第10話 ロードされた記憶
午後六時を過ぎても、何も起こらなかった。テレビに表示されていた「イベント開始」の文字も消え、部屋にはいつもの静けさが戻っている。俺はソファに座ったまま、何度も時計を確認した。何かが起こると思っていたのに、何も起こらない。それが逆に怖かった。
「結局、何もないのか?」
そう呟いた瞬間、テレビの画面が暗くなった。電源を切ったわけではない。画面の中央に白い文字が浮かび上がった。
『イベント終了』
その下に、もう一行。
『結果:成功』
俺は画面を見つめた。
「何が成功したんだよ?」
返事の代わりに、画面が切り替わった。そこには、今日一日の記録が表示されていた。起床時間、食事、睡眠、友人からの連絡、俺がテレビを見ていた時間まで細かく記録されている。まるでゲームのプレイログだった。
そして、一番下に見覚えのない記録があった。
『イベント内容:プレイヤーとの接触』
俺は眉をひそめた。
「プレイヤーと接触なんてしてないだろ」
そう思った瞬間、画面に新しい文字が表示された。
『接触済み』
俺は立ち上がった。今日、誰にも会っていない。外にも出ていない。電話で話したのは、知らない男だけだ。
そこで、ふと思い出した。
あの電話の声。
『あなたが今、何を考えているか分かります』
まさか、あの男がプレイヤーなのか。
俺はスマホを手に取った。着信履歴を確認する。しかし、知らない番号は表示されていなかった。
「……消えてる?」
確かに電話はあった。けれど、履歴には何も残っていない。
その瞬間、頭の中に強烈な違和感が生まれた。俺は電話を受けた。でも、本当に受けたのか?
そう考えた途端、頭の奥がズキッと痛んだ。俺はテーブルに手をついた。目の前の景色が一瞬だけ歪む。テレビ、テーブル、ソファ、窓。すべてがぼやけ、次の瞬間には元に戻った。
「なんだ、今の……」
俺は額を押さえた。すると、突然、知らない記憶が頭の中に浮かんだ。
幼い頃の自分が、テレビゲームをしている。隣には誰かが座っている。顔は見えない。その誰かが、コントローラーを握った俺の手に触れていた。
『次はこっちだよ』
そんな声が聞こえた。
俺は目を閉じた。
記憶が消える。
「……子どもの頃に、こんなことあったか?」
思い出せない。けれど、妙に懐かしい。
もう一度テレビを見る。画面には、いつの間にか昔のゲーム画面のような映像が映っていた。そこには、小さなキャラクターが一人立っている。
見覚えのある姿だった。
子どもの頃の俺だ。
画面の中の少年が歩き始める。俺が昔住んでいた家の中を進み、階段を上がり、子どもの頃に使っていた部屋へ入っていく。
俺は画面から目を離せなかった。
少年が机の前に座る。そして、ゲーム画面の中に文字が表示された。
『セーブしますか?』
少年は何も答えない。
代わりに、画面の外から声が聞こえた。
『今日はここまでにしよう』
俺は息を呑んだ。
その声を知っている。ずっと昔から知っている。けれど、誰の声なのか思い出せない。
画面が暗くなる。
そして、中央に一つの文字が表示された。
『LOAD』
その瞬間、頭の中にまた別の記憶が流れ込んできた。中学生の頃。高校生の頃。大人になってから。何度も同じような場面があった。眠って、目を覚ます。何かをしようと思っていたのに、別のことをしている。誰かに会う予定だったのに、なぜか会わなかった。行こうと思っていた場所に行かなかった。逆に、なぜそこへ行ったのか自分でも分からない場所へ行った。
それらは全部、俺自身の選択だと思っていた。でも違った。選択肢が表示されていた。見えないだけで、俺の人生にはずっと選択肢があった。
テレビの画面が再び切り替わる。
『セーブデータをロードしました』
俺は画面を見つめた。
「ロード……?」
その瞬間、さっきまでの記憶が一つだけ消えた。何を考えていたのか、思い出せない。俺は必死に思い出そうとした。けれど、無理だった。まるで、その部分だけ最初から存在しなかったように、きれいに消えている。
そしてテレビには、新しい文字が表示された。
『ロード完了』
『現在の世界は、前回のセーブデータを使用しています』
俺はその意味を考えた。もし本当にロードされたのなら、今までの世界はどうなる? そして、俺が今まで経験してきた人生は、本当に一度だけだったのか。
その疑問が浮かんだ瞬間、テレビの画面に最後の一文が表示された。
『あなたは、この世界を何度もやり直しています』
俺は画面を見つめたまま、言葉を失った。




