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 第二幕 「教団『幸運の哲学』とウォルターランド」

  (一)



 西暦二〇〇六年五月。東京都内の警察署の目立たない一室に、大勢の警官が帰投してきた。言うまでもなく「特殊災害警備隊」の隊員たちであるが、彼らは疲労の色を浮かべていた。「幸運の哲学高校」の捜査が難航していたのである。

 しかし、収穫はあった。栄山の不当解雇とも因縁のある、ウォルターランドの創始者「ウォルター・ディスティニー」の伝記が、「幸運の哲学出版」から出版されており、「幸運の哲学高校」の指定図書にもなっていたのだ。それに、ディスティニー・アニメイションとロイガー事件の関係が既に示唆されていることも、併せて思い出して頂きたい。



 これまでの調査を要約すると、こうである。

①「警察署長・尾根ミヤマ連合」が「幸運の哲学」の高校に出入りしている。

②「警察署長・尾根ミヤマ連合」と「ディスティニー・アニメイション」が共謀して、邪魔な栄山を追放したり、ロイガー事件を企てたりした。

③「幸運の哲学」が「ディスティニー・アニメイション」を、組織ぐるみで宣伝している。

④「幸運の哲学」と「メーソン」は、共にウォンタナ教と敵対している。


 総合すると、「幸運の哲学」と「ディスティニー・アニメイション」と「メーソン」が三すくみになって相互援助しており、その裏で「警察署長・尾根ミヤマ連合」が糸を引いていると思われるのだ。

 だが、疑問は残る。なぜ、栄山を呼び戻してまで、怪獣ロイガーを倒させたのだろうか。



「それにしても、警備が手薄なのが意外だったな。学生捜査官が殺られたというのが不思議だ」

 隊長・栄山(さかえやま)(たけし)が疑問をもらした。

「学生社会は部外者には理解できないものですからね。先任隊長も覚えがあるでしょう?」

 隊員の一人が冗談らしくそう言った。

 だが、栄山の記憶の中に、普通の学生期の思い出はなかった。あるのは、潜水艦隊の士官学校での記憶だけだった。

 彼は、両親の期待を裏切るかたちで警察官となったのだ。

 当初はそのことを気に病みもした。しかしそれでも、彼は自分が選んだ道を突き進んだのだ。やがて、超常事件の捜査において、その才能を開花させ、特殊災害警備隊を作り、その隊長になると、両親を裏切ったことも含めて、それが彼の強烈な誇りとなったのである。


 そのとき、栄山の脳裏に、ある「弟分」のことが浮かんだ。その弟分もまた、彼と同様に、「家出をして出世した男」だからだ。



  (二)



「隊長、お電話です」

 栄山は呼ばれて、本部を出ると、電話室に入った。

「もしもし」

「やあ、親父さん。俺だ」

 栄山の表情が、俄かに明るくなった。

「イチロウ・・・麻咲(まさき)イチロウか!」

 件の、「弟分」である。

「丁度、お前のことを考えていたところだ。一年以上も音信不通で心配したぞ」

「すまなかった。実は京都で、ある敵と戦っていたんだ。これから帰って話す」

「勝ったんだろうな?」

 栄山はニヤリとした。

「俺を誰だと?」

 二人は笑い合った。

「親父さんはどうだ?」

「私も今、大きな敵を追っている」

「復職したのか」

「正式にはまだだ。それより、いつ帰るんだ?」

「滋賀の実家に寄ってから数日後に東京に戻る。土産は何がいい?」

「気を使うな、と言いたい所だが、好物の酒饅頭を頼む」

「もう買ってあるさ」

 二人はまたも、笑い合った。

「とにかく、帰って来たら、ゆっくり休め。お前にとっては、念願の休暇だからな」

 そう言って二人は電話を切った。

「あいつに負けてられないな」

 栄山は、「幸運の哲学高校」に、再潜入する決心をした。



  (三)



 一方、京都駅では、麻咲イチロウが湖西線の電車に乗り込んだところであった。やや癖のついた黒髪の下に、飛び切りの美貌を備えた青年であった。

 麻咲は座席に身を委ねると、車窓から京の街並みを一望した。


 一年と二ヶ月前、彼は東京から京都を指して発ち、怪奇現象退治の旅に出た。

「沈み続ける沼」

「死のエレベーター」

「無間地獄へ誘う列車」

「孤独のトンネル」

 そして彼にとって最大の試練であった、「魔獣オロチ」退治。

 今、彼の目前に広がる街は、彼によってその平和を取り戻されたのである。


 彼は、どこか名残惜しいような感覚に包まれた。

(念願の休暇、か・・・。何をして過ごそうか)

 事件の下調べ?それとも訓練?彼の思索は、一向に職務の範囲を脱し得なかった。彼は、根拠を伴わない、それでいて確実な「虚無感」に襲われたのだ。

「つくづく、俺から仕事を外してみたら、何もないもんだ」

 麻咲の呟きは、自嘲っぽく。



  (四)



 さて、所変わって、例の広くて暗い部屋。

「栄山警視を仲間に引き入れろと?」

 閨川(ねやがわ)(まもる)である。

「その通りだ。そなたはメーソンになる前から腕利きとして知られていた。そのそなたと互角に戦う程の男なら、同化するのが得策であろう。仲間にならなければ、奴を倒すがよい」

 立ち襟コートの大男が言った。

「ハハア。大幹部様の仰せの侭に」

「大幹部」と呼ばれたその男が、そっと片笑窪を拵えたことに、閨川は気付かなかった。



  (五)



 一方の栄山は一人、夜の「幸運の哲学高校」にいた。数日間の再調査にも拘らず、何も得られないのだ。

 栄山は痛感した。学生社会が、いかに閉鎖的であるかを。そして、学生社会に溶け込んで任務に当たる、「学生捜査官」の存在意義を。


 そのとき、彼の考えを代弁するごとき声があった。

「学生の声は、学生にしか聞こえない。親にも、教師にも、学生の心の声は聞こえない」

 誰だ、と言いつつ振り向いた栄山の目に映ったのは、閨川の姿であった。

「閨川守。決着を付けに来たか」

 栄山は戦闘体勢を取った。

「あなたと勝負したいのは山々だが、その前に、あなたはメーソンの理想を誤解している」

「何?」

「我々は、世界平和のために、止むを得ず武力を使っている」

「平和のための戦争か。如何にもアメリカニズムだな。アメリカの組織だと、気付いてないとでも思ったか」

 栄山は殊勝な笑みを浮かべた。

「その通りだ。そして正義はその欧米にある。太平洋戦争で日本が負けなければ、日本は未だに皇室神話に狂っていただろう」

「元来、日本は自然との調和を第一義とする国だった。それが皇室神話に狂ったのは、東洋に理解のない欧米列強の威力から身を守るために、日本が国家として団結せねばならなかったからだ。欧米の不理解が元凶だ」

「それを言う前に、インドを見なさい。男尊女卑も、カースト差別も、イギリスの占領下で緩和された。近代化とは、欧米化を意味するのだ」

「インド人の自由と権利を奪っておいて、何が近代化だ。敗戦直後の日本も同じだ。進駐軍が我が民族をどれだけ辱めた」

「その『自由と権利』を蹂躙していたのは、むしろ東洋だ。江戸時代の被差別部落を見ろ。インドの寡婦焚死を見ろ。あなたは、人権を犠牲にしてでも、これらの伝統を重んじろと言うのか。近代化が、自由と権利をもたらしたのだ!」

 栄山は言葉に詰まった。その通りだと、思えてきたのだ。

 彼の胸中を見て取った閨川は、続けて言った。

「私の超能力が、ただの超能力ではないと、あなたなら気付いているだろう」

 栄山は目を見張った。

「アア。念力場の変動を感じなかった」

「メーソンの超能力は、『自然』を自在に操る力だ。ニュートン力学に毛が生えた程度の、そこらの念力とは格が違う。言わば運命を操る力だ。メーソンになれば、この力が手に入るぞ」

「私に仲間になれと言うのか」

「断れば、決着を付けるだけだ。だがそれより、共に世界平和を目指さないか」

 栄山の心は一瞬揺らいだが、すぐ我に返った。

「そんな立派な志があるなら、メーソンは堂々と活動するべきじゃないか。陰に隠れて権謀術数を巡らし、人を殺す君達を、野放しにする気はない」

 閨川は手刀を構えた。

「どうやらあなたとは、戦うことが宿命のようだな」

「私も君に、心のどこかで宿命を感じている」


 そのときだった。栄山が突然、身を翻して「伏せろ」と言った。

 どこからか、破壊光線が飛来したのだ。

 閨川も瞬時に飛び退いたが、左腕を光線にかすられ、うずくまった。

 光線の方角には、教祖の銅像がある。銅像の目から、再び破壊光線が、二人に向けて発射された。

 寸でのところでの栄山の救助がなければ、ここが閨川の終焉の地となったろう。

 二人は何とか破壊光線を避け、校舎の中に逃げ込んだ。

 丁度そのとき、栄山の無線から女の声が聞こえた。

「副長です。第二ウォルターランドで、市民が何者かに襲われているそうです」

「今は手が放せん。君が指揮を執れ。私も極力、後から向かう」

「何かあったんですか」

「事態が、いささか複雑でね。話は後だ」

栄山は通信を切った。



  (六)



 警備隊本部では、副長と呼ばれた女が命令を下していた。

「先任隊長が合流するまで、私が代理で指揮を執ります。総員出動せよ」

 そのとき本部に入ってくる者があった。

「今の命令は取り消しだ」

 皆の視線が一斉に向けられた先には、署長と、漫画作家・尾根(おね)ミヤマの姿があった。

「どういう意味です」

「誠に残念だが、ウォルターランドには関らないでもらいたい」

「たとえ署長でも、特殊災害警備隊の指揮権はないはずです。従うことは出来ないわ」

 尾根が一歩前に出る。

「仕方ありませんな。手荒な真似はしたくなかったのだが」

 尾根が指を鳴らすと、彼の背後から黒の背広に黒眼鏡の男達が現れた。

「ぶち壊せ!」

 ぶち壊せ。なんと暴力的な響きであろうか。

 そしてその語感にそぐう蛮行が始まったのだ。

 隊員も、必死で抵抗する。混戦のなか、本部は無残に破壊されてゆくのであった。



  (七)



 その頃、栄山は、閨川と共にやっとのことで破壊光線を逃れて校外に脱出した。

「私に構うな。組織は、崇高な理想のために、私を犠牲にする判断を下した。それだけだ」

「何が崇高な理想だ。君を捨て駒にするつもりだったんだぞ」

「あなたに何が解る!」

 斯く言うと、閨川は走り去ってしまった。



  (八)



 所変わって、第二ウォルターランド。閉園時間を過ぎ、無人になった第二ウォルターランドの中を、一人の男が必死で走っていた。

 彼の目前に、何人もの男達が煙の如く現れた。

「ヒイッ」

 走っていた男は腰を抜かした。

 現れた男達は黒ずくめで、丁度、本部で暴れている戦闘員と同じ服装であった。

「『あれ』を見たのが運の尽きだ」

 男は地を這って逃げようとした。

「見てません!本当です!助けてくれ!」

 戦闘員たちは、男との距離をじりじりと縮めていった。

 危うし、天の慈悲ももはや尽きたか。絶望。信じることの愚かさ!そう思われたときであった。

 彼らの前に、一人の青年が現れたのだ。黒の革靴、黒のズボン、黒のジャケットの中に白のシャツを秘めたモノトーンの落ち着いた服装に、朱色のスカーフを巻いた美青年。そう。麻咲である。

「逃げろ」

 言われて男は何とか立ち上がると、走り去った。

「待て!」

 戦闘員が追いかけようとすると、麻咲は手も触れずに彼らを吹き飛ばした。彼らは驚き、今のは何だ、と口々に囁きあった。

「やれやれ。久々に帰って来たら、賑やかなものだな、東京は」

「さては貴様も超能力者だな」

 麻咲は戦闘員を睨みつけ、言い放った。

「違う。人呼んで、魔を裂く朱赤の竜。俺は麻咲イチロウだ」



  (九)



 翌朝、栄山が帰ってきた本部は、もはや見る影もなかった。

「先任隊長!」

 傷だらけの女が叫んだ。

「副長。一体何があった」

「署長と尾根ミヤマの部下の急襲にあったのです。何とか撃退したのですが、本部はこの有様です。申し訳ありません」

「精一杯戦ったんだろう。気にするな」

 他の隊員達も傷だらけで、お互いに手当てをし合っていた。

「先任隊長。それより、第二ウォルターランドの事件は」

「私が駆けつけたとき、黒ずくめの男達が既に縄で縛られていた。奴らは今、拘留室にいる」

「誰が捕まえたのでしょうか」

「大体、見当はつく。それより、早く本部を移した方がいい」


 特殊災害警備隊は、人気のない山中にテントを張り、そこを臨時本部とした。

「惨めです、隊長」

 隊員の一人が涙ながらに訴えた。

「本部など何とでもなるさ。それより、特殊災害警備隊としての信念を捨てないことだ」

 隊員の肩に、栄山の大きな手が乗った。

「必ずメーソンと警察署の陰謀を破り、本部を取り戻そう」

 隊員は涙を拭うと、力強く「はい」と答えた。



  (一〇)



 謎が謎を呼び、混迷を極める中、その日の昼、栄山は父の墓前に参じた。

 彼は慣れた手付きで線香に火を灯すと、吹き消し、香炉に立てた。そして花立ての花を替えると、そっと合掌した。彼は亡き父に、その仇でもあるメーソンの討伐を誓った。そしてその暁に、父の願いに応えて潜水艦に乗る意志を伝えた。その機会が巡って来たのだ、と。

 しかし、彼は揺れていた。期待を裏切ってまで掴んだアイデンティティーとの間で。

 だがやがて、彼の迷いは、彼自身によって捨てられた。

 彼は知っていたのだ。彼のアイデンティティーが、警察組織ではなくて彼の意志そのものに宿されていることを。

 ただ、欲を言えば、警備隊の跡継ぎがいれば安心できるのだが・・・。そんな思いが、彼の脳裏をよぎった。


 暫しの黙祷を破り、彼の口から、その稲妻のような声が発せられた。

「気配を消しても無駄だ。出て来い」

 彼の背後から閨川守が現れた。

「気付いていたのか」

 彼の左腕の傷は既に癒えていた。恐るべき超能力である。

二人は少しの間、無言で見つめ合った。

「一つ訊きたい」

「何だ」

「昨夜、なぜ私を庇って逃げた」

「君と私は似た者同士だ。己のアイデンティティーにしがみついて生きている」

「そうとも。私にとっては、メーソンがそれだ」

「私にとって、特殊災害警備隊がアイデンティティーだ。だが、私は組織ではなく、自分の仕事にアイデンティティーを託している。だから裏切られることはない。信念を持ち続ける限り」

 閨川は反論できなかった。だが、認めたくなかった。今の自分のアイデンティティーが脆く崩れ易いということを。彼は、「メーソンにアイデンティティーを託していること」自体に、プライドを持っていたのだ。

「しかし、君がメーソンを盲信しているようには見えない。君は自分の信念をもって戦っているだろう?かつては君も、私と同じように自分自身の仕事にアイデンティティーを託していたのじゃないか?」

 閨川は溜息を吐いた。

「あなたには負けた」



 突如、墓石の陰から、メーソンの戦闘員が現れた。

 二人は身構える。戦闘員は一人のみならず、続々と姿を現した。二人は気付かぬ内に包囲されていたのだ。

「出たなメーソン」

「栄山警視。ここが貴様の、文字通り墓場だ。ワッハッハ。貴様もだ閨川。失敗した者にチャンスはやらんと、大幹部様も仰られた」(注)


 そのときだった。赤い竜巻が、戦闘員を次々となぎ倒したのだ。

「何者だ!」

 戦闘員達は辺りを見回し、やがてその「何者か」を見出した。墓地に接する寺の境内に、朱色のスカーフを巻いた麻咲が立っていた。彼の年齢は、閨川より五、六ほど上と見えた。


 戦闘員達は境内に降り立ち、青年を取り囲んだ。

「ウォルターランドで倒された仲間の報告にあった、『麻咲イチロウ』とは貴様か」

「ああ、そうだ」

 美青年=麻咲イチロウの、甘美な声が響いた。

「敵に名を教えるとは、閨川同様、頭の悪い奴め」

 戦闘員たちは嘲笑した。

「俺は影に隠れてしか自分の理想のために動けない貴様らとは違う。正義は堂々と名乗るものだ」

「その大口を引き裂いてくれる」

 彼等は、「殺せい!」と口々に絶叫しつつ、麻咲に踊りかかった。麻咲は勇ましい掛け声と共に、全身を力強く振るった。すると彼の手から、何かが竜巻のようにうねり出で、戦闘員たちを強く打ったのだ。

戦闘員は、離れていたリーダー一人を残して、皆意識を失った。

「何か隠し持っているな!」

 そう言ったリーダーの視線が向けられた、麻咲の右手の中を、大きな朱色のペンがくるくると回っていた。

「ペン回しだと!」

「俺は『武道ペン回し』の最高位、十七代目『竜血旋士(りゅうけつせんし)』の称号を持つ者だ」

 この世の物とは思い能わぬ程の威容がそこにあった。

 リーダー格は苦渋の面持ちで、手刀を構え「風よ、俺に従え」と叫びつつ麻咲に飛び掛った。それと同時に、麻咲は「必殺、武道ペン回し!」と叫び、ペンを激しく回転させて、右手を突き出した。

 リーダーの呼んだ突風と、麻咲のペン回しが激しく衝突する。やがて、リーダー格は大きく吹き飛ばされた。


 茫然と佇む閨川と栄山の方に、麻咲はゆっくりと振り向く。やがて彼の全貌が見えたとき、彼の背後から光が燦々と差した。それが太陽の放射と解されるのに、時間は要されなかった。やがて彼の口が、厳かに声を発した。

「帰ってきたぞ。一年二ヶ月ぶりに!」

 彼こそは、京都の怪奇現象を全て解決し、古都の平穏を快復せしめた、日の本史上最強のペンスピナーである。

 麻咲はペンを何度も舞わせると、やがて旋転を止め、構えの体勢を成した。

それは後光を背負った救世の英雄の、美麗なること無等々の雄姿であったのだった!



 二人は麻咲に歩み寄った。

「イチロウ、よく帰った」

「親父さんも、元気そうで何よりだ。その人は?」

「彼はメーソンの裏切り者だ」

 閨川が付加する。

「裏切り者、か。聞こえ良く言ってくれてありがとう。畢竟、捨てられた兵士だ」

「メーソンと言うと、今の連中だな。そいつは信用できるのか?」

「私が言うのだから間違いないだろう」

 栄山は言い放った。

「解った」

 閨川が更に口をはさむ。

「勘違いしないでくれ。まだ、あなた達と手を組むと言ってないぞ」

「行く当てがあるのか?」

 そう言われ、閨川は口を噤んだ。

 麻咲が栄山の言葉を継ぐ。

「大した奴だ。親父さんに気に入られるとは」

 麻咲の、仏の如く目映い微笑みに、その刹那、閨川は圧倒された。閨川の全魂魄が、未だ嘗てない人傑との邂逅を、ありありと感じたのだ。


 麻咲は栄山に向き直った。

「つかぬ事を聞くが、奥さんは妊娠してらっしゃらないか」

「アア。確かに妻は身重だが、なぜ分かった」

 栄山は訝しげな面持ちで。

「それに関しては、是非とも後日、時間を取って話そう。とても要約できる話じゃない」


 麻咲は話題を変えた。

「それはそうと、ウォルターランドの事件の経緯が判った」

 栄山の目が見開かれた。

「話してくれ」

「閉園後の第二ウォルターランドに肝試しに来た若いアヴェックが、怪奇現象を目撃してしまった。そこでウォルターランドの職員が、口封じのために女を殺し、男をも手に掛けようとしたんだ」

「その怪奇現象というのは、もしかして」

「そうだ。親父さんの不当解雇の原因となった、例の事件だ」

「やはりな。それで、その怪奇現象とウォルターランドの関係は?」

「直接には無関係だ。だが、『夢の国』を標榜するウォルターランドとしては、怪奇現象の噂が立つことを嫌ったんだろう。それにウォルターランドは、どうやら謎の巨大組織の資金源になっているらしい。」

「それはメーソンだ」


 栄山は麻咲に、これまでの経緯を話した。

「なるほど。『幸運の哲学高校』の調査は、豆腐にかすがいと言うことか。それなら俺は、尾根ミヤマと警察署の陰謀を調査してみよう。親父さん達は、ウォルターランドの怪奇現象を解決してくれ」

「引き受けた。それからイチロウ、折角の休暇なのに巻き込んでしまって、すまないな」

 斯く言われて、麻咲は苦笑しつつ言った。

「実を言うと、休暇の過ごし方に頭を痛めていたところだったんだ」



  (十一)



 その夜、閉園後の第二ウォルターランドに、栄山と閨川が現れた。閨川に、栄山が事件の説明を施す。


 第二ウォルターランドは、三角州(デルタ)を埋め立てて建てられたのだ。そして、嘗て三角州の頂点があった場所から、「それ」が現出するのだ。毎夜、十一時五九分五九秒九九である。その名は「鋭角怪獣・チンダロスの犬」。


「なぜ誰も退治しなかったのだ」

「退治しなかったんじゃない。退治してもきりがないんだ。三角州の頂点を浄化しない限り、何度でも奴は現れる」

「では、奴が現れる前に浄化しよう」

「いや、奴が現れている間でなければ意味がない。奴の『現存在(ダーザイン)』が、三角州の頂点に宿るのだ」


 栄山は閨川に、銃のようなものを手渡した。

 その銃について尋ねる閨川に、栄山が教える。

「それは『他我遮蔽装置(たがしゃへいそうち)』だ」

「タガ・・・なんだって?」

「他我遮蔽装置だ。私が奴と戦っている間に、それで三角州を浄化してくれ」


 時計台の長針が、五九分を指した。

「来るぞ」と栄山。


 そして秒針が、十二時の方向を指そうとしたとき、「それ」は現れた。

 現れた、というより、最初からそこに居たかのように、厳然と立ちはだかっていたのだ。

 半透明の体高は優に三メートルを超え、ぐにゃぐにゃした細長い足が六本生え、その先端は鋭く尖っているが、爪はない。頭らしきものはあるが、顔はなく、内側に渦巻くどす黒い妖気が、透けて見えていた。


「行け!ジェットコースターが三角州の頂点だ」

 閨川はジェットコースターに向かった。

 チンダロスの犬の腕が、閨川の行く手を阻もうとした。

 その腕は、栄山の鉄拳に払い落とされる。

 栄山は高々と跳躍すると、チンダロスの犬の背に乗った。蠢くチンダロスの犬の背に、彼は何度も拳を振り下ろした。しかし、敵は怯まなかった。やがて六本のうち一本の腕が、栄山を払い落とした。


「栄山警視!」

 閨川が振り向き、声を掛けた。

 栄山は宙返りして、見事に着地した。

「早く行け!」

 栄山の叫びに従い、閨川は振り向かずにジェットコースターに走った。

 栄山は飛び上がると、空中で跳び蹴りの体勢をとった。だが、チンダロスの犬の二本の腕に、栄山の身体は捕まえられた。栄山は振り回されると、やがて地に叩きつけられた。


 チンダロスの犬の腕が、再び閨川に伸びる。

 閨川は銃を構える。

 半透明の腕が、閨川の身体に巻き付く。

 閨川は動きを封じられ、持ち上げられた。

 閨川はもがく。しかし、右腕が抜け出せない。右腕が抜け出せないと、銃が使えない。

 チンダロスの犬の頭部に、ぽっかりと口が開いた。

 中を渦巻く妖気が露出した。

 チンダロスの犬は、彼を食らおうとしているのだ。

 閨川は、一か八か、チンダロスの犬の腕越しに銃を発射しようと考えた。失敗すれば、自らを撃ち抜きかねない。しかし、やらねば破滅は免れられぬ。

 閨川は、決意を固めると、引き金を引いた。半透明の腕を貫いて、光線が発射された。一直線に伸びる光線を、栄山も見守った。

 チンダロスの犬は苦しみながらも、閨川を尚も口に引き寄せる。奈落のような敵の口が、閨川に迫った。光線は尚も伸び、そして遂に、ジェットコースターに至った。

 そのとき、ジェットコースターから、一瞬、埋め立てられた嘗ての三角州が姿を現した。そしてやがて、三角州は光の粒になって、消えていった。浄化は成功したのだ。


 それを確認した栄山は、飛び上がると、チンダロスの犬の頭部に、肩から体当たりをした。体勢を崩したチンダロスの犬が、閨川を開放した。間一髪、またしても閨川は、栄山に救われたのだ。


 着地した閨川に、敵を挟んで反対側にいる栄山が言い放った。

「同時に攻撃するぞ!」

「解った!」

 閨川が手刀を構える。

「光よ、私の右手に集え」

 するとどうだろう。月や街の灯火が、次々に閨川の右手に光を与えたのだ。

 彼の右手は、強い光を放ち始めた。

 栄山は、大きく飛び上がると、月の光を一身に受けつつ、何度も、宙返りを繰り返し、加速していった。やがて栄山は跳び蹴りの体勢に入ったが、彼の体躯は、まだ横回転を止めない。栄山は空中でドリルと化したのだ。

 一方の閨川の右手から強い破壊光線が放たれた。

「タケシ・ドリル・キック!」

「フォトン光線!」

 チンダロスの犬の両側から、キックと光線が同時に炸裂した。チンダロスの犬は、断末魔の叫喚と共に、大爆発を起こした。


 栄山は、閨川の近くに着地した。栄山は閨川に向かって頷いて見せたが、閨川は、未だ釈然とせぬ面持ちであった。

 彼はまだ、迷いの中にあったのだ。

 そのとき、声が聞こえた。

「親父さん」

 駆け寄って来たのは、勿論、麻咲イチロウである。

「こっちは片付いたぞ。そっちはどうだ」

「尾根ミヤマの詳しい経歴書が完成した」

 そう言って手渡されたファイルに、栄山と閨川は目を通す。

「すごい。裏の裏まで調べ上げてある。よくやった」

 そのとき、二人は「あること」に気付いたのだ。

「これは・・・!」

 そう言って栄山に覗き込まれた麻咲の顔が、こくりと頷いた。

「そういうことだ」

 三人はとうとう、ロイガー事件の裏に隠された「ある秘密」を知ったのだ。

 麻咲と栄山に、閨川は言った。

「聞いてくれ。『幸運の哲学高校』の裏山に、日本支部の本拠地『グレートロッジ』がある。そこに『大幹部』がいる」

「大幹部とは何者なんだ」

「日本支部の首領だ。彼がいる限り、尾根と署長は逮捕どころか起訴すらできない」


「責めるぞ」と栄山。

「腹のくくり時が来たな」と閨川。

「メーソン退治だ」と麻咲。


 夜は未だ明ける気配を見せなかった。最終決戦に臨む三人に、天は未だ、是も否も、何も示さなかったのである。



  第二幕・終

注:二重敬語であり、通例不適切とされる表現。作者のミステイクであり、謹んで訂正いたします。(2018/05/13記)

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