厄災―カリース・ヴァングレア
雨粒が夜の静けさに踊り、オーロラが憂いを帯びて空に伏す。
ジョーとの別れを胸に、三人はそれぞれの使命を見つめ直す。
だが、空気が変わる。
それは、ただの嵐ではない。 神の領域を侵す者が、夜の磁場を歪ませて現れる。
そして、かつての記憶が呼び起こされる。
物語は、静寂の余韻から、怒りと雷鳴の中心へと踏み込んでいく。
夜の静けさに雨粒が踊り、オーロラが憂いを帯びて夜空に伏す。
雨の跳ねる音がノクターンを奏で、大地と空がその調べに寄り添う。
イエローナイフ近郊のホテルで、セシル、ルクジム、スーマは静寂の中に佇む。
「しばらく止みそうにねーな。」
スーマが呟く。
その言葉が引き金となり、二人の脳裏にジョーとの別れが蘇った。
ルクジムは窓の外を見つめながら拳を握りしめ、セシルは目を閉じ、ジョーの安らかな笑顔を思い出していた。
エリシアの泉での別れ
セシルが動けるようになった頃、ジョーは泉に残ると告げた。
「聖者の刻は、お前たちが持っていろ。俺が守るより、その光はお前たちと共に歩むべきものだ。」
ジョーはエリシアの泉の水を入れたボトルを手に取り、青白い光を放つ「聖者の刻」を慎重に封じ込めた。
その輝きは傾けるたびに虹色に変化し、現実を忘れさせるほどの美しさを秘めていた。
ジョーの声が沈み込むように響く。
「俺はこの渓谷、洞窟、泉の防人だ。この地を離れることはできない。」
セシルは、その決意と、彼が託した信頼の重みを静かに受け止めていた。
「だが、もし俺の力が必要になれば、どんな時でも呼んでくれ。」
「俺は必ず駆けつける!」
スーマが皮肉交じりに笑いながら言った。
「まー、そのズウタイじゃ飛行機には乗れねーもんな。」
セシルは微笑みながら応える。
「その時は必ず助けを呼ぶよ。」
ルクジムもジョーに向け、静かに決意を込めて言う。
「兄貴、ありがとう。必ずまた会おう。」
ジョーとの別れを胸に秘め、彼らは雨の音に染まる夜の中で、それぞれの使命を再び確認した。
「ピコン、ピコン!」 スーマの画面に緊急速報が表示された。
「オイ!この近くで竜巻警報が出たぜ!」
「こんな時間に?」
セシルが怪訝そうに顔をしかめる。
その瞬間、空気が変わった。
言葉にならない重圧感が全身を包み込み、恐怖感が背骨に食い込むようにのし掛かる。
まるで見えない手に背中を掴まれ、地面に押さえつけられるかのような感覚だった。
冷や汗が滲み、背筋を伝う。
「な、なんだ、この空気……!」
ルクジムが震える声で言った。
セシルの視線が窓の外へと向けられる。
7~8キロ先、森の入り口付近。
目に映る光景が揺らめいている。
空気が震え、酸素が薄くなったかのように息が詰まる。
森の入り口を中心に風が絡み合い、渦を巻き、嵐へと変貌していく。
突然、空が赤黒く染まり、遠くの地面に雷光が走る。
音が遅れて轟き、スーマが口を開いた。
「こりゃただの竜巻じゃねぇぞ……何かが来る。」
ルクジムの瞳が恐怖に揺れる。
「何かって、いったい……?」
スーマは答えず、画面点灯を続ける。
その顔には焦燥が滲み出ている。
外の風音が次第に動物の咆哮のように、唸り声へと変わり、建物が小刻みに振動し始める。
セシルが短く息を吸い込む。
「ただの自然現象じゃない。これは……魔界の磁場による、空間の歪み…」
彼らの行く手に待ち受けるのは、
単なる竜巻ではなく、神の領域を侵す者たちが引き起こした未知の力が引き起こす厄災そのものかもしれない。
カリース―邂逅、その脅威
夜空が深い悲しみに染まる。
天体は静かに揺れ動き、悲壮なエピローグを奏でる。
それは抗うことがかなわぬ現実なのか、それとも天が警鐘を鳴らす兆しなのか。
空気が歪み、一点に集約していく。
その渦に雷が巻き込まれ、閃光と風が一つに圧縮されていく。
まるで自然の怒りそのものが形を成したかのようだ。
渦の中心から現れたのは黒い殺意の影。
蠢き、息づくその存在は見る者の心を震わせる。
カリース・ヴァングレア。
契約者部隊 パクト ユニット(Pact Units)の最高指揮官。
主導評議会 カウンシル・オブ・アーク(Council of Arc)の一人にして、オルド・アークの現在最高戦力を誇る。
階級「蛇」を持つ契約者。
その姿は圧倒的な威圧感を放つ。
モスグリーンの肌に紅い稲妻のようなひび割れが走り、額からは三本の角が突き立つ。
彼女の右手には嵐が、左手には雷が纏い付き、目に見えない力がその周囲を圧縮している。
地獄から舞い降りたかのようなその姿は、ただの契約者ではない。
彼女の一歩一歩が大地を震わせ、空を裂く。
その存在は周囲の人々に無言の恐怖をもたらし、彼女の黒い瞳には終わりなき戦火が映し出されているかのようだ。
セシル、ルクジム、スーマは建物を出た瞬間、怒れる暗雲の渦巻く空間に立ち尽くした。
肌を刺す冷たい風が吹き抜け、胸の奥底から本能的な恐怖がこみ上げる。
スーマの警告信号が途切れなく鳴り響く。
「こりゃあ無理だ! 戦略的撤退だ!」
声は焦りに満ちていた。
だが、セシルとルクジムは空間全体から押し寄せる圧力に押し潰され、顔を上げることさえできない。
「これはまずい……セシル、このままじゃやられる!」
ルクジムの声は震え、本能が悲鳴を上げている。
「俺に月の映像を出してくれ!」
叫ぶルクジムを、スーマがすかさず制した。
「そのレベルじゃねえ。オッサンの《Còig》が通じる保証はないし……雷雲のせいで、月も星もオーロラも見えやしねぇ。力が完全回復するにはまだ時間が足りねぇんだ。」
苛立ちを隠さず、スーマは短く吐き捨てる。
「ここは撤収した方が得策だ。」
しかしセシルは首を振る。
「簡単に逃がしてもらえるほど、甘い相手ではない……それに――」
その瞬間、空気が震えた。
恐怖が形を持ち、心臓を握り潰そうとする。
「お前たちか……バレンやネイビーを下したのは。」
低く唸る声が空間を満たす。
「これ以上の汚名は許せぬ。そして――聖者の刻とヴェイルの血、両方が揃う好機など、二度と訪れまい。」
声の冷たさは、深淵の底から吹き上がる風のようだった。
足から力が抜け、背筋に氷のような汗が伝う。
カリースが動く。
両手に風が収束し、拳へと集まり渦を巻く。
それは青白く輝き、嵐の中心から雷が呼び寄せられる。
地面が低く唸り、空気が裂けた。
「――来る!」
セシルの声と同時に、稲妻を纏った拳が解き放たれる。
轟音が空間を叩き割り、後方の建物が外から吹き飛び、内部から焼き切られたように崩れ落ちる。
嵐は背後に破壊の爪痕を刻み、さらに迫ってくる。
カリースはゆっくりと歩み寄る。
その一歩ごとに空気が震え、世界が沈黙する。
「騒ぎが広がる前に、必要なものを回収するとしよう。」
その声音は、氷塊が砕けるように冷たかった。
セシルは立ち上がる。
瞳には強い光が宿っていた。
「私を覚えているか――オルド・アークの契約者よ。」
カリースは眉をわずかに動かし、ゆるりと笑う。
「……あの時のか。ヴェイルの血に気づかず葬った女の傍らにいた、ヴァンパイア。」
その言葉に、ルクジムとスーマの顔色が変わる。
「……なんだと?」
ルクジムの拳が震える。
「お前が……!」
セシルの瞳に、燃え盛る怒りが宿る。
いつもの冷静さは跡形もない。
「貴様だけは、許さない。」
「セシル! こいつが母さんを……!」
ルクジムの叫びに、セシルは短く頷いた。
「ああ――あの時の風は、こいつだ。」
場の空気が張り詰める。
しかしカリースは楽しげに目を細めた。
「二人を倒しただけあって、しぶとい。だが、所詮は虫けらどもだ。」
ルクジムが咆哮とともに飛びかかる。
「うおおおっ!」
だが、防御を破れずカリースは片手で軽く払いのけた。
衝撃音とともに、ルクジムは地面へ叩きつけられる。
背中から鈍い音が響き、息が詰まる。
それでも彼は、カリースへの怒りで震える体を無理に起こそうとしていた。
「ルクジム!」
セシルとスーマの声は、届かない。
「これで終わりではない。何も知らぬ者どもに――真の力を見せてやろう。」
カリースの周囲で、雷と風が再び渦を巻き始める。
渦の中心から伸びる複数の稲妻が、彼らの足元を叩き割り、逃げ場を塞いでいく。
破壊の嵐が、彼らを飲み込もうとしていた――。
「イエローナイフ―絶望と終焉」へ続く




