事件その2 ゲリラ放送(15)「3回目」
1月最後の水曜日。
週明けから2日続けて学校を休んでしまった土本であったが、流石に水曜日は放送がある可能性があるため、休むわけにはいかないと考え、重い体を引きずって、いつも通りの早めの電車で登校した。
熱は下がった。体のだるさも昨日ほどではない。咳も出ない。しかし、痰と鼻水は相変わらず。
ポケットティッシュの残量を気にしながら、駅の改札を出た直後に1回鼻をかみ、足早に学校へと向かった。
教室には、ビデオカメラがしっかり設置してある。
それを回収し、机を元の位置に戻してから、その日の映像を確認した。
少し遅れて、北條が登校してきた。
「あっ、おはようございます」
「ああ、おはよう」
笑顔で挨拶してきた北條に素っ気ない返事をした土本は、テープを巻き戻して今見ていた映像の少し前で停止した。
「もう体の方はよろしいんですか?」
「まあ、完全とはいかないが、動けないわけじゃない」
どこか上の空という雰囲気を感じた北條は、そのビデオの画面を見るために、土本の脇へと回り込んだ。
「今日はどんな様子ですか?」
土本は、返事より先に再生ボタンを押した。
その反応に、どこか違和感を覚えた北條であったが、映像の再生が始まってしまったため、ディスプレイに意識を向けた。
それを見た土本は、ディスプレイを横にいる北條の方に傾けた。
「……どう思う? これ」
画面には、作業服の男が放送室に入ってくる様子が映っている。そして、今回は今までとは異なり、ただ室内を点検しただけではなく、明らかに「それ以外」の行動をしている。
その状況を見た瞬間、北條は真剣な眼差しになった。
「……放送機器を、操作してますね。配線にも触れてます。どのデッキかは分かりませんが」
「いつもの点検とは明らかに違う動きだよな」
「はい、それに、これって」
「円盤……だな」
「はい、映像だけでは断定できませんが、おそらくCD-Rと判断していいかと」
映像には、放送室に入った者がまず放送機器を操作し、その後黒い配線に白いラベル(以前土本が貼ったもの)が貼られたものを手に取ってデッキ裏に差し込み、最後に「白い円盤状のもの」をズボンの右前ポケットから取り出して、機器全部に回り込み、何らかの操作をして退室する様子が映っていた。
「一連の動きからして、ゲリラ放送のためにタイマーを設定したんだろう。設定日時は、おそらく」
「今日の昼休み、ですね」
「そうだな。一応、放送が始まったら、放送室に向かうことにする。施錠の確認と、CD-Rの回収をしておかなきゃならないからな」
「はい、そうしましょう」
土本はビデオの再生を停止すると、その映像が記録されたテープをカメラから抜き取って爪を折って北條に手渡した。
「そういや、昨日のカメラの設置、悪かったな、俺休んじゃって」
「あ、いえ、大丈夫です」
「1人でやったのか?」
「いえ、梅里さんに手伝っていただきました」
「そうか……なんかあいつには世話になりっぱなしだな」
「そうですね、何かお礼したいところですね」
「そこは、また後で考えよう。また近いうちに世話になることもあるわけだし」
「それは……そうですね、ではその時に」
そこで、北條は昨日のこと、教頭を通じて電話を掛けた件を思い出した。
「そう言えば、『DJピンキー』の進学先の件なんですが、昨日……」
そこで、昨日、「DJピンキー」こと堅川の進学先について、昨日独断で問い合わせを実施したことを伝えた。そして、その結果も。
「マジか……やっぱりそうなのか」
予想していたこととは言え、流石の土本も動揺を隠せなかった。
「すみません、問い合わせするならまず土本君に相談してから、とは思ったんですが」
「いや、それはいい。むしろ助かった、ありがとうな」
「問い合わせ自体は、教頭先生にやっていただいてしまいましたけどね」
「高校生が電話しても回答してくれないかも、ってのはその通りだし、教頭先生がやってくれたのは、タイミングがよかったってのもあるんだろう。言わば僥倖ってやつだ」
それを聞いて、北條は安堵の表情を見せた。
「よかった、先走りしたかとちょっと心配してました」
「いい判断だったよ、まあ、とにかく放送があったら犯人に直接接触するのが目前なわけだし、ひとつ大きな仕事が解決できてるのは都合がいい」
「はい、そうですね」
そろそろ他の生徒が登校してくる時間なので、2人は急いで教室を元に戻した。
その日は、少なくとも午前中までは、何も特別なことはない、普通の1日であった。
いつも通り、4時限目まで授業を終えて、そしていつも通りの昼休み。
土本は、5分足らずで弁当を食べ終えた。北條も、若干そわそわしつつも弁当を摘む箸が若干早めに動いている。
土本が弁当を片付け、文庫本を開いてしばらく待ち、時刻は12時30分。
それは、唐突に始まった。
教室に設置されたスピーカーから、ブツン、という異音が発せられた。
数秒後に流れ始めたのは、聞き覚えのある音楽。
「1回目」と同じ、明るい感じの打ち込み系BGM。
それは「DJピンキー」に間違いない。
そう直感した土本は、そっと立ち上がって教室を出た。
それに続き、北條も教室から飛び出してきた。
「行きましょう」
「ああ、でも焦る必要はない。今から行っても、どうせタイマー設定なんだから、当然犯人はいない。今から行くのは、放送室にカギがかかっていること、他に侵入経路がないことを確認するためだ」
「はい、落ち着いて、落ち着いて……」
掌を胸に当て、深く呼吸する仕草をしているのを土本が見届けて、出発を数秒だけ遅らせた。
「落ち着いたか? じゃ、行こうか」
「はいっ」
2人はやや早足で放送室へと向かった。
教室から放送室に向かう間、誰ともすれ違うことはなかった。
そして放送室前の廊下を歩くと、そこに既に1人、放送室前に、壁に寄りかかって立っている者がいた。
長身で、長く赤い髪をした女子生徒。
遠目で見ても、それが誰なのかはっきり分かる。
「会長……?」
北條は思わず声をあげた。
「意外と早かったな。とりあえず、今の時点で放送室には誰もいない。カギもかかっている。付近に人がいた様子もないから、やはりタイマーで流してるんだろうな」
北條達が駆け寄ると、生徒会長の片桐はこちらに目を合わせず、放送室のドアを見つめたまま、放送開始から今までの情報を端的に話した。
「わざわざすみません、会長自ら現場にいらっしゃるとは……」
「この件は北條達に任せたのはわかっているんだが、いざ放送が始まると、居ても立ってもいられなくてな」
北條が片桐と若干嬉しそうに話している後ろで、土本はその片桐の行動を訝しんでいた。
普通科進学クラスの2年生の教室は、土本達の教室の上階にある。
階段を使ったのなら、土本達が見ているはず。放送開始直後にダッシュで来たのなら見えない可能性もゼロではないが、それにしては息が乱れていない。
片桐は鍵を所持していないはずなので、犯人ではない。
……まさか、今日放送がある、と見抜いていて、近くで待機していたのか? であれば、何のために?
土本はそこまで考えたところで、後ろから近づく足音に気づいて振り向いた。
廊下の向こうから、教頭が小走りでこちらに近づいてきた。
その手には、鍵が握られている。おそらく放送室の鍵だろう。
放送が始まったのを聞き、すぐに鍵を持ってきたものと思われる教頭に対し、土本と北條は会釈をしたが、片桐は頭を下げなかった。
「どうもどうも、遅くなったね。あれ、生徒会長自ら来たの?」
そこに片桐がいるのが意外そうな一言であったが、何故かあまり驚いた様子ではない。
「ええ。どうしても気になってしまって」
片桐は、教頭からの問いかけにやや尊大と思われる態度で答えた。
「そうか……えっと、とりあえず中には誰もいないんだよね?」
「はい、私が来た時点で既にこの状態でした」
「ふうん……カギも掛かってるんだ」
話しながら、一応ドアノブを回し、扉を引いてみた。だが、やはり開かない。
「そうですね、あたしもさっき確認しました」
教頭と片桐の会話の様子を近くで見ていた北條は、そのやり取りの中、張り詰めた空気を感じて、言葉を挟むことはできなかった。
そしてそれは、土本も同様だった。この2人が、ここまでヒリつくようなやり取りを、今ここで、このタイミングでする、その意味が理解できなかった。
「じゃあ、開けてみるね」
そう言って鍵を差し込む前に、教頭は土本の顔を見て言った。
「あっ、はい、お願いします」
教頭は、この放送の件で、調査を担当しているのが土本達であることから、鍵を開ける前に土本に同意を求めたのだろう。片桐もここにいるのだが、彼女は生徒会長ではあっても、この件に限っては、ただ野次馬をしにきただけの一生徒に過ぎない、そう認識しているようだった。
放送室内は、前回入った時と配置は変わった様子はなく、ブラインドも少し開き気味になっているだけで、目立つような違いは無い。
そして、放送機器の電源ユニットと、放送アンプ、CDデッキは、電源が入ったままになっている。
デッキ前面の表示は、CDが中に入っていることを示している。
「CDが入ってますね。開けてみます」
北條は一応教頭に声を掛けて、教頭が頷くのを確認した上でCDトレイを開いた。
CDデッキから出てきたのは、白色のCD-Rであり、そこには「DJピンキー vol.3」と記載されている。
「こちらは生徒会で保管させていただきます」
北條が教頭に声を掛けると、教頭は了承した。
「うん、お願いね」
教頭からの了承を受けて、北條はそれを持参したケースに入れ、さらにチャック付きビニール袋に入れた。
その間土本は、窓の施錠と機器裏側の配線を確認していた。
窓は施錠されていて、外から侵入はできない。
機器裏側は、やはり「CDデッキ」と書かれたラベルの付いたコードが、今朝ビデオ映像で見た時と同じように、機器裏側の差込口に差し込まれている。
その機器は、放送アンプ。コードが差し込まれていたのは、「外部入力」と書かれた差込口。
ビデオ映像で見た通り、CDデッキから放送に流せるように配線を弄っている。
あのビデオに映っていた作業服の者が、1人で放送室に侵入し、機器を操作して放送を敢行した、と判断してよいだろうという確信を得た。
出入口付近に立っていた片桐は、部屋全体を見通せる場所に位置取って、何も言わずにそれらの様子を見ていた。
それはまるで、全体を把握しようとするかのように。または、現場の成り行きを監督するかのようにも見えた。
「こちらは確認すべきところはできたけど、そっちはどう?」
土本は、CDデッキ前にいる北條に声を掛けた。
「こちらも大丈夫です。CD-Rもいただきました」
「よし、じゃあ、そろそろ出よう。昼休みももうすぐ終わるし」
「そうですね、では、教頭先生、ありがとうございました」
「どういたしまして。で、これでもう犯人はわかったのかな?」
土本の顔を見ながらそう問われたので、土本が質問に答えた。
「まだはっきりしてません。今までの情報を整理して、犯人が分かったら、生徒会を通して報告します」
本当は今の時点で既に犯人が判明していたのだが、土本はそれを教頭には伝えなかった。
「そうなんだ。まあ、慌てなくていいけど、3学期は短いから、早めの報告をお願いね」
「分かりました」
土本と北條は、2人揃って丁寧に頭を下げた。
そうして出入口から近い方から順に、放送室から出て行った。最後に1番奥にいた土本が出て、ドアを閉めた後に、教頭が再び施錠した。
「ありがとうございました」
北條がそう言うと、教頭は笑顔で頷いた。
「じゃあ、調査の方、頑張って」
その声かけに頭を下げて応え、北條は放送室から教室に向かい歩いて行った。それに続いて帰ろうとした土本は、二、三歩踏み出したところで、後方に違和感を覚えて振り向いた。
そこでは、先ほどの笑顔が消えて真顔になった教頭が、片桐の顔を真っ直ぐに見ていた。
片桐の方も、赤いパーカーのポケットに手を入れたまま、直立して教頭の顔を見つめ返した。
「片桐さん、ちょっといいかな?」
「はい、なんでしょう」
それは「ガンをつけている」と表現した方が正確かもしれない。
生徒会長とは言え、一介の生徒が教師に物怖じすることなく、そして去勢を張ることもなく、堂々と一対一で対峙している。
「君は生徒会長だろう。個人の活動に一々口を出したくはないが、流石に最近の行動は看過できないよ。他の生徒の模範という自覚は持てないものかね?」
「何のことです?」
片桐の表情には余裕が見られる。おそらく何について言われているのかは気付いているのだろう。
「君のあの、内部生と外部生の垣根を払う、とかいうあれについてだよ。それは真っ当に活動するなら問題はない。しかし君は……」
「多少強めに言っているのは認めますよ。でもこの前も言った通り、脅しや暴力は使ってません。それにあたしらの言ってることは間違っていないと判断していただいてますし、問題ないでしょう?」
教頭が言い終わる前に、被せるように片桐が正当性を訴えた。その言い方は、以前にもこの説明をしているだろう、とでも言いたげな、若干うんざりしたような態度であった。
「一部生徒から報告が複数来ているよ。君の論が正しいかどうかは関係ない。1人を複数で囲んで威圧してまで、その論を押し通そうとするのが問題だと言ってるんだよ」
教頭の語気は次第に強くなっていく。
「はあ……わかりました。そういう、威圧と取られかねない手段は取らないよう気をつけますし、周りにも伝えておきます」
流石に引かざるを得ないと思ったか、片桐は素直に引き下がった。
「……そうしておいてくれ。こういう状況が続くようならば、君の処分も検討せざるを得ないからね」
「承知しました」
まだ腹の虫が治まらないといった表情で、教頭は大きめの足音を立てて早足で職員室へと戻って行った。
一方の片桐は、ため息を吐いてから、若干疲れの見える顔でゆっくりと廊下を歩き出した。そちらには、そこまでの言い合いを目の当たりにして呆気に取られた土本が立っていた。
土本の横を通り過ぎる2歩手前で立ち止まり、土本の顔を横目で見た。
「丁度よかった、土本。放課後、屋上に来い。新校舎の方な」
「えっ? は、はい」
それだけ言うと、片桐はそのままゆっくりめのペースで歩いていった。
その数メートル先には、やはり先ほどの教頭と片桐のやり取りを聞いて振り返り、そのまま動けなくなった北條がいた。
「気にするな。別に彼をシメようとかそういうんじゃない。個人的に話がしたいだけだ」
「……わかりました」
それだけ北條に伝えると、北條の横を通り過ぎて、新校舎の方へと立ち去った。
「あの……土本君? これは私も、付き添って行った方がいいでしょうか……」
只ならぬ事態に、北條は土本に近寄ってそう問いかけた。
「いや、大丈夫、大丈夫。話がしたいだけ、って会長も言ってたろ。何か人を挟みたくない話かもしれないし」
「ですが……」
「大丈夫だって。あっ、そうだ、会長との話、終わったら今後の話をするから、放課後、教室で待っててもらっていいか?」
「はい、わかりました……」
そうは言ったが、土本は明らかに動揺していた。声はうわずり、膝は震えている。北條が心配していたのは、それに気付いたからかも知れない。
しかし、そこまでの迫力と殺気を周りに振り撒いていたとしても、彼女は一応は生徒会長である。まさかいきなり手荒な真似はしないだろう。
教頭は、小太りの初老男性とは言え、身長は土本と同じくらいあり、手の拳は、おそらく空手または打撃系格闘技の心得があると思われる独特の形状をしていた。
普段はにこやかな顔をしていても、真顔になると目線は鋭い。
その教頭と向かい合って一歩も引かないどころか、同じく鋭い目線を返す片桐は、そこらの不良やチンピラなどとは比較にならない程の圧を纏っている。
それに呼び出しを掛けられれば、一応は腕に覚えのある土本と言えど、冷静ではいられない。
いや、完全に震え上がっていた。




