2.マスターガーディアン
「大丈夫か?」
黒ずくめの仮面の人の問いかけに、コクコクと叫んだばかりの口を手で塞いで、メリッサは頷いた。
暗闇に突然現れた、黒ずくめの仮面のその人は、メリッサを軽々と起き上がらせる。
廊下からの、少しの灯りで照らされた仮面が薄気味悪い。正直、最初は幽霊が現れたと思ったほどたった。
立ち上がってもう一度、その人をよく見る。奇妙な仮面に頭からつま先まで覆う真っ黒なローブ姿のその人は、知っている人物だった。
「マスターガーディアン様」
メリッサは小声でその人の名を呼んだ。
「君はどうしてここに?」
メリッサは、マスターガーディアンと呼んだその人から数歩下がって、しっかりと正面を向きなおした。
「マスターガーディアン様。わたしは資材庫番の新人、メリッサ・レイニードです。その黒猫が盗っていったルビーを取り返すべくここに来たのです」
マスターガーディアンの足元に座る黒猫。
メリッサは、心臓が緊張でバクバク飛び跳ねていたけれど、なんとか落ち着いて報告しようとした。資材庫番にとって一番トップの上司を見て、絶叫した不敬を挽回するために。
「ここは、新人が立ち入りできる場所ではない」
そう言うマスターガーディアンは、魔技研の資材庫を含む保管庫の総管理人で守護者。
魔塔の保管庫にある貴重な魔法素材、研究材料となる国宝級の古代魔道具や呪いのかかったハザードアイテムを保護し、悪用しようとする輩から守る存在だ。この保管庫棟まるごとに、セキュリティシステムの魔法をかけている大天才だと言われている。
入所式の時に祝辞も述べなかった組織のトップの変わりに、司会者から説明があったことをメリッサは思い出す。
変声魔法で作られた声色は人物判定を出来ないようにし、性別すら不明にする。絶対に中の人を知られたくない着ぐるみの並みの徹底ぶりだ。先輩が新人のメリッサに、中の人が誰かは聞いてはいけない暗黙の掟があることを以前教えてくれていた。
メリッサはそもそもの原因を作った黒猫を睨みつけるが、そしらぬふりだ。今はとにかく物騒な誤解をどうにかしなければならない。
「新人の私が勝手に部屋に入ったことは反省してます。でも黒猫からこのルビーは取り返しました」
手のひらに乗せたルビーを見せる。
「それは、猫が盗んだものではなく、そのルビー自体がこの部屋から元々消えていてラファエルに探してもらっていたんだ」
「え?」
「ラファエルがルビーを見つけたのを、君が追いかけまわしてここにたどり着いたんだ」
「え?」
「だから、君は侵入者で泥棒ということになる。見回り猫が盗みなどするわけがない」
マスターガーディアンの話から、自分は勘違いで立ち入り禁止区域に侵入した、まぬけな新人だとメリッサは思い至った。
これは懲罰委員会行きだろうか。よりにもよって資材庫を管理する組織のトップの御用になったのだ。
黒猫の地上の楽園から、地獄に突き落とされた気分だ。
ラファエルというあの黒猫が‥‥‥モフモフで憎めないのがつらい。
「それで、どうやってここまで来たんだ?」
マスターガーディアンがメリッサの一歩手前まで近づく。
「その‥‥‥黒猫を追いかけて」
「私のセキュリティの魔法すべてを無効にしてここに入ったと?」
仮面によって表情も瞳も視えないせいで、感情が読めない。これが縦社会の圧力というものなのか、居残り残業で夕飯もまだ食べていないせいか、緊張でお腹のあたりが縮み出した。
メリッサは正解の返答が思いつかない代わりに、とりあえず虚偽報告はNGだと新人研修で習ったことを思い出した。
「セキュリティはひっかからなかったですし、無効にしたりする魔法を私は使えません」
「――その。ひっかからなかったが問題なんだが」
仮面越しにわずかに溜息が漏れた。
マスターガーディアンはメリッサの手の平に乗ったルビーをそっと取ろうとし、指先がわずかにふれた。
その瞬間。ルビーが発光して火花が散った。
「きゃ!」
メリッサは反射的に引っ込めてしまった手を、恐る恐る見た。火花が散ったが、熱くはなかった。火傷もしていない。
「マスターガーディアン様、お怪我は?」
「いや。怪我はない。これはこういう石なので驚かせたな」
廊下からの明かりでしか室内は見えないが、近くのテーブルの上に箱がありマスターガーディアンはそっとルビーを置いた。
メリッサは、そろそろこの状況から逃げ出したいとそわそわする。だが、困ったことに入口側にマスターガーディアンが立っているので脱出経路が塞がれている。
「にゃあ」
黒猫のラファエルが、マスターガーディアンのローブの裾を咥えて引っ張る。
「ああそうだな。君はもう帰りなさい。こんな時間まで残業はしないように」
仮面に黒づくめのラスボス感満載の見た目とは裏腹に、まともな上司の言葉だとメリッサは素直に思った。
これ以上尋問されるとつらいので、さっさと逃げよう。
メリッサは今回の件は忘れて下さいと念じながら、扉に向かって歩き出した。
だが、マスターガーディアンはしっかりと守護者の仕事を忘れてなかった。
「メリッサ・レイニード。明日、不法侵入の沙汰を下す。首を洗って待っているように」
――首。――クビ!?
仮面から発せられる、低い声が空恐ろしいことを口にした。
背筋が凍る。
「っし失礼します!」
メリッサは、逃げるように駆けだした。
◇◇◇
マスターガーディアンは、メリッサが去った後で黒猫に話しかける。
「変わらずに、美しい」
去り際、廊下の明かりが彼女を照らした。
彼女の美しい銀髪の三つ編みと、特徴的な深い蒼い瞳が明かりを反射して煌めいたのをしっかり見ていた。
「涙目になってましたよ。かわいそうに」
黒猫は伸びをして答える。
「俺の空間魔法を簡単にすり抜けた。本当に以前と変わらず面白い子だ」
「主。顔が緩んでますよ」
仮面を外したその顔は、愉悦に浸っていると黒猫に指摘される。
「これから、あの子と前世で交わした約束を果たそう」
平和で平凡で時々冒険をするような毎日を、彼女の望みの通りに叶える。それをずっと待っていた。
「約束してるなら正体を明かせば良いのに」
「ラファエル。記憶のない彼女に、初対面でいきなり前世の話しなんかしたら怖がられるし、嫌われると思わないか?」
「まあ。そうかもしれないですね」
「メリッサは気づいていないが、彼女はすでにトラブルに巻き込まれそうなんだ。俺はそれから守らなければならないし、少しずつ信頼を築きたい」
マスターガーディアンは、深紅のルビーを手に取った。この石がここに彼女を導いたのだろうか。
永い時を経て、転生した魔女ともう一度、その傍にいるために守護天使もまたここにいる。
「主。人間らしく、ですよ」
黒猫は、主人の正体を知っていて釘を刺す。
「わかっている。俺は今は人間なのだからそれらしくするさ」
黒いローブを脱いだ青年は、深紅の瞳で窓の外の月を仰いだ。




