1. 償いから始まる婚約
ユロリア王立学園。
ここは、十六歳から三年間ユロリア王国の王族、貴族が通う学園だ。
サンドラ・アグリヴェールもその中のひとり。
つい最近、婚約者と一緒に入学したばかりの一年生だ。
授業が終わり、帰宅しようと荷物をまとめていたところ、声をかけられた。
「アグリヴェール男爵令嬢。少しいいかしら」
「またか…」と心の中で思いながら、サンドラは立ち上がり、返事をする。
「何のご用でしょうか?」
すると、金髪縦ロールのエリー・カイティクス伯爵令嬢が、一瞬だけ鋭い表情を見せた。しかし、すぐに柔らかな笑みへと戻す。
「少しご相談があるの。着いてきてくださる?」
ここで断れば後々厄介になることは、これまでの経験で分かっていた。サンドラは何も言わず、そのまま彼女たちの後をついていった。
金髪縦ロール伯爵令嬢(心の中ではそう呼んでいる)とそのお友達は、談話室に入室した途端・・・
「アナタ、まだアラン様と婚約解消なさっていないのね。身の程を弁えなさいと何度も助言しているでしょ?」
他の令嬢達も「そうよ、そうよ」「身の程知らず」などとそれに追従する。
「アラン様は文武両道。そして、“王国の豊穣地”と呼ばれるシャンヴェール伯爵家の嫡男ですのよ。
それに比べ、アナタのご実家は?何の取柄もない田舎の男爵家じゃない。
この婚約はアラン様にとって何の利益も生み出さないことはアナタご自身がよく理解されているのではなくって?」
そう。今年一緒に入学した婚約者は、いわゆるハイスペック婚約者なのだ。
しかも、淡い金色のサラサラヘアーに、淡いグレーの瞳が穏やかな雰囲気を醸し出しており、美形に属する。
一方、私は茶色いウェーブがかかったロングヘアーに翠の瞳というどこにでもいるような見た目で、控えめにいっても…地味だ。
そのため、入学以来私たちの婚約に納得がいかないご令嬢方に呼び出されては、婚約解消を促されているという訳だ。
そもそも、私たちの婚約にはお互いの家の利益なんてものは関係していない。だからといって、両想いとかいう甘酸っぱいものでもない。
だから、私は彼女たちに何も言い返せないのだ。
——今から十年前
両家は領地が隣接していたことと、同じ農業を生業にしていたため、交流を深めていた。
そんな中、子どもたちも同じ年齢で、「お友達になれたらいいですね~」という軽いノリで紹介されたのが、アラン・シャンヴェール伯爵令息だった。
六歳のアランは、とにかく優しくて、はにかみ笑顔が可愛い男の子だった。昔は私よりも体が小さく、恥ずかしがり屋だった。
木登りや、虫取り、草むしりのコツなど全部私が教えてあげた。
そして、アランはそのお礼に絵本を読んでくれた。
私はまだ字が読めなかったけど、アランはスラスラ読めていた。だから、勇者の冒険や、王子様とお姫様の物語を何度も何度も読んでもらった。
優しく穏やかなアランのことを、好きになるのは当然のことだった。
お父様やお母様に「将来アランと結婚したい」と言ったこともあったけど、あの頃は曖昧に微笑まれて終わってしまった。
十歳頃になると“身分”というものを理解するようになった。
——お父様とお母様の曖昧な微笑みの理由もわかった。
…だから、この恋心には蓋をしようと決意した。
それでも、シャンヴェール家との交流は続いた。
私は、作物の品種改良が好きだったから、シャンヴェール家で勉強をさせてもらうという名目で、アランに会いに行っていた。
毎回『蓋、蓋、蓋』って唱えながら会いに行っていたのだから、今思えば我ながらずいぶんと往生際が悪かったと思うわ。
——十二歳の夏。
そんな私たちの関係に変化が起こった。
シャンヴェール家の領地にある湖で、ピクニックをしていたときだった。
突然盗賊が襲ってきたのだ。護衛がいたため、盗賊はあっという間に取り押さえられた。
だが、ひとりだけ物陰に潜んでいた男がいた。その男は、あろうことかアランめがけて弓矢を放った。その瞬間——私は迷わず彼の前に飛び出した。
「アラン!!」
「サンドラ!?」
背中に鋭い痛みを感じた瞬間、背中が熱くなり耐え難い激痛に襲われた。それでも、倒れゆく意識の中で真っ先に浮かんだのは、アランの無事だった。
「アランが…無事でよかった…」
「サンドラ…!サンドラ!」
アランの必死な声が聞こえた気がしたけど、次第に意識が遠のいていった。
そして、私は五日間程、意識が戻らなかったらしい。
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五日後、目を覚ますと、泣きながら私の手を握るお母様がいた。
「…お母様、どうしたの?」
「サンドラ…!誰かっ、誰か!お医者様を呼んできて!サンドラが目覚めたわっ!」
泣いているお母様に手を伸ばそうとして、背中に激痛が走った。
「ああ、サンドラ!無理をしてはだめよ。アナタは背中に大怪我を負っているのだから」
それから、お父様もやってきて、「意識が戻ってよかった…」と大泣きしていた。
お医者様の話によると、背中の傷の急所は外れており、日常生活に戻れるとのことだった。
ただ、傷跡は残る可能性があるそうで、それを聞いたお母様が、「女の子なのに…」と涙を流していて、なんだか申し訳ない気持ちになった。
そして、翌日。
シャンヴェール家の皆様がお見舞いに来てくれた。アランのお父様とお母様に「私自身が望んで取った行動だから気にしないでください」と伝えると大変感謝をされた。
肝心のアランは、淡いグレーの瞳から大粒の涙を流していた。
「アラン?どうしたの?大丈夫?」
「サンドラ・・・よかった。本当によかった。生きていてくれてありがとう。僕のせいでごめんね。痛かったよね。本当にごめんね」
「アラン、そんなに泣かないで。私がアランを守りたかっただけだから。アランが気にすることはないのよ。アランが無事で本当によかった」
そう伝えると、さらにアランは泣き始めてしまった。
そして、その日から毎日アランはお見舞いに来てくれた。
私が大好きだったお菓子を買ってきてくれたり、リハビリに付き合ってくれたり、お姫様のように扱ってくれた。
隣接する領地とはいえ、連日長距離移動になることを気にした私の両親が、アランを我が家に泊めることを提案した。そこからは一日中ずっとアランと一緒だった。
危うく、封じていた恋心の蓋が外れかけた…が、耐えた。
そして、私の怪我が治り、日常生活を取り戻したころ、アランは「一旦、シャンヴェール領に帰るね」と言って去っていった。
アランが領地に戻ってから一週間ほどたった頃、シャンヴェール家の皆様が我が家を訪ねてきた。
お父様とお母様は、シャンヴェール家の訪問を事前に知っていたようだった。
緊張した空気の中、お父様が低い声で言った。
「サンドラは、話が終わるまで部屋で待っていなさい」
その雰囲気に圧され、私は一度部屋へ戻った。だが、いつもと違う空気が気になってこっそり応接室を覗くと、アランが真剣な表情で話していた。
「サンドラの背中の傷は僕のせいです。
どうか責任を取らせてください。サンドラと婚約させてください」
「アラン君。そう言ってくれるのはありがたい。
だが、我が家は力のない男爵家だ。それに、君もサンドラもまだ若い。
私はアグリヴェール家の当主として、そして父親として、この婚約を受け入れるわけにはいかない」
「ですが…!あの傷では、サンドラが他家に嫁ぐのも難しいのではないでしょうか?」
アランのその言葉を聞き、私は大きな衝撃を受けた。
大好きな彼が、私の傷をどう見ているのかを知ってしまったこと。
そして、この傷のせいでアランを追い詰め、“責任”という言葉で縛りつけようとしていることも、胸に深く刺さった。
これ以上聞いているのが辛くなり、私はそっとその場を離れた。
部屋に戻ると、堪えていた涙が一気に溢れ出した。泣き疲れ、気が付けばそのまま眠ってしまっていた。
そして、翌朝、お父様からアランとの婚約が正式に決まったと告げられた。
私は、これが恋愛でも政略でもなく、彼が責任を取るための婚約だということを知っている。
だから、だからこそ、一度蓋をしたこの恋心が二度と開かないように、固く封じ直すことにした。
そして、胸の奥の痛みを押し込めるようにぎゅっと手を握りしめた。
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