第六十五回 干戈騒乱
石豹の長子、石基斬られるの報は電光の如く国中を駆け巡った。
衝撃の報が石豹の耳に届いたとき、歴戦の将軍は天に向かって吠えた。
「おおおおおっ……! 能無しの豚どもがやりおったか!」
石豹とて自分が危ない橋を渡っていることは知っていた。都にいる息子が人質であること、最悪場合殺されることも承知していた。
しかしそれでも、朝廷がこれほど急激に態度を硬化させるとは思っていなかったのである。
「豚どもめ、わしの怒りを思い知るがいい……!」
即座に石豹は兵を動かした。
自らは総大将として二十万を率い、次男石禹、三男石穆という二人の息子にはそれぞれ五万の兵を与え、本隊の露払いや脇を固める遊撃部隊とした。
石豹の目標は言わずもがな、皇帝の座す神都・宝洛である。
「皇帝陛下を惑わす君側の奸、魏高輔を討つ!」
お決まりのお題目を高らかに掲げ、ついに黒装の軍団が動いた。
二十万の大軍が戦塵を巻き起こす──。
その光景は巨大な津波が陸地を飲み込むのにも似ていた。
後に石氏の乱と呼ばれる戦の始まりである。
戦の序盤、昭国側はほぼ無抵抗のまま石豹に膝を折った。忽然と現れた黒衣の軍団に為す術などなかったのである。
石豹軍は労せずして三県を落とし、抵抗らしい抵抗が始まったのはそこから先であった。
戦場となった阜州の刺史、董憲という人物は急ぎ五万の兵を阜城に集め籠城を試みた。
素早く五万の兵を集めた手腕は董憲が刺史として中々の人物であったことを示している。
しかし懸命の抵抗は長くは続かなかった。
石豹の軍は僅か二日で城門を破り、抵抗者たちを完膚なきまでに打ちのめした。
城門が破られたのは阜城の中に内通者がいたとも、恐怖に駆られたものが自主的に裏切ったともされている。
石豹は董憲を捕らえた後、彼に帰順を勧めたが、拒否された為にこれを斬った。
初戦の圧勝は昭の人間の心理に大きく影響した。
ただでさえ石豹は天下に驍名を轟かせた大将軍。麾下の騎馬軍団は昭国最強と謳われている。
さらにあっさり堅城を落としたことで、騎兵が苦手とする城攻めでも石豹は強いことを印象付けたのである。
石氏の軍に襲われた州県の刺史県令は抵抗を止め、戦わず城門を開くという事態が頻発した。
そうして、僅か一月ほどで二つの州が陥落した。
破竹の勢いで突き進む石豹は常安という都市に迫った。
ちょうど石豹の根拠地である大蘭と宝洛の中間にある都市であり、昭以前の王朝において何度も王や皇帝の座になった歴史を持つ古都である。
大河に接続する支水の畔に建設された常安は、昭国においても物流の起点となっている重要都市で、ここが陥落した場合、宝洛を始めとする各地の物流に影響が出ることは必至であった。
ここを落とされるわけにはいかぬ。
なんとしてでもここで食い止めなければならない。
この状況で朝廷から選んだ将は曹貫という人物である。
普段から勇猛果敢と評され、朝廷が一種の恐慌状態のときにあって一人強気な姿勢を崩さなかったというのが抜擢理由である。
固く守りを固め、陥落せぬことを第一と考えよ、そう命じられて送り出されたものの、本人はそれでは手ぬるいと感じていた。
「取り立てた陛下の温情を踏みにじるとは、やはり胡人など獣の如きよ! この俺が身の程を弁えさせてくれるわ!」
そう周囲に漏らし、三万の兵と常安に向かう先々で徴兵した七万、合わせて十万の兵を率い、常安にて石豹軍と対峙した。
常安郊外に布陣する石豹は、向こう方の大将が曹貫と聞くと鼻で笑った。
「はっ! あの猪武者がわしの相手になると思っているのか。舐められたものだ」
「しかし、あれほど固められては正面からの突破は難儀です。どう攻めましょうか?」
喫邪の仮面を被った宗靖が尋ねる。
「ふん、こじ開けるのではなく開かせるのだ。三千騎を五隊作り、それぞれに常安周辺の村落を襲わせよ。敵の糧道を断つのだ。ただし深追いはするな。足の速さを活かし敵を翻弄せしめよ」
「それだけでは糧道を完全に断つまでには至らぬのでは? 常安に通じる道は多く、陸路もあれば水路もあります」
「敵将を苛立たせるのが目標だ。威勢のいい言葉を吐く者ほど長く圧迫されている状況には耐えられぬものよ。やがてしびれを切らし向こうから打って出るわ」
「そういうことでしたか」
「分かったら行け! 喫邪の名を轟かせて来い!」
「御意」
石豹軍の放った一万五千あまりの兵は常安周辺で火のような攻撃を繰り返した。
常安への輜重とみれば奪い、それでなくとも物資とみればやはり奪った。
機動力を生かし、いつどこに現れるかを巧妙に隠したゲリラ的な戦術は昭軍を混乱させた。
ただでさえ足の遅い輜重隊は騎兵の格好の餌食となったのである。
宗靖もそのうち一隊を率い、遊牧民出身の将たちに劣らぬ働きを見せていた。
日に三度出撃し、三度の戦いに勝利したこともあった。
一方目の前で繰り広げられる石豹軍の収奪に、曹貫は苛立ちを募らせていた。
後から振り返れば、両軍が睨みあっていた期間はそれほど長くはなかった。二十日ほどである。
だがその間対峙する石豹軍本体は動かず、曹貫は毎日周辺から襲撃が受けている報告を受けとっていた。
「ただ籠っているだけとは気分が悪いわ!」
そう零したとき状況が動いた。
「将軍、石豹軍の陣中に動きあり。どこかに陣を移すようです」
「!」
しめた、と曹貫の胸は躍った。
奴ら常安攻めは分が悪いとみて道を変える気だな!
あれほどの数の軍団、長く留まってはおられぬと思っていたぞ。
陣が動くとなればその瞬間襲うことは理に適っている。この時を待っていたぞ。
自身が打って出る準備をしながら曹貫は後方の友軍に連絡を取った。
一旦常安から離れた石豹軍が、数週間後再び戻ってくる可能性を考慮して後詰めを頼んだのである。
石豹軍が動いたのは二日後、まだ夜の暗闇が残っている払暁の時だった。
夜のうちに陣払いの準備を進めたのだろう。暁に合わせ波が引くように静かに全軍がゆっくりと後退していく。
その様子を馬上から眺め曹貫はほくそ笑んだ。
「さあ! ここらでお返しをさせてもらうぞ、石豹! かかれ!」
曹貫は自ら兵を率い、怒号と共に昭軍は撤退していく石豹軍に襲い掛かった。
だが。
昭軍が石豹軍と接触する寸前、昭軍の左翼周辺で鬨の声と馬煙が上がる。
声の正体は石豹軍の伏兵であった。
新たに出現した騎兵五千騎が昭軍の脇腹を突く。
「ちいっ! だが、そう来なくてはな!」
曹貫は舌打ちをしつつ、なおも気炎を吐いた。相手は歴戦の将である。この程度の仕掛けをしてくることなど初めから分かっていた。
「左翼をもたせろ! 奴らに噛みつければこちらのものだ!」
一方石豹は戦いに熱狂する曹貫とは違い冷静に戦場を眺めていた。
「その追いかけっこは無謀だろ、曹貫。お前の相手はわしが作った騎兵だぞ」
石豹の言葉通り、黒衣の騎兵隊は一当たりで昭軍の左翼を混乱せしめた。
このとき昭軍に突入したのは、“遊牧民の騎兵”として多くイメージされる弓騎兵ではなく槍を装備した重騎兵である。
昭軍が守備を固める間もなく襲い掛かった騎兵たちは強引に左翼の破壊を開始した。
天下に名高い石豹の鴉兵──恐れも怯みも見せず容赦なく味方を殺戮していく彼らを見て昭軍は震え上がった。
まだ戦列を維持しているにも関わらず、敗北よりも先に恐怖が野火のように広がっていく。
昭軍の将たちは必死に味方を鼓舞しまとめ上げようとしたが、遅かった。
そのような将士を見つけると鴉兵は守備を食い破り、鴉が獲物に群がるが如く目標となった人間を血祭りにあげた。
串刺しになった獲物を掲げ、勝利の咆哮を上げる。
その混乱は曹貫の元にも届いていた。
「将軍、左翼が崩れかけています! ここは一旦引いて立て直すべきです!」
「馬鹿な、ここまで来て引けというのか! 何とか抑えろ、あと少しなんだ。石豹さえ何とかすれば残るは烏合の衆! なんとでもなる!」
「伝令ーっ!! 後方に新手! 後衛が脅かされています!」
「もう聞いたわ! 左翼は……」
「左翼ではございません! 常安です! 常安が襲われています!」
「なんだと……」
熱気に満ちていた曹貫の体に、ぞっとするほど冷たい汗が流れた。
本体から分離した一万五千の騎兵、そして遊撃部隊であった石穆の兵五万、これらが糾合し、総大将不在の城を突いたのである。
慌てて曹貫が引き返した時、既に城門はこじ開けられていた。
打ちひしがれる曹貫が振り返ると、石豹軍の本体が反転してくるのが見える。
曹貫は天を仰ぎ、絶叫した。
もはや曹貫にできることは残った兵をまとめ、落ち延びることだけであった。
「ふっふっふ楽な戦だったわい。よくやったぞ、喫邪」
鼻歌交じりに悠々と石豹は常安に入城した。
実際、今回石豹自身は殆ど何もやってない。膨れ上がった自分の名声で相手を縛り、あるいは釣り出し、部下にそこを突かせたのである。
戦に昂揚し自ら出撃してしまった曹貫とは初めから格が違っていた。
──常安、陥落。
その報せが朝廷にもたらされると、皇帝は恐怖のあまりめまいを覚え、椅子から崩れ落ちた。
書き溜め分終了……今週の更新で一旦更新停止します。次回の更新はしばらくお待ちください。




