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 第三幕 「グレートロッジの最終決戦」

  (一)



 東京郊外の、古くから続く農作地帯。

 その美しい風景の調和を見事に破壊する教会のような建物。それが「幸運の哲学高校」である。


 西暦二〇〇六年六月初頭某日の明け方。

「幸運の哲学高校」の裏山に続く通路に向かって、歩いてくる人影が三つ。

 中央の、ひときわ大きな影は、スキンヘッドの中年男である。その脇侍の二人は、共に青年であり、より若い方は長髪、年上の方は朱色のスカーフを巻いている。



「特殊災害警備隊の黒狼、栄山(さかえやま)(たけし)!」

 と中年男。

「東京の若虎、閨川(ねやがわ)(まもる)!」

 と長髪青年。

「魔を裂く朱赤の竜、竜血旋士(りゅうけつせんし)麻咲(まさき)イチロウ!」

 と朱色のスカーフ。


 三人の目前に、幾十人もの学生が立ちはだかった。

「戦闘員には見えんな」と麻咲。

「部下がバリアーを張っているから援軍は呼べない筈だ」と栄山。

「あれは学生兵士だ」と閨川。

「学生兵士?」

「『幸運の哲学高校』の正体は、メーソン戦闘員の養成所なのだ」

 学生兵士の代表が前に出る。

「閨川教官。貴方と戦うことになるとは思いませんでしたよ」

「裏切ったのはメーソンの方だ」

「何であれ、組織の誇りを捨てた貴方を倒すのが、我々の使命です」


 代表が号令を出すと、学生兵士が一斉に走り迫ってきた。

「超能力はないが、腕利きだ。気をつけろ!」

 閨川は矢継ぎ早に迫り来る敵の攻撃を鮮やかに交わしつつ、一人ひとり正確に攻撃を加え、失神せしめてゆく。

 栄山は咆哮を上げ、行く手を阻む敵を荒々しく投げ飛ばしながら、裏山を目指して突き進む。

 先に進むにつれ、現れる学生兵士の身のこなしが洗練されてゆき、しまいには武器を持った者まで現れ始めた。

 麻咲のペンは彼の右手の上を回り、迫り来る敵の武器を次々に払い落とす。彼の左側から、敵の棍棒が迫る。その刹那、麻咲のペンは彼の右手から跳ね出て、彼の背後を通って棍棒を払い落とした。麻咲は前からの攻撃を避けると同時に振り向き、ペンを再び掴むと、力強く回し出し、周囲の敵を一気に吹き飛ばした。

 栄山は素手で敵の武器を払い落とし、敵を殴り倒す。そして背後から迫り来る敵に、振り向き様に回し蹴りを加えた。そのとき、彼の首筋に、別の敵のナイフが迫った。

 栄山は肝を冷やした。もはや身を翻しても間に合うまい。

「危ない!」

 と声が響くと同時に、突風がナイフをその操縦者もろとも吹き飛ばした。閨川の呼んだ突風が栄山を助けたのだ。

「借りは返したぞ」

 閨川が微笑みを投げかけ、栄山もニヤリとした。


 三人が裏山への通路に到達したとき、彼らの背後に気絶させられた多数の学生兵士が横たわっていた。



  (二)



 裏山の木々を潜り抜けた先に、煉瓦造りの古風な洋館が姿を現した。

「なんだこりゃ。時代錯誤もいいところだ」と麻咲。

 これこそは怨敵、征服結社メーソンの秘密基地、グレートロッジである。


 三人が突入すると、そこは広間だった。

 何処からともなく、声が響き渡る。

「イチロウよ、イチロウ」

 麻咲は辺りを見渡しつつ返す。

「誰だ。俺をファースト・ネイムで呼ぶのは栄山の親父さんだけのはずだが?」

 三人の目前に、フッと煙のように人影が現れた。

 最初、人影は靄が掛かったようであったが、やがて鮮明になった。

 体格は栄山よりも尚、筋骨隆々であり、頬には傷がある。眉は力強く釣り上がり、鷲鼻が一際目を引く。服装は、黒の上下に、浅葱色一色のコートを羽織った、非常に風変わりなものだ。それを見て、麻咲の表情が一気に引き攣った。

「おやじ」

 栄山も驚く。

「確か君のご尊父は、故人じゃなかったか」

「その筈だ」

 浅葱色のコートの男は、表情を引き締めて言い放った。

「如何にも儂は、父本人ではない。メーソンとやらの妖術で、お前の思念から生み出された幻だ」

「俺達を足止めするためにか」

「そうだ。だが、死びとの儂にとってはメーソンなどどうでもよい。儂の目的はイチロウ、お前と決着をつけることだ。あとの二人に用はない。奥に進むがいい」

 栄山と閨川は先を急ぐことにした。

「必ず後から追って来い」

 栄山は釘を刺した。



「イチロウ、なぜ家を裏切った」

「魔獣のみならず、幅広く『怪奇現象』を狩るためだ」

「そのために、麻咲家の伝統を絶やしたのだぞ」

「伝統は、弟子の相浜(あいはま)清牙(せいが)が継いだはずだ」

「だが血筋は絶えた。お前の身勝手のために」

「俺は意志を貫いた。それだけだ」

 二人は睨み合った。

「平行線だな。武道ペン回しとやらでかかって来るが良い。儂は家伝の剣で相手になろう」

 父は浅葱色の小太刀を構えた。


 麻咲の手からペンが放たれた。父の剣が、回るペンを打ち払った。

 麻咲の手にペンが戻る。

「ホウ、この剣でも斬れんとは、さすがに唯のペンではないのう。面白い」

 そう言うと父は、「デエイ」と掛声勇ましく、踏み込まずに剣を一気に振るった。

「居合い」であった。

 剣の切れ味に負けず劣らぬ鋭さを具えた疾風が麻咲に迫った。麻咲が身を庇った隙に、間合いは一気に詰められ、父の剣が麻咲に迫った。しかし麻咲のペンは同時に刀身を防ぎ、ペンと剣が鎬を削り合った。

「おやじ、なぜ相浜の腕を認めてやらなかった」

「何だと?」

「相浜から聞いた。彼がどれだけ苦しんだか、おやじは知らないだろう」

 麻咲がそう言ったとき、父の膝が麻咲を蹴飛ばした。吹き飛ばされた麻咲が顔を上げると、彼は父の顔に驚かされた。その恐ろしげな風体におよそ似つかわしからぬ悲壮に満ちた面持ちを呈していたのだ。

「儂はお前に家を継いで欲しかったのだ!愛するお前に!」

 見る者の同情を呼ぼう、如何にも哀れなものである。そこにあったのは、百戦錬磨の剣豪の雄姿などではなく、子煩悩に溺れる、一人の父親の姿だった。


 やがて立ち上がった麻咲は、しかし厳しい表情を変えなかった。それは精悍と言うより、寧ろ冷然たるものだった。

「相浜の剣の腕は、あんたの跡継ぎとして、満足に暇のないものだ」

「それでもだ。イチロウ、お前に比べれば見劣りした!」

 父の叫びは、慟哭の如く。

 父は剣を構えると、再び麻咲に飛び掛った。麻咲はペンを回さず、逆手に握り締め、父の刀身を食い止めた。

「それは親の欲目だ。はっきり言って、俺には何の才能もなかった。ただ怪奇現象を倒したい一心で、剣の修行に励んでいただけだ。剣だろうがペン回しだろうが、俺には関係ない!」

 平生は高慢に振舞う麻咲の、これが本音であった。

 そしてペンが剣を、恐ろしい力で撥ね上げる。息子の思わぬ底力に、父は地に叩きつけられた。

「俺に対するあんたの身勝手な愛が、相浜を何年間も苦しめたんだ。あんたのことを心から慕っていた相浜を。これが我執でなくてなんだ!」


 麻咲は深く、長い息を吐き出すと、表情を更に堅く引き締めた。

「弟子の心を蔑ろにしたあんたの因果を断ち切る」

 麻咲は肘を後ろに引き、ペンを耳の後ろに構えた。父は涙を流しつつ剣を握り締め、叫び声と共に、麻咲に斬りかかった。

「必殺、武道ペン回し!」

 麻咲の手からペンが弾き出され、宙を舞いながらつむじ風を為した。つむじ風は竜巻となり、父に打ち込まれた。

 父の幻影は、束縛から解放され、やがて光になって天へと昇った。その顔は優しげに見えた。父は最後に、息子に目指されたものの何たるかを知ったのかもしれない。


 麻咲はペンが握られた手を暫く見つめていた。彼はその気性に似合わぬ深刻な表情を浮かべると、ペンを握り締めた拳を震わせた。

 彼の秘められた感情が、その片鱗を露呈した瞬間であった。



  (三)



 その頃、栄山と閨川は、戦闘員の攻撃を掻い潜り、敵の潜む部屋に辿り着いた。二人が体当たりでドアを壊すと、中には尾根(おね)ミヤマと警察署長が見苦しくうろたえる姿があった。

「署長と尾根。お前達の悪事は調べ上げられている。観念するんだな」

 栄山の声が響いた。

「何を言う!貴様ごときに、メーソンの我々が起訴できるものか!」

「起訴できないというのなら、私が倒す」

 栄山は攻撃の構えをとった。

「野蛮人め!貴様も殺人罪に問われるぞ!」

「抜かせ!お前達は、その法律を捻じ曲げることで、法律によって守られる権利を自ら放棄したんだ!」

「エエイ、黙れ、黙れ!法律などなくとも、我々には組織と言う後ろ盾がある!」

「その組織を、今日ここで潰す」

 斯く言って栄山が歩み出ようとした、そのときだった。

 部屋の奥から突如、煙が立ち込めたのだ。そして、天井の一部が、エレヴェーターのように降りてきた。

 尾根ミヤマと署長は、それに向かってサッと肩膝を付いた。

 天井の一部は玉座になっており、やがて床に着地した。

 玉座に座っているのは、襟の立ったマントを羽織った、軍服姿の大男である。

「ワッハッハ。ここまで辿り着くとは、蛆虫にしては上出来だ。褒めて進ぜる」

「大幹部様」

 署長と尾根は肩膝を付いた。

 大幹部はゆっくりと立ち上がると、閨川に顔を向けた。

「折角くれてやった戦死の名誉を、よくも無にしてくれたな」

 そう言われて俯いた閨川を、栄山が叱責する。

「耳を貸すな!奴は君を騙すことで、君の命の選択の自由を奪ったのだ」

「フン、綺麗事で真の正義は守れぬ」

「大幹部」は殊勝な笑みを浮かべた。

 栄山は大幹部に殴り掛った。大幹部はそれをひらりとかわすと、片手で、栄山の首を掴み上げた。栄山は足掻いた。

「警視!」

 栄山を助けようと、閨川も走り寄った。

 だが、大幹部のもう片方の手に、その首を捕らえられた。大幹部は宙でもがく二人を、一気に投げ飛ばした。

 大幹部が指を鳴らすと、二本の十字架が、床から伸びて現れた。尾根ミヤマと署長が、大幹部の命令で二人を十字架に括り付けた。大幹部は、閨川の懐から、何かを取り出した。銃のようなそれは、他我遮蔽装置(たがしゃへいそうち)だった。

「他我遮蔽装置か。興味深いのう」

 大幹部はその銃を軽く弄んだ。

「ウォルターランドの害虫を退治してくれて、礼を言うぞ。だが、あれを見たからには生かしてはおけぬ。ウォルターランドは『夢の国』だからな」

「ロイガー事件のことも忘れないでもらいたいね。どうも、お前達には貸しが多いな」

 栄山は大幹部に、冷笑を浴びせた。

「黙れい!」

 尾根がそう言って栄山を殴った。その上、つばを吐きかけた。

「もう良い、尾根よ。こやつ等には利用価値があった。『世界統一国家』を作るための」


 栄山は大きく息を吸うと、大幹部に言葉を浴びせた。

「お前こそ、部下に利用されていたんじゃないのか?」

「何だと?」

 大幹部が栄山を睨み付けた。

「お前はロイガーを使って、メーソンの野望の邪魔者を消したつもりかもしれないが、それは尾根ミヤマの策略だ」

「何を言い出すか。いい加減なことを言うな!」

 尾根は明らかに取り乱して言った。

 大幹部も署長も、尾根に疑念の目を向けた。詳細を問う大幹部に、栄山は顛末を説明した。



 尾根ミヤマと、ロイガー事件の被害者・熊野(くまの)慎一(しんいち)は、同じ漫画教室の出身だった。そして教室時代から、尾根は熊野の才能に嫉妬していたのだ。

 作家活動を始めると、尾根はメーソンの後押しで人気漫画家陣に名を連ねた。一方で熊野は、純粋な技量で、尾根を凌ぐ人気を得た。

 そこで尾根はメーソン大幹部に、熊野を「メーソンにとって不都合な思想を流布している」として、圧力をかけるよう呼びかけた。尾根の謀りは功を奏し、熊野は漫画雑誌の連載を打ち切られ、追い出されるように当時の出版社を辞した。しかし、熊野の作品は正しい評価を受けて、新しい出版社に招き入れられた。そこで熊野は、漫画作家として更なる活躍を見せたのだ。

 尾根の嫉妬は頂点に達し、遂に彼は大幹部に「熊野は、メーソンの『世界統一国家』計画を糾弾している」と吹聴し、復活怪獣・ロイガーを使って熊野を暗殺させたというのだ。



「ところがどっこい、メーソンの力ではロイガーの暴走を止められず、私を呼び戻したのだ」

「大幹部様、こやつの言うことは出鱈目です。信じてはなりません」

 尾根は必死で弁明した。


「根拠はまだある。熊野が『学生刑事』を題材にした劇画を連載していた頃、尾根は自身の作品で『学生刑事』を批判した。当て付けのために」

「それがどうした!そんなもの、証拠にも何にもならん!」

 尾根の語気が更に強まる。

「では訊こう、大幹部。お前は熊野の作品を、自分の目でしっかり吟味したか」

 大幹部は渋い面持ちで。

「それ見ろ。何が巨大組織だ。その体制たるや杜撰じゃないか」

 大幹部の苦虫を噛み潰した如き顔から言葉が搾り出された。

「余は、同じメーソンの兄弟として、部下を信じたのだ」

「部外者には姿すら見せず、身内の言うことは鵜呑みにする。皮肉なものだな。その結果がこれだ」


 尾根は大幹部に縋り付いて泣き崩れた。

「どうかお慈悲を」

 大幹部は尾根の頭を掴むと、他我遮蔽装置を突きつけた。栄山はそれを見て驚き慌てた。

「よせ!人間の他我を遮蔽したら、『哲学的ゾンビ』になってしまうぞ!」

「裏切り者への制裁だ」

 栄山の静止も空しく、引き金が引かれた。


 撃たれた尾根ミヤマは、見た目には何も変わらなかった。しかし、その場の誰もが、尾根の変化を感じ得た。尾根は永遠に「心」を失ったのだ。

「二人を処刑しろ」

「了解しました」

 尾根ミヤマは無機質な声でいらえると、十字架に向かって歩き出した。栄山と閨川は俎板の鯉であった。



 そのときだった。赤いペンが回りながら飛来し、二人を縛っている縄を次々に引き裂き、宙を巡って尾根ミヤマを直撃した。尾根ミヤマは無表情のまま倒れた。

 ペンが戻った先には、麻咲イチロウの姿があった。

「待たせたな」


「大幹部様、ここは一先ずお逃げ下さい」と署長。

 追おうとする麻咲に、署長は煙幕を投げつけると、大幹部をエレヴェーター付き玉座へと誘導した。


 麻咲は追跡を中断し、栄山と閨川に駆け寄った。栄山は、足を怪我した閨川に肩を貸そうとしていた。

「すまない、警視」

 そう言って辛くも立ち上がる閨川のポケットから、何かが落ちた。それを拾い上げた麻咲は驚いた。金色に輝く旭日章を頂いた漆黒の手帳であったのだ。

 栄山はしかし動じず、落ち着いて、

「閨川守は学生捜査官だ」

 と言い放った。それを聞いて、麻咲のみならず、閨川もまた驚いた。

「気付いていたのか」

「『幸運の哲学高校』から帰ってこなかった学生捜査官の話と、警備の手薄さのギャップに引っ掛かっていたのさ」

「つまり、その捜査官と言うのが・・・」と麻咲。

「そうだ、私だ」と閨川。

「なぜ、学生捜査課を裏切る気になった」と栄山。

「私は高校生捜査官であることに誇りを持っていた。高校を卒業した途端、自分が何者か分からなくなったんだ」

「そこに漬け込まれて同化された訳か。だが、大学生捜査官になれば良かったんじゃないか」

「私には少年美のプライドがあった。だから少年でなくなったことで、自信をなくしてしまったんだ」

「少年美のプライド?」

「人間美の根源、それは少年性にある。男の美も、女の美も、少年の美の模倣に過ぎない」

 栄山は、言い終えた閨川の肩をしっかりと支え、叱咤した。

「アイデンティティから逃げるな!」

 そして栄山は、麻咲から受け取った手帳を、閨川の手に握らせ、諭した。

「少年から大人の男になっても、君は君だ」

 その言葉に、閨川は、力強く頷いた。



 そのとき、尾根がムクリと起き上がった。三人は身構えた。

 栄山は二人に、

「ここは私が引き受ける。大幹部と署長を追え」

 と言った。

 二人は頷くと、部屋を辞し、上階に向かった。



  (四)



 上階では、大幹部と署長が脱出の準備を進めていた。

「大幹部様、私の立場は・・・」

「案ずるな。そなたは忌々しき尾根に利用されただけだ。余がいる限り、そなたの身は安泰だ」

 署長が安堵したのも束の間、麻咲と閨川が二人の前に立ち塞がった。

「残念ながら、お前の身は安泰じゃないぞ」と麻咲。

「組織の野望を、白日の許に晒す」と閨川。

 二人に恐れをなして署長は逃走した。

「署長は私が追う」

「任せたぞ」

 閨川の行く手を阻もうとする大幹部のステッキを、飛んで来たペンが払い除けた。

「大幹部、貴様の相手はこの俺だ」

 麻咲は余裕綽々に言い放った。



  (五)



 署長は逃げつつ、追ってくる閨川にメーソン特有の突風攻撃を加えた。突風は何れも小さく、閨川はこれを容易く避け、署長に詰め寄った。手には、手錠が握られていた。

「職権乱用および殺人予備罪の容疑で逮捕する」

 かくて、署長の手は後ろに回った。



  (六)



 一方、麻咲は大幹部の超能力に圧倒され、今は傷と痣に覆われて力なく地に倒れていた。

 彼の目が、彼の右手の先に転がっている赤いペンを捉えた。遠退いて行く意識の中で、彼の記憶は過去を巡った。


 父の反対を押し切って家を出たときのこと。

 そして厳しいペン回しの練習の日々。

 ある日、遂に彼は、武道ペン回しの極意を悟った。それは、自力で自分の意志を決めるということに尽きるのだ。

 こうして彼は、十七代目・竜血旋士の称号と、その証である朱赤のペンを与えられた。

 そのペンを片手に、彼は数多くの怪奇現象を鎮めてきた。

 彼に救われた人々の、感謝の声が耳に蘇った。

 だが、それさえも無意味だったのだろうか。

 そんな思いが湧き出て来た。



 大幹部の手が、ペンを拾い上げた。大幹部の足が、ペンを取り返そうと伸びる麻咲の手を踏み躙った。

「こんな棒切れに、戦闘員どもが業を煮やしていたとは」

 嘲笑う大幹部は、ペンを地に落とし、それも踏みつけにした。


 麻咲は歯を食い縛った。

 情けない。

 俺の命とも言えるペン。

 家を裏切ってまで手にした、俺のアイデンティティーそのもの。

 それが目前で辱められているのだ。



 大幹部はステッキを振りかぶり、麻咲に止めの一撃を振り下ろした。

 だがそのとき、大幹部の表情が変わった。

 麻咲の手が、ステッキを掴んだのだ。

「この程度で、俺のアイデンティティーが潰せると思ったら大間違いだ」

 麻咲はゆっくりと立ち上がる。ペンスピナー・麻咲イチロウの正義の心に、炎が灯ったのだ。

 麻咲は、ステッキを握られて体勢を崩した大幹部の立ち襟マントに手を掛けると、声を上げつつ、大幹部を投げ飛ばした。

 麻咲はペンに駆け寄ると、これを掴み取った。朱赤のペンは再び麻咲の手中に戻ったのだ。

「おのれ、小癪な!」

 大幹部はステッキを持って麻咲に向かってきた。

 麻咲の小指と薬指の間に収まったペンが、薬指を跨ぐように回ると同時に、向かってくる大幹部の腹を直撃した。

 大幹部は呻きつつも、尚も麻咲に向き直る。

 薬指と中指の間に移ったペンが、掌の上を回りながら、向かってくる大幹部の胸を強打した。大幹部は大きく後ろに倒れこんだ。

 ペンは彼の掌側を通って人差し指に渡され、そして親指に辿り着くと、凄まじい速さで回転し、唸りを上げた。


 大幹部は悔しげに言葉を吐く。

「これが貴様の受け継いだ伝統だと言うのか」

 麻咲の手は回るペンを乗せたまま彼の胴に引き寄せられた。

 麻咲は大幹部に言い放った。

「違う。俺は自分の、意志の力で悪を倒してきた。強いて言えば、それが竜血旋士の伝統なんだ」

 ペンが、麻咲の前方に向かって一気に押し出された。そして、大幹部を直撃したのだ。



  (七)



 所変わって、下の階では、栄山と尾根の最終決戦の火花が散らされていた。

 心を失った尾根は、表情一つ変えずに拳を繰り出す。栄山は、これをすかさず払い退けると、次々と尾根に拳を突きつける。

 二人の腕が、何度も交わった。

 だが遂に、栄山の殴打が妨害を潜り抜けて尾根の胸板に届き、稲妻のような速さで左右交互に尾根を打った。


 倒れた尾根は、間接を逆に曲げながら、上下逆さまに立ち上がった。それはもはや人間の姿ではなかった。

「許せ、尾根ミヤマ」

 栄山は、逆立ちの姿勢で足をばたつかせながら迫り来る尾根に、回し蹴りを炸裂させた。

 吹き飛んで壁に叩きつけられた尾根は、全身の骨を折り、それでもなお蜘蛛のように蠢いていたが、やがて爆発した。



「警視!」

閨川が駆け寄ってきた。

「署長をあなたの部下に引き渡した」

「よくやった、閨川」

 栄山が閨川の肩を叩いた。

 閨川は頷く。

「イチロウはどうした」

「今、大幹部と戦って・・・」

 閨川が言いかけたとき、天井の一部が崩れ落ちてきたのだ。崩れた天井の瓦礫の中に、負傷して倒れる大幹部の姿もあった。

 次に、傷だらけの麻咲が二階から飛び降りてきた。栄山と閨川が麻咲に駆け寄った。

「やったか」と閨川。

「いや、まだだ」と麻咲。

 砂埃の中から辛くも立ち上がる大幹部に向かい、三人は構える。


「貴様らのようなろくでなし共に、この大幹部様がやられてなるものか!」

 そう言うと、切歯扼腕の大幹部は叫んだ。

「あらゆる闇よ、余の身体に集え。余の肉体と、肉体に宿る精神を作り変えよ!」

 大幹部の目が赤く光り、彼の周りに黒煙が立ち込めた。

 叫び声を上げる大幹部の変身が始まると同時に、建物が崩れ始めた。このままではグレートロッジの下敷きになってしまう。三人は部屋を脱出した。



  (八)



 三人が、電子機械が多く置かれている部屋を通ったとき、栄山が足を止めた。

「親父さん、早く逃げるんだ」

「待ってくれ。閨川、この部屋は通信室に見えるが?」

「アア、本部や他の支部と連絡を取り合うための部屋だ」

「通信装置の数が多いな」

「当たり前だ。アメリカだけで、百以上の支部があるんだ」

「では、これは何だ?同時送信機に見えるが」

「部門が違うから良く知らないが、本部と支部の両方と通信するのに要るのだろう」

「莫迦を言え。それだけのためにこんな大袈裟な設備が要るか」

 閨川も不審に思い、送信機を覗き込んだ。

「これは、支部の通信機なんて規模じゃないぞ。まるで・・・」

 二人は顔を見合わせた。

 麻咲が二人を呼んだ。

「早く逃げないと、全員下敷きだ」

 三人は通信室を後にし、やがて外に出た。間一髪、それと同時にグレートロッジは最期を迎えた。



  (九)



 瓦礫の山から、何かが木々を薙ぎ倒しながらゆっくりと立ち上がる。灰色一色の甲冑のような図体は、優に二〇メートルに達しよう。

 角の生えた牛のような頭。顔からイカの足のような突起が何本も垂れ下がっている。そしてその目は、悪意に満ちた赤い光を放っていた。手には、ステッキが変化したのだろう、大きな金棒を持っている。

 これが、あの大幹部の巨大化した姿なのだ!

「ワアッハッハッハッハアッ!余は最終怪獣・クトゥルフ様である!正義の権化である!貴様ら悪魔どもなど、余から見れば吹けば飛ぶ塵に過ぎぬわ!ハアッハッハッハアッ!」

「どこが正義だ。姿を隠して権力を振るう者は、恐怖を与えるだけが能の化け物だ」

 そう言った栄山を、大幹部改めクトゥルフは睨みつけ、金棒を振るった。ただ振るっただけで、風が巻き起こり、栄山を吹き飛ばしたのである。

「なんて力だ」


 この怪物に、勝ち目はないのだろうか。栄山も閨川も、そう思った。

 そのときだった。

 麻咲が自信満々の面持ちで、言い放った。

「京都土産は酒饅頭だけじゃないぞ、親父さん」

「どう言う意味だ」

「新戦力というやつだ」

 そう言うと麻咲は蟹股になり、両手の先を股に向けて、叫んだ。

「出でよ、『辰砂号(しんしゃごう)』!」


 麻咲の股間から突如閃いた強い光に、栄山も、閨川も、クトゥルフさえも、目を覆った。それは闇を破る陽光の如くあった。

 漸く光が和らぎ、見出されたものは何だったであろうか?それは、朱色の、美しい一輪車であったのだ。通常の一輪車より、一回り程大きいだろう。

「それが新兵器なのか?」と栄山。

「見た目で能力は判断できないからな。」と閨川が口を出す。

 これこそが、京都遠征にて麻咲が得た新兵器、「辰砂号」なのだ!


 麻咲の足が、ペダルを踏んだ。辰砂号が、麻咲を乗せてクトゥルフに向かう。

 きこきこ、きこきこ。

 きこきこ、きこきこ。

 勇ましく、それでいて気品を湛えた音が響き渡る。辰砂号は、瞬く間にクトゥルフの足元に達すると、そのまま飛び上がり、クトゥルフの顔の前に達した。

 クトゥルフは金棒を振るおうとした。麻咲はペンを構えると、一輪車に乗った侭回し始めた。

「妙技、一輪車ペン回し!」

 驚くなかれ、ペンが、その何十倍も大きい金棒を一撃で弾き落としたのだ。

「おのれ、ペンスピナー!」

 クトゥルフの拳が、麻咲に迫る。そして遂に、拳が麻咲を直撃したかに見えた。

 だが、しかし!あろうことか、麻咲は辰砂号で、クトゥルフの拳の上に飛び乗ったのだ!辰砂号がクトゥルフの腕の上を走り、肘の辺りで跳躍すると、車輪を前にしてクトゥルフの角に向かって突進して行く。

 ばきり。

 鈍い音と共に、クトゥルフの角は圧し折られた。

 麻咲はクトゥルフの背後に着地する。

「おのれ、もう許さぬ!」

 クトゥルフの咆哮が山中に轟いた。クトゥルフは地を響かせながら、その巨体を麻咲の方へ進めた。

 一輪車に乗りペンを構える麻咲の全身から、朱赤の炎が湧き上がった。

「武道ペン回し、最終奥義。コンティニュアス・ストーム!」

 彼の手を離れたペンは、三匹の朱赤の竜となって、同時にクトゥルフに噛み付いた。


「グワア、やられた。ちきしょうめ!」

 クトゥルフは大爆発した。

 辺り一面は焼け野原となった。


 荒れ果てた荒野に、麻咲イチロウが着地した。辰砂号は姿を消していた。

 彼に、栄山と麻咲が駆け寄った。栄山は微笑み、麻咲の肩を叩いた。

「やったな、イチロウ」



 麻咲は、荒野に向かって一歩前に出た。そして、厳かに言い放った。

「希望は恐怖に勝つ」



  第三幕・終

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