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第五十八回 砂塵舞う町の片隅

 雪瑜は風演の手を引き、快楽の世界へと導く。

 指が絡み合い、唇が触れる。

 耳元で愛の言葉を囁く雪瑜は、時にまるで初めて肌を見せたウブな処女のように見え、高まり合うにつれて汗で濡れた白い髪を振り回して男性を求める姿は、淫乱な獣のようにも見えた。

 この数年、風演は雪瑜以外の女を抱いていない。

 夜ごと繰り広げられる情事は、完全に風演の心を虜にしていた。

 他の女など考えられない。

 事を終えると、閨に横たわった雪瑜が風演に囁く。

「早く皇后になりたい」

「もうすぐだ。今度は誰にも邪魔させん」

「魏澄子の言う通り少し身を慎んだ方がいいのかな」

「気にするな。今まで通りで良い。節度使たちが来たら……彼らの前で雪瑜こそが皇后だと宣言するのも面白いかも知れん」

「嬉しい……」

 快楽の余韻で火照った体を押し付けて、雪瑜は風演をぎゅっと抱きしめた。

 彼女は皇帝の心を蕩けさせていたが、彼女もまた皇帝がもたらす権力という蜜の味に蕩けていた。

 権力に酔い、足元で起こっている事態について彼女が正しい認識を持っているとは言い難い。

 節度使を神都に呼ぶのは、辺境を守る日頃の彼らの労をねぎらうのが主目的。

 新法の実施云々はそのときに、一言釘を刺す程度にすぎない。

 魏高輔が石豹の不審な動きを警告したにもかかわらず、風演も雪瑜も節度使たちに出した招待をそのように捉えていた。


 だが。

 節度使たちの反応は二聖が考えていたよりも緊張感を含んだものだった。

 都から遠く離れた任地にいる彼らも、進奏院などを通じて都とは連絡を取り合っている。

 それにより節度使たちは新宰相魏高輔が、自分たちを辛く評価していることを知っていた。

 特に二州を節度使として束ねる石豹は、書状を受け取ると一瞬眉間に皺を寄せて、いつもの飄々とした雰囲気は鳴りを潜める。

 公式の書状の他に、雪瑜から私的な手紙も同時に届いていて、このようなことになった経緯と、自分も皇帝も石豹の忠心を疑っていないことなどが述べられていたが、疑い出せばこれもこちらを油断させる為の工作の可能性がある。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか。お前はどう思う、喫邪(シーシェイ)?」

 石豹は喫邪(シーシェイ)、すなわち宗靖を呼び出して二通の書状を見せると意見を求めた。

「新宰相のことは知りませんが、白猴のことならよく知っています。少なくとも将軍のことを疑ってはいないでしょう。奴にはもっと大事なことがあるので」

「もっと大事な……? なんだそれは」

「三妃という位では白猴は満足できません。もっと上の皇后を目指しているはず」

「なんだ、そんなことか」

 宗靖は声をひそめていった。

「或いは……皇后という位でも白猴は満足しないかも知れません。その先に進もうとするかも……」

「皇后の上、だと」

 一瞬間をおいて、石豹は呵呵と大笑した。

「ははは、あーはっはっはっはっは! それが本当ならなんて娘だ。わしより欲深い者がこの世に居ったとは!」

「は。尊大な女です。その望み故に将軍が白猴を後押ししている限り、白猴が将軍と敵対する可能性は低いと考えます」

「と、すると問題はやはり魏高輔か。面倒くさいのう。伊玄曹もわしを目の敵にしていたが、ここまで露骨ではなかったぞ」

「魏高輔を擁立したのは白猴です。いま魏高輔は大鉈を振るっておりますが、それも白猴の力あってこそ。奴さえ言いくるめれば将軍は安泰です。上手くいけば白猴の力で魏高輔を除けるかも知れません」

「そう上手くいくとは限らんが、面白い考えだ」

 パシィと石豹は丸々肥えた自分の腹を叩いた。

 長年遊牧民たちと戦ってきた石豹の決断は素早い。

「よし、神都に向かうぞ。急ぎ兵どもに伝えて準備させろ」

「え……」

 宗靖は鍾馗の仮面の下で、目を白黒させた。

「それは少々早いのでは? 指定された日時にはまだ時間があります」

「ふ、分かっとらんな。いまグズグズしてたら疑われるだろうが。こういうのは一番に馳せ参じるものよ。わかったらお前も準備しろ喫邪(シーシェイ)。置いていくぞ」

「承知しました、将軍」


 急に決まった神都への出立だが、鴉兵たちに動揺はない。遊牧民の襲撃はいつだって突然なのだ。こんなことは日常茶飯事である。

 兵たちが荷物を自分のまとめている中、宗靖は兵舎を出て建物と建物の陰に座り込んだ。

 いつの間にか、宗靖の傍らに一人の男が現れる。

 宗靖は男の方を見ないまま、独り言を言うかのように話し始めた。

「自分はしばらく藩鎮を離れることになった。後のことは頼む」

「……どこへ行くんだ?」

「神都だ」

「ち。また俺はお留守番か」

「別に大した用じゃない。皇帝へのご機嫌伺のようなものだ」

「それなら……俺や例の女どもに土産の一つでも買ってきてくれ。あの女は牡丹が好きなんだろう? ならそれにあやかったものを何か」

「馬鹿を言うな」

 男がクックックと笑い、宗靖は不快そうにその意見を退けた。

「そうむくれるなよ、喫邪(シーシェイ)。良い報せがある。ひょっとしたら俺達の破滅の兆しかも知れんが……」

「何があった?」

「月巧妃の手下がお前に会いたがってる」

「なに──白猴が俺が西域にいると気付いたのか!?」

 宗靖は即座にその意味に気付いて目を見開き、思わず腰を浮かした。

 月巧妃と個人的な因縁があることは石将軍にさえ秘密にしていた。これが明るみになれば面倒なことになりかねない。

「まずい、下手すれば将軍との関係がこじれる!」

喫邪(シーシェイ)落ち着け、お前を探している月巧妃は白猴じゃない。もう一人の方さ」

「玲、が……? どういうことだ?」

「月巧妃の手下の居場所は分かっている、会ってみるかい? そいつに」

「……頼む、石炎」

 石炎と言われた若者はニッと笑い、踵を返した。



 ここで、宗靖と石炎の関係について少々説明したい。

 宗靖は故郷で欧陽玲とのほろ苦い別離の後、科挙の狭き門を見事に潜り抜けたものの、席がないという理由で官僚には登用されず無位無官の日々を過ごしていた。

 そこを石豹に見いだされ、以後はその配下となるのだが、この時出会ったのが石炎である。

 石炎は石豹の実子だった。

 ただし妾腹の生まれで、妾だった母に育てられたため、石豹の他の兄弟たちとは面識もなく育った。

 やがて石炎の母が死ぬと、石豹は石炎を家族として迎え入れたが、妾の子という溝は大きかった。

 石炎の目から見れば正妻の子供たちは甘やかされて育った無能だが……いずれ自分は見下してる彼らに(かしず)かなければならない。

 ──それは、耐えられん。

 俺とて石豹の子。節度使の座を継ぐ資格があるはずだ。

 このまま一生飼い殺しなどゴメンだ。

 周囲の冷たい視線を受けながら、石炎の野心は膨らんでいった。


 ギラつく野心を抱えた石炎は、都からやってきた男に自分と似たものを感じた。

 この男には何かある。

 そう考えた石炎は宗靖に近づき、西域の風俗に不慣れな若者をいろいろと助けてやった。

 年が近いこともあって二人はすぐに打ち解け、頃合いを見て石炎は宗靖の為に一席設けた。

 料理が進み酒も尽きた頃、石炎は尋ねる。

「お前の剣はもう十分大したものだ。なのにお前はまだまだ足りねえって感じだ。一体お前の目的はなんだ、喫邪(シーシェイ)? 何の為にそんなに自分をいじめるんだ?」

「……さあな」

「ごまかすなよ。俺の目は節穴じゃねえ。お前には何かある」

「……」

 宗靖は空の杯を傾けて酒を飲む振りをしつつ、逆に聞き返した。

「人にそういうことを聞くならまず自分の胸襟を開くべきじゃないのか?」

「俺か? 俺は親父の跡を継いでこの地の節度使となりたい。その為に親父の覚えのよいお前に近づいているんだ」

 そう石炎は明け透けに言い放った。

 宗靖は一瞬驚いたが、動揺を悟られないように深呼吸した。

「大きな声で言うべきことじゃないな。……大きすぎる野心は身を滅ぼすぞ」

「坊主みたいなことを言って誤魔化すんじゃねえ。俺は言ったぞ、次はお前の番だ。喫邪(シーシェイ)、お前の望みはなんだ?」

「……俺のはそう大したことじゃない。一匹、斬りたい奴がいる」

「復讐か」

「少し違うが似たようなものだ」

「で、どこのどいつを斬りたいんだ? 手伝ってやるぜ、お前が俺に協力してくれるって約束するならな」

「聞かない方がいい。聞けば引き返せなくなる」

「いいから教えろよ」

 宗靖はしばらく間を置き、観念したように答えた。

「白猴と俺は呼んでいる。いまは天子の後宮にいるよ」

「あー……なるほどね」

 石炎はおどけて言った。

「いまの聞かなかったことにできねえかな?」

「だから言っただろうか」

 この時から二人は互いに協力し、それぞれの野望に向けて動き出すことになる。

 宗靖が伊玄曹を斬ったちょうどその頃、天香妃と従者カラブランを鴉兵の手から救い出し匿ったのは石炎であった。

 無論このことは石豹でさえ知らない。

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