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第五十九回 ザ パワーズ ザット ビー

 喫邪(シーシェイ)

 すなわち鍾馗の仮面を着けた石豹の腹心は、西域の都市・大蘭では知る人ぞ知る存在になっていた。

 日が沈んでから彼が外を出歩くと、人々は死神に会ったかのようにぎょっとして道を譲り、中には手を合わせて拝む者までいる。

 宗靖は内心、苦笑いしながら石炎が指示した小さな店に向かう。

 そこはほんの五席ほどの小さな居酒屋だった。

 実際には大っぴらにはできない話をする為に石炎が所有している店舗で、普段は営業していない。


 店に入った宗靖は、石炎の姿を認めると単刀直入に言った。

「あまり時間がないから手早く済まそう。その人が月巧妃の使いか?」

 石炎の隣にいた男が丁寧に拱手する。

 その顔つきから、宗靖は宦官だろうと推察した。

廖 克(りょうかつ)と申します。お見知りおきを、喫邪(シーシェイ)……いや、宗靖殿」

 宗靖は石炎に目をやり、無言で「俺の本名を喋ったのか?」と仮面越しに圧を掛ける。

 石炎は慌てて言った。

「睨むなよ。俺は何も言ってねえぞ」

「ほっほっほ。どうやら宗靖殿で間違いないようですな。もし違っていたらどうしようかと思っていました」

「廖克、お前が月巧妃の使いだという証はあるか?」

「正確には私は月巧妃様ではなく欧陽玲様の使いでございまして、その玲様から言伝を預かっております」

「言ってみろ」

「『貴方が伝えてくれた火のおかげで私はこうして生きております。弱水三千よりも深い感謝を』」

 自分と玲しか知らないはずの会話。荘子を引用した言葉を聞いた宗靖はゆっくり頷いた。

「……分かった。お前を信じよう」

「ありがとうございます、宗靖殿」

「それで、玲は何故俺がここにいると知ったんだ? 白こ……雪瑜が何かしたのか?」

「玲様はただ自らの優れた見識によって貴方の居場所を推察なされたのです。雪瑜様は関係ありません」

「本当か?」

「残念ながら私はそれを証明する手段を持ち合わせておりませんが、信じていただきたい。」

「ふん、玲とあの女は二心同体だ。それが本当でも、玲が知ることはいずれ雪瑜も知ることになるだろう」

「それはどうでしょうか? 実は最近玲様は自分の行動や考えを雪瑜様から隠す方法を見つけました。雪瑜様は宗靖殿がここにいることも、玲様がこれからしようとしていることも、何一つ知りまません」

「なっ……それは本当か!」

 先ほどよりもずっと強く、宗靖は廖克にかじりつくように言った。

「誓ってまことです。なればこそ、玲様はこうして貴方を探すように私を西域まで向かわせたのです。雪瑜様がこのことを知るような可能性があるならこのようなことはしませんよ」

「……ふっふっふ、ははは、ハハハハハ!」

 突然肩を震わせて宗靖は笑い声を上げた。

「お、おい喫邪(シーシェイ)どうした?」

「ハハハハハハ! これは最近聞いた中で一番いい報せだ。 玲があの化け物を出し抜くようになるとはな! あークソ、久々に飲みたい気分になってきたぞ! それで、わざわざお前をここに寄越したということは何かして欲しいんだろう。玲は何が望みだ?」

「玲様は石豹将軍が陛下の意図を誤解しているのではないかと懸念しております。陛下は微塵も将軍の忠心を疑っておられません。此度の招集に裏はないとくれぐれもお伝えください」

「雪瑜からも似たようなことを書いた手紙が将軍に届いている。どうやら皇帝の周りは石将軍がよほど恐ろしいと見えるな」

「では確かにお伝えしましたぞ」

「待て」

 宗靖は廖克が一礼してその場を後にしようとするのを引き留めた。

「なんでしょうか?」

「俺は石将軍と共に神都に行く。玲に会えるか?」

「私如きではその質問に答えられませぬ。しかし、月巧妃様が望めば叶えられぬ願いなどこの世にはありません。宗靖殿の言葉はそのまま玲様に伝えて参ります」

「分かった。助かる」



 十日後。

 石豹は西域から神都へ電撃的な移動をこなし、皇帝の(きざはし)の下で身を伏せていた。

「おいおい、石将軍。宴の日時は二週間も先だぞ? 少し早くないか」

「ははーっ。陛下に呼ばれたのが嬉しくて居ても立ってもいられず、犬の如くこうして推参いたしました。ご無礼をおかけしたのなら平にご容赦を」

「よいよい。石将軍の気持ちは分かっている」

 風演は柔和な笑みを浮かべると玉座から立ち上がり、自ら(きざはし)を降りて石豹の元に向かった。

 予想外の展開に群臣の間に動揺が広がる。

 だが一際驚いてみせたのは石豹だった。

「へ、陛下……!」

「今日は大した政務もない。少し散歩に行こうか将軍」

「はァーっ! お供いたします!」

 そういって風演は石将軍と共に朝議の場を退出した。

 御簾の陰で一部始終を見ていた雪瑜も、苦笑とも溜息ともとれる息を吐き、皇帝と将軍の後を追う。

「げ、月巧妃様……この後の朝議はいかがなされますか?」

「陛下は臣らを信じております。良きに計らいなさい」

 と、それだけ伝えると雪瑜もまた朝議を後にした。

 てっきりこの場で魏高輔と石豹の激しい言い争いが始まるかもしれないと思っていた大臣たちは、毒気を抜かれてほっと息をつく。

 だが、魏高輔だけは退出した石豹の後姿を鋭い眼光で睨んでいた。


 朝議から出た三人は、修復された仙遊宮の庭を歩きながら談笑していた。

「皇城はどうだ、将軍? 不届き者が暴れおったが、その痕跡などは感じられぬだろう?」

「は。陛下の徳が工人にまで行き届いているのを感じます」

 ニイと風演は口の端を吊り上げる。

「実は西域の建築にも興味があるのだ。ここに一つ西域風の宮殿を建てたいと考えていてな。将軍の知り合いに西域の建築に詳しい者は居ないだろうか?」

「おお、それがしにお任せくだされ! 西域の地に柔夏の侵入を防ぐ砦を築くこと七つ、道観、寺院を築くこと十二という老大工を知っております!」

「ほう、それは頼もしい。是非とも神都に呼びたいものだ」

 そこに雪瑜が口を挟んだ。

「……二人ともお待ち下さい。何を勝手に決めようとしているのです?」

「い、いやあ。伊氏の乱で焼失した建物が全て元通りなったわけではあるまい? その中の一つは西域の風を取り入れて再建させようか、と」

「それは素晴らしいお考え!」

 言い訳じみた口調で風演が言い、石豹も調子を合わせるが雪瑜は誤魔化されない。

「将軍、あまり大家(ターチャ)をおだてないで欲しい。伊氏の乱で民が動揺している、ここが踏ん張りどころなのです。奢侈は慎み民に規範を示さねばならぬのです」

「しかしだな……」

 まだ何か言おうとした風演を雪瑜はキッと睨みつけて黙らせた。

「いやはや、娘子将軍は規律に厳しいな!」

「当然です。この三人の中で、私が一番周囲からあれこれ言われるのですからね。殿方は多少身勝手な振る舞いをしていても、男子だからと許されましょうが私はそうではないのです。やれ女狐だの傾国だのいつもいつも言われているのですよ!」

「カッカッカ! 今を時めく娘子将軍にそんなことを言う者が居るとは、それがしは思えませんな! みな貴女のことを称えておりますぞ!」

「そうでもないですよ。魏澄子などは私が引き立ててやったというのに、私を引きずりおろしたくてたまらないのです。それでも魏澄子が今以上に口うるさくならないのは、私が私心なく大家(ターチャ)に仕えていると知っているからですよ。私までもが大家(ターチャ)に奢侈を勧めたらいったい何を言われるやら」

「煙たがられても諫臣を傍に置くのは君子の証拠なりと存じ上げる。ところで、新宰相殿も魏姓でございますな? 魏澄子殿と新宰相の魏高輔殿は親戚なのですか?」

「いや、違うぞ。同じ姓なのはたまたまだ。まあ頑固なところは似ているがな」

「そうでございますか……」

「どうした、将軍? 元気がないようだが」

「いえ、どうもそれがしは魏高輔殿に嫌われているようで。誰かに取りなして貰いたいと思っていたのです」

「魏宰相のことは気にするな。あいつは財政と農政を再建させたいだけなのだ」

「それがし達節度使が陛下のご命令に従っていないと非難しております」

「将軍の忠誠は()がよく分かっている。なにも心配することはない」

「そうですよ。この雪瑜も大家(ターチャ)と同様に将軍の味方でございます」

「心強いお言葉。それがし言葉もありませぬ……!」


 皇帝、月巧妃、そして石豹の絆は何人も断ちがたいほど強固に見えた。

 しかし胡人の将軍に対する魏高輔の目は決して柔らかなものではなかった。

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