丁寧な脅し
誠司くんに「無茶はするな」と甘いことを言われた翌朝、俺は無茶の代わりにパンを焼いた。
焼いたっていうか、トースターに放り込んだだけだけど。
「努力はする、って言ったよね俺」
独り言を言いながら、焦げた面を見てため息をつく。努力の方向性を間違えるのは得意だ。
事務所のドアがノックもなく開く。
「お前、今日は鍵かけろ」
結城修吾が入ってくる。相変わらず人んちみたいに。
「警察が言うこと?」
「警察だから言うんだよ。あと、そのパンは凶器か?」
「朝食」
「朝から事件を食うな」
結城の後ろから、篠宮直斗が顔を出した。今日は転ばないように両手を空けて、慎重に一歩ずつ入ってくる。昨日の反省が生きてる。偉い。
「おはようございます、久世さん。橘さんも」
机の横で誠司が静かにコーヒーを淹れていた。姿勢がいい。淹れ方もきっちりしてる。俺の焦げパンと並べると人格の差がひどい。
「おはよう。直斗くん、今日は立ってるね」
「はい。今日は、立ってます」
「目標低いな」
誠司が固い声で突っ込む。結城が鼻で笑った。
「で、今度は何だよ。財団の名前がまた出たのか?」
「出たよ。出たけど、今回は“名前”より嫌なやつ」
結城は封筒を机に置いた。白い、無地の封筒。差出人なし。宛名は、名前と住所だけ。手書き。丁寧な字。
「昨日の今日で、これ」
結城が言う。
誠司が封筒を手袋でつまみ、開封する。中から、A4が一枚。折り目もきれい。紙質もいい。文章もいい。……いい、っていうのが気持ち悪い。
誠司が読み上げる。
「河合祐介 様。突然のご連絡をお許しください。ご家族の安全を最優先にお考えになり、今後のご判断を――」
その時点で俺は笑いそうになった。
「丁寧すぎる。丁寧すぎて腹が立つ」
「笑うな」
結城が俺の額を軽く小突いた。痛くはない。
「でも、これ、脅迫状だろ。内容はちゃんと脅し」
誠司が続きを読む。
「……再開発に関するご協力をお願い申し上げます。ご理解いただけない場合、残念ながら不慮の事故が起こり得ます。私どもは望んでおりません」
「望んでない、って言うやつほど望んでるよね」
俺が言うと、誠司が視線だけで黙れと言ってくる。黙らない。
「河合って誰だよ」
結城が言う。
「地権者。東湾の再開発エリアの、古い区画に土地を持ってる。今、立ち退きでもめてる」
結城が言う。誠司がすぐに質問。
「なぜ、警察ではなく探偵に持ち込む」
「警察にも行ってる。でも、扱いが軽い。文面が丁寧すぎて“本気じゃない”って思われてる」
「本気じゃない脅迫なんてないのにね」
俺が言うと、結城が眉間に皺を寄せた。
「だから腹立つんだよ。財団絡みの匂いがする案件は、上が嫌がる。直接言わねえけどな」
誠司が脅迫状の紙を光にかざす。透かす。角度を変える。机に置いて、指で折り目をなぞる。
「久世。まず、これの気持ち悪さを言語化してくれ」
「え、俺が? 誠司くんが言語化担当でしょ」
「君の担当だ。人の癖を見るのは」
固い。指名が固い。でも、たまにこういう“任せ方”をしてくる。甘いのに近い。
俺は紙を見て、息を吐いた。
「脅迫ってさ、普通は乱暴になるじゃん?言葉が尖って敬語を使っても、どこかで“怒り”が漏れるよね。でもこれ、怒りがない。むしろ、謝ってる。『突然のご連絡をお許しください』って、誰が脅迫で許しを請うの?」
直斗が首をかしげる。
「丁寧な人……?」
「丁寧な人、っていうより、丁寧を武器にしてる人。対面で丁寧にする仕事。クレーム対応とか、窓口とか、営業とか」
結城が舌打ちする。
「相談窓口……」
「うん。あの匂い」
誠司が頷く。
「紙質は市販より上。印刷ではなくプリント、だが家庭用ではない。折り方が均一。投函の時間帯も、同じ」
「同じ?」
結城が聞く。
「同様の文面が、別の地権者にも届いているよ?三通。全て同じ折り目、同じ紙。つまり一人、もしくは一つの“部署”」
結城が俺を見た。
「行くぞ。河合の家に」
「はいはい。俺はパンだけ食べさせて」
「食うな。今すぐ来い」
「警察って言葉が乱暴」
「お前が遅いからだ」
俺は焦げパンを一口だけかじって、口の中の乾燥にむせた。
「うっ……財団みたいな優しさがない……」
誠司がコーヒーを差し出してくれた。無言で。こういうところ、甘いのがずるい。
河合祐介の家は、再開発エリアの外れにある古い一軒家だった。家の前に、立ち退きの資料が入った箱が積まれている。玄関の表札は綺麗に磨かれている。几帳面な匂い。
インターホンを押すと、中から足音がして、鍵が二つ外れる音がした。
出てきた男は、スーツなのにネクタイがきっちり締まっていない。疲れている。目が寝ていない。口元が固い。声は小さい。
「……警察の方ですか」
結城が名刺を出し、俺たちを示す。
「こいつらは協力者。探偵の久世と、その相棒の橘」
河合の視線が俺に移った瞬間、警戒が一段増した。わかる。探偵って言葉、怪しいよね。
俺は笑う。柔らかめに。
「こんにちは。脅迫状、見せてもらえる?」
河合は迷った末に、紙の束を差し出した。四通目だ。昨日届いたのが、結城が持ってきたやつ。これが、それ以前の三通。
誠司が紙を並べる。机の上に、まっすぐ。角まで合わせる。なんかもう、誠司の性格が机に出る。
俺は河合に聞く。
「これ、誰かに心当たりある?」
河合は首を振る。素早く。
「ない。私は……普通に暮らしてるだけです。土地も、先祖代々で……」
「再開発に反対してる?」
「……反対というか。条件が納得できないだけです。家族がいます。簡単に署名できません」
結城が頷く。
「河合、お前の立場はわかった。だが、こういう紙が届いてる以上、単なる交渉じゃねえ」
河合が震える。声が小さくなる。
「……家族に何かあったら、と思うと」
そこに、別の声が入った。
「河合さん、落ち着いて」
奥から出てきた男がいた。若い。二十代後半くらい。人懐っこい笑顔。スーツの着こなしが軽い。目がよく動く。こういうの、口が上手い。
園田悠人。
名刺が机に置かれる前に、俺は名前を覚えた。名刺の字より、本人の雰囲気が先に喋ってる。
「私、自治体の相談窓口と連携してます、園田と申します。河合さんの支援に入っていて」
結城の眉が動く。嫌なやつだ。
「支援?」
園田がにこやかに続ける。
「ええ。再開発で不安な方の相談を受けて、橋渡しをしています。最近、物騒な手紙も増えてますし」
物騒な手紙、って言い方が軽い。丁寧に軽い。すごいな、こういう人。
誠司が固い声で言う。
「園田さん。この脅迫状に心当たりは」
「まさか。そんな恐ろしいこと、誰が」
園田は笑いながら言う。でも、笑ってるのに息が少し浅い。焦りじゃない。警戒。
俺は園田に話しかける。柔らかく。甘いくらいに。
「園田さん、優しいね。こういう仕事って、疲れない?」
「疲れますよ。だからこうして、皆さんの顔を見ると救われます」
言葉が上手い。滑らか。
「……救われるって、どういう救い?」
「え?」
園田の笑顔が一瞬だけ止まった。
誠司が机の紙を指で叩く。硬い音。
「久世。先に“これ”をやる」
「はいはい」
誠司は俺に紙を渡した。俺は文章をもう一度読む。丁寧。丁寧。丁寧。……丁寧の中に、混ざってる。
「河合さん、この文面、読み上げたことある?」
「……ないです」
「じゃあ、読んでみて。ここ」
俺は一行を指差す。
『私どもは望んでおりません』
河合は読んだ。声が震える。園田が微笑む。結城が睨む。直斗が息を止める。
河合が読み終えた瞬間、俺は言った。
「河合さん、今、言いにくかったでしょ」
「え?」
「『私どもは』って言葉、普段使わないよね?窓口とか、会社の文章で使うやつ。河合さん、普段こういう敬語、使う?」
「使いません」
「だよね。だから、これを書いた人は、こういう敬語が身体に染みてる」
園田が笑う。
「文章の癖で犯人探しですか。探偵さんって面白いですね」
面白い、って言い方が軽い。丁寧に軽い。すごいな。
誠司が淡々と言う。
「面白いかどうかはどうでもいい。質問に答えろ。園田さん。あなたの所属はどこだ」
「自治体の……」
「名刺の会社名は」
園田が名刺を差し出す。そこには、民間のコンサル会社名。自治体連携と書いてある。
俺は名刺を見ながら、園田に聞く。
「この会社、脅迫状の紙と同じ紙使ってる?」
園田の眉が、ほんの一瞬だけ動いた。すぐ戻る。戻る速さが逆にバレる。
誠司が続ける。
「紙質が同一なら、仕入れ先が同じ。印刷機の癖も同じ。折り方も、指の癖が出る」
園田はまだ笑っている。けれど、笑いが“固定”になってる。顔の筋肉だけが笑ってる。
結城が机に手をついた。
「園田。お前、最近この辺りで立ち退きの支援に入ってるよな。被害届も何件か出てる。警察が動かねえと思って舐めてるなら」
「結城さん、落ち着いて。私、そんな――」
その瞬間、直斗が口を挟んだ。
「あのっ」
全員の視線が直斗に集まる。直斗は一瞬だけ硬直して、でも言った。
「園田さん、昨日も、東湾の相談所にいましたよね」
園田の笑顔が、ほんの少しだけ歪んだ。
「……君は?」
「結城さんの後輩です。篠宮です。あの、転んで……じゃなくて」
「転んで?」
俺が言うと、直斗が顔を赤くする。
「転んでないです」
「転んでるよ」
結城が即ツッコミ。
誠司が固い声で締める。
「篠宮。余計な話はしなくていい。だが、情報としては有効だ」
直斗が嬉しそうに背筋を伸ばす。危ない。褒めると調子に乗るやつだ。
俺は園田に近づく。声を落とす。
「園田さん。こういう仕事、疲れるよね。丁寧に人を追い込むの、めちゃくちゃ神経使うもんね?」
「……」
「それでさ。君、怒ってない。焦ってもない。なのに、今だけ“警戒”が出たの。紙の話した時ね」
園田の目が、ほんの少しだけ細くなった。
誠司が机の上に、四通の脅迫状を並べ直す。四通目だけ、折り目がわずかに違う。誠司の指がそこを示す。
「久世。これ」
俺も気づく。四通目だけ、角の折りがほんの少し浅い。
「昨日届いたやつ。つまり、作った人が焦ってる。最近、何か変わった?」
園田の喉が鳴る。昨日の録音と似た音。けど、これは恐怖じゃない。苛立ち。
結城が言う。
「河合。お前、最近何か動いたか。再開発の条件、どこかに相談したか」
河合は小さく頷いた。
「……弁護士に、相談しました。資料も渡しました」
誠司の顔が一瞬だけ硬さを増した。
「資料は、どこにある」
「……事務所に。昨日、持って行きました」
俺は結城を見る。
「ほら、これ、ただの脅しじゃない。次は“事故”って書いてあるよ。ご丁寧に」
結城の口が歪む。
「……上に言わせねえぞ」
「言わせないんじゃなくて、言えないんでしょ」
「黙れ」
誠司が固い声で言う。
「久世。今は挑発するな」
たまに、誠司の“固さ”が俺を守る。俺が余計なこと言って燃やす前に止める。ありがたい。
俺は河合に言った。
「河合さん。今日から、俺たちが付く。家族にも言って。家から出ないで。玄関の鍵、二重にしてね」
「……探偵が言うことじゃない」
「探偵だから言う。家族守るのは得意だよ」
結城が鼻で笑う。
「お前、嘘つくな」
「うるさいな」
その日の夕方、弁護士事務所に向かう途中で、誠司が言った。
「園田は黒ではない。少なくとも“書いた手”ではない」
「え、珍しく優しい判断」
「優しくない。合理的だ。園田の指の癖では、あの折り目にならない」
俺は誠司を見る。
「折り目で人間見るの、怖いね」
「君の会話の方が怖い」
「それ、褒めてる?」
「褒めていない」
直斗が後ろから小声で言う。
「でも……橘さん、たまに褒めますよね」
誠司が振り向く。
「篠宮」
「はいっ」
「黙れ」
「はいっ」
結城が笑った。珍しい。ほんとに珍しい。こういうの見ると、俺は余計に腹が立つ。笑えるなら最初から笑えよ。
弁護士事務所に着いた時、入口のガラスに貼られた「臨時休業」の紙が、やけに綺麗に真っ直ぐだった。
綺麗すぎる。
誠司が低い声で言う。
「……来たな」
結城が手をかける。
「久世」
「うん」
俺は、あえて軽く言った。
「丁寧な脅しの次は、丁寧な事故だね」
誠司が一瞬だけ、俺の袖を掴んだ。固い手。声は固いまま、でも、ほんの少しだけ甘い。
「無茶はするな」
俺は笑う。
「努力はする」
そして俺たちは、その“臨時休業”の奥へ入っていった。




