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探偵・久世朔  作者: 九重有
東京開発事件簿

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6/17

滑らかすぎる目撃者





 結城修吾の機嫌は、朝から悪かった。悪いというより、悪いのが通常で、今日は“さらに”悪い。


「事故で終わらせろ、だとよ」


 結城が吐き捨てる。


「終わらせたがってるってことだよね」


 俺が言うと、結城が睨む。


「余計なこと言うな」


 誠司くんは黙って資料を机に置いた。事故現場の写真、実況見分のメモ、そして——綺麗に整った供述調書のコピー。


「ひき逃げ。被害者は片岡翔。搬送後に死亡」


 誠司くんの声は硬い。


 片岡翔。勢いで生きる。調子がいい。孤独に弱い。そういう人間ほど、夜に独りで歩く。


「容疑者は?」


 結城が聞く。


「山城亮太。被害者の知人。几帳面で堅い」


「目撃者は?」


「芝田俊介。控えめ。気が弱い。正直すぎる」


 結城が鼻で笑う。


「で、証言が完璧すぎる、ってやつか」


 誠司くんが頷く。


「時刻、車種、色、進行方向、運転者の特徴。加えて“被害者の倒れ方”まで。誤差がない」


 俺は供述調書を眺めて言った。


「本物の目撃って、そんなに綺麗に語れないよね」


 結城が言う。


「綺麗に語れるやつもいるだろ」


「いるけど、綺麗すぎるのは別。記憶じゃなくて、台本っぽい」


 誠司くんが短く言う。


「現場へ」




 事故現場は、湾岸から少し内側に入った片側二車線の道路だった。夜なら車が流れる。朝なら人が途切れる。中途半端に暗い、いちばん危ない道。


 規制線の向こうに、白いチョークの跡。道路標示。折れたミラーの欠片。


 結城が地面を指した。


「ここで跳ねられて、ここに倒れた。目撃者はこの歩道橋の上から見たって言ってる」


 歩道橋。高さ。距離。角度。


 誠司くんが無言で上る。俺もついていく。直斗は一段一段、慎重だ。


「段差、仲良くしてね」


「はい。努力します」


 誠司くんが振り向かずに言う。


「会話するな。足元を見ろ」


「はいっ」


 歩道橋の上。風が冷たい。見下ろすと、車道が細い帯みたいに伸びている。


 誠司くんが立ち位置を決めた。


「芝田の供述は“右手から来た黒い車が、被害者の左肩を弾いた”。だが、この位置からは——」


 誠司くんが指差す。


「街路樹と標識で、右手が欠ける。見えるのは“車の前”ではない。“側面”だ」


 結城が眉を寄せる。


「つまり」


「左肩を弾いたかどうかは分からない。倒れ方も分からない。なのに、供述にはある」


 俺は息を吐いた。


「芝田さん、見てない部分まで喋ってるよね」


「目じゃない」


 誠司くんが言う。


「言葉が良すぎる」




 署に呼ばれた芝田俊介は、椅子に座るだけで疲れて見えた。控えめで、気が弱い。顔色が薄い。


「ご、ご協力します。全部、見ました」


 言い切るのが早い。怖がってるのに、文章だけが先に出る。


 俺は柔らかく聞いた。


「芝田さん、どこから見たの?」


「歩道橋の上です。えっと、二段目の踊り場のところで」


 誠司くんが言う。


「踊り場はない」


「え?」


 芝田の顔が固まる。


 結城が机を叩く。


「嘘か」


「ち、違います! 踊り場っていうか、広いところが——」


「広いところは中央だけだ」


 誠司くんが冷たく言う。


 芝田が目を泳がせる。


「……すみません。中央です」


 直斗が小声で言った。


「最初から中央って言えば…」


「篠宮」


「はいっ」


「黙れ」


「はいっ」


 俺は芝田に言う。


「芝田さん、今、言い直す前に目が泳いだよね。誰の顔を見たの?」


「……」


「供述調書、誰が書いたの?」


 芝田が震えた。


「警察の方が…まとめてくれました」


「誰」


 誠司くんが聞く。


「……結城さんの、同じ課の方です」


 結城が顔をしかめる。


「俺の課?」


 誠司くんが言う。


「上から“事故で終わらせろ”と言われた理由が増えた」


 結城が舌打ちする。


「ちっ」




 山城亮太は、取調室に入った瞬間から姿勢が良かった。几帳面。堅い。正しい角度で座る。正しい声で答える。


「俺はやってない」


「片岡と揉めていた」


 結城が言う。


「揉めてない。あいつが勝手に怒ってただけだ」


 否定の圧が強い。強すぎて、体が先に出る。指が机を叩きそうで叩かない。


 俺は軽く言う。


「山城さん、今、椅子を鳴らしたよね」


「は?」


「体が先に動くタイプって感じ」


 山城の目が鋭くなる。


 誠司くんが言う。


「久世。挑発するな」


「してないよ。観察」


 誠司くんは淡々と続けた。


「昨夜の動線を言え」


 山城は整った言葉で答える。時刻も、場所も、レシートも、全部揃っている。揃いすぎる。


 芝田の供述が整いすぎているのに、山城のアリバイも整いすぎている。

 同じ匂いがする。




 夕方。現場再現。日が落ちる直前。見え方がいちばん曖昧な時間。


 誠司くんが歩道橋の上で言う。


「芝田の供述どおりなら、車の色を“黒”と断言できない。光の反射で濃紺に見える」


 結城が言う。


「車種も分かりづらい」


「なのに供述は“黒のセダン”。しかも“右のバンパーが欠けていた”」


 誠司くんが続ける。


「この距離で欠けは見えない」


 俺が言う。


「じゃあ芝田さんは、見えてないのに言わされてるよね」


 直斗が言った。


「でも芝田さん、嘘つく人に見えませんでした」


「嘘って、顔に貼ってないよね」


 直斗が黙る。少しだけ悔しそう。そこは伸びる。


 結城が言う。


「芝田は操られてるってことか」


 誠司くんが頷く。


「台本を渡された」


「誰に」


 誠司くんは答えない。結城のスマホが鳴った。


「……上か。……分かった」


 結城が切る。


「山城の件、触るな、だとよ」


「触らせない理由があるよね」


 俺が言うと、結城が睨む。


「余計なこと言うな」




 その夜、芝田が再度呼ばれた。顔が真っ白だった。


「すみません…本当のこと言います」


 正直すぎる人の顔だ。言った瞬間に崩れる。


「昨日、僕、相談してて…」


「相談?」


 結城が聞く。


「交通事故の相談窓口みたいなところに。そしたら、“協力すれば守られる”って」


 誠司くんが言う。


「誰が言った」


「名刺、あります」


 芝田が震える手で差し出した名刺。相談員の名前。

 裏には、薄く印刷された委託番号。


 結城が息を吐く。


「またそれかよ」


 俺は言った。


「丁寧だね。棘がない」


 誠司くんが短く言う。


「久世。今は笑うな」


「笑ってないよ」




 山城が呼ばれた。揃いすぎた人間は、崩す時に“音”が出る。


 俺は山城に言った。


「山城さん、今、呼吸が速くなったよね」


「は? 何が言いてえんだ」


「芝田さんの証言、完璧すぎる。あの場所から右のバンパー見えないよ。見えるって言うなら、説明して」


 山城の顔が赤くなる。


「見えるに決まってんだろ! あの歩道橋、——」


 言った瞬間、誠司くんが言った。


「見たことがない者は、言えない」


 山城が黙る。


 結城が言う。


「お前、現場にいたな」


 山城は歯を噛んだ。


「……片岡がムカついたんだよ。調子よくて、金借りて返さなくて、ヘラヘラして」


 俺は軽く言う。


「今、声のトーン変わったね」


 誠司くんが睨む。


「久世」


「ごめん。やめる」


 誠司くんが続ける。


「だが、ひき逃げは突発ではない。目撃者の台本がある。相談員がいる。あなた一人ではない」


 山城が震えた。


「俺は…頼っただけだ。助けてくれるって」


 俺は芝田の名刺を指で弾く。


「言葉、揃いすぎてるよね。誰かに教わったみたい」


 結城が舌打ちする。




 結城が資料を机に置いた。


「相談員、どこの会社だ」


 誠司くんが名刺のロゴを見て言う。


「委託先。再開発関連の“支援”と同じ系列だ」


 結城が顔を歪める。


「財団か」


 誠司くんは答えない。ただ、名刺の裏の番号を指でなぞる。


 俺は小さく言った。


「整ってるって、安心させるために見えるよね。安心させて、口を閉じさせる」


 誠司くんが短く言う。


「命令しない。選ばせる」


 結城が眉を寄せる。


「誰のやり方だ」


 誠司くんは言わない。言わないのが答えだ。


 名刺の裏の委託番号が、冷たく光って見えた。

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