イエローナイフ-聖地の果て
渓谷の奥、霧に包まれた洞窟。 その地に、誰も知らない“何か”が息づいている。
そして今、二人の旅人がその座標に降り立つ。
封印の気配、番人の噂、そして地図が指し示す先―― 物語は、静かに北へと進む。
世界の果てに、夜が息づく場所がある。
カナダ北部、ノースウエスト準州。
イエローナイフ――それは、氷と光が交差する静寂の都。
冬、空は深く、星は凍てつくように瞬き、
夜空を裂くように現れるのは、緑と紫の光の舞。
オーロラ。
それはまるで、天と地をつなぐ古の呪文。
風は語り、雪は記憶を刻み、
湖は鏡のように、空の秘密を映し出す。
ここでは、時間が止まる。
いや、時間そのものが、別のリズムで流れているのかもしれない。
イエローナイフ――
それは、現実と幻想の境界が、最も薄くなる場所。
渓谷の谷間に連なる山脈。
瘴気とも霧ともつかぬ様相が、山肌を這うように漂っていた。
その中心、岩壁に口を開けた洞窟が、まるで呼吸するかのように、淡く怪しい光を放っている。
焦げた鉄のような匂い。
人間を拒み続けるその場所は、自然の一部でありながら、何か異質な存在の気配をはらんでいた。
突如、静寂が裂ける。
木々が悲鳴を上げるように、幹が軋み、枝が折れる音が谷に響いた。
「バキバキッ……バキッ」
その方向から、巨大なハイイロ熊が姿を現した。
興奮状態で、荒々しく駆けてくる。
「ゴアーッ!」
だが、その体は血に濡れ、毛並みは裂け、瀕死の重傷を負っていた。
そして――熊の背後から、さらに巨大な影が現れる。
獣でもなく人でもない足音。
熊よりも大きく、異形の気配を纏った何かが、無言のまま熊を追っていた。
「ガアッ!」
その“何か”は、熊の背に手を伸ばし、動きを止めた。
骨が砕ける音が谷に響く。
「ゴキッ……バキッ……メキメキッ。」
「ギャゴガーッ!」
熊が断末魔の叫びを上げる。
その姿は、まるで人形のように無残に折れ曲がり、地に崩れ落ちた。
霧の中に、三メートルを超える巨大な影が、荒い息を吐きながら佇んでいた。
その全身からは、獣とは異なる、冷たく澱んだ瘴気が立ち上っていた。
その瞳は、洞窟の奥に潜む何かを見据えていた。
霧の渓谷―封印の番人
午前十時。
イエローナイフ空港に、一台の古びたプロペラ機が静かに着陸した。
冷たい風が滑走路を吹き抜ける中、機体の扉が開き、二つの人影が姿を現す。
「……やっと着いたか。」
先に降り立ったのは、大柄な青年。
パーカーのフードを深くかぶり、無骨な足取りで地面を踏みしめる。
その後ろから現れたのは、異様な装いの人物だった。
全身をウェットスーツで覆い、厚手の手袋とブーツ。顔は合皮で覆われ、その上にマスクとサングラス。さらに厚手の日傘を差している。
肌の露出はゼロ――いや、まるでマイナスのような異様な姿だった。
その男が静かに言った。
「夜になるまで待ちましょう。」
機内で聞いた原住民の噂が、ふと脳裏をよぎる。
――人も獣も寄り付かぬ深い山の中に、怪しく輝く洞窟があるらしい。
だが、どうやっても辿り着くことはできず、存在するかどうかも定かではない。
しかも、そこには恐ろしい番人がいるという――。
スーマの地図は、渓谷の遥か奥を指していた。
見事な景観が広がるその地には、どこか高貴で妖艶な芳香が漂っていた。
それは、単なる自然の香りではなかった。
何かが、そこに“在る”ことを告げているようだった。
「霧の渓谷―神秘の洞窟」へ続く




