第五十五回 巡幸
伊玄曹の乱より一年後。
皇帝風演と月巧妃という二聖を乗せた馬車は多くの者を引き連れて都を発った。
護衛の兵だけではない。皇帝が移動するということは政府の中枢が移動するということである。
百官が皇帝に随従するのだ。
皇帝、そして月巧妃の乗る馬車を一目見ようと、都の住人は群れを成して旅立っていく行列を見送った。
「ふっふっふ、奇妙なことですね大家」
簾を下ろした窓からその様子を覗いた雪瑜は、群衆を見て満足そうに体を揺らした。
「何が奇妙なのだ?」
「私が子供の頃はこの白い髪は凶兆そのもの、皆が忌み嫌ったものです。しかし、いまやこれはめでたい証だと言って皆が私の真似をして髪を白く染め上げる。実に不思議なことです」
「お前が自ら下らぬ迷信と思い込みを打ち破ったのだ。お前の素晴らしさはもはや万人が知るところだ。……もっとも私は最初から気付いていたがな!」
「そうですね。こうなったのも全ては大家の慧眼のおかげ」
そういって雪瑜は甘えるように風演に身を寄せた。
「ただ魏澄子殿は町人が髪を白く染めることを苦々しく思っております」
そこで雪瑜は魏澄子の口調を真似ながら言った。
「老いれば自然と髪は白くなる! 若くしてそのような格好をするのは淫らなことだ! このような風俗は理に反する!……なんてね」
「ふっ奴の言う事など気にするな」
「いえいえ大家、魏澄子殿の指摘は正しい。正論でございます。しかしながら、頭越しに止めろと言われればかえって反発するもの。しばし様子を見て自然に飽きさせるのが上策かと存じます」
「お前の意見はいちいちもっともだ」
「……それに、正直言って悪くない気分です。人々が私の真似をする様子をもっと見ていたい」
「うむ。きっとこの光景は行く先々で目にするだろう」
皇帝の威徳を誇示する巡幸は三ヵ月近くに渡って続けられた。
風演は物見遊山に近いと感じていたが、雪瑜にとっては地方の状況を確認するまたとない機会である。
もとより皇帝の巡幸は、皇帝自らその土地土地の功労者を賞してやることも目的の一つだが、雪瑜は田園を見つけるとしばしば身分を偽って飛び出し、土地の者に作付けの具合や不満などを尋ねて話を聞いたのちに、農民の苦労を労って賞してやることがあった。
ある土地で二毛作が成功したと聞いた時は、彼女は小躍りして喜んだ。
「これが広まれば飢饉など無縁になるだろう」
一方、上手くいかなかった土地の者に対しても雪瑜は慈悲を見せた。
「稲がよく育つ土地があり、麦がよく育つ土地があり、橘がよく育つ土地がある。逆もまた然りだ。失敗はあなた方のせいではない。これからも腐らず働くように」
そう言って地方の官吏に説いて回る雪瑜の姿は、皇帝よりも皇帝らしい。まるで風演は白髪の乙女に付き従うが如しだった。
失敗には寛容だった雪瑜だが、時には激しい怒りを見せることがあった。
それは一言で言えば、彼女の定めた法を守らなかったことに対しての怒りである。
肥沃な田を不毛田と偽った者、持ち主のいなくなった田を不正に入手し報告していない者。小作農を事実上の奴隷として扱い、高利を得ていたもの。国家の専売である塩の横流し、あるいは私塩の密売密輸で財を成そうとした者……。
そのような行為があったと知ると雪瑜は風演が慌てるほどに怒った。
「言語道断! 民の産を強奪し、昭の財を蚕食する行いだ!」
そのようなとき、雪瑜は相手がどんな大物でも容赦しなかった。
特に激怒したのは徴税が上手くいってない例があると知ったときだ。
通常徴税は里正が担当する。
里正とは民と官の中間的存在であり、住人の代表とも下級の官吏ともいえる存在だ。
徴税官ならさぞかし余禄があるだろうと思うかもしれないが、そう簡単ではない。徴税対象の中に里正を上回る権力の持ち主(富豪、上級官吏の身内、寺観など)がいた場合、それらはあらゆる手を使って税を払うことを拒否する。彼らに権力の上流を押さえられてる為、訴え出ても無駄である。
そうなれば里正は泣く泣く彼らの分の税を自己負担で補填しなければならない。
巡幸中、そのような話が耳に届くと、雪瑜は即座に実態を調べさせ、有罪と確信したのならば、皇帝の名で処分を下した。
今回の巡幸では実際に家を取り潰しまで行ったのは、二件だけだったものの、皇帝権力がこれほど積極的に介入してくることに門閥貴族たちの不満は高まっていく。たとえ違法であっても、彼らの中では既得権益を犯されたという感覚の方が強かった。
一通り地方の慰撫を終えて神都に戻る途中、雪瑜はまたも急遽予定を変更し、一旦針路を本来のルートから大きく逸れさせた。
関係のない大臣や官僚らを最寄りの町に置き、そして雪瑜本人は馮嘉隊長ら選抜した護衛の兵を引き連れて、少し寄り道をするという。
「どこへ行く気だ?」
風演が尋ねると、雪瑜は微笑んだ。
「少し山歩きを。大家も参りますか? 道は険しいと思いますが……」
「行く。一人で待っていてもつまらぬからな」
「では共に参りましょう」
二聖は護衛に守られながら、馬車や輿でなく自らの足で名もない山を歩いた。
額に汗を浮かべた風演は再度尋ねる。
「で、この場所になんの用があるのだ? お前が自ら足を運ぶほどだ、ただの散歩ではあるまい?」
「以前──この辺りに山首という一匹の狒々が棲んでおりました。私の実の親だと言われている妖怪です」
「な、なに!」
風演は僅かに恐怖の色を見せた。
妖怪の棲み処だったと聞かされてはいい気分はしない。
なんでもないと思っていた周囲の景色が、突然不気味な雰囲気に思えてくる。
「気味が悪いな。大丈夫なのか?」
「ご心配には及びませんよ」
怖がる風演を面白がるように雪瑜は目を細めた。
「我が父、欧陽乙が妖怪を討滅してからは怪異はすっかり消え去りましたのでね」
「それでは一体?」
「この地に宝が眠っているという情報があるのです」
「妖怪の宝だと?」
「いいえ。自然のものですよ。ただし普通の人間では掘り起こせません。大家のお力が必要なのです」
「私の力?」
謎めいた言葉に風演は眉を顰めた。
そのとき風演と雪瑜の前方で言い争う声が聞こえた。
「なんだお前らは!」
「こんなところで何をしている!」
「無礼な、我らは勅命によりこの地に参ったのだ。貴様らこそここで何をしている!」
「な、なに。大きく出たな貴様……!」
騒ぎに気が付いた雪瑜と風演が目をやると、護衛の兵たちが何者かを見咎めたのが元で、揉め事が起こったらしい。
「おやおや。何か手違いが起こった様ですね」
雪瑜は困惑する風演を先導するように……否、従えるように優雅に歩を進め争いの仲裁に入った。
「双方やめなさい。陛下の御前ですよ」
「えっ?」
「おおっ」
風演が現れ、双方が平伏すると雪瑜が口を開いた。
「兵士諸君、任務ご苦労。そこの者らにこの地を調べる様に命じたのはこの私だ。よって心配は無用である」
「はっ!」
「雪瑜、これはどういうことだ? さっぱり分からぬ」
「この者たちの話を聞けばわかりますよ。さて、報告を聞こうか」
雪瑜が派遣したという一団は奇妙な集団だった。
二名ほどは官吏のような身なりを整えているが、その他の十余名はよく言えば山歩きに適した格好、悪く言えば粗末な格好だった。恐らく地元の猟師か何かだろう。
報告を聞こう、と言われて顔を上げたのは官吏風の男だけで、猟師風の男たちは皇帝と相対した緊張で硬直していた。
「はっ。良い報せがあります。月巧妃様の申されたことは事実でございました」
そう言って官吏風の男は猟師風の男に指示して二つの石くれを取り出した。
一方は黄金色に輝いた鉱物を多く含んでおり、もう一方の石も、石にできた断層に沿って黄金色の鉱物を含んでいる。そして後者は実際に金鉱石だった。
官吏風の男は恭しく雪瑜に後者の石を差し出した。
「ご覧ください。こちらがその金でございます。月巧妃様の仰ったとおりの場所に鉱脈がありました。ここからおよそ五、六里の場所でございます」
「素晴らしい。それでもう一つは何だ? それも金か?」
「いいえ。こちらは銅でございます。金の鉱脈とは少し離れたまた別の山で採取いたしました。埋蔵量はかなりの物になるかと存じ上げます。まだ見つけてはおりませんが、恐らくどこかに鉄鉱石の鉱脈も存在するかと」
雪瑜が満足げに頷いた。
「大家、お聞きの通り、これが私の言ったこの地に眠る宝でございます」
「鉱石か!」
「はい。大量の人夫を動員できる者でなければ、試掘もままなりませぬ。しかし大家のお力があれば容易いことでしょう?」
「お前にはいつも驚かされる……いいだろう、やってみるがいい雪瑜」
「ははっ」
その後さらなる試掘と調査の末、かつて狒々が潜んでいた山は銅、鉄、そして金を鉱山として開山することになる。




