疑惑の金曜日・2
斜め後ろの席から葵の背中を眺めて敬司はため息をついた。
頬杖をついて窓の方を向くその格好は、まるで敬司から顔を背けているようで横顔もまともに見れはしない。
授業が始まってからも葵はほとんど体勢を崩さなかった。
(完全に拒否されてんな)
今まで染めたことがないという肩までの黒い髪。
少しかたむいた猫背気味の背中。
かつてこうやって葵を見やっていたのは、自分ではなく空だった。
一度だけ、空に問い詰めたことがある。
「……なんで別れたのさ」
前触れもなく切り出した敬司に空は意外そうな顔をした。
別れた、と空に言われたときには理由は聞かなかった。
いきさつはともかくどちらかの心変わりがあったのだろうと思ったから。だが、
「何、敬司も葵としゃべれなくなって寂しい?」
茶化すような言い回しにむっとする。
「あのなあ。お互いまだ好きなの見え見えなのにわけわかんないっつってんの」
葵は別れてから明らかに表情が硬くなった。
空を見かけるたびに小さく肩を震わせてうつむく。
空は空で二人きりになるのを巧妙に避けるくせに、気がつくと葵の後姿を目で追っていた。
おまけに本人の前では苗字で呼ぶのに、いないときには下の名前が口をついてでる。
ばれてんだよ、と横目でにらむと空は珍しくばつが悪そうに顔をしかめた。
「うーわ、みっともなー……」
かすかに空の素が見えた気がして少しだけ溜飲を下げる。
「むこうだってまだ空のこと好きなんだろ」
わかってはいるんだけどね、と空は肩をすくめた。
「ちょっと、好きすぎたかな」
「何だそれ、どっちが」
語気荒く言い返すと、またからかうような声が返ってくる。
「どしたの、いつになくつっかかるじゃん」
「空気悪くてやってらんないんだよ」
むきになった、けれどまっとうな指摘に空は苦笑した。
「悪い。葵が笑ってくれれば少しは楽になりそうなんだけどね」
だからそれができるのはおまえだけなんだろうが。
腹立ち紛れに思ったが、言葉にはできなかった。
結局理由は何もわからないまま、空はもうよりを戻す気はないということをつきつけられただけだった。
空が死んでから、葵は段々と表情をなくしていった。
別れたときには硬いながらも感情の動きは見てとれた。
それがあの事故の後、笑顔はもちろん戸惑いも哀しみもその顔から消えていった。
クラスメイトが誰も声をかけなくなっても。
すれ違う生徒に好奇の目を向けられても。
根も葉もない噂が葵をとりまいても。
それを信じた女子が彼女を追い詰めても。
もう、どんな痛みも表に出すことはなかった。
暗い顔をしなくなったことで、空のことは吹っ切れたんじゃないかという人もいた。
だがもしも吹っ切ったのだとしたら、それはきっと空のことではなく……。
だから、葵が欠席したときは正直血の気が引いた。
結局、翌日何事もなく登校してきたのだが、それでも不安はぬぐいきれない。
今回は無事だった。
では、次は。
月傘既望の名前を出したのは、おととい学校まで葵を迎えに来た男の姿に見覚えがあったからだ。
二人がどういう関係なのかはわからない。
だが、杏香に耳打ちされた葵は逃げるように教室を出た。
少なくとも今の葵をそうやって動かすことのできる人物を敬司は他に知らない。
実際に葵が図書室に来ることはないだろう。
それでもさっき反応は、空が死んでから初めて見る明らかな感情の表れだった。
それが自分に対するものでなくてもいい。
驚きでも反発でも嫌悪でもかまわない。
何だっていい。何かひとつでも興味を引くことができれば。
空のいる向こう側ではなく。今葵がいるこちら側に。
動かないままの葵の背中をもう一度見やる。
なあ、空。
あのときあれだけ突き放しておいて、いまさら連れて行くとかやめてくれよ……?




