終章
暖かな春の日差しが、ヤマト城の中庭に降り注いでいる。
「アヤ様ぁ~。この『とまと』はどちらに植えるんでしたっけ~?」
澪が小さな緑色の苗を手に取りながら、畑の反対側にいるアヤに向かって叫んだ。
「ああ、それはね、そっち側から2番目の列にお願い」
「はーい」
澪はゴウヤと二人でトマトの苗を植え始めた。
「姫さん、『きゅうり』は植え終わったぜ~」
「ありがとう、東風。こら、焔! そんなところでサボんない! 働かざるもの、食うべからず!」
「へいへい。ったく、だりぃ…」
去年、アヤの実家から貰ったトマト、キュウリ、ナスの栽培が思ったよりも上手くいったため、今年は中庭の自家農園の規模を少し広くしてもらった。だが、庭の木々も今年は発育の勢いがいいために庭師はそちらの仕事が忙しく、畑の面倒はアヤが全面的に仕切ることになったのだ。もちろん、アヤ一人では無理なので、こうして助っ人を使っている。
澪はゴウヤと二人で楽しそうに苗を植え、畑を耕すのに労力を随分と使ってくれたスオウと陸は木陰で休憩中。ケイは苗の仕分けをしていて、東風は暇さえあればサボろうとする焔に手こずっていた。
「楽しい~」
アヤは空を見上げながら微笑んだ。
今日もヤマトは快晴。空には鳥が元気に飛び交い、庭には蝶が軽やかに舞っている。うららかで平和な春の一日である。こうして土をいじっていると、子供の頃に故郷で両親の畑仕事を手伝ったことを思い出して、懐かしいような、寂しいような、ちょっと複雑な気分になるのだけれど。
と、その時―
ズン!
地響きと共に、何やら不穏な音が聴こえ、庭の西側から煙が立ち昇るのが見えた。
「お、まーたやってるな」
東風が腹を抱えて笑い出した。
「あっちの方が退屈せずにすみそうだ…」
そう言って、焔が煙を見ながら欠伸をした。
「あっち、ねぇ…」
アヤは煙を見ながら溜息を付いた。
煙の出所は、間違いなく庭の西側にある龍穴だ。「龍の通り道」とも呼ばれる、天龍とアヤが初めて出会った場所だ。だが、煙を出しているのは天龍ではない。
アヤは木陰から少し出てきて西側の様子を伺っているスオウに声を掛けた。
「スオウ。悪いんだけど、向こうに行って全員無事か確認してきてくれる? ま、ラライがいるから大丈夫だと思うんだけど、念のため?」
「御意」
風のように走って行ったスオウと入れ違いに、天龍が城からやってきた。
「お、大分出来上がってきたみたいだねぇ」
「お陰様で…」
目を細めながら不機嫌そうに言うアヤに困ったような顔をしながら、天龍が尋ねた。
「アヤ。君、僕が手伝わなかったこと、やっぱり怒ってるんじゃない?」
「…別に?」
プイっとそっぽを向いてむくれるアヤを見ながら、天龍はクスクスと笑った。
「それにしても、さっきの爆発、またあいつらだろう? ったく、人の龍穴を何だと思ってるんだ」
天龍が腕組をしながら文句を言い始めた。
「あなたの所有物じゃないじゃない、あの龍穴」
アヤの言葉に、意外だと言う顔をしながら天龍が反論した。
「僕がずーっと住んでたんだから、僕のものだろう? それを、何だよ…」
「城の中であれをやられるより、よっぽどましでしょう?」
「まぁ、それはそうだけど…」
天龍はそれでも納得が行かないといった様子でブツブツ文句を言っている。まぁ、天龍の気持ちはわからなくもない。こうしてほぼ数日置きに、大きいものから小さいものまで様々な爆発を繰り返されるのはどうかと思う。
やがて、スオウがもう一人の男性と一緒に戻ってきた。
「アヤ様。全員無事の無事を確認いたしましたが、シンガ様が少し大きなヤケドをされていらっしゃいます。看ていただけないかと、ラライが」
「いつもお手数をお掛けして申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします、アヤ様」
シンガの従者、ラライが頭を下げた。
「わかったわ。今、行きます」
アヤは近くの水桶から柄杓で水をすくって手を洗うと、残りの作業を他の仲間に頼んでから、ラライのあとについて龍穴に向かった。
シンサイ国王直々の要望で、シンサイ国王子シンガとその従者ラライは、去年の秋からヤマト城に滞在している。目的は一つ。アヤが持つ向こうの世界の機械の情報と、それらをこちらの世界で造り上げることである。そのため、アヤは忙しい中頻繁に彼らに借り出され、図面のチェックや試作品のチェックなどに立ち会わされていた。シンガに言わせると、「実物を知っている人間が身近にいるのといないのでは研究の進み具合が全然違う」のだそうだが、機械にあまり詳しくないアヤが図面や試作品を見て「こんな感じ」とか「こうだったと思う」とか曖昧なことを言うだけなので、あまり意味が無いのではないかとアヤは常々思っているのだが。
最近では、彼らの研究に興味を示したヤマトやシンサイの技術者達が数名、シンガと一緒に研究を行なっている。彼らはシンガと共に龍穴で寝起きしていて、城内では「龍穴族」とあだ名されていた。
アヤが龍穴に到着すると、龍穴族は全員が外に避難して地面の上に座ったり横になったりしていて、アヤはその中にシンガの姿を見つけた。
「おお、アヤか。わざわざすまんな」
シンガは地面に横たわっていた。アヤはシンガの側に座ると、痛むところがどこかを尋ねた。
「うむ。腕を少し、ヤケドしてしまったようでの」
見ると、左腕の肘から先が赤くなり、所々ただれている。
「全然『少し』じゃないじゃない…。わかりました。いきますよ?」
アヤは軽く念じると、手に浮き出た白い光の粒をマッサージするようにシンガの左腕に軽く擦り付けた。
「おお、痛みが引いていくのぉ…」
気持ち良さそうに目を閉じるシンガの様子を見つつ、アヤは傷を癒やした。しばらくすると、シンガの腕はほとんど元通りに戻った。
「はい、終わり。気分はどう?」
「うむ。良好じゃ。いつもすまんの」
「いいえ。でも、いつも言ってるけど、あまり危険なことはしないでくださいね」
「う、うむ…。心配、してくれておるのか…?」
少し顔を赤らめながらそう尋ねるシンガに微笑むと、アヤは「それはそうでしょう? あんな爆発をほぼ毎日繰り返されてたら」と言って立ち上がった。
「あ、もう、戻るのか?」
シンガが名残惜しそうに言った。
「ええ。畑がまだ作業中なので」
「そうか…。残念じゃの。では、夕食で会おうぞ」
シンガの言葉に、アヤは少し驚いた。
「あら、今日は城にお戻りですか?」
シンガが龍穴から出て城の客間に戻ることはあまりない。
「うむ。今日はもう、これではここで作業が出来ん」
シンガはまだ煙が薄く立ち昇る龍穴の入り口を眺めながら言った。
「ああ、なるほどね…」
アヤは頷くと「では、夕食で」と言うと畑へと戻って行った。
アヤの夕食はいつも賑やかだ。いつも、余程の用事が無い限りは仲間達が全員集まり、それに加えてハヤト王やババ様、サガミも加わる。時折、祭祀省長官のワダチや近衛隊隊長のカイトまで加わることがあって、それもなかなか楽しい。アヤは大勢でワイワイと食べる食卓が大好きだ。
今日はいつものメンバーに加えてシンガとラライが加わり、意外なことに機械類が好きだと言うことが発覚したカイトが加わり、シンガと二人でシンガが現在開発中のエンジンについて話し合っていた。
食事が終わり、食後のお茶と言う段階に入り、天龍が給仕を担当しているリンとサキに何やら合図を送った。
フッと明かりが消え、部屋の中が真っ暗になった。
「えっ? 何?」
アヤが辺りをキョロキョロと見回していると、扉の辺りに光が見えた。ロウソクの光。それも、たくさんのロウソクの光がこちらに向かってくる。
「アヤ、お誕生日、おめでとう!」
「え、えええ?」
よく見ると、ロウソクの光はリンが持っているケーキの上に刺さっている。
「えっ。何これ。普通のバースデー・ケーキ? どうして?」
この世界には、ケーキは無いはずだ。以前、ミトが言っていた。この世界にはクリームが無いと。
「ミト様からいただいた『けえき』の本を見ながら作ってみたんですが…。一応、試作を繰り返したので、味は大丈夫だと思うのですが、あちらの世界とは若干異なるかも知れません…」
リンがそう言いながら、恐る恐るケーキの皿をアヤの前に置いた。アヤは目の前のケーキに感動しながら言った。
「すごいよ、リンちゃん…。これ、本当に向こうのケーキみたい…。大変だったでしょう? ありがとう…」
「それで、向こうでは歌を唄うんだろう? アヤ、一回歌って。そうしたら僕らは歌えるから」
天龍の言葉に頷きながら四龍達がアヤの周りに集まった。
「うん。あのね、『ハッピーバースディ、トゥーユー』…」
アヤが一度歌って聞かせると、本当に龍達は歌の歌詞とメロディーを覚えてしまったようだった。
「それじゃ、歌うよ。サン、ハイ! 『はっぴーばーすでぃ、とぅーゆー』…」
彼らの歌う歌を聴きながら、アヤは涙が止まらなかった。
去年の今日、スオウとケイはババ様の導きで門を通り、アヤを探して向こうの世界にやって来た。そこから、アヤの新しい人生が始まった。
去年の今頃は、今の自分の生活なんてこれっぽっちも予想していなかった。
(人生って、本当に何が起こるかわからない…。まさか私が異世界の国のお姫様だなんてね。最後に向こうで見た映画のパクリでもあるまいし…)
アヤが感慨にふけっていると、歌を歌い終わった天龍がアヤの耳元で囁いた。
「ほら、ロウソクを吹き消して」
「もう。どこで覚えてきたのよ。あっち流の誕生日の祝い方なんて」
「僕は天龍だからね。それくらいはお見通し…って言いたいところだけど。後で種明かししてあげるよ」
薄明かりの中でニヤリと微笑む天龍を見ながら、アヤは微笑んだ。
「本当? 絶対だからね」
「ああ。約束するよ。ほら、願い事して吹き消すんだろう?」
「うん」
アヤは瞳を閉じて、祈った。
(皆と共に、この国をしっかり支えていけますように…)
フウッ。
アヤがロウソクを吹き消すと、周りから拍手が起こった。
「お誕生日おめでとうございま~す」
「おめでとう、姫さん!」
やがて、部屋の明かりが再び灯された。
「ええっ?」
驚くことに、アヤの目の前には、アヤの向こうの世界での両親であるミトと五郎が微笑みながら立っていた。
「ま、幻…?」
目を丸くしながら驚くアヤに、ミトが「お化けじゃないわよ、本物よぉ~」と言って笑う。
「お前への誕生日の贈り物に何がいいかと考えたんじゃが、これが一番だと皆が言うのでな」
ハヤトの言葉に、ババ様が頷いた。
「この後は、久しぶりに親子水入らずで過ごすとええじゃろ」
皆の笑顔が、アヤの視界の中で徐々にぼやけていく。
「みんな、ありがとう。本当に、最高の誕生日を、どうもありがとう!」
その夜、アヤはミトと五郎に披露目の儀の後に起こった色々な出来事を話して聞かせた。一通りの話が終わると、ミトと五郎は満足そうに頷いた。
「いい経験をしているのね、綾。私たちは嬉しいわ」
「ねぇ、お父さん達、今日は泊まっていけるの?」
アヤの問に、二人は残念そうに首を横に振った。
「うちも今、種まきとかで忙しくてね…。今日は泊まらずにすぐに帰らなくちゃいけないの」
「そっか…」
アヤが残念そうに俯いた時、扉をノックする音が聴こえた。
「アヤ様。ケイです。御両親をお迎えに上がりましたが、よろしいでしょうか?」
「ええっ。もうそんな時間?」
「はい。御夫妻に指定いただいた時間を、先ほど回りました」
「…わかった。入って」
入室してきたケイの後ろに、天龍もいた。
「あれ? いたの?」
「『いたの?』はひどいなぁ…。せっかく、約束してた種明かしをしに来たのに」
アヤは天龍に言われるまで、すっかりそのことを忘れていた。
「あ、ごめん。で、どうやったの?」
天龍は自慢気に話し始めた。
「答えは簡単。君のお陰で、今の僕は門を使わずに術式だけで向こうの世界に飛べるんだ。だから、何度か向こうに行って、ミトと五郎に会って、向こう式の誕生日や結婚の仕方を学んでたってわけ」
「ちょっと待ってよ。誕生日はともかくとして、結婚ってどういう意味よ?」
「向こうの式のやり方とか、結婚に対する考え方とか、ま、色々とね。後学のために」
「それがいつか役に立つといいわね…」
アヤがぶっきらぼうにそう言ったのを聞きつけて、ミトが言った。
「あらぁ、白無垢なら、おばあちゃんのが残ってるから、いつでも取りにいらっしゃいねぇ~」
その言葉に、天龍は大喜びだ。
「本当? それは是非! いやぁ、助かるなぁ…」
「お母さん! 天龍を増長させるようなこと言わないでよ!」
「そうだぞ、お前。アヤにはまだ早い!」
五郎の言葉に、アヤはそうだと頷き、天龍はガックリと項垂れた。二人の様子に微笑みながら、ミトは椅子から立ち上がった。
「じゃ、私たちはこれで。綾、またね」
「うん。元気でね? また、来年も来てね?」
「呼んで頂けるのなら、必ず」
「おう。お前も、身体には気をつけてな」
「ありがとう、お父さん、お母さん」
ミトと五郎は微笑みながら頷くと、ケイに引率されながらアヤの部屋を去っていった。
「…寂しい?」
ミトと五郎が去った後、天龍が扉の方を向いたままのアヤに尋ねた。
「ううん。去年よりは、寂しさをそれほど感じない。多分、慣れたのね」
「彼らは少し寂しそうだったよ?」
「うん。わかってる。でも―」
アヤは天龍に向かって微笑んだ。
「私は、ここで生きていくって決めたし、お父さん達もそれをよくわかってくれてるから。だから、大丈夫」
天龍は黙ってアヤを優しく抱き寄せてくれる。
「君の風の、赴くままに。僕らはどこまでも、君の風に導かれていこう」
「うん…。ありがとう、司」
海からの湿った風が心地よく部屋の中に横切る。
穏やかな風はヤマトの草原を渡り、雲を運び、雨を呼び、この地を潤していく。
楽になってきた暮らしを喜びながら、ヤマトの人々は口々に「ヤマトに龍と精霊の娘の加護ありき」と歌う。
しかし、これはまだ、アヤの長い旅の始まり―
あとがきです。
やっと、何とか書き終えることが出来ました。今まで読んでくださった方々、ありがとうございます!
個人的にこの作品の登場人物たちが大好きです。そんなわけで、「外伝」とかも書いちゃいました。そちらもよろしくお願いいたします。
時系列的には、本編よりも前の話となっております。
本編、外伝共に御意見、御要望等ございましたら、ガシガシお寄せ下さい。いただいたコメントは全て真摯に受け止めております。背筋がピシっと伸びる感じです。いや、お尻に蹴り。もしくは背中に鞭…?
現在、外伝でババ様のお話を書いてます。書いてますが、いつ脱稿できるのだろう…。うーむ。
それでは、皆さんにヤマト国の祝福を♪