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第五十四回 玲の依頼

 伊玄曹の乱によって皇城が被った被害が修復されると、親皇帝派反撃の起点となった祖廟の隣に、以前にはなかった見慣れぬ建物が出現していた。

 それは玲と雪瑜の亡母を祀る廟である。

 かつて幼い玲が手造りで拵えた小さな祭壇は、いまや職人・工夫の手によって作られた立派な建造物となって屹立していた。

 流石に皇室と同時に祀ることは憚れたために建物は別にされたが、こんなものがあること自体、月巧妃の権力の巨大さが伺える。

 雪瑜と玲の行動は全く違うものの、二人に共通点があるとすれば母の廟にはどちらも足繁く通うということだった。


 風演と月巧妃が南方諸国を巡行する一月ほど前、玲は宇文亮を母の廟へと呼びだした。

 亮は香を焚いて月巧妃の母の霊を慰めた後、玲に向き直って揖礼する。

「お呼びでしょうか」

「ええ。大事なことを頼むわ、亮。あなたは目端が利く。私の目となって欲しい」

「玲様の、目?」

「そう、私が行けないところに行って、私が見られないものを見て、私の耳に届かない話を聞いてきて欲しい。その為に必要な資金はいくらでも用立てるわ。時に危険な仕事だけどやってくれるかしら?」

義兄(あに)からは月巧妃様に仕えるなら命を懸けて仕えよ、そうでなければ初めから仕えるなと言われております」

「……月巧妃ではないわ。これはこの私、欧陽玲のお願いよ。だから雪瑜にも内緒」

 亮は一瞬驚いた顔をしたが、ためらいを見せなかった。

「承知しました。玲様がそう望むのであれば。しかし玲様と雪瑜様は二心同体です。玲様が知ることは雪瑜様が知ることなのでは?」

「そのことなら大丈夫」

 玲が自信を覗かせた。

「一方が起きている間、一方はそれを夢を見ているような感じなのよ。相手がしていることを完全に知り得るわけではないの。それに私たちは互いの心の中までは知ることができない……まだあるわ」

 玲は唇を舌で濡らした。

「この間気が付いたの。雪瑜が、徒に踏み込まない場所がある。それがここよ。母の廟内では、雪瑜は私のしていることを見ようとしない。きっと私が母を拝むのを邪魔したくないのね、あの残酷な雪瑜にも意外に可愛い所あるでしょ」

 玲は皮肉な笑みを浮かべた。

「だからあなたはここで私に指示を受けて、ここで私に報告する。いいかしら?」

「承知致ししました、玲様」

「では最初の命令を与えます。あなたは巡幸先を視察する先遣の者に同行して、視察の際見たものを纏めて私に報告して欲しい」

「視察の際見たもの、とは少し曖昧ですが……」

「市井の生の声、生の感情よ。もう二度と武装決起の芽を見逃すことはないようにしたいの。雪瑜も気を付けてはいるだろうけど、彼女は自信がありすぎる」

「そういうことでしたか。承知しました」

月巧妃(わたし)の近侍という立場と、無名の宦官であるという立場をうまく使い分けてね。それともう一つ。雪瑜の動向を見張っていて欲しい」

「雪瑜様を?」

「ええ。これこそあなたしかできない。頼めるかしら」

 このことについては亮も躊躇いを見せたがやがて頷いた。

「……仰せのままにいたします」


 この日から亮は雪瑜の監視者となった。

 とはいえそれで、元々月巧妃に近侍していた亮の行動が変化したわけではない。ただ少し雪瑜を見る目が変わったということだ。

 その目で見ると雪瑜は、異常なほどに活力に溢れて行動していた。

 雪瑜の作った娘子将軍の(やくしょ)は、まさしくもう一つの皇帝の座だった。

 毎日非公式の意見書陳述書が何十枚と運ばれ、雪瑜は全てに目を通し決裁を下し、必要があれば自ら筆を執って文を添えた。恐らくはそれら公式の陳述書と返答は、公式のものより権力(ちから)のある物だと亮の目には映った。

 雪瑜の(やくしょ)の壁には、美しいイスファハン産のペルシャ絨毯が一枚掛けられているが、それは唐草文様やアラベスク文様ではなく、限りなく詳細な昭国の地図だった。

 飢饉、乱の兆し、その他の様々な報告が入ると、雪瑜はその絨毯の地図に針を刺し事件が起こったことの目印を付けていた。

 週の初め、雪瑜の机や棚には兵法書、思想書、雑記など様々なジャンルの書物が三冊から五冊納入され、週の終わりにはもう必要ないとばかりに部屋から排出された。

 いつ時間を作っているのか、凄まじい速度で雪瑜は書を読破しているらしい。

 翰林院に居た亮にとって大抵の書は既知のものだったが、中には初めて見る物もあった。

 特に亮の知るいかなる文字とも違う文字で書かれた書が複数あり、玲から言い渡された任務とは別に興味を引いた。

「雪瑜様、一つお聞きしてもよいでしょうか?」

「おう。一つと言わず何でも聞くがいい」

「今週運ばれたこの書は一体どのようなものでしょうか? 浅学の僕では読むことさえできません」

「ああ、それか。これは……」

 雪瑜は何かを言おうとしたが、そこで口を噤んだ。

 ためらいを見せた後、改めて言い直す。

「……ある隠者の棲み処だった洞窟で見つかった竹簡を、紙に写させたものだ。古の忘れ去られた文字だから普通の人間には読めない」

「す、凄い! 雪瑜様にはそれが読めるのですか!」

「まあな。どうしたわけか読める」

「一体何が書かれているのです」

「主に隠者の棲んでいた山中で起こった怪異について記されている。中には山中に埋められた宝の在り処なども書かれているな」

「宝!? それはワクワクしますね」

「実はこの南部巡幸の折にこの書が見つかった山の近くを通る。どうせ妄言だろうが、一応人をやって確認させるつもりだ」

「楽しみですね!」


 亮がこの不思議な書のことを玲に報告すると、もう一人の月巧妃は渋い顔をした。

「雪瑜は少し嘘をついているわね。その隠者というのは私たちの本当の父親のことよ。狒々の化け物の使う文字だからあなたには読めず、雪瑜には読めたの」

 それを聞いて亮は青ざめた。

 月巧妃の出生話は宮中で秘中の秘。迂闊に話したら首が飛びかねない。

 知らなかったとはいえ、そのことに関する話を雪瑜様に尋ねるなど!

「ぼ、僕、とんでもないことを……」

「雪瑜は怒ってないんだから気にする必要はないわ。それにしても雪瑜はやりたい放題ね」

「はい。表立って批判する者はおりませんが、陰で雪瑜様と魏宰相を揶揄する者は少なくありません。何卒周囲にはお気を付けください」

「私より陛下の身よ……全くこんな時期に旅行なんて参っちゃうわね」

「悪いことばかりではありません。太夫層が雪瑜様を苦々しく思ってる一方で、それ以下の身分からの雪瑜様の人気は見張るものがあります。町人たちの間では雪瑜様にあやかって髪を白く染めるというのが流行りつつあるほどで。都だけでなく地方の者さえもですよ。南部地方を巡視した時、私はこの目で見ました」

「……それはまさに雪瑜の意図した通りね。いつも彼女は弱者の心を引き寄せることから始める。こうやって上下の分断をさせたら次は横の分断よ。今回のことはよく見ておきなさい。雪瑜は巡幸しながら地方の名族の一部は取り込み、一部は敵対者として攻撃するでしょう。そうやって敵を小さく細切れにするのよ」

「……」

 雪瑜の戦術と意図を予見した玲に感心しつつ、亮は頷いた。

「でも雪瑜は自分で思っているほど万能じゃないわ。時には、見積もりを誤ることもある。あなたは雪瑜と別の目で見なさい」

「は、はい」

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