第二幕 「教団『幸運の哲学』とウォルターランド」
(一)
西暦二〇〇六年五月。東京都内の警察署の目立たない一室に、大勢の警官が帰投してきた。言うまでもなく「特殊災害警備隊」の隊員たちであるが、彼らは疲労の色を浮かべていた。「幸運の哲学高校」の捜査が難航していたのである。
しかし、収穫はあった。栄山の不当解雇とも因縁のある、ウォルターランドの創始者「ウォルター・ディスティニー」の伝記が、「幸運の哲学出版」から出版されており、「幸運の哲学高校」の指定図書にもなっていたのだ。それに、ディスティニー・アニメイションとロイガー事件の関係が既に示唆されていることも、併せて思い出して頂きたい。
これまでの調査を要約すると、こうである。
①「警察署長・尾根ミヤマ連合」が「幸運の哲学」の高校に出入りしている。
②「警察署長・尾根ミヤマ連合」と「ディスティニー・アニメイション」が共謀して、邪魔な栄山を追放したり、ロイガー事件を企てたりした。
③「幸運の哲学」が「ディスティニー・アニメイション」を、組織ぐるみで宣伝している。
④「幸運の哲学」と「メーソン」は、共にウォンタナ教と敵対している。
総合すると、「幸運の哲学」と「ディスティニー・アニメイション」と「メーソン」が三すくみになって相互援助しており、その裏で「警察署長・尾根ミヤマ連合」が糸を引いていると思われるのだ。
だが、疑問は残る。なぜ、栄山を呼び戻してまで、怪獣ロイガーを倒させたのだろうか。
「それにしても、警備が手薄なのが意外だったな。学生捜査官が殺られたというのが不思議だ」
隊長・栄山猛が疑問をもらした。
「学生社会は部外者には理解できないものですからね。先任隊長も覚えがあるでしょう?」
隊員の一人が冗談らしくそう言った。
だが、栄山の記憶の中に、普通の学生期の思い出はなかった。あるのは、潜水艦隊の士官学校での記憶だけだった。
彼は、両親の期待を裏切るかたちで警察官となったのだ。
当初はそのことを気に病みもした。しかしそれでも、彼は自分が選んだ道を突き進んだのだ。やがて、超常事件の捜査において、その才能を開花させ、特殊災害警備隊を作り、その隊長になると、両親を裏切ったことも含めて、それが彼の強烈な誇りとなったのである。
そのとき、栄山の脳裏に、ある「弟分」のことが浮かんだ。その弟分もまた、彼と同様に、「家出をして出世した男」だからだ。
(二)
「隊長、お電話です」
栄山は呼ばれて、本部を出ると、電話室に入った。
「もしもし」
「やあ、親父さん。俺だ」
栄山の表情が、俄かに明るくなった。
「イチロウ・・・麻咲イチロウか!」
件の、「弟分」である。
「丁度、お前のことを考えていたところだ。一年以上も音信不通で心配したぞ」
「すまなかった。実は京都で、ある敵と戦っていたんだ。これから帰って話す」
「勝ったんだろうな?」
栄山はニヤリとした。
「俺を誰だと?」
二人は笑い合った。
「親父さんはどうだ?」
「私も今、大きな敵を追っている」
「復職したのか」
「正式にはまだだ。それより、いつ帰るんだ?」
「滋賀の実家に寄ってから数日後に東京に戻る。土産は何がいい?」
「気を使うな、と言いたい所だが、好物の酒饅頭を頼む」
「もう買ってあるさ」
二人はまたも、笑い合った。
「とにかく、帰って来たら、ゆっくり休め。お前にとっては、念願の休暇だからな」
そう言って二人は電話を切った。
「あいつに負けてられないな」
栄山は、「幸運の哲学高校」に、再潜入する決心をした。
(三)
一方、京都駅では、麻咲イチロウが湖西線の電車に乗り込んだところであった。やや癖のついた黒髪の下に、飛び切りの美貌を備えた青年であった。
麻咲は座席に身を委ねると、車窓から京の街並みを一望した。
一年と二ヶ月前、彼は東京から京都を指して発ち、怪奇現象退治の旅に出た。
「沈み続ける沼」
「死のエレベーター」
「無間地獄へ誘う列車」
「孤独のトンネル」
そして彼にとって最大の試練であった、「魔獣オロチ」退治。
今、彼の目前に広がる街は、彼によってその平和を取り戻されたのである。
彼は、どこか名残惜しいような感覚に包まれた。
(念願の休暇、か・・・。何をして過ごそうか)
事件の下調べ?それとも訓練?彼の思索は、一向に職務の範囲を脱し得なかった。彼は、根拠を伴わない、それでいて確実な「虚無感」に襲われたのだ。
「つくづく、俺から仕事を外してみたら、何もないもんだ」
麻咲の呟きは、自嘲っぽく。
(四)
さて、所変わって、例の広くて暗い部屋。
「栄山警視を仲間に引き入れろと?」
閨川守である。
「その通りだ。そなたはメーソンになる前から腕利きとして知られていた。そのそなたと互角に戦う程の男なら、同化するのが得策であろう。仲間にならなければ、奴を倒すがよい」
立ち襟コートの大男が言った。
「ハハア。大幹部様の仰せの侭に」
「大幹部」と呼ばれたその男が、そっと片笑窪を拵えたことに、閨川は気付かなかった。
(五)
一方の栄山は一人、夜の「幸運の哲学高校」にいた。数日間の再調査にも拘らず、何も得られないのだ。
栄山は痛感した。学生社会が、いかに閉鎖的であるかを。そして、学生社会に溶け込んで任務に当たる、「学生捜査官」の存在意義を。
そのとき、彼の考えを代弁するごとき声があった。
「学生の声は、学生にしか聞こえない。親にも、教師にも、学生の心の声は聞こえない」
誰だ、と言いつつ振り向いた栄山の目に映ったのは、閨川の姿であった。
「閨川守。決着を付けに来たか」
栄山は戦闘体勢を取った。
「あなたと勝負したいのは山々だが、その前に、あなたはメーソンの理想を誤解している」
「何?」
「我々は、世界平和のために、止むを得ず武力を使っている」
「平和のための戦争か。如何にもアメリカニズムだな。アメリカの組織だと、気付いてないとでも思ったか」
栄山は殊勝な笑みを浮かべた。
「その通りだ。そして正義はその欧米にある。太平洋戦争で日本が負けなければ、日本は未だに皇室神話に狂っていただろう」
「元来、日本は自然との調和を第一義とする国だった。それが皇室神話に狂ったのは、東洋に理解のない欧米列強の威力から身を守るために、日本が国家として団結せねばならなかったからだ。欧米の不理解が元凶だ」
「それを言う前に、インドを見なさい。男尊女卑も、カースト差別も、イギリスの占領下で緩和された。近代化とは、欧米化を意味するのだ」
「インド人の自由と権利を奪っておいて、何が近代化だ。敗戦直後の日本も同じだ。進駐軍が我が民族をどれだけ辱めた」
「その『自由と権利』を蹂躙していたのは、むしろ東洋だ。江戸時代の被差別部落を見ろ。インドの寡婦焚死を見ろ。あなたは、人権を犠牲にしてでも、これらの伝統を重んじろと言うのか。近代化が、自由と権利をもたらしたのだ!」
栄山は言葉に詰まった。その通りだと、思えてきたのだ。
彼の胸中を見て取った閨川は、続けて言った。
「私の超能力が、ただの超能力ではないと、あなたなら気付いているだろう」
栄山は目を見張った。
「アア。念力場の変動を感じなかった」
「メーソンの超能力は、『自然』を自在に操る力だ。ニュートン力学に毛が生えた程度の、そこらの念力とは格が違う。言わば運命を操る力だ。メーソンになれば、この力が手に入るぞ」
「私に仲間になれと言うのか」
「断れば、決着を付けるだけだ。だがそれより、共に世界平和を目指さないか」
栄山の心は一瞬揺らいだが、すぐ我に返った。
「そんな立派な志があるなら、メーソンは堂々と活動するべきじゃないか。陰に隠れて権謀術数を巡らし、人を殺す君達を、野放しにする気はない」
閨川は手刀を構えた。
「どうやらあなたとは、戦うことが宿命のようだな」
「私も君に、心のどこかで宿命を感じている」
そのときだった。栄山が突然、身を翻して「伏せろ」と言った。
どこからか、破壊光線が飛来したのだ。
閨川も瞬時に飛び退いたが、左腕を光線にかすられ、うずくまった。
光線の方角には、教祖の銅像がある。銅像の目から、再び破壊光線が、二人に向けて発射された。
寸でのところでの栄山の救助がなければ、ここが閨川の終焉の地となったろう。
二人は何とか破壊光線を避け、校舎の中に逃げ込んだ。
丁度そのとき、栄山の無線から女の声が聞こえた。
「副長です。第二ウォルターランドで、市民が何者かに襲われているそうです」
「今は手が放せん。君が指揮を執れ。私も極力、後から向かう」
「何かあったんですか」
「事態が、いささか複雑でね。話は後だ」
栄山は通信を切った。
(六)
警備隊本部では、副長と呼ばれた女が命令を下していた。
「先任隊長が合流するまで、私が代理で指揮を執ります。総員出動せよ」
そのとき本部に入ってくる者があった。
「今の命令は取り消しだ」
皆の視線が一斉に向けられた先には、署長と、漫画作家・尾根ミヤマの姿があった。
「どういう意味です」
「誠に残念だが、ウォルターランドには関らないでもらいたい」
「たとえ署長でも、特殊災害警備隊の指揮権はないはずです。従うことは出来ないわ」
尾根が一歩前に出る。
「仕方ありませんな。手荒な真似はしたくなかったのだが」
尾根が指を鳴らすと、彼の背後から黒の背広に黒眼鏡の男達が現れた。
「ぶち壊せ!」
ぶち壊せ。なんと暴力的な響きであろうか。
そしてその語感にそぐう蛮行が始まったのだ。
隊員も、必死で抵抗する。混戦のなか、本部は無残に破壊されてゆくのであった。
(七)
その頃、栄山は、閨川と共にやっとのことで破壊光線を逃れて校外に脱出した。
「私に構うな。組織は、崇高な理想のために、私を犠牲にする判断を下した。それだけだ」
「何が崇高な理想だ。君を捨て駒にするつもりだったんだぞ」
「あなたに何が解る!」
斯く言うと、閨川は走り去ってしまった。
(八)
所変わって、第二ウォルターランド。閉園時間を過ぎ、無人になった第二ウォルターランドの中を、一人の男が必死で走っていた。
彼の目前に、何人もの男達が煙の如く現れた。
「ヒイッ」
走っていた男は腰を抜かした。
現れた男達は黒ずくめで、丁度、本部で暴れている戦闘員と同じ服装であった。
「『あれ』を見たのが運の尽きだ」
男は地を這って逃げようとした。
「見てません!本当です!助けてくれ!」
戦闘員たちは、男との距離をじりじりと縮めていった。
危うし、天の慈悲ももはや尽きたか。絶望。信じることの愚かさ!そう思われたときであった。
彼らの前に、一人の青年が現れたのだ。黒の革靴、黒のズボン、黒のジャケットの中に白のシャツを秘めたモノトーンの落ち着いた服装に、朱色のスカーフを巻いた美青年。そう。麻咲である。
「逃げろ」
言われて男は何とか立ち上がると、走り去った。
「待て!」
戦闘員が追いかけようとすると、麻咲は手も触れずに彼らを吹き飛ばした。彼らは驚き、今のは何だ、と口々に囁きあった。
「やれやれ。久々に帰って来たら、賑やかなものだな、東京は」
「さては貴様も超能力者だな」
麻咲は戦闘員を睨みつけ、言い放った。
「違う。人呼んで、魔を裂く朱赤の竜。俺は麻咲イチロウだ」
(九)
翌朝、栄山が帰ってきた本部は、もはや見る影もなかった。
「先任隊長!」
傷だらけの女が叫んだ。
「副長。一体何があった」
「署長と尾根ミヤマの部下の急襲にあったのです。何とか撃退したのですが、本部はこの有様です。申し訳ありません」
「精一杯戦ったんだろう。気にするな」
他の隊員達も傷だらけで、お互いに手当てをし合っていた。
「先任隊長。それより、第二ウォルターランドの事件は」
「私が駆けつけたとき、黒ずくめの男達が既に縄で縛られていた。奴らは今、拘留室にいる」
「誰が捕まえたのでしょうか」
「大体、見当はつく。それより、早く本部を移した方がいい」
特殊災害警備隊は、人気のない山中にテントを張り、そこを臨時本部とした。
「惨めです、隊長」
隊員の一人が涙ながらに訴えた。
「本部など何とでもなるさ。それより、特殊災害警備隊としての信念を捨てないことだ」
隊員の肩に、栄山の大きな手が乗った。
「必ずメーソンと警察署の陰謀を破り、本部を取り戻そう」
隊員は涙を拭うと、力強く「はい」と答えた。
(一〇)
謎が謎を呼び、混迷を極める中、その日の昼、栄山は父の墓前に参じた。
彼は慣れた手付きで線香に火を灯すと、吹き消し、香炉に立てた。そして花立ての花を替えると、そっと合掌した。彼は亡き父に、その仇でもあるメーソンの討伐を誓った。そしてその暁に、父の願いに応えて潜水艦に乗る意志を伝えた。その機会が巡って来たのだ、と。
しかし、彼は揺れていた。期待を裏切ってまで掴んだアイデンティティーとの間で。
だがやがて、彼の迷いは、彼自身によって捨てられた。
彼は知っていたのだ。彼のアイデンティティーが、警察組織ではなくて彼の意志そのものに宿されていることを。
ただ、欲を言えば、警備隊の跡継ぎがいれば安心できるのだが・・・。そんな思いが、彼の脳裏をよぎった。
暫しの黙祷を破り、彼の口から、その稲妻のような声が発せられた。
「気配を消しても無駄だ。出て来い」
彼の背後から閨川守が現れた。
「気付いていたのか」
彼の左腕の傷は既に癒えていた。恐るべき超能力である。
二人は少しの間、無言で見つめ合った。
「一つ訊きたい」
「何だ」
「昨夜、なぜ私を庇って逃げた」
「君と私は似た者同士だ。己のアイデンティティーにしがみついて生きている」
「そうとも。私にとっては、メーソンがそれだ」
「私にとって、特殊災害警備隊がアイデンティティーだ。だが、私は組織ではなく、自分の仕事にアイデンティティーを託している。だから裏切られることはない。信念を持ち続ける限り」
閨川は反論できなかった。だが、認めたくなかった。今の自分のアイデンティティーが脆く崩れ易いということを。彼は、「メーソンにアイデンティティーを託していること」自体に、プライドを持っていたのだ。
「しかし、君がメーソンを盲信しているようには見えない。君は自分の信念をもって戦っているだろう?かつては君も、私と同じように自分自身の仕事にアイデンティティーを託していたのじゃないか?」
閨川は溜息を吐いた。
「あなたには負けた」
突如、墓石の陰から、メーソンの戦闘員が現れた。
二人は身構える。戦闘員は一人のみならず、続々と姿を現した。二人は気付かぬ内に包囲されていたのだ。
「出たなメーソン」
「栄山警視。ここが貴様の、文字通り墓場だ。ワッハッハ。貴様もだ閨川。失敗した者にチャンスはやらんと、大幹部様も仰られた」(注)
そのときだった。赤い竜巻が、戦闘員を次々となぎ倒したのだ。
「何者だ!」
戦闘員達は辺りを見回し、やがてその「何者か」を見出した。墓地に接する寺の境内に、朱色のスカーフを巻いた麻咲が立っていた。彼の年齢は、閨川より五、六ほど上と見えた。
戦闘員達は境内に降り立ち、青年を取り囲んだ。
「ウォルターランドで倒された仲間の報告にあった、『麻咲イチロウ』とは貴様か」
「ああ、そうだ」
美青年=麻咲イチロウの、甘美な声が響いた。
「敵に名を教えるとは、閨川同様、頭の悪い奴め」
戦闘員たちは嘲笑した。
「俺は影に隠れてしか自分の理想のために動けない貴様らとは違う。正義は堂々と名乗るものだ」
「その大口を引き裂いてくれる」
彼等は、「殺せい!」と口々に絶叫しつつ、麻咲に踊りかかった。麻咲は勇ましい掛け声と共に、全身を力強く振るった。すると彼の手から、何かが竜巻のようにうねり出で、戦闘員たちを強く打ったのだ。
戦闘員は、離れていたリーダー一人を残して、皆意識を失った。
「何か隠し持っているな!」
そう言ったリーダーの視線が向けられた、麻咲の右手の中を、大きな朱色のペンがくるくると回っていた。
「ペン回しだと!」
「俺は『武道ペン回し』の最高位、十七代目『竜血旋士』の称号を持つ者だ」
この世の物とは思い能わぬ程の威容がそこにあった。
リーダー格は苦渋の面持ちで、手刀を構え「風よ、俺に従え」と叫びつつ麻咲に飛び掛った。それと同時に、麻咲は「必殺、武道ペン回し!」と叫び、ペンを激しく回転させて、右手を突き出した。
リーダーの呼んだ突風と、麻咲のペン回しが激しく衝突する。やがて、リーダー格は大きく吹き飛ばされた。
茫然と佇む閨川と栄山の方に、麻咲はゆっくりと振り向く。やがて彼の全貌が見えたとき、彼の背後から光が燦々と差した。それが太陽の放射と解されるのに、時間は要されなかった。やがて彼の口が、厳かに声を発した。
「帰ってきたぞ。一年二ヶ月ぶりに!」
彼こそは、京都の怪奇現象を全て解決し、古都の平穏を快復せしめた、日の本史上最強のペンスピナーである。
麻咲はペンを何度も舞わせると、やがて旋転を止め、構えの体勢を成した。
それは後光を背負った救世の英雄の、美麗なること無等々の雄姿であったのだった!
二人は麻咲に歩み寄った。
「イチロウ、よく帰った」
「親父さんも、元気そうで何よりだ。その人は?」
「彼はメーソンの裏切り者だ」
閨川が付加する。
「裏切り者、か。聞こえ良く言ってくれてありがとう。畢竟、捨てられた兵士だ」
「メーソンと言うと、今の連中だな。そいつは信用できるのか?」
「私が言うのだから間違いないだろう」
栄山は言い放った。
「解った」
閨川が更に口をはさむ。
「勘違いしないでくれ。まだ、あなた達と手を組むと言ってないぞ」
「行く当てがあるのか?」
そう言われ、閨川は口を噤んだ。
麻咲が栄山の言葉を継ぐ。
「大した奴だ。親父さんに気に入られるとは」
麻咲の、仏の如く目映い微笑みに、その刹那、閨川は圧倒された。閨川の全魂魄が、未だ嘗てない人傑との邂逅を、ありありと感じたのだ。
麻咲は栄山に向き直った。
「つかぬ事を聞くが、奥さんは妊娠してらっしゃらないか」
「アア。確かに妻は身重だが、なぜ分かった」
栄山は訝しげな面持ちで。
「それに関しては、是非とも後日、時間を取って話そう。とても要約できる話じゃない」
麻咲は話題を変えた。
「それはそうと、ウォルターランドの事件の経緯が判った」
栄山の目が見開かれた。
「話してくれ」
「閉園後の第二ウォルターランドに肝試しに来た若いアヴェックが、怪奇現象を目撃してしまった。そこでウォルターランドの職員が、口封じのために女を殺し、男をも手に掛けようとしたんだ」
「その怪奇現象というのは、もしかして」
「そうだ。親父さんの不当解雇の原因となった、例の事件だ」
「やはりな。それで、その怪奇現象とウォルターランドの関係は?」
「直接には無関係だ。だが、『夢の国』を標榜するウォルターランドとしては、怪奇現象の噂が立つことを嫌ったんだろう。それにウォルターランドは、どうやら謎の巨大組織の資金源になっているらしい。」
「それはメーソンだ」
栄山は麻咲に、これまでの経緯を話した。
「なるほど。『幸運の哲学高校』の調査は、豆腐にかすがいと言うことか。それなら俺は、尾根ミヤマと警察署の陰謀を調査してみよう。親父さん達は、ウォルターランドの怪奇現象を解決してくれ」
「引き受けた。それからイチロウ、折角の休暇なのに巻き込んでしまって、すまないな」
斯く言われて、麻咲は苦笑しつつ言った。
「実を言うと、休暇の過ごし方に頭を痛めていたところだったんだ」
(十一)
その夜、閉園後の第二ウォルターランドに、栄山と閨川が現れた。閨川に、栄山が事件の説明を施す。
第二ウォルターランドは、三角州を埋め立てて建てられたのだ。そして、嘗て三角州の頂点があった場所から、「それ」が現出するのだ。毎夜、十一時五九分五九秒九九である。その名は「鋭角怪獣・チンダロスの犬」。
「なぜ誰も退治しなかったのだ」
「退治しなかったんじゃない。退治してもきりがないんだ。三角州の頂点を浄化しない限り、何度でも奴は現れる」
「では、奴が現れる前に浄化しよう」
「いや、奴が現れている間でなければ意味がない。奴の『現存在』が、三角州の頂点に宿るのだ」
栄山は閨川に、銃のようなものを手渡した。
その銃について尋ねる閨川に、栄山が教える。
「それは『他我遮蔽装置』だ」
「タガ・・・なんだって?」
「他我遮蔽装置だ。私が奴と戦っている間に、それで三角州を浄化してくれ」
時計台の長針が、五九分を指した。
「来るぞ」と栄山。
そして秒針が、十二時の方向を指そうとしたとき、「それ」は現れた。
現れた、というより、最初からそこに居たかのように、厳然と立ちはだかっていたのだ。
半透明の体高は優に三メートルを超え、ぐにゃぐにゃした細長い足が六本生え、その先端は鋭く尖っているが、爪はない。頭らしきものはあるが、顔はなく、内側に渦巻くどす黒い妖気が、透けて見えていた。
「行け!ジェットコースターが三角州の頂点だ」
閨川はジェットコースターに向かった。
チンダロスの犬の腕が、閨川の行く手を阻もうとした。
その腕は、栄山の鉄拳に払い落とされる。
栄山は高々と跳躍すると、チンダロスの犬の背に乗った。蠢くチンダロスの犬の背に、彼は何度も拳を振り下ろした。しかし、敵は怯まなかった。やがて六本のうち一本の腕が、栄山を払い落とした。
「栄山警視!」
閨川が振り向き、声を掛けた。
栄山は宙返りして、見事に着地した。
「早く行け!」
栄山の叫びに従い、閨川は振り向かずにジェットコースターに走った。
栄山は飛び上がると、空中で跳び蹴りの体勢をとった。だが、チンダロスの犬の二本の腕に、栄山の身体は捕まえられた。栄山は振り回されると、やがて地に叩きつけられた。
チンダロスの犬の腕が、再び閨川に伸びる。
閨川は銃を構える。
半透明の腕が、閨川の身体に巻き付く。
閨川は動きを封じられ、持ち上げられた。
閨川はもがく。しかし、右腕が抜け出せない。右腕が抜け出せないと、銃が使えない。
チンダロスの犬の頭部に、ぽっかりと口が開いた。
中を渦巻く妖気が露出した。
チンダロスの犬は、彼を食らおうとしているのだ。
閨川は、一か八か、チンダロスの犬の腕越しに銃を発射しようと考えた。失敗すれば、自らを撃ち抜きかねない。しかし、やらねば破滅は免れられぬ。
閨川は、決意を固めると、引き金を引いた。半透明の腕を貫いて、光線が発射された。一直線に伸びる光線を、栄山も見守った。
チンダロスの犬は苦しみながらも、閨川を尚も口に引き寄せる。奈落のような敵の口が、閨川に迫った。光線は尚も伸び、そして遂に、ジェットコースターに至った。
そのとき、ジェットコースターから、一瞬、埋め立てられた嘗ての三角州が姿を現した。そしてやがて、三角州は光の粒になって、消えていった。浄化は成功したのだ。
それを確認した栄山は、飛び上がると、チンダロスの犬の頭部に、肩から体当たりをした。体勢を崩したチンダロスの犬が、閨川を開放した。間一髪、またしても閨川は、栄山に救われたのだ。
着地した閨川に、敵を挟んで反対側にいる栄山が言い放った。
「同時に攻撃するぞ!」
「解った!」
閨川が手刀を構える。
「光よ、私の右手に集え」
するとどうだろう。月や街の灯火が、次々に閨川の右手に光を与えたのだ。
彼の右手は、強い光を放ち始めた。
栄山は、大きく飛び上がると、月の光を一身に受けつつ、何度も、宙返りを繰り返し、加速していった。やがて栄山は跳び蹴りの体勢に入ったが、彼の体躯は、まだ横回転を止めない。栄山は空中でドリルと化したのだ。
一方の閨川の右手から強い破壊光線が放たれた。
「タケシ・ドリル・キック!」
「フォトン光線!」
チンダロスの犬の両側から、キックと光線が同時に炸裂した。チンダロスの犬は、断末魔の叫喚と共に、大爆発を起こした。
栄山は、閨川の近くに着地した。栄山は閨川に向かって頷いて見せたが、閨川は、未だ釈然とせぬ面持ちであった。
彼はまだ、迷いの中にあったのだ。
そのとき、声が聞こえた。
「親父さん」
駆け寄って来たのは、勿論、麻咲イチロウである。
「こっちは片付いたぞ。そっちはどうだ」
「尾根ミヤマの詳しい経歴書が完成した」
そう言って手渡されたファイルに、栄山と閨川は目を通す。
「すごい。裏の裏まで調べ上げてある。よくやった」
そのとき、二人は「あること」に気付いたのだ。
「これは・・・!」
そう言って栄山に覗き込まれた麻咲の顔が、こくりと頷いた。
「そういうことだ」
三人はとうとう、ロイガー事件の裏に隠された「ある秘密」を知ったのだ。
麻咲と栄山に、閨川は言った。
「聞いてくれ。『幸運の哲学高校』の裏山に、日本支部の本拠地『グレートロッジ』がある。そこに『大幹部』がいる」
「大幹部とは何者なんだ」
「日本支部の首領だ。彼がいる限り、尾根と署長は逮捕どころか起訴すらできない」
「責めるぞ」と栄山。
「腹のくくり時が来たな」と閨川。
「メーソン退治だ」と麻咲。
夜は未だ明ける気配を見せなかった。最終決戦に臨む三人に、天は未だ、是も否も、何も示さなかったのである。
第二幕・終
注:二重敬語であり、通例不適切とされる表現。作者のミステイクであり、謹んで訂正いたします。(2018/05/13記)