パテカトル
専務に頼まれ、重ね持ったファイルを保管室へと運んでいたんです。ちょっと上向いて顎で押さえれば、そう重くもないからいけると横着した私も悪いと思うんです。でも、ファイルを重ね持つなんて普通ですし、それが原因なんて思うはずもないじゃないですか。
まぁ、両手が塞がってますので取っ手に肘を乗せて押し下げ、腰で扉を開けつつ後ろ向きに真っ暗な保管室に入ったんですよ。そこまでは問題なし。
壁際にあるスイッチを抱えたファイルで押そうとしたら、なぜか室内が明るい。前利用者が電気消し忘れた? 節電節電とうるさいのに、どこのぼんくらだ。と思いつつ手間が省けたと押さえていた扉から離れて正面へ向き直りました。真っ直ぐ進めば事務机が一つあるのです。扉が閉まる音を聞きつつ前へ進むと、そこは勝手知る保管室ではなく、見知らぬ異世界であったのです。
正しくは、異世界の某国某所で悪評高い強盗一味の根城の食堂でした。
彼ら曰く、貯蔵庫の扉が徐に開き、ファイルを抱えた私が背を向けて入ってきたため、それまでの喧噪がぴたりと止んで私の一挙一動を見つめていたそうです。
それもほんの僅かな間でしたが。女だヒャッホー!と弾けるように叫ぶ連中の声に驚いてファイルを落としたのは言うまでもありません。
逃げるどころか硬直した私をたやすく捕まえ、食べ物やら飲み物が溢れている脂ぎったテーブルをなぎ払って押し倒されました。
やぁやぁ我こそがと一番乗りで揉めている中、戦利品で面白い物を手に入れたから皆で楽しもうと誰かが言い出し、悪党面した連中の下卑た笑みで見下ろされつつ鼻を摘まれ訳の分からない液体を飲まされました。
げほげほと噎せる私に構わず、連中は支給品である制服を引きちぎり、四肢を押さえ込んで様子を伺っております。飲んだ何かの効力を期待してなのでしょう。ギラギラとした眼差しに脅えながら、その場にいた私を含めて全員が固唾を飲んでおります。
液体の持ち主が確か即効性とか言っていたように思うのですが、確かに即効性でした。長いとも思える沈黙の時間は、一分そこそこで効果が現われだしたのです。
微かに息が乱れだし、頬に赤みがさし、吐き出す息が心なしか熱く思え、体温が上昇しているのか、あるいは吐息の熱が気温を上げているのか、妙に暑く感じてしまいます。
しかも息だけではなく、間を置かずして微かに艶めかしい声まで漏れてくるではありませんか。
ここにきて、恐れ戦く私にも何を飲まされたのかがようやく分かりました。即効性の媚薬とか謳われるようないかがわしい薬なのだろうと。
ただ、分からないのはハァハァアンアン言っているのが私ではなく、この場にいる連中であるということです。
しゃがれた、しわがれた、だみた、趣溢れる野太い声の『抱いてー!』斉唱に私の膀胱は震え上がりました。
私への媚薬効果ですか? なんともありません。へっちゃらへーの屁の河童です。
取りあえず、貞操の危機なので食堂から逃げ出しました。逃がすまじと追いかけてくる人もおりましたが、『アフン』と気持ち悪い声を漏らして崩折れてくれるので助かりました。
根城から出るまでのあいだ、もちろん強盗連中と鉢合わせるのですが、ことごとく『抱いてー!』斉唱ののちに『アフッ』と蹲ってくれるので何とか逃げ出すことができました。
なかなか薬の効果が切れなかったようで、たまたま根城を突き止めて検挙に乗り込もうとしていた騎士団の方々も身悶えさせてしまいましたが、無事に保護され強盗連中もお縄と相成りました。
実に摩訶不思議なこの現象、異世界に渡ったせいなのか、少しばかり体質が奇異となったようでして、薬物の服用を致しますと私の周りにいる方に影響が出るようです。日本にいたころは、そんな摩訶不思議体質ではなく至って普通の人間でした。
服用した薬の効果も倍、三倍とかだったりします。えぇ、私にはまったく、これっぽっちも効果はないんですけどね。なので、うっかり病気になって、薬を飲んでも意味がありません。
手術が必要になって麻酔をかけても私には効果がなく、手術をすべき医者に効果が出るとか、実に恐ろしくてうかうかと病気や怪我などできませんよ。
今では日本に戻る機会もなく、異世界の病院に席を置いて過ごしております。こういってはなんですが、流行病とかになると神のごとき扱いで、世界中からラブコールがひっきりなしだったりします。
とりあえず本日は、風邪っぴきを一室に集めて風邪薬を飲むだけの簡単なお仕事です。
薬代が浮くからと重宝されている日々だったりします。