エピローグ「初歓喜地」
(一)
斯くして、メーソンの野望は潰えた。
グレートロッジの戦闘員と学生兵士達は皆検挙された。彼等の多くは洗脳されていたが、適切な治療を受けることになり、やがての社会復帰が見込まれた。
栄山猛はじめ、特殊災害警備隊の面々は、本部に帰還し、その復旧に精を出していた。そこには閨川守の姿もあった。
学生服姿の面々が、本部に現れた。出迎えた栄山に、彼等は「学生捜査課」と名乗った。
「この度は、我が同胞がご迷惑をお掛けしました」
閨川は学生捜査官達に混じると、栄山に向き直った。
「栄山警視、あなたには世話になった。ありがとう」
閨川は頭を垂れると、踵を返した。
「行くのは少し待ってくれないか。話がある。」
栄山は閨川を引き止めた。そして、学生捜査官達に向かって言った。
「折角来てもらって恐縮だが、閨川君は後から私が送って行きたい」
「いいでしょう」
学生捜査官達は、去って行った。
栄山は、隊員のなるべく少ない場所を選んで、閨川に席を勧めた。
「君さえ良ければ、で良いんだが」
栄山は前置きを入れた。
「もし良ければ、特殊災害警備隊に入らないか」
閨川は暫しの絶句の後、答えた。
「私の専門は、学校への潜入だ」
「だが、学校という場所では怪奇現象がよく起こると聞く。それに携わったことは?」
「何度かはある」
「それに、君はメーソンにいたのだから、まんざら怪奇現象に暗い訳ではないだろう」
閨川は考え込んだ。
栄山は話題を変えた。
「ところで、我々が倒したのは、『日本支部の基地』じゃなかった。あれは本部だった」
「私もそう思う。しかし、メーソンの建前の本部はイギリスだし、起源は中東だと言われている。なぜ関係のない日本支部が力を持つようになったのだろう」
「これは憶測だが、メーソンは過去にも一度、日本が原因で世界征服に失敗したんじゃないか。そこで、日本に侵略の拠点を置いたんだ」
「だが、なぜ日本が障害になったんだ?」
「憶測の上に憶測を重ねるようだが、神道と関係があるんじゃないか」
「『菊』か」
「いや、もっと原始的な民間信仰だ。そこに、メーソンの魔導技術に対抗するものがあったのかもしれない。そこで、メーソン日本支部は時の朝廷と癒着し、民族宗教を、皇室神道に作り変えたんじゃないか」
「警視、あまり滅多なことは言わない方がいい」
閨川がたなごころを見せて制止した。
栄山は話の筋を戻す。
「とにかく、メーソンは滅んだと見て良いだろう。だが、問題はまだ残っている。あれだけの巨大組織となれば、残党だけで凄まじい規模だろう。それに、ウォンタナ教とも戦わねばならない。奴等が本当に毒ガス・テロに関与していなかったのかどうかも、断定はできん。そこで、だ」
栄山は、閨川をしっかりと見据えて、言った。
「『毒をもって』ではないが、メーソン由来の超能力で、君に彼奴等を倒して欲しいのだ」
「ありがたいが、あなたの力があれば十分だと私は思う」
栄山は無言で閨川の目を見据える。やがて閨川は栄山の心中を察すると、驚いた。
「警視、まさか」
栄山は立ち上がった。
「皆、聴いてくれ」
警備隊員は復旧作業の手を止め、栄山に向いた。
「メーソン事件は、諸君が最後まで誇りを持って戦ってくれたお陰で解決できた。ご苦労だった」
一同が拍手をする。
「また諸君の指揮を執れて、光栄だった。今まで私に付いて来てくれて、ありがとう」
隊員の間に、ざわめきが広がった。
「私は正式に、特殊災害警備隊の隊長を辞任する」
副長の女が前に出た。
「なぜです」
「海上保安庁の、怪獣退治の部隊に転職しようと思うのだ」
「しかし、怪獣に対抗できるのは、隊長、あなただけです」
「そのことなら、心配するな」
栄山は閨川の背中を押した。
「彼が怪獣を退治する」
「我々には栄山隊長が必要なんです」
栄山は副長に微笑みかけた。
「私がいない間、君は隊長としてよくやってくれたじゃないか」
隊員達の中から、歔欷が漏れ出た。
「隊長、今まで、ありがとうございました」
「隊長、僕は貴方に出会って、人生が変わりました」
「隊長、私は貴方のことを一生忘れません」
「隊長、どうかお元気で」
栄山の頬にも、涙が伝った。彼はこれを拭うと、副長の肩に手を置いて言った。
「警備隊を頼んだぞ。それと、閨川を鍛えてやってくれ」
副長も涙を拭い、はい、と力強く返答した。
そのとき、栄山に急な報せが入った。それは、栄山にとって大いに喜ばしいものだった。栄山達がメーソンと戦っている頃に、産院で、栄山の息子が誕生していたというのだ。
(二)
栄山は、妻・由梨の病室に辿り着いた。
微笑む由梨は、栄山に泣く赤ん坊の姿を見せた。
栄山は由梨から赤ん坊を渡されると、笑顔で彼を抱いた。赤ん坊は、栄山に抱かれた途端に泣き止んだ。
「私が父だと解るみたいだな」
「当たり前よ」
二人は笑い合った。
「隠れてないで、入って来い」
栄山に呼ばれて、閨川が入室した。
「その方は?」
「私が呼んだんだ。警備隊での、私の後継者だ」
「と言うことは、警備隊は辞めるのね。少し寂しいわ」
閨川は決まりが悪そうにしている。
「この場に私は相応しくない」
「アラ、夫の後継者ですもの。息子みたいなものよ。貴方にも祝って頂きたいわ」
閨川は微笑を浮かべた。
「名前は何だい?産まれたら教えてくれる約束だ」
由梨の唇が、赤ん坊の名を告げる。
「『イチロウ』よ」
栄山はにっこりと笑った。
「『あいつ』と同じ名だ」
件の「あいつ」が、花束を持って病室に現れた。
「親父さん、おでめとう」
勿論、麻咲イチロウである。
麻咲は、例の、病室内の奇妙な階段を一瞥すると、「おかしな間取りだなあ」と感心したように言った。
栄山が麻咲に歩み寄った。
「驚くなよ。妻が付けた息子の名が、奇遇にも『イチロウ』なんだ」
それを聞いて、麻咲が一瞬言葉を詰まらせた。麻咲の驚き方に、栄山は怪訝さを感じた。
「どうした?喜んでくれないのかい?」
栄山に言われて、麻咲は微笑を作った。
「『栄山イチロウ』か。やはりな」
麻咲は呟いた。
栄山は愈々、微笑を失い、怪訝を表情に露呈させた。
「そう言えば、お前は妻が妊娠していることも知っていたな。報せてもいないのに」
「分かった。説明しよう」
閨川は踵を返した。
「私は外した方が良さそうだな」
そう言って出て行こうとした彼に、麻咲は、
「折角だから君にも話そう。何かの縁だろう」
と言った。
栄山、由梨、赤ん坊イチロウ、閨川の四人の前で、麻咲が説明を始めた。
「突然だが、『時間旅行』はあると思うか」
「過去か?それとも、未来か?」
「過去の方だ」
「それは不可能だ」
栄山は断言した。
「何かが『存在する』と言うことは、『時間の流れに含まれる』と言うことだ。『時間を遡る』ということは、そもそも『存在』の定義に反している」
「それなら、一つのものが、同時に複数の『存在』に属しているとしたら?」
麻咲はそう声を低めて言った。
「お前が言いたいのは、『シュレディンガーの猫』の比喩か?」
「確率論の話じゃなくて、複数の『存在』が、それぞれ独立した時間の流れに含まれているということだ」
「所謂『パラレルワールド』だな。分かってきたぞ。過去に遡るということは、つまり『現在の自分が存在するという点でのみ通常と異なるパラレルワールドに移る』ことだと言いたいんだな」
「そうだ。加えて言うと、『遡った分だけ時間がずれたパラレルワールド』だな」
「お前の宇宙論は解ったが、それと私の妻子と、どんな関係があるんだ?」
暫しの沈黙の後、麻咲は説明を再開した。
「俺は京都で、未来人と会った」
栄山と由梨は顔を見合わせた。閨川も驚く。
「信じられないわ」と由梨。
麻咲がポケットから何かを取り出した。
「これを見てくれ」
それはかまぼこ板のようなものだった。麻咲の指がその表面に触れると、瞬時に液晶画面に変じた。そして、指でなぞる度に、画面が変わった。それをみて一同は驚いた。
「未来人が持っていた。西暦二〇三一年の携帯電話だそうだ」
「信じ難いが、明らかにこの時代の技術じゃないな」
栄山は一度手に取った未来の電話を、麻咲に返した。
「それで、その未来人は元の時代に帰ったのか?」
「いや、残念ながら・・・」
麻咲の沈黙が、その未来人の死を語った。
麻咲は、赤ん坊イチロウを指して言った。
「その未来人は、その子のことを知っていた。『栄山イチロウ』と聞いて、もしやと思ったんだ」
「成程」
栄山は漸く合点した。
「ネエ、未来の世界で、この子はどんな人になるの?」
由梨が訊いた。
「俺と同じ『竜血旋士』だそうだ。加えて、学生刑事だと言っていた」
麻咲は未来の電話を見た。画面が黒くなり、いくら触っても応答しなかった。
「電池が切れたな」
「充電できないのか?」
「充電の端子は、『USBエックス』だそうだ。この時代にあるか?」
栄山は呆れた顔だ。
これで、未来の世界との最後の繋がりが切れたのだった。
麻咲は改まった態度で、由梨に言った。
「未来の世界でその子は、もう死んでいたそうだ」
由梨は、衝撃のあまり、言葉を失った。
「オイ、イチロウ。何を言うんだ!」
栄山が声を荒げた。
「いや、聞いてくれ。未来人の話によると、未来の世界に俺はいなかったそうなんだ。つまり、俺が生まれたのは『歴史が変わった影響』だという訳だ」
驚く三人に、麻咲が言葉を続ける。
「その子は、確かに栄山イチロウだ。未来の世界で、大活躍した英雄だそうだ。だが、それはそのままその子の未来じゃない。その子にはその子の未来がある。だから、その子が死ぬとは限らない」
「本当か?」
「ああ。いなかった筈の男が言うんだから間違いない」
栄山と由梨は安堵した。
麻咲は尚も話し続ける。
「だから、二人とも、未来の世界など気にせず、その子にはその子として接してやって欲しい。歴史は変わり始めたんだ」
そのとき、栄山が、あることに気付いた。赤ん坊イチロウが、麻咲をじっと凝視しているのだ。
由梨もそのことに気付き、
「抱いてやって下さる?イチロウ同士」
と言った。
麻咲の腕の中に、首も座らぬ、生まれたての栄山イチロウが収まった。
赤ん坊の目は、麻咲をじっと見つめたままだ。麻咲も、見つめ返す。麻咲は思った。この子の目を見ていると、合わせ鏡を見つめているようだ、と。
身体が宙に浮き、飲み込まれてゆくような感覚に包まれるのだ。その赤ん坊もまた、麻咲の目に同じことを感じたのかどうか、知る術はなかった。
どれだけの間、二人は見つめ合っていただろうか。
「もういいだろう?」
栄山が笑いながら、麻咲から赤ん坊を受け取り、由梨に渡した。
そのとき、看護師が入ってきた。
「アラ、皆さんご一緒で。すみません、産湯に使ったたらいを、そのまま置き忘れてまして」
なるほど、確かに病室の隅に金属製の大きなたらいが転がっていた。
「変わった産湯たらいですね」と栄山。
「タイミング悪く、産湯用のたらいが壊れてしまっていて、仕方なくこれを代用したんです」
看護師は申し訳なさそうに言うと、それを持って、例の奇妙な階段を上って行った。
栄山は、その階段の横に、閨川が何かを考え込んでいるような表情でもたれかかっていることに気付いた。
「どうしたんだ?浮かない顔をして」
「私は、警備隊でうまくやっていけるだろうか」
「閨川。君ならできるさ」
「学生捜査課にせよ、メーソンにせよ、私はアイデンティティーを組織に託してきた。そして、そのことに安住してきた。だが、それでは真に信念のある仕事が出来ないんじゃないか、と思ってね」
栄山は何も言わなかった。彼もまた、そのことを懸念していたのだ。だがこれは、閨川が自力で解決するしかないのだった。
そのときだった。
閨川の視界が一瞬「飛んだ」のだ。
白一色でもなく、黒一色でもなく、無でもない。
視界が「飛んだ」のだ。
視界だけではない。
閨川守の持つ、あらゆる感覚が、一瞬のうちに「飛んだ」のだ。
音も、香りも、味も、感触も、現実感も、記憶さえも。
やがて、少しずつ感覚が戻ってくると、彼の前に、栄山と麻咲の姿が見えた。
二人が何かを言っているのが分かる。やがて、その意味も理解できた。大丈夫か、と言っているのだ。
まだ、状況が飲み込めない。
聴覚に、大きな音が残っていることに気付いた。そして、何かが頭に当たったことを思い出した。
彼の目が、看護師の姿を捉えた。
看護師は閨川に、しきりに謝罪している。看護師の手に、たらいが握られていることに気付いた。
やっと事態が飲み込めた。看護師が手を滑らせて、閨川の頭上にたらいを落としたのだ。
赤ん坊の泣き声が聞こえる。たらいが落ちた音に驚いたのだろう。産まれたての初々しい泣き声に、生命力が感じられた。考えるより先に、彼の全身がそれを感じたのだ。
次に、視界が、麻咲に移った。
時間旅行という、通常ではありえない現象が生んだ男。しかし、それは幻などでなく、確かにそこにいるのだ。
閨川は、麻咲の胸にしがみついた。手で触れて感じたかったのだ。麻咲が、今ここに「いる」ということを。閨川の視界は、溢れ出た涙に覆われた。ただ、「いる」ということが、斯くも美しく、愛おしく、喜ばしく感じられたことは未だなかった。
麻咲の手が、閨川を軽く抱いた。閨川は麻咲の胸に縋って泣いた。近くにいる本物の赤ん坊よりも赤ん坊らしく、泣いた。
閨川を胸に抱いた麻咲に、栄山は頷いて見せた。懸念の雲は晴れ渡り、陽光が迸ったのだった。
(三)
数日後の夕刻、港で栄山の出立を見送る警備隊員達の姿があった。その中には、麻咲の姿もあった。栄山は、一人ひとりと握手を交わした後、麻咲に言った。
「私は君の同類ではなくなってしまった。それでも・・・」
麻咲は微笑んだ。
「これからも、親父さんは俺の兄貴分だ。あんたが潜水艦隊に入るのは、親の期待に応えるためじゃない。親父さん自身の意志だろう?」
栄山は麻咲とも握手を交わした。
そして次に、閨川の肩を叩いた。
「頑張れよ」
栄山は最後に、副長に別れを告げた。
「副長、いや隊長。後を頼んだぞ」
副長改め新隊長は敬礼した。栄山は返礼し、やがて踵を返すと、海に向かって歩き出した。
新隊長は、隊長、と叫んだ。それに続いて、警備隊員が口々に彼を呼んだ。栄山は振り向かずに手を振ったのだった。
やがて、栄山の姿は見えなくなった。
「行ってしまわれた・・・」
隊員の一人がしみじみと言った。
「私達も行きましょう。次の事件が待ってるわ」
新隊長が言った。
警備隊員達は本部に向かって歩き出した。
閨川は、一人残り、麻咲に歩み寄った。
「麻咲さん、この間は見苦しいところを見せたな」
そう照れ臭そうに言う彼に、麻咲は微笑みかけた。
「いささか、くすぐったかったが」
二人は軽く笑い合った。
「君なら、栄山の親父さんの良い跡継ぎになる」
「ありがとう」
閨川は微笑を投げかけた。
「あなたは、これからどうする?」
「え?」
「私も、栄山さんも、新しい門出を迎えた。あなたは、これからどうするんだ?」
麻咲は、思いがけず自分のことを訊かれて、少し面食らった。
「俺は、今まで通り怪奇現象を追うよ。それに、メーソンの残党も追おうと思う」
「なんだ。私と同じじゃないか」
麻咲はまたも面食らった。
「言われてみればそうだな」
「ちょくちょく、顔を合わせることになるだろうな。そのときは、宜しく頼む」
二人は固い握手を交わした。
閨川は、去り行く警備隊員達の中に戻っていった。彼らの姿は、やがて斜陽に吸い込まれていった。
一人残された麻咲イチロウは、夕日に照らされ、全身朱赤に染まりながら、去り行く潜水艦の影を眺めていた。やがて潜水艦が海底に沈み、見えなくなっても、彼はいつまでも水平線に臨んでいた。彼はその心中を、黙して語らなかった。
陽が沈み行くにつれ、パステルカラーの水平線の片端から、空に夜が染み渡る。そして空が夜に覆い尽くされたとき、麻咲の姿はもう既になかった。
彼はどこへ行ったのか。我等がペンスピナーは今、どこで何をしているのか。読者諸兄のこの問いに、筆者は回答を詳らかたらしめ得ない。
しかし、これだけは確かである。彼は今もどこかで、ペンを回して、人々の恐怖を打ち砕き、希望を与えているのだ。
次にペンスピナーに救われるのは、あなたかもしれない。
ペンスピナー 麻咲イチロウの事件簿 メーソンの野望編 完
2014/11/30 第一幕 起筆
2015/01/18エピローグ起筆
2023春 文章手直し(セリフ以外)