事件その3 備品盗難(16) 聞き取り④北條ー松田
涙を拭い、30秒だけ深呼吸して心を落ち着かせたが、おそらく目の赤みで泣いていたのは悟られてしまうだろう。
だが、時間を無駄にはできない。
既に1分半も予定時間を過ぎている。この後は「容疑者」として確定している松田の取調べが控えている。
今、1分1秒でも時間は無駄にできない。
これが、今の自分の仕事。片桐から託された、自分の使命。
疎かにすることなどできない。
片桐は、生徒会長になる前から、おそらくは入学して間もない時から、明確な「目的」を持って行動していた。
それは、この学内の歪んだ風潮を改めること。
いつから始まったのかもわからない、ずっと昔から続いてきた、「内部生」が優秀で、「外部生」がそうでないという風潮。
大雑把な認識。
雑なレッテル。
酷い偏見。
それを改めるために動いている。
自らの手を汚してまで。
その結果、後に責めを負うことも承知の上で。
見た目の格好良さで、片桐に対し安易に憧れを抱き、一時は勝手に失望した。今は、その浅はかな自身をただ恥じている。
そして片桐は、自らの内心をほとんど他人に知られることのないまま、孤独な戦いを続けている。
彼女のその孤独、本当の心を知っているのは、極小数の者のみ。
そこに自分が加われたのは、せめてもの僥倖と言えなくもない。
ならば、自分の為すべきことは何か。
答えは決まっている。
今、目の前にある仕事に全力で取り組み、成果を出して期待に応えるのみ。
北條は小部屋を出ると、まっすぐ松田の正面へと向かった。
「では松田先輩、聞き取りを行いますので、こちらへどうぞ」
松田は無言で立ち上がり、北條に促されるまま、小部屋へと吸い込まれ、奥側の席に腰を下ろした。
その際、北條の目を見て、一瞬何か言いたげに口を動かしたが、結局何も言わずに口を固く結び直した。
「それでは、聞き取りを始めます。お聞きしたいことについては既に把握しているかと思いますが、備品盗難疑いの事件についてです。これについてご存知のことがあれば、お話しいただきたいと思います」
「……特に話すことはない」
つれない返答だが、これは予想通りの反応である。
「そうですか。では、いくつかご質問をさせていただきます。そもそも『特命班』立ち上げの日、説明会の場で配られた資料は、松田先輩の手元から海野先輩へと移動して、そこから私たちに配布されましたよね?」
「ああ」
「ということは、説明会開始の時点で例の資料をお持ちであった、と」
「そうだな」
「当日、その資料を先輩に渡したのは、誰ですか?」
「海野だけど……」
「その際に、何か指示を受けたり、依頼を受けていませんか?」
「……何もない」
「では、他の方から、資料について言われたことは?」
「何も、言われてない」
「では、何故最後のページを書き換えたりしたんです?」
核心に迫った北條からの質問に、元々口の重かった松田は更に口が重く、声が小さくなった。
「……ノーコメント」
「否定はしないということですね? それはそうですよね、もはや弁解のしようもないですし。定例会終了後、説明会開始まで10分少々、その間外部から人が入ったり何か工作を仕掛ける余裕はありません」
沈黙する松田を前に、北條は更に続ける。
「以前に作成した資料を再調査のためにあらかじめ改竄しておき、説明会の時にそれを配布する、ということも可能でしょうけど、あの資料は元々生徒会室に残っていた資料の原本を一年生が取り急ぎコピーしてきたもの。なので、今回資料を予め改竄するとなると、原本を改竄しなければなりませんから、あまり現実的ではないでしょうね」
北條による、やや早口であるが澱みのない説明を、松田は相槌を打つこともなく固まったまま聞いていた。
「そして、その最後の部分だけは、コピー用のやや黄色みがかった紙ではなく、生徒会備品である真っ白なOA用紙。色だけで『生徒会備品』とは断定できませんが、少なくとも『コピーが仕上がってから急遽差し替えた』のは間違いないでしょう」
「……」
「ですが、何故そんな行為に及んだのか、そこがわかりません。なので、そこをお聞きしたいと思います」
松田は完全に沈黙し、俯いたまま固まってしまった。
「……私達特命班は、今回の件、松田先輩と海野先輩が関わっていると考えています。資料改竄だけでなく、備品の運び出しについても、お2人で実行したものと」
そこで驚いたように、松田は顔を上げた。
「どうして……」
「前役員からの引き継ぎから10月末の点検まで、ほとんど時間がないからです。引き継ぎ時の点検は海野先輩が行っています。そこから月末まで10日ほど、その間特に備品が消費されるような行事等はありません。新体制発足間もない時期なので、生徒会も慌ただしく活動してますので、部外者が物品を持ち出していれば目立つはず。でも、そういった目撃証言はない。ならば、やはり持ち出したのは内部の者でしょう。それに、備品の運び出し状況については、目撃情報も得られましたし」
「えっ?」
「と言うか、改竄で消したかった情報がまさにその目撃情報ですよね。その証言者が見つかりました。海野先輩から『物品自体は備品でなく不用品であり、今回の件には関係ない』と説明を受けたそうですが」
「そうか……」
「話し辛い内容であることはお察しします。ですが今の段階ではもう、隠すのは松田先輩の為にならないかと」
「……」
口を閉ざしてしまった松田を前に、北條は表にこそ出さず平静を装っていたが、内心相当に焦っていた。
人は一旦黙ると決めてしまうと、そこから再び口を開かせるのは容易ではない、それは北條にも容易に想像できた。
おそらく土本なら、相手を興奮させて、場合によっては怒りを煽って、力ずくで口を開かせることもできるのだろう。
自分にはそれはできない。なんとか相手の興味のある話題、語りたくなる話題、そちらの話題に移行して、とにかく口を開く。そういう流れに持っていきたい。
そこで、事前に得ていた情報から、松田が興味を持ちそうな話題を振ってみることにした。
「松田先輩は、水泳部と軽音楽同好会に在籍してらっしゃいますよね」
話題を変えると、松田はわかりやすく北條の言葉に反応した。
「うん……?」
「掛け持ちですと、忙しいかとは思いますが、生徒会の常会には毎回出席していらっしゃいますよね」
「……」
松田からの返答はない。落ち着くよう心の中で自分に言い聞かせつつ、北條は話を続けた。
「お忙しい中、生徒会の仕事を疎かにせず、責務を果たしていらしたのはご立派だと思います」
「……忙しくはない」
「えっ?」
「水泳部にはもうほとんど顔を出してない。元々そこまで本気で競泳やってたわけじゃない」
「そうだったんですか……」
「軽音は、音楽が、と言うかバンドがやりたかっただけだ。活動って言うほど固いものじゃない。週に一度、金曜の放課後くらいは抜けられる」
「そうでしたか。でも生徒会活動には積極的でいらっしゃるのは、後輩としてはありがたいです」
「そうか……」
「そうすると、やはり松田先輩としては、軽音楽同好会での活動が主、ということですかね。ところで、どういった音楽をやってらっしゃるのか、お聞かせ願えますか?」
その質問に、松田は目を丸くした。
「それは……今、必要な話か?」
「いえ、単なる私の興味です」
「そうか……」
そう言って、松田は口を閉じかけた。
一旦閉じた松田の口元を見て息を呑む北條をよそに、松田は再び口を開き、これまでとは打って変わって饒舌に語り始めた。
「これは……一言では言いづらい。どういった音楽と聞かれても、今俺らがやってる音楽は特定のジャンルにカテゴライズできるようなものじゃない。強いて言えば、テクノに近いんだろうけど、でもハウスに寄せたり、ニューウェイブの雰囲気を取り入れたりしてて、要はシンセやサンプラーを多用したメロディを基に、ビートに拘ってbpmを上げ下げしたり逆にメロウに振ったり色々試して音作りしてる。具体的に言うと、元々ハードな曲を作ってから、それを高速にしてみたり、更にはバスドラを利かせて一層ハードコア寄りにしてみたり、クラシックなんかから音を摘んだきてサンプリングした音を混ぜてアレンジしてみたり、他には民族音楽から特に面白い楽器の音を拾ってギターシンセで弾いてみたりもしてて、まあ色々だな」
「あっ……そう、なんですね」
松田の長く内容の濃い語りに圧倒された北條は、しばらく反応に迷った。
「すみません、クラシックなどからサンプリング、ということでしたが、例えばどんなものを?」
「うん、そうだな……短い音でキャッチーなフレーズを掬うとなると、モーツァルトからってのが多い。ベートーヴェンの交響曲は曲の入りにインパクトがあるからそこは使いやすい。当然第九とかはいい例だし、それにピアノ曲も良いものが多い。それに……」
音楽についてここまで長々と語る松田に対し、北條は暫く傾聴に徹しつつ、ここから先、どう話を展開させるかを考えていた。
「……そう言えば。今流れてるこの曲」
ひとしきりサンプリング素材について語った松田は、話題を現在生徒会室に流れているBGMへと自らスライドさせた。
「このCDは北條さんが持ってきたものだよな?」
「はい、そうです」
「これは、北條さんの趣味?」
「いえ、今日の聞き取りで使用する音楽を自宅から適当に選んで持ってきました。特に趣味というわけでは」
「あっ、そうなのか……」
せっかく口の重い松田が会話に積極的になってきたのに、話が途切れそうになったため、北條は焦って何か言おうとしたが、ここは一度堪えた。
松田が自ら話す、その流れを作りたい。
そのために一瞬唇を噛んでその時を待ったが、結果的に、待ち時間は本当に一瞬だった。
「いや、そんなはずはないだろう。普通は家から適当に持ってきたCDがライヒになったりはしない」
やはり松田は音楽についてならどこまでも積極的に語る。
それを確認できた北條は、嬉しさを抑えつつ、ようやく口を開いた。
「流石ですね、やはりスティーブ・ライヒをご存知でしたか」
「勿論だ。ライヒは今世紀最高の作曲家、音楽家だ。少なくとも俺はそう思ってる。だが現代音楽に触れない者には縁遠い。流行歌やロック、ジャズなんかに浸った一般人が手を伸ばすことなんかない筈なんだ。それがまさか、ここで聞くことになるとは。少なくとも現代音楽のCDを多数持っていて、そのうちのいくつかの候補の中からこれを選んできたんだろう。違うか?」
「ご明察です。父がこういう方面の音楽に明るく、レコードやCDを多数所持しています。そのストックの中から、あまり静寂を生まないもの、約1時間音楽が途切れないものを選びました」
「じゃあ、音楽性から選んだわけではない、ってことか」
少々残念そうに呟くが、これは想定済みである。
「ライヒに関してそこまで知識がない、ということです。彼の音楽について、語れるほどの情報、敢えて選ぶほどの興味、そういうものは持っていません」
「では、多少は知識もあるし興味もあるってことか。ミニマルというジャンルとして捉えていなくとも、現代音楽の大人物、その程度は把握していると」
「はい」
「一般人としては十分だ。そこまでの知識があるなら、もっと前から、音楽について語り合っておくんだったな」
松田の発言は口惜しそうな印象を受けるが、その表情はむしろ嬉しそうに見える。
「そうですね。ですが私より、もっと音楽について知識のある人が既にいるかと」
「海野のことか。彼女はクラシックに詳しいしシンセも扱ってるけど、音楽性としては古典的な立ち位置で、電子とかテクノ方面には向かってない。当然ミニマルにも触れてないだろうな」
「それは残念ですね」
「ああ。でもそのうち聴かせてみようと思ってる。一旦聞けば、その音楽性に興味を持つはずだ。オーケストラに固執しないで、軽音に来ればいいのにな」
「すぐにでも聴いてもらえばよいのでは?」
「聴かせられれば、それに聴く気があればそうしたいけど、まだオーケストラに未練があるらしいし、それに海野とは今話す機会がないから、聴かせるなら役員の任期が終わってからだろうな」
何故「話す機会がない」のか、そこは敢えて触れずに北條は質問を続けた。
「そうなんですね。以前は海野先輩とはどういったお話を?」
「音楽的なことがほとんどだ。あと、愚痴も聞かされたりしたよ。自分の力量は申し分ないのに、オーケストラ部で不当な扱いを受けているって。一年の頃からトロンボーンをやってたんだが、2年になってから担当を変えられて、それが納得いかないらしい」
「えっ、それは……」
「夏の始まり頃だから、生徒会とは関連はないだろう。海野にとって、トロンボーンは特別らしい。人の声に近い音が出て、音程を任意で調整できる唯一の管楽器だからだとか。それで1番打ち込んできたのに、実力で明らかに劣る者にパートを奪われて、ピアノに回されたそうだ」
「そうでしたか……」
「生徒会活動で、練習時間は制約が出るとは思うが、相変わらずピアノの練習はきっちりやりながら、トロンボーンも諦めてない。なんでも、先輩なんかのコネを使って、トロンボーン奏者に返り咲くことを考えてるということらしい」
「そんな先輩がいらっしゃるんですね」
「3年の大高先輩は、あまり目立ってはなかったけどオケではコンマス、いや女子だからコンミスか? だったらしいし、音大の先輩とも繋がりあるからコネはあると言えばあるんだろうな、その人を頼っているらしい」
「大高先輩……ですか」
北條はその人物を把握している。
その人物と海野が、オーケストラを通じて深く関わっている。
その情報とこれまでの海野の動きから、その背後関係が概ね形となって見えてきた。
「で、その愚痴を聞いているうちに、生徒会に誘われてる、って話をされて。俺は役員なんかやる気はなかったんだけど、どうしてもって泣かれて仕方なく、な」
「なるほど、そんなことがあったんですね」
事情を把握した北條は、やや大袈裟に相槌を打った。
「そういうこと。だから……」
「すると、備品の運び出しの件も、泣いて頼まれた、という感じですか?」
「えっ?」
そこまで調子に乗って喋りすぎていたことにやっと気付いた松田は、その北條の一言で、雷に打たれたように一瞬痙攣して、そこから動かなくなった。
「お2人がとても仲の良い関係であることはよくわかりました。そして、そのようなご関係であれば、真剣に頼まれれば断りづらいでしょう、ということもよくわかります。例えそれが『ものを盗んだ』と言われても仕方のないような大事であっても」
「あっ……」
「正直に申し上げますと、私達が目撃証言を得ているのは、松田先輩が備品を新校舎からグラウンド脇の倉庫に運び入れたというところだけです。このままいけば、犯人が名乗り出ないと、松田先輩だけが犯人として確定して調査が終わってしまいます。でもそれが正しいとは思えませんし、海野先輩の関与を無かったことにする訳にはいかないと思います。そのためには、松田先輩からの正直なお話がどうしても必要になります。お話しいただけますよね?」
「……」
少しの沈黙の後、松田は再び口を開いた。
「もう、隠すことはできないってことなんだろうな……」
そう呟いてから、松田は真相について、ぽつりぽつりと話し始めた。
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その15分ほど前。
聞き取りを終えて席に戻っていた片桐は、松田を連れて再び小部屋へと入っていく北條の背中を目で追い、2人の姿が見えなくなったところで、深くため息をついた。
そして、ゆっくりと立ち上がり、鶴巻の席の横に移動して、そこでしゃがんで鶴巻に小声で話しかけた。
「やっくん……」
「うえっ? なんだ、珍しいな。ここで声をかけてくるのなんて」
それまで暗黙の了解として、人前で2人で会話することを極力避けていた片桐は、珍しく鶴巻に声を掛け、そして弱ったような顔を見せた。
「うん……ちょっとさ、失敗しちゃって」
「何を?」
「北條さんを泣かせた……」
「えっ、なんで」
「まあ、理由って言うか、原因は2つあって……1つは、正体を明かした」
「えっ、マジかよ」
「正確には、バレてたんで、それを認めた感じ。2つ目は、今後学校中にそれがバレたら、多分あたしは皆んなから責められるだろう、って話したから」
「それでなんで泣くんだよ……」
「あの子、優しいから。他人が理不尽に責められるのを見過ごしたりできないんだよ。さっきは涙は止まってたけどね。もしやっくんの聞き取りの時、まだ落ち込んでたりしたら、励ましてあげてくれない?」
「ええ……難しいな。俺、女子とそういう話するの苦手なんだよ」
「あたしのことは励ましてくれるじゃん。お願い。今度ジュース奢るからさ」
「うんまあ、できる限りやっとくけど」
「ありがと。やっぱりやっくんは頼りになるね」
そう言って、鶴巻の肩を軽くポンと叩くと、片桐は笑顔になって自分の席に戻っていった。
その様子を、自分の席から横目で見ていた久保は、溜息をつき、周囲から聞こえないくらいの声で呟いた。
「やれやれ、今日は随分と無防備な姿を曝してくれるねえ。危なっかしいなあ……」
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北條は、話を聞きながら目線を下に落とすことなくメモを取っていたが、メモを取る際にも一切会話を途切れさせることなく、一通りの聞き取りを終えた。
「……それでは、聞き取りは以上で終わります。お疲れ様でした」
「お疲れ様……」
松田は若干疲れた様子で立ち上がり、心ここに在らずといった感じでふらふらと自席へと戻っていった。
土本と梅里は既に2人目の聞き取りに入っている。
梅里は、海野の聞き取りに難航しているはず。
その梅里に、1つだけ情報を伝えなければならない。
小部屋から出ると、鶴巻の前に行って一礼した。
「鶴巻先輩。すみませんが、聞き取り開始前に少々お時間下さい。すぐ戻りますので」
「ん? ああ。焦らなくていいぞ?」
鶴巻からの回答と同時に、北條は生徒会室を飛び出していった。




