。片方の、葉書に。もう、片方の、ことを、書く」
「そういう、男で、ござる」
「つまり」
『レディー』が言った。
「零度が、いつ、傘を、巻き直したか。全部、分かるのね」
「左様」
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二行目の日付を、『ブル』は読み上げた。
壁の画面で、『ギーク』がキーを叩いた。
早口じゃなかった。
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「……出ます」
「去年の、十二月。巻き直しの、二週間、前です」
『ジョン』が、顔を上げた。
「元の、国防次官だ」
「はい」
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「四年前も。九年前も。十三年前の、二回も」
「前に、誰かが、亡くなって、います」
「全部。三十日の、うちです」
部屋が、静かになった。
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「席が、欠ける、たびに」
『ブル』は言った。
「あの男は。傘を、巻き直して、出かけ申す」
「大事な、席の、前には。必ず、巻き直す、男で、ござった」
「拙者は。隣で、見て、おり申した」
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「いつ、気づいた」
赤城さんが聞いた。
「十年目で、ござる」
「……十年、黙って、いたのか」
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「証が、葉書、十枚では。誰も、棚を、開けぬ」
「待って、おり申した」
「席が。東京で、欠けるのを」
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十年。
鷲尾の席が空くのを、待っていた人だった。
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「……ジョンブル」
『ジョン』が言った。
からかう言い方じゃなかった。
「あんた。十年、一人で、やってたのか」
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「一人では、ござらぬ」
「職人が、おった」
「向こうは、知らないだろう」
「知らぬ。……ただ、怒って、おる、だけで、ござる」
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「それで」
赤城さんが言った。
「場所は、どう、分かる」
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「三月、五日の、前に。あの傘は、必ず、店に、参る」
「巻いた、傘は。職人が、自分の、足で、届け申す」
「届け先は」
「職人しか、知らぬ」
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「聞けば、いい」
『レスラー』が言った。
「六十年。客の、届け先を、申した、ことが、ござらぬ」
「傘より、堅う、ござる」
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「じゃあ。つければ、いい」
「届けに、出る、ところを」
簡単だった。
「左様」
『ブル』は言った。
「傘の、あとを、つけ申す」
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「店に、入る、口実が、要るわね」
『レディー』が言った。
全員の目が、『ブル』の肘に行った。
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二十年、開いていない傘だった。
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「……巻き直しに、出すなら」
俺は言った。
「一回、開かないと」
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『ブル』は、答えなかった。
傘を、両手で持った。
柄を見ていた。
長いこと、見ていた。
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「……開き申す」
「ロンドンで」
「雨の、日に」
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『ジョン』は、何か言いかけて、やめた。
葉書の束を、『ブル』は縛り直した。
「叱られに、参る」
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「……健司」
肩の上で、メレオスが言った。
「叱られるのは。ええ、ことじゃ」
「叱る、者が、おる、ということじゃ」
***
二十年、待っている職人だった。




