滑らかすぎる目撃者
結城修吾の機嫌は、朝から悪かった。悪いというより、悪いのが通常で、今日は“さらに”悪い。
「事故で終わらせろ、だとよ」
結城が吐き捨てる。
「終わらせたがってるってことだよね」
俺が言うと、結城が睨む。
「余計なこと言うな」
誠司くんは黙って資料を机に置いた。事故現場の写真、実況見分のメモ、そして——綺麗に整った供述調書のコピー。
「ひき逃げ。被害者は片岡翔。搬送後に死亡」
誠司くんの声は硬い。
片岡翔。勢いで生きる。調子がいい。孤独に弱い。そういう人間ほど、夜に独りで歩く。
「容疑者は?」
結城が聞く。
「山城亮太。被害者の知人。几帳面で堅い」
「目撃者は?」
「芝田俊介。控えめ。気が弱い。正直すぎる」
結城が鼻で笑う。
「で、証言が完璧すぎる、ってやつか」
誠司くんが頷く。
「時刻、車種、色、進行方向、運転者の特徴。加えて“被害者の倒れ方”まで。誤差がない」
俺は供述調書を眺めて言った。
「本物の目撃って、そんなに綺麗に語れないよね」
結城が言う。
「綺麗に語れるやつもいるだろ」
「いるけど、綺麗すぎるのは別。記憶じゃなくて、台本っぽい」
誠司くんが短く言う。
「現場へ」
事故現場は、湾岸から少し内側に入った片側二車線の道路だった。夜なら車が流れる。朝なら人が途切れる。中途半端に暗い、いちばん危ない道。
規制線の向こうに、白いチョークの跡。道路標示。折れたミラーの欠片。
結城が地面を指した。
「ここで跳ねられて、ここに倒れた。目撃者はこの歩道橋の上から見たって言ってる」
歩道橋。高さ。距離。角度。
誠司くんが無言で上る。俺もついていく。直斗は一段一段、慎重だ。
「段差、仲良くしてね」
「はい。努力します」
誠司くんが振り向かずに言う。
「会話するな。足元を見ろ」
「はいっ」
歩道橋の上。風が冷たい。見下ろすと、車道が細い帯みたいに伸びている。
誠司くんが立ち位置を決めた。
「芝田の供述は“右手から来た黒い車が、被害者の左肩を弾いた”。だが、この位置からは——」
誠司くんが指差す。
「街路樹と標識で、右手が欠ける。見えるのは“車の前”ではない。“側面”だ」
結城が眉を寄せる。
「つまり」
「左肩を弾いたかどうかは分からない。倒れ方も分からない。なのに、供述にはある」
俺は息を吐いた。
「芝田さん、見てない部分まで喋ってるよね」
「目じゃない」
誠司くんが言う。
「言葉が良すぎる」
署に呼ばれた芝田俊介は、椅子に座るだけで疲れて見えた。控えめで、気が弱い。顔色が薄い。
「ご、ご協力します。全部、見ました」
言い切るのが早い。怖がってるのに、文章だけが先に出る。
俺は柔らかく聞いた。
「芝田さん、どこから見たの?」
「歩道橋の上です。えっと、二段目の踊り場のところで」
誠司くんが言う。
「踊り場はない」
「え?」
芝田の顔が固まる。
結城が机を叩く。
「嘘か」
「ち、違います! 踊り場っていうか、広いところが——」
「広いところは中央だけだ」
誠司くんが冷たく言う。
芝田が目を泳がせる。
「……すみません。中央です」
直斗が小声で言った。
「最初から中央って言えば…」
「篠宮」
「はいっ」
「黙れ」
「はいっ」
俺は芝田に言う。
「芝田さん、今、言い直す前に目が泳いだよね。誰の顔を見たの?」
「……」
「供述調書、誰が書いたの?」
芝田が震えた。
「警察の方が…まとめてくれました」
「誰」
誠司くんが聞く。
「……結城さんの、同じ課の方です」
結城が顔をしかめる。
「俺の課?」
誠司くんが言う。
「上から“事故で終わらせろ”と言われた理由が増えた」
結城が舌打ちする。
「ちっ」
山城亮太は、取調室に入った瞬間から姿勢が良かった。几帳面。堅い。正しい角度で座る。正しい声で答える。
「俺はやってない」
「片岡と揉めていた」
結城が言う。
「揉めてない。あいつが勝手に怒ってただけだ」
否定の圧が強い。強すぎて、体が先に出る。指が机を叩きそうで叩かない。
俺は軽く言う。
「山城さん、今、椅子を鳴らしたよね」
「は?」
「体が先に動くタイプって感じ」
山城の目が鋭くなる。
誠司くんが言う。
「久世。挑発するな」
「してないよ。観察」
誠司くんは淡々と続けた。
「昨夜の動線を言え」
山城は整った言葉で答える。時刻も、場所も、レシートも、全部揃っている。揃いすぎる。
芝田の供述が整いすぎているのに、山城のアリバイも整いすぎている。
同じ匂いがする。
夕方。現場再現。日が落ちる直前。見え方がいちばん曖昧な時間。
誠司くんが歩道橋の上で言う。
「芝田の供述どおりなら、車の色を“黒”と断言できない。光の反射で濃紺に見える」
結城が言う。
「車種も分かりづらい」
「なのに供述は“黒のセダン”。しかも“右のバンパーが欠けていた”」
誠司くんが続ける。
「この距離で欠けは見えない」
俺が言う。
「じゃあ芝田さんは、見えてないのに言わされてるよね」
直斗が言った。
「でも芝田さん、嘘つく人に見えませんでした」
「嘘って、顔に貼ってないよね」
直斗が黙る。少しだけ悔しそう。そこは伸びる。
結城が言う。
「芝田は操られてるってことか」
誠司くんが頷く。
「台本を渡された」
「誰に」
誠司くんは答えない。結城のスマホが鳴った。
「……上か。……分かった」
結城が切る。
「山城の件、触るな、だとよ」
「触らせない理由があるよね」
俺が言うと、結城が睨む。
「余計なこと言うな」
その夜、芝田が再度呼ばれた。顔が真っ白だった。
「すみません…本当のこと言います」
正直すぎる人の顔だ。言った瞬間に崩れる。
「昨日、僕、相談してて…」
「相談?」
結城が聞く。
「交通事故の相談窓口みたいなところに。そしたら、“協力すれば守られる”って」
誠司くんが言う。
「誰が言った」
「名刺、あります」
芝田が震える手で差し出した名刺。相談員の名前。
裏には、薄く印刷された委託番号。
結城が息を吐く。
「またそれかよ」
俺は言った。
「丁寧だね。棘がない」
誠司くんが短く言う。
「久世。今は笑うな」
「笑ってないよ」
山城が呼ばれた。揃いすぎた人間は、崩す時に“音”が出る。
俺は山城に言った。
「山城さん、今、呼吸が速くなったよね」
「は? 何が言いてえんだ」
「芝田さんの証言、完璧すぎる。あの場所から右のバンパー見えないよ。見えるって言うなら、説明して」
山城の顔が赤くなる。
「見えるに決まってんだろ! あの歩道橋、——」
言った瞬間、誠司くんが言った。
「見たことがない者は、言えない」
山城が黙る。
結城が言う。
「お前、現場にいたな」
山城は歯を噛んだ。
「……片岡がムカついたんだよ。調子よくて、金借りて返さなくて、ヘラヘラして」
俺は軽く言う。
「今、声のトーン変わったね」
誠司くんが睨む。
「久世」
「ごめん。やめる」
誠司くんが続ける。
「だが、ひき逃げは突発ではない。目撃者の台本がある。相談員がいる。あなた一人ではない」
山城が震えた。
「俺は…頼っただけだ。助けてくれるって」
俺は芝田の名刺を指で弾く。
「言葉、揃いすぎてるよね。誰かに教わったみたい」
結城が舌打ちする。
結城が資料を机に置いた。
「相談員、どこの会社だ」
誠司くんが名刺のロゴを見て言う。
「委託先。再開発関連の“支援”と同じ系列だ」
結城が顔を歪める。
「財団か」
誠司くんは答えない。ただ、名刺の裏の番号を指でなぞる。
俺は小さく言った。
「整ってるって、安心させるために見えるよね。安心させて、口を閉じさせる」
誠司くんが短く言う。
「命令しない。選ばせる」
結城が眉を寄せる。
「誰のやり方だ」
誠司くんは言わない。言わないのが答えだ。
名刺の裏の委託番号が、冷たく光って見えた。




