~予兆~ 一話
最終章への序章開始。
十一月最終週の土曜日。東京支部の道場には三人の高校生がいた。
念入りな準備運動を終えて二人を見る結那。
あまり身体が柔らかくないことを自覚しながらも準備運動を怠らない天音。
そして最後は普段通り丁寧に身体をほぐす良治だ。
良治は普段学校に行くのと同じ時間に起きて東京支部へ。ここ半年くらい休日が休日になっていないなと思うこともあるが、それでもやらなければならないことは多い。やりたいことも多かった。
そんな良治が東京支部で葵と翔に挨拶をし、道場で事務仕事を開始してすぐに現れたのが結那と天音だった。しかし二人で誘い合わせたわけではなく、ここに来るまでに会ったらしい。二人して息を切らせながら道場の扉を勢いよく開けた時は本気でびっくりしたが。
「ね、勝負しましょ。私が勝ったらデートで」
「さすがに分が悪いからやめておくよ。格闘戦で結那に勝てる気はしない」
良治が準備運動を終えたのを見計らって結那が声をかける。今日は最初からやる気だったらしく、もう十二月になろうというのに結那は太腿までのジーンズだ。さっきまで履いていたニーソックスは板張りの道場ということもあって今は脱いでいる。裸足でないと踏ん張りが利かないのだ。
しかし結那のその提案を良治は一蹴した。
近接戦闘ならまだしも、素手での殴り合い(ステゴロ)では結那とやりあうのは分が悪い。勝てるとしても十回に一回か二回が良いところだろう。それほどまでに彼女の格闘センスはずば抜けている。
「ざーんねん。じゃあまぁ賭けはなしでちょっと付き合ってよ」
「それならいいよ」
「ありがと。んじゃっ!」
返答とともに軽い身のこなしで道場の中央へ。そして笑みを浮かべながら構える。
そんな彼女に苦笑いをしながら良治も少し距離を取って構えた。
「はっ!」
結那の探るような左の拳打を左手で弾く。
しばらく様子見をしてくるかと思ったその瞬間、結那が右手を僅かに振り上げる。
「っ!」
ジッ、という耳を掠める音に良治は冷や汗をかいた。まともに受けては骨折しそうだ。
「まだまだっ!」
先手を取らない限り勝ち目はない。そう判断した良治は一歩前に出る。
「っ!?」
しかしそれは読まれていた。踏み込んだ右足に結那のローキックが入る。
そしてバランスを崩した良治の顔面にあの右ストレートが――
「――はい。私の勝ちね」
「……恐れ入りました」
ぺちん、と左頬に当てられて勝負あり。へたりこんだ良治を結那が手を貸して起こす。
「やっぱり勝負しなくて良かった……。多分格闘戦に限れば今まで会った中で一番強いよ、結那」
「へへー。良治に褒められるのは特別嬉しいわねっ」
頬の緩む結那を見ながら苦笑いを浮かべる。
お世辞でもなんでもなく、心底今までの誰よりも強いだろうと思う。
彼は彼女がお世辞だと思っているみたいだな、と感じているが、彼女は彼が本音で言っていることに気付いていた。だからこそこんなにもはしゃいでいる。
「――では次は私と模擬戦を。たまにはいいでしょう」
「ああ、ちょっと待ってくれれば。あとお互い木刀になっちゃうけど」
「はい、構いません」
右足に軽く治癒術をかけ、何回か動かして確認する。問題はない。
結那がごねるかとも思ったが、どうやら良治に勝ってご満悦らしい。不満など感じさせずに場所を空けた。
「ん、じゃあやるか」
道場端に用意してあった木刀を二本拾って天音に渡す。
桃色のカーディガンを脱いで長袖のTシャツと薄い水色のロングスカート姿になる。勿論結那と同じく靴下を脱いで裸足になった。
「こうやって向かい合うと、あの時のことを思い出しますね」
「夜の森でやりあうのはもう勘弁してほしいな」
互いに思い出すのは陰陽陣での戦闘だ。あの時の勝敗は一勝一敗二引き分け。完全にイーブンだ。
「たった半年前のことですが、随分懐かしいですね。……正直楽しかったですよ、貴方とやりあうのは」
「懐かしいのは同意見だが、そんな戦闘狂みたいなこと言われても」
「なに言ってるんですか。良治さんもそうでしょう?」
「……まぁ、否定はしないよ」
同レベルの相手や不利な状況ほど集中したときには楽しい。そんな感覚が彼の中にあるのは確かだった。それを戦闘狂と言われてしまえば否定できる要素はない。
「それにしてもあの頃から更に力をつけるなんて信じられませんよ。契約によって力を落としたのに、前以上の力を発揮しているなんてどんな裏技を使っているんですか」
「裏技なんてもんじゃないよ。ただまぁ方法は内緒かな」
「……貴方は内緒事が多いのが悪いとこですよ」
不満そうな天音に無言の苦笑で返す。
自分でもそう思うところはあるが、これは性分だ。誰かに迷惑がかかるような場合でない限り、そうそう周囲に相談はしない。自分の人生、自分でなんとかするのが正道だと良治は考えている。それで例え自分に不利益があったとしても、それは自分の決断であり納得済みのことだ。
「さ、やろう」
「――では」
道場の中央に立ち会い、言葉を合図に天音が駆ける。影に生きる者特有の無音の足運びだ。しかし音が聞こえなくとも見えてさえいればなんの障害もない。
斜め右上から横薙ぎ、突きと繰り出される木刀を難なく防ぐ。
どれも微妙に攻撃が浅い。それに気付いた良治は逆に攻勢に出た。
「くっ!」
「――っ」
数度打ち合い、良治が大振りをした隙に天音が木刀を薙ぐ。しかし良治はそれを僅かに身体を反らすだけでそれを躱した。
「俺の勝ち」
「……残念です」
天音の木刀を躱して繰り出した木刀を彼女の首筋で止める。勝利宣言をした良治に彼女はあっさりと負けを認めた。
「敗因は間合い、と言ったところでしょうか」
「だな。大鎌の間合いに慣れすぎてるのはすぐにわかったから」
彼女の本来の武器は大鎌だ。その間合いは今持っている木刀よりも長い。その微妙な差に気付いた良治は、その差で攻撃を躱したということだ。わざと大振りをして攻撃を誘って。
「まだ身体はしっくり来てないか?」
「いえ、もうほぼ問題ないレベルです。それで貴方に勝てないのは非常に問題ですが」
潮見天音は魔族の契約者だった。しかし陰陽陣の戦いの果て、彼女は契約が切れて自由の身になった。だがずっと与えられていた魔族の力が消えたことによって彼女の身体は不調をきたし、現在の状態に慣れるまで時間がかかっていた。
「実際どうなんだ、身体に悪影響とか」
「まだ微妙にしっくり来ないのはありますが、特別身体が痛んだりとかはないですよ。柚木さんのことですか?」
「ん、まぁな。自分の選んだこととはいえ、出来る限り情報は集めておきたいから」
魔族の契約者だった天音にしかわからないことがある。それは契約者としてどんなことが実際に起こるか、起こっていたかだ。
まどかと契約をしたが、どんな状態なのかは良治は詳しくはわからない。まどかに聞いても本当につらいことは中々言い辛いだろう。
「優しいんですね」
「何言ってるんだか。本当に優しかったらさっさと死んでるよ」
「そうですかね……まぁもしも柚木さんと契約を破棄するようなことがあったら言ってください。私が契約しますから」
「え?」
一瞬何を言ったのか理解出来なかった。思わず間の抜けた声が出る。
「私は一度契約したことがありますし、慣れてますから。契約がどんなものかも理解してますし。なんなら今からでも」
「いやいやいや。というか数年はお互いの同意があっても破棄できないだろうに」
詰め寄りながら言う天音に両手で距離を取りながら否定する。
彼女の瞳と口調は冗談を言っているようには感じられなかった。
「そう言えばそうでしたね。残念です」
「ちょっと待って。その時は私が契約したいんだけど」
「勅使河原さんはあまり適性がないと思いますよ。術士タイプの方が適正が高いみたいですから」
「むっ……わからないじゃないやってみなきゃ」
天音と結那の会話を横目にしながら天音の言葉を考察する。
契約は術士タイプの方が適性が高い。これについてだ。
(……なるほど。こういうことか?)
剣士タイプと比べた場合、術士タイプの方が力の扱いに秀でる。特に自分の力でない場合や、身体の外での扱いの場合はその傾向が顕著だ。
契約者である魔族から流れてくる力の扱い、それは確かに術士のほうが適性がありそうだなと良治は判断した。
まどかが術士だから契約したということはない。まどかだから契約したのだが、結果的には適性があってよかったと言えた。
「ねぇ、そう言えば今日は他に誰も来ないの?」
「逃げましたね」
論争は天音の勝利に軍配が上がったらしく、結那は逃げるように話題を変えた。その判断の迅速さはさすがだ。天音の言葉も聞こえていてスルーしている。
「ああ、和弥と綾華さんは今日はデートで一日オフ。まどかは……って昨日の夜結那ってまどかと正吾の三人で仕事だったよな?」
「そうよ?」
今朝方まどかから仕事完了のメールを受け取っている。仕事を担当したメンツも良治が指示した通りの三人だった。まどかは今頃まだ夢の中のはずで、もう一人の正吾は間違いなくまだ寝ている。南雲家に住み込みの彼が寝ているのは先程南雲家に寄った時に確認していたからだ。
「なんか当たり前みたいに言ってるけど寝たのか?」
「寝たわよ。三時間くらい」
「三時間……ならまぁいいか」
眠そうには見えないし目元にクマがあるというわけでもない。本人が大丈夫と言うなら注意することもない。
「まどかは報告書とかあの後やってたみたいだけど。まー良治が来ると思ってたしね」
「……まぁあまり無理はしないでくれな」
なんと言っていいかわからないのでそこはスルーして身体を気遣う。気持ちは嬉しいが反応に困る。
「良治くんいる? ……ってこんな早い時間に珍しいわね」
「あれ、葵さん。どうしました」
道場裏の扉から現れたのは葵だ。いつもの部屋着で気が抜けていたのがわかる。普段のきりっとした雰囲気は微塵もない。
「まぁ逆に良かったわね。仕事よ」
「内容は?」
「丹沢山の方で魔獣の目撃情報。山の中だし今から向かうのもありかなって」
「了解です。今から行きますね」
てきぱきと片づけをしながら答える。やれる仕事は早めにやった方がストレスが溜まらない。複数の仕事を抱えることもある為だ。
「天音はどうする? バイト代くらいは出すけど」
振り返って小柄な少女に尋ねる。
天音は彼らと同じ白神会の退魔士ではない。陰陽陣という組織は抜けたが、白神会に入ることなく自由気ままにフリーの退魔士として動いていた。なのでこの仕事を受けるも受けないも彼女の自由だ。
「勿論行きますよ。手伝わせてください。それに実戦の空気を吸っておかないといざという時に怖いので」
「ん、助かる」
即答する彼女に安心感を覚えながら礼を言う良治。やはり天音は頼りになる。
「んじゃ準備が出来次第行きましょっか。でも夜じゃないけどいいの?」
「別に山中なら人も少ないだろうし大丈夫だろう。結界張れば尚更」
「言われてみればそうね」
住宅街ならともかく、山の中なら日中でも人はほぼない。念のために結界を張れば目撃者は出ないだろう。
「じゃあそんな感じで」
「おっけー」
「わかりました」
相手にもよるがこの三人なら問題なく仕事をこなせる。そんな自信がある。
ただ一つだけ問題がありそうだなと良治は感じていた。
「まどかが拗ねないといいわね」
「…………」
結那の言葉に無言で返して準備を終え、そっと彼は溜息を吐いた。
今回のメインはこの三人。まどかさんは蚊帳の外。ごめんねまどか……。




