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探偵・久世朔  作者: 九重有
東京開発事件簿

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2/17

丁寧な脅し





 誠司くんに「無茶はするな」と甘いことを言われた翌朝、俺は無茶の代わりにパンを焼いた。


 焼いたっていうか、トースターに放り込んだだけだけど。


「努力はする、って言ったよね俺」


 独り言を言いながら、焦げた面を見てため息をつく。努力の方向性を間違えるのは得意だ。


 事務所のドアがノックもなく開く。


「お前、今日は鍵かけろ」


 結城修吾が入ってくる。相変わらず人んちみたいに。


「警察が言うこと?」


「警察だから言うんだよ。あと、そのパンは凶器か?」


「朝食」


「朝から事件を食うな」


 結城の後ろから、篠宮直斗が顔を出した。今日は転ばないように両手を空けて、慎重に一歩ずつ入ってくる。昨日の反省が生きてる。偉い。


「おはようございます、久世さん。橘さんも」


 机の横で誠司が静かにコーヒーを淹れていた。姿勢がいい。淹れ方もきっちりしてる。俺の焦げパンと並べると人格の差がひどい。


「おはよう。直斗くん、今日は立ってるね」


「はい。今日は、立ってます」


「目標低いな」


 誠司が固い声で突っ込む。結城が鼻で笑った。


「で、今度は何だよ。財団の名前がまた出たのか?」


「出たよ。出たけど、今回は“名前”より嫌なやつ」


 結城は封筒を机に置いた。白い、無地の封筒。差出人なし。宛名は、名前と住所だけ。手書き。丁寧な字。


「昨日の今日で、これ」


 結城が言う。


 誠司が封筒を手袋でつまみ、開封する。中から、A4が一枚。折り目もきれい。紙質もいい。文章もいい。……いい、っていうのが気持ち悪い。


 誠司が読み上げる。


「河合祐介 様。突然のご連絡をお許しください。ご家族の安全を最優先にお考えになり、今後のご判断を――」


 その時点で俺は笑いそうになった。


「丁寧すぎる。丁寧すぎて腹が立つ」


「笑うな」


 結城が俺の額を軽く小突いた。痛くはない。


「でも、これ、脅迫状だろ。内容はちゃんと脅し」


 誠司が続きを読む。


「……再開発に関するご協力をお願い申し上げます。ご理解いただけない場合、残念ながら不慮の事故が起こり得ます。私どもは望んでおりません」


「望んでない、って言うやつほど望んでるよね」


 俺が言うと、誠司が視線だけで黙れと言ってくる。黙らない。


「河合って誰だよ」


 結城が言う。


「地権者。東湾の再開発エリアの、古い区画に土地を持ってる。今、立ち退きでもめてる」


 結城が言う。誠司がすぐに質問。


「なぜ、警察ではなく探偵に持ち込む」


「警察にも行ってる。でも、扱いが軽い。文面が丁寧すぎて“本気じゃない”って思われてる」


「本気じゃない脅迫なんてないのにね」


 俺が言うと、結城が眉間に皺を寄せた。


「だから腹立つんだよ。財団絡みの匂いがする案件は、上が嫌がる。直接言わねえけどな」


 誠司が脅迫状の紙を光にかざす。透かす。角度を変える。机に置いて、指で折り目をなぞる。


「久世。まず、これの気持ち悪さを言語化してくれ」


「え、俺が? 誠司くんが言語化担当でしょ」


「君の担当だ。人の癖を見るのは」


 固い。指名が固い。でも、たまにこういう“任せ方”をしてくる。甘いのに近い。


 俺は紙を見て、息を吐いた。


「脅迫ってさ、普通は乱暴になるじゃん?言葉が尖って敬語を使っても、どこかで“怒り”が漏れるよね。でもこれ、怒りがない。むしろ、謝ってる。『突然のご連絡をお許しください』って、誰が脅迫で許しを請うの?」


 直斗が首をかしげる。


「丁寧な人……?」


「丁寧な人、っていうより、丁寧を武器にしてる人。対面で丁寧にする仕事。クレーム対応とか、窓口とか、営業とか」


 結城が舌打ちする。


「相談窓口……」


「うん。あの匂い」


 誠司が頷く。


「紙質は市販より上。印刷ではなくプリント、だが家庭用ではない。折り方が均一。投函の時間帯も、同じ」


「同じ?」


 結城が聞く。


「同様の文面が、別の地権者にも届いているよ?三通。全て同じ折り目、同じ紙。つまり一人、もしくは一つの“部署”」


 結城が俺を見た。


「行くぞ。河合の家に」


「はいはい。俺はパンだけ食べさせて」


「食うな。今すぐ来い」


「警察って言葉が乱暴」


「お前が遅いからだ」


 俺は焦げパンを一口だけかじって、口の中の乾燥にむせた。


「うっ……財団みたいな優しさがない……」


 誠司がコーヒーを差し出してくれた。無言で。こういうところ、甘いのがずるい。


 河合祐介の家は、再開発エリアの外れにある古い一軒家だった。家の前に、立ち退きの資料が入った箱が積まれている。玄関の表札は綺麗に磨かれている。几帳面な匂い。


 インターホンを押すと、中から足音がして、鍵が二つ外れる音がした。


 出てきた男は、スーツなのにネクタイがきっちり締まっていない。疲れている。目が寝ていない。口元が固い。声は小さい。


「……警察の方ですか」


 結城が名刺を出し、俺たちを示す。


「こいつらは協力者。探偵の久世と、その相棒の橘」


 河合の視線が俺に移った瞬間、警戒が一段増した。わかる。探偵って言葉、怪しいよね。


 俺は笑う。柔らかめに。


「こんにちは。脅迫状、見せてもらえる?」


 河合は迷った末に、紙の束を差し出した。四通目だ。昨日届いたのが、結城が持ってきたやつ。これが、それ以前の三通。


 誠司が紙を並べる。机の上に、まっすぐ。角まで合わせる。なんかもう、誠司の性格が机に出る。


 俺は河合に聞く。


「これ、誰かに心当たりある?」


 河合は首を振る。素早く。


「ない。私は……普通に暮らしてるだけです。土地も、先祖代々で……」


「再開発に反対してる?」


「……反対というか。条件が納得できないだけです。家族がいます。簡単に署名できません」


 結城が頷く。


「河合、お前の立場はわかった。だが、こういう紙が届いてる以上、単なる交渉じゃねえ」


 河合が震える。声が小さくなる。


「……家族に何かあったら、と思うと」


 そこに、別の声が入った。


「河合さん、落ち着いて」


 奥から出てきた男がいた。若い。二十代後半くらい。人懐っこい笑顔。スーツの着こなしが軽い。目がよく動く。こういうの、口が上手い。


 園田悠人。


 名刺が机に置かれる前に、俺は名前を覚えた。名刺の字より、本人の雰囲気が先に喋ってる。


「私、自治体の相談窓口と連携してます、園田と申します。河合さんの支援に入っていて」


 結城の眉が動く。嫌なやつだ。


「支援?」


 園田がにこやかに続ける。


「ええ。再開発で不安な方の相談を受けて、橋渡しをしています。最近、物騒な手紙も増えてますし」


 物騒な手紙、って言い方が軽い。丁寧に軽い。すごいな、こういう人。


 誠司が固い声で言う。


「園田さん。この脅迫状に心当たりは」


「まさか。そんな恐ろしいこと、誰が」


 園田は笑いながら言う。でも、笑ってるのに息が少し浅い。焦りじゃない。警戒。


 俺は園田に話しかける。柔らかく。甘いくらいに。


「園田さん、優しいね。こういう仕事って、疲れない?」


「疲れますよ。だからこうして、皆さんの顔を見ると救われます」


 言葉が上手い。滑らか。


「……救われるって、どういう救い?」


「え?」


 園田の笑顔が一瞬だけ止まった。


 誠司が机の紙を指で叩く。硬い音。


「久世。先に“これ”をやる」


「はいはい」


 誠司は俺に紙を渡した。俺は文章をもう一度読む。丁寧。丁寧。丁寧。……丁寧の中に、混ざってる。


「河合さん、この文面、読み上げたことある?」


「……ないです」


「じゃあ、読んでみて。ここ」


 俺は一行を指差す。


『私どもは望んでおりません』


 河合は読んだ。声が震える。園田が微笑む。結城が睨む。直斗が息を止める。


 河合が読み終えた瞬間、俺は言った。


「河合さん、今、言いにくかったでしょ」


「え?」


「『私どもは』って言葉、普段使わないよね?窓口とか、会社の文章で使うやつ。河合さん、普段こういう敬語、使う?」


「使いません」


「だよね。だから、これを書いた人は、こういう敬語が身体に染みてる」


 園田が笑う。


「文章の癖で犯人探しですか。探偵さんって面白いですね」


 面白い、って言い方が軽い。丁寧に軽い。すごいな。


 誠司が淡々と言う。


「面白いかどうかはどうでもいい。質問に答えろ。園田さん。あなたの所属はどこだ」


「自治体の……」


「名刺の会社名は」


 園田が名刺を差し出す。そこには、民間のコンサル会社名。自治体連携と書いてある。


 俺は名刺を見ながら、園田に聞く。


「この会社、脅迫状の紙と同じ紙使ってる?」


 園田の眉が、ほんの一瞬だけ動いた。すぐ戻る。戻る速さが逆にバレる。


 誠司が続ける。


「紙質が同一なら、仕入れ先が同じ。印刷機の癖も同じ。折り方も、指の癖が出る」


 園田はまだ笑っている。けれど、笑いが“固定”になってる。顔の筋肉だけが笑ってる。


 結城が机に手をついた。


「園田。お前、最近この辺りで立ち退きの支援に入ってるよな。被害届も何件か出てる。警察が動かねえと思って舐めてるなら」


「結城さん、落ち着いて。私、そんな――」


 その瞬間、直斗が口を挟んだ。


「あのっ」


 全員の視線が直斗に集まる。直斗は一瞬だけ硬直して、でも言った。


「園田さん、昨日も、東湾の相談所にいましたよね」


 園田の笑顔が、ほんの少しだけ歪んだ。


「……君は?」


「結城さんの後輩です。篠宮です。あの、転んで……じゃなくて」


「転んで?」


 俺が言うと、直斗が顔を赤くする。


「転んでないです」


「転んでるよ」


 結城が即ツッコミ。


 誠司が固い声で締める。


「篠宮。余計な話はしなくていい。だが、情報としては有効だ」


 直斗が嬉しそうに背筋を伸ばす。危ない。褒めると調子に乗るやつだ。


 俺は園田に近づく。声を落とす。


「園田さん。こういう仕事、疲れるよね。丁寧に人を追い込むの、めちゃくちゃ神経使うもんね?」


「……」


「それでさ。君、怒ってない。焦ってもない。なのに、今だけ“警戒”が出たの。紙の話した時ね」


 園田の目が、ほんの少しだけ細くなった。


 誠司が机の上に、四通の脅迫状を並べ直す。四通目だけ、折り目がわずかに違う。誠司の指がそこを示す。


「久世。これ」


 俺も気づく。四通目だけ、角の折りがほんの少し浅い。


「昨日届いたやつ。つまり、作った人が焦ってる。最近、何か変わった?」


 園田の喉が鳴る。昨日の録音と似た音。けど、これは恐怖じゃない。苛立ち。


 結城が言う。


「河合。お前、最近何か動いたか。再開発の条件、どこかに相談したか」


 河合は小さく頷いた。


「……弁護士に、相談しました。資料も渡しました」


 誠司の顔が一瞬だけ硬さを増した。


「資料は、どこにある」


「……事務所に。昨日、持って行きました」


 俺は結城を見る。


「ほら、これ、ただの脅しじゃない。次は“事故”って書いてあるよ。ご丁寧に」


 結城の口が歪む。


「……上に言わせねえぞ」


「言わせないんじゃなくて、言えないんでしょ」


「黙れ」


 誠司が固い声で言う。


「久世。今は挑発するな」


 たまに、誠司の“固さ”が俺を守る。俺が余計なこと言って燃やす前に止める。ありがたい。


 俺は河合に言った。


「河合さん。今日から、俺たちが付く。家族にも言って。家から出ないで。玄関の鍵、二重にしてね」


「……探偵が言うことじゃない」


「探偵だから言う。家族守るのは得意だよ」


 結城が鼻で笑う。


「お前、嘘つくな」


「うるさいな」


 その日の夕方、弁護士事務所に向かう途中で、誠司が言った。


「園田は黒ではない。少なくとも“書いた手”ではない」


「え、珍しく優しい判断」


「優しくない。合理的だ。園田の指の癖では、あの折り目にならない」


 俺は誠司を見る。


「折り目で人間見るの、怖いね」


「君の会話の方が怖い」


「それ、褒めてる?」


「褒めていない」


 直斗が後ろから小声で言う。


「でも……橘さん、たまに褒めますよね」


 誠司が振り向く。


「篠宮」


「はいっ」


「黙れ」


「はいっ」


 結城が笑った。珍しい。ほんとに珍しい。こういうの見ると、俺は余計に腹が立つ。笑えるなら最初から笑えよ。


 弁護士事務所に着いた時、入口のガラスに貼られた「臨時休業」の紙が、やけに綺麗に真っ直ぐだった。


 綺麗すぎる。


 誠司が低い声で言う。


「……来たな」


 結城が手をかける。


「久世」


「うん」


 俺は、あえて軽く言った。


「丁寧な脅しの次は、丁寧な事故だね」


 誠司が一瞬だけ、俺の袖を掴んだ。固い手。声は固いまま、でも、ほんの少しだけ甘い。


「無茶はするな」


 俺は笑う。


「努力はする」


 そして俺たちは、その“臨時休業”の奥へ入っていった。

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