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探偵・久世朔  作者: 九重有
東京開発事件簿

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7/17

警察が来ない





 通報の音は、街に溶ける。

 溶けたまま戻ってこない時、人は「自分が悪いのかも」と思い始める。


 結城修吾の車内で、無線が短く鳴った。


「また遅延だ」


 結城が吐き捨てる。


「遅延ってさぁ……」


 俺が言うと、結城が睨む。


「余計なこと言うな」


 誠司くんは、前を見たまま資料をめくった。硬い手つき。硬い目。


「被害者は二人。秋山宏樹と早川直人。暴行。二次被害が出ている」


「二次被害?」


 結城がハンドルを握り直す。


「秋山が殴られたあと、早川が助けに入って、そっちもやられた。通報は最初の時点で入ってる。なのに初動が遅れてる」


 直斗が小さく言った。


「……また、来ない地区ですか」


 結城が鼻で笑う。


「来ないんじゃねえ。来れないって言い訳が用意されてる」


 誠司くんが言う。


「現場へ」




 現場は、古い商店街の裏手だった。街灯が少ない。監視カメラは角度が悪い。見えそうで見えない場所。


 秋山宏樹は、店のシャッター前に座っていた。責任感が強いリーダーの顔。完璧主義の疲れが目に出てる。痛みに耐えるのが上手い顔だ。


「警察、遅かったですね」


 秋山の声は平静だった。平静にしないと崩れる人間の声。


 隣で早川直人が湿布を貼られている。軽い顔。だけど目だけ真顔になる瞬間がある。今がそれだ。


「俺、通報したんすよ。すぐ。なのに」


 早川は笑ってごまかそうとしたが、途中でやめた。


 結城が言う。


「状況を言え」


 秋山が答えた。


「見知らぬ男が来て、金を出せと。断ったら殴られた。俺が倒れて、直人が——」


「俺が止めに入った。そしたら、こっちも」


 早川が続ける。


 誠司くんが静かに言った。


「犯人の特徴」


 秋山は即答する。


「要領がいい。嘘が上手い。謝り方が上手い。……なのに、目が泳ぐ」


 俺は少しだけ口を出す。


「罪悪感、隠しきれてない感じ?」


 秋山が頷く。


「そう。怖かったのは、暴力じゃない。手続きみたいに殴られたことだ」


 結城が眉を寄せる。


「手続き?」


 早川が言う。


「言い方が丁寧なんすよ。“恐れ入りますが”って。殴りながら」


 嫌な丁寧。今までの匂いと同じだ。


 直斗が言った。


「それ、変ですね」


 結城が言う。


「変でも、上は動かねえ。ここ、初動が遅れる地区だ」


 誠司くんが短く言った。


「遅れた理由を見せろ」




 交番の記録。通信指令のログ。出動要請の履歴。

 結城の同僚は渋い顔で端末を回した。


「今は新システムなんだよ。自動で振り分ける。手入力が減った。効率化だ」


 結城が言う。


「で、効率化の結果がこれか」


 誠司くんは画面を見て言った。


「通報が“優先度低”に分類されている」


「そんなわけねえだろ」


 結城が言う。


「分類条件がある」


 誠司くんが淡々と言った。


「通報者が“通報歴あり”。場所が“過去に虚報多発”。さらに“委託警備区域”」


 結城が固まる。


「委託警備区域?」


 同僚が視線を逸らす。


「商店街、警備会社入ってるだろ。あっちが一次対応する契約」


 誠司くんが言う。


「一次対応が遅れたら、警察が動く」


「そういう運用」


「その運用が、暴行に向いていない」


 誠司くんの声は硬い。逃げ道を作らない硬さ。


 俺は早川の顔を思い出す。

 軽くて、でも急に真顔になる瞬間がある。あれは「守るもの」がある顔だ。


 俺は結城に言う。


「ここ、誰が“通報歴あり”なの?」


 結城が眉を寄せる。


「秋山だ。前にも通報してる。騒音とか、揉め事とか」


「真面目で責任感強い人ほど通報するよね。結果、優先度下げられるの、最悪だね」


「余計なこと言うな」


 結城が言うが、言い返す力が弱い。結城も分かってる。


 誠司くんが言った。


「結城。このログを押さえる。運用の穴を証拠化する」


「上が嫌がる」


「嫌がっても、必要だ」


 誠司くんの声が少しだけ強くなる。珍しい。誠司くんは“人”じゃなく“仕組み”に怒る時がある。




 犯人の線を詰めるため、秋山の店の裏を見た。

 監視カメラは角度が悪い。だが、店のガラスに反射が残っていた。


 直斗が前に出た。


「僕、見ます。映像、触って——」


「篠宮。触るな」


 誠司くんの声が刺さる。


「はいっ」


 直斗は止まったが、手が震えている。憧れが先に走る。危ない。


 結城が直斗の肩を掴む。


「余計なことすんな。証拠を汚すな」


「すみません……」


 直斗は引く。引けるのは偉い。


 誠司くんが反射の位置を測り、時間帯を合わせた。


「ここを通った車のシルエットが出る。ナンバーは無理だが、車種は絞れる」


 結城が言う。


「該当車、周辺で出入りしてるやつを洗う」


 同僚が渋い顔で言う。


「結城、それやると上が——」


 結城が言い返しかけて、止めた。止めた顔が苦い。


 誠司くんが言った。


「結城。あなたが止まる必要はない。止められるなら、止める側の署名を残せ」


 結城が誠司くんを見る。


「……お前、言い方きついな」


「事実だ」


 誠司くんは冷たい。だけど、結城を守る冷たさでもある。




 容疑者の西村祐斗は、呼び出しに素直に来た。要領がいい。嘘が上手い。罪悪感を隠せない。

 その“隠せなさ”を、本人は武器にする。


「すみません。僕、何かしました? 怖いんですけど」


 最初に“怖い”と言う。

 被害者の言葉を先に奪うやつだ。


 結城が言う。


「昨夜、どこにいた」


「家です。ずっと」


「証拠は」


「ないです。でも……僕、そういうの苦手で。嘘とか」


 嘘が上手いくせに、苦手と言う。丁寧に。


 誠司くんが言った。


「あなたは“委託警備区域”の運用を知っている」


「え?」


 西村の眉がわずかに動く。


 誠司くんは続ける。


「通報しても警察がすぐ来ない区域。一次対応は警備会社。遅延が出やすい。だから、ここを選んだ」


「選んだ? 何の話です?」


 西村は笑った。笑いが薄い。


 俺は西村を見て言った。


「西村くん、怖いって言い方が上手いね。誰に教わったの?」


「え……何がですか」


「“怖い”って言うと、こっちが優しくなるって知ってるよね」


 結城が睨む。


「久世」


「ごめん。ちょっとだけ」


 西村の目が一瞬泳いだ。罪悪感の形。

 隠せないんじゃない。隠さない。見せて逃げる。


 誠司くんが言った。


「暴行の動機を言え」


「動機なんてないです。向こうが——」


 そこで西村の視線が一瞬だけ、結城の机の隅に置かれた資料に落ちた。

 新システム導入資料。承認欄。委託運用。


 俺は言った。


「今、そっち見たよね。警察が遅れる仕組み、気にしてる感じだよね」


 西村の口が固まる。




 参考人の田所亮介は、理性的だった。理性的で、でも本当は怖がり。

 理性で怖さを押し込めてる人間の目だった。


「彼は……西村は、商店街の“安全講習”に来てました。警備会社の人と一緒に。いつも、丁寧でした」


 結城が言う。


「警備会社の名前は」


 田所が答える。結城が顔を歪める。

 また繋がる。委託。運用。丁寧。善意。


 誠司くんが言う。


「西村。あなたは暴行をした。だが、狙いは暴行ではない。初動の遅れが生む二次被害を見せることだ」


「そんなこと、誰が得するんですか」


 西村が言った。丁寧に。


 俺は言った。


「得する人がいるからやるんだよね。怖がらせて、守らせて、従わせる」


 誠司くんが俺を見た。硬い目。止める目。


 俺は手を上げる。


「はいはい。黙る」


 誠司くんが西村に言った。


「あなたは、秋山が“通報歴あり”だと知っていた。通報が優先度低に落ちる条件も知っていた。外からは分からない。中の運用に触れた者の知識だ」


 西村の顔から、笑いが消えた。


「……僕は」


 声が小さくなる。


 そこで俺は、被害者側に寄る。

 秋山は責任感で自分を削る。早川は軽さで痛みを隠す。守りたいものがある。


 俺は西村に言った。


「秋山さん、守りたかっただけだよね。店も、人も。通報も。守ろうとして、通報して、優先度下げられて。バカみたいだよね」


 西村の喉が鳴った。


「……僕も、店があるんです」


「それが“守りたいもの”なんだね」


 西村の目が潤む。罪悪感が出る。隠せない。


「警備会社の人に言われたんです。『今の仕組みを見せれば、改善される』って。『被害が分かれば、動く』って」


 結城が低く言う。


「誰だ」


 西村は首を振る。


「名前は……名刺だけ。委託番号が書いてあって」


 結城が机を叩きそうになって、叩かない。


 誠司くんが言った。


「結城。ここから先は“暴行事件”ではない。“運用の欠陥”だ。証拠を揃える」


「上が止める」


「止めるなら、止めた記録を残す。承認欄に署名させる」


 結城が息を吐く。


「……分かった」




 翌日。誠司くんは、運用ログと導入資料を束ねた。

 管轄の穴。委託の穴。優先度分類の条件。二次被害の因果。


 結城が上に叩きつけると、空気が変わった。

 止める時、上はいつも綺麗な言葉を使う。慎重、適正、運用上。

 誠司くんは、その綺麗さを“証拠”に変える。


 最後に残ったのは、導入資料の承認欄だった。


 そこに、見慣れない名前があった。


 朝倉晃。


 結城が低く言う。


「……財団の理事」


 誠司くんは短く言った。


「繋がっている」


 俺は息を吐く。


「丁寧にね」


 結城が吐き捨てる。


「丁寧すぎて、腹が立つ」


 誠司くんが言った。


「腹を立てるのは後だ。今は、動く」


 硬い声。だけど、守る内容だった。

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