にゃん
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誰かが少年を呼ぶ。なじみの呼びに、少年はゆっくりと目を開く。目を開くと、可愛い少女が見える。馴染んでいる振り、馴染んでいる触り方・少女はまるで猫のように飛び、少年の頬に手を当てて掴む。餅のように引っ張る。
「痛いよ…おはよう。にゃこ。」
少年はこの少女が誰かよく知っている。世界で一番愛おしくて可愛い彼の彼女「にゃこ」。どこか変なところがいて、変な名前で、ドジっ子的なところがあるけど、誰よりも少年を愛してくれる。もちろん、指摘すれば「にゃこは頭いいよ?!」とむかむかして反発してくるかもしれないけど。少年は笑いながら自分の上に登ってきた彼女を抱く。手が自然に背中の方へ向かう。髪の毛が少年の肌に触れて、痒みを生み出す。頬と〱が逢う。言葉で表現できない程柔らかくて暖かくて感触、そして、それに誘導される感情が沸き上がる。
「やっと起きたの?ずっと見てたにゃん。」
にゃこは少年の胸の中で体をあちらこちらへ動かしては起き上がって少年の顔を眺めながらそっと笑ってしまう。
「いっ君の寝てる顔は可愛いから。ゆっくり寝れた?」
いっ君、そう。少年の愛称である。名前は伊吹。少し暗い茶色肌に、腕には小さくて大きい傷跡があちこちに見える。頬にも擦れた跡のようなものが見える。しかし、にゃこに向かって笑って見せる顔は優しくて明るい。無害そのものと言えるだろう。一匹のワンちゃん、否、猫のようかも。見た目は虎やジャガーに近いかもしれないけど。
「おはよう、にゃこ…なぜかぼーっとするよな。にゃこも良く寝れた?」
空に向かっている髪を手で毟りながら目覚めようとする伊吹に、にゃこは目を丸くしながら伊吹の額に自分の額を当てる。伊吹には予想できぬ行動に、ぶつかってしまう。そして、にゃこは予想できなかったかのように体を落とし、額を手で触りながら可愛い声で文句を言う。
「いたた…いっ君!熱あるか確認しようとしたんだよ!動くと危ないよ!」
伊吹はその言葉に苦笑いしながら言う。
「これって、俺が悪いの…?」
その言葉に、にゃこは視線を逸らしながら答える。
「そ…それは…とにかく!早く朝ごはん食べよ!お腹空いてにゃい?」
にゃこは伊吹の手を引きながら起こそうとする。伊吹なまだ開けない目をこすりながらベッドから離れる。床に伊吹の足が下りて行くと、少しは重い音がする。離れたところのベッドが再び膨らむ。筋肉のある頑丈な体。眠いから調節できなかったせいか。ドン。にゃこはその音にびっくりしてまるで猫のように体をびくっと震わせる。そして、すぐにまた微笑みを浮かばせる。
「…あ、軋む音。ふふふ、いっ君太った?」
からかいが混ぜているその言い方に伊吹はにゃこを見ながら答える。
「こう見えても筋肉なんだよ?」
そして、しばらく自分の体を見つめては、腕足を動かせてみる。見た目は依然と大した差はないように見える。もちろん、また眠気が消されていないから、体の動きは鈍いかもしれないけど。
「最近外に出てないから、少し太ったかもしれないけど…」
独り言を言うとにゃこがほほ笑みながら伊吹を抱いては絡んでくる。
「太ってもいいよ?にゃこは太ったいっ君も好きだし…」
顔を赤く染めながら言葉を継ぐ。震えはない。
「太ったいっ君は他の人に奪われずに、にゃこが独占できるから。」
その可愛い自己主張をする言葉に、伊吹は笑いながらにゃこを抱いて持ち上げる。まるで猫を持ち上げるように。にゃこも驚いて「うにゃっ?!」と、猫が持ち上げられるような声を出てしまう。でも持ち上げる姿勢は猫を持ち上げるその姿とは異なる。背中と足の膝を支える腕、お嫁さんやお姫さんを抱くような姿勢。
「でも、太るのは、俺が嫌だから。そうじゃなくても、独占って今もしているだろう?」
「…それは、そうだけど…」
伊吹の腕ににゃこの足の感触が伝わってくる。細くて骨の硬さが感じられる同時に、太ももの柔らかさも。そして、暖かい温度が、関節部分の湿気が伊吹の腕に伝わってくる。伊吹は軽そうににゃこをもう一回上げて、位置を調整する。実際に伊吹ににゃこは軽かったから。体が宙に飛んで、一瞬、重力が消えた気分を感じても、にゃこは前とは違って驚かなく、幸せそうに身を震わせた。腕があたっていたから。
こんな姿とは別に、伊吹は数年前までは救いようがないチンピラだった。結構いい私立学校に入ったにも関わらず。今は特に何もせずに過ごしている。大学も通わずに、にゃこと暮らしているだけ。大学に行ける成績だったか、通う気があったかを聞くとそれもそうではないけど。体に残っている傷跡も学生時代にできたものだろう。あちこちに喧嘩を売って、戦っていた頃の痕跡。実は本人にとってはいつできたのかも気にしていないようだが。今でも気にしている気もなく。にもかかわらず、にゃこはその傷跡を見る度に心のどこかが痛くなる。伊吹の過去が目に見えるから?伊吹が怪我するのが嫌で?両方かもしれない。どちらでもないかもしれない。伊吹はにゃこに細かい話はしてないけれど、有名だったから知っているかもしれない。でも、無気力になったわけではない。にゃことの暮らしには満足もしている。
なぜなら、にゃこがいたから。伊吹はまるで別人となった。今日も今、自分が持ち上げている可愛くて愛おしい恋人であるにゃこを見ながら誓う。「過去よさらばだ。」こんな表現は伊吹には使えないかもしれない。より分かりやすい言葉であったかもしれない。でも、誓ったことには間違いない。廊下を歩き、会談が現れる。階段を下りる度々ににゃこの軽い体が腕の上でトントン飛ぶ。眠いからか、体が重い。その分にゃこが軽く感じられ、より空に飛んでいる気分がする。けど、逃す気配はない。全くしてないように降りていく。
にゃこは怖そうに、いや、愛しているから、伊吹の首に両手を当てて、抱く。一階は誰もいないから静かだ。二階も同じだが。この広い空間を二人きりにするだなんて、贅沢だね、と伊吹は思う。足音が壁を渡り響く広いリビングを経て、いつもの食卓のある食堂。食卓の前でにゃこを下ろそうとするが、にゃこは嫌そうに手に力を入れつつ、より強く抱いてくる。こんな時のにゃこの力は強い、伊吹よりも遥かに。力が軽いためか、にゃこの体が伊吹に密着し、首に息が当たる。可愛くて暖かい息。そして、堂々と言い始める。
「台所で降りる!にゃこが直接朝ごはん作ってあげるから!」
「そう?今日の朝ごはんはなに?」
「食べたいものならなんでも?フレンチトーストもできるし、卵も…前は少し焦げたけど、今回は大丈夫だから!」
伊吹の問いににゃこは自信満々気に息を荒くしながら伊吹の首に自分の顔を当てる。伊吹は仕方ないねという振るいで、再びにゃこを高く持ち上げ、再び台所に向かい始める。短い時間であるが、目が覚め始めたせいか、心臓の音が、誰の音かは知らないけど、両方かも知らないけど、はっきり感じられる。台所に到着し、コンロの前に降ろすと、にゃこは楽し気に伊吹の頬に軽くキスしては恥ずかしがりながら、首を素早く横に向かせ、「にゃにゃ~」と鼻歌を始めながら調理道具を探し始める。
にゃこはフライパンを持ったままエプロンを羽織ろうとするが、上手くいなかないみたい。当たり前と言えば当たり前のことで、そんなにゃこの姿が猫みたくて可愛い。そして、すぐに、背中に手が届かないから、後ろに立っている伊吹と目が合う。フライパンを置いていない時点で無理だったと思わせる。
「いっ君、これ、締めて…」
照れながら後ろに向いて、そっとそっと見ながら、伊吹に近づいて、紐がついている背中を、お尻を伊吹の方へ向かわせる。顔は前を見ているが、少しだけ見える頬が赤くなっているのは明らかだ。気づいたのかなと思っているのかもしれない。伊吹は思わずにゃこの頬と首、肩の肌をみる。素肌。綺麗で、白くて、つややかで、可愛くて、愛おしい。どこか擦れた跡か、寝ているときできた押された跡かが見える。直線の跡。ぼーっと見てしまっていたら、にゃこは頬をより赤くしながら言う。
「早く!」
「あ、わかった、わかった。じっとしていて。」
伊吹は声が聞こえてやっと手を出してひもを締める。近くなったにゃこの首から微かな、でも艶めいたにゃこの香りがする。手を紐から離す。にゃこはぐるっと回って、紐を軽く叩き確認しては満足げにフライパンをすぐ焜炉の上に乗せる。金属の音がする。にゃこは自分が鳴らせた音に驚いたのか、体を震わせる。でも、伊吹を見ては互いに笑ってしまう。




