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第百五章 見えて、ない

「日曜は、休み、だそうだ」


『ジョン』が言った。

店の話だった。


***


三月一日。月曜日。

ロンドンは、曇りだった。


店は、きのう休んだ。


***


『レスラー』は、休まなかった。


赤いポストの陰に、二晩いた。


「寝たんですか」


「立って、寝た」


***


肩は、きょうも出ていた。


***


おばあさんが来た。

手紙を持っていた。


ポストには、入れなかった。

『レスラー』に渡した。


***


『レスラー』は、黙って受け取って、ポストに入れた。


おばあさんは、うなずいて帰った。


***


「……何、してるんですか」


「入れにくい、らしい。俺が、いると」


「どけば、いいじゃないですか」


「どいたら、見える」

「十四通目だ」


***


二日で、ポストの一部になっていた。


***


手に、丸いパンを持っていた。


「それは」


「隣の、パン屋が、くれた」

「あんの、入って、ない、パンだ」


「スコーンだ」


『ジョン』が言った。


「……あんを、入れれば、いいのに」


***


三つ目だった。


***


『ブル』は、来なかった。

歩き方を、知られている。


共さんも、来なかった。

あの顔は、五日までしまっておく。


***


鈴が鳴った。


店の戸が開いた。


職人だった。


***


前掛けは、していなかった。

帽子を、かぶっていた。


脇に、細い包みを抱えていた。

茶色の紙だった。


端から、柄だけ出ていた。


同じ柄だった。


***


戸に、鍵をかけた。


歩きだした。


***


「行くぞ」


『レスラー』が、ポストの陰から出た。


一歩、歩いた。


***


職人の、三歩ぶんだった。


もう、追いついていた。


***


「近い」


「一歩しか、歩いてない」


「半分で、歩け」


***


半分で、歩いた。


大きい人が、小さく歩いていた。


よけい、目立った。


***


「山が、歩いとる」


肩の上で、メレオスが言った。


***


職人が、よその店の窓の前で止まった。


『レスラー』は、街灯の陰に入った。


街灯は、腕より細かった。


***


「見えてるぞ」


「見えて、ない」


全部、見えていた。


***


次は、赤い箱だった。

電話の箱だった。


『レスラー』は、入った。


入れた。


***


「……今度は、見えて、ないだろう」


ガラスだった。


***


出るとき、肩がつかえた。


『ジョン』と二人で、引いた。


***


職人は、一度も振り向かなかった。


歩くのは遅かった。休まなかった。


一時間、歩いた。


***


川が見えた。


丸い屋根の小屋があった。

職人は、入った。


***


階段が、下へ回っていた。


下りた。


穴だった。


***


白いタイルの、まっすぐな穴だった。


「川の、下だ」


『ジョン』が言った。


「歩いて、渡る」


***


隠れるものが、一つもなかった。


ポストも。街灯も。箱も、なかった。


***


音が、響いた。


職人の足音は、小さかった。


『レスラー』の足音は、向こうの端まで行って、帰ってきた。


***


「つま先で、歩け」


つま先で、歩いた。


響いた。


***


地下で音が響きました、と、共さんは言っていた。


こういう音だったんだろうか。


***


職人は、それでも振り向かなかった。


耳が遠いのか、そうでないのか、分からなかった。


***


上がった。


川の向こうだった。


坂があった。

丘だった。


***


職人は、上った。休まなかった。


俺が、休みたかった。


***


上に、人が並んでいた。


地面に、線が一本あった。

金属の線だった。


みんな、線をまたいで、写真を撮っていた。


***


「……グリニッジだ」


『ジョン』が言った。


「零度の、線だ」


『ギーク』の言ったとおりだった。


***


「何、してるんですか。あの人たち」


「サイトシーイングだ」


目は、泳いでいなかった。


「今度は、嘘じゃ、ない」


紅茶と、同じだった。


***


メレオスが、肩を降りた。

線を、またいだ。


「東と、西に。片足ずつじゃ」


俺の席は、東のほうだった。


***


職人は、列に並ばなかった。

横を、通った。


***


『レスラー』は、列に入った。


隠れているつもりだった。


頭が、二つぶん出ていた。


***


前の人が、振り向いた。

見上げた。


「……レスラー?」


「イエス」


親指が、立った。


***


写真を、頼まれていた。

線を、またがされていた。


「この国は。みんな、俺の、名前を、知ってる」


***


列のすぐ横に、石の壁があった。

小さい戸が、ついていた。


緑のペンキが、はげていた。


庭の道具をしまう戸に、見えた。


***


線を、目でのばした。


その先に、戸があった。


***


職人は、戸を叩いた。


三回だった。


***


開いた。


手だけ、出た。

包みが、入った。


閉まった。


***


職人は、帽子を少し上げた。


戸に、だった。


***


来た道を、帰っていった。


俺たちの横を、通った。


見なかった。


***


客のことは、言わない人だった。


見ない人でも、あった。


***


十歩先に、何十人もいた。


誰も、戸を見ていなかった。


***


百四十年の会のすぐ横で、みんなピースをしていた。


***


メレオスが、戸の前にいた。


鼻が、動いていた。


***


「……匂う」

「あれの、匂いじゃ」

「古い」

「去年の、じゃ」


***


共さんの足で、あれが来た戸だった。


***


「ここじゃ」


戸には、触らなかった。


「入らないのか」


「呼ばれて、おらん」

「呼ばれるのは。四日、あとじゃ」


***


肩に、戻ってきた。


***


三月五日まで、あと四日だった。


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