第五十三回 カッティング・エッジ
月巧妃・雪瑜の事実上の参政、そして尚書令へ魏高輔の登用は昭国の政治を一変させた。
伊玄曹が権力を握っていた貴族政治全盛時代に皇帝の影が薄くなったように、皮肉にもこの二人が表舞台に上がったことで再び皇帝である風演の存在感が弱まったことは否めない。
伊玄曹の貴族政治と現在の違いがあるとすれば、雪瑜は後宮という皇帝の最も深いプライベートまで踏み込んで皇帝の様子を探ることができるということと、雪瑜と風演は互いに愛し合っていること、そして雪瑜の思惑とは別に、牽制役として玲がいるということだろう。
が、玲はあくまで影の存在として動いていた。
主として表に立つのは雪瑜である。
まず彼女は科挙の改革に手を付けた。既に武挙で改革を行った実績があるが、今度は文官を登用するための文科挙である。
後述する魏高輔と密に連携し、庵室の学士たちとも諮り、試験に実際の政治の課題を盛り込むことにした。さらに各試験の及第者が官僚に登用される道筋を整備した。
この変更によって後々政権内では科挙に及第して官僚となった者の割合が増えることにより、名門貴族たちの勢力は弱体化し、さらに厳しい立場に追いやられていく。
優秀な才能を選別すると同時に、皇帝の独裁権を強める一手である。
皇帝の権力とはすなわち、雪瑜の権力であった。
そして喧嘩宰相と呼ばれる魏高輔は雪瑜よりもさらに衝撃的な変革を行った。
地方官に左遷させられていた間、魏高輔は地方の実態を肌で感じ、かつて自分がやろうとしていた改革をより現実に即した形にアップデートしていた。
正式に尚書令の印綬を貰うと、開口一番魏高輔は言った。
「農民が困窮すると地主に金を借りる。地主は高利で金を貸す! 一度借りるともうダメだ! 金が返せねえ農民は土地を手放し流民になって逃げる! 土地は荒れ耕作地は減る! 流賊と化した農民が流通の妨害し、都で飢饉が起こる! ますます流賊が増える! この悪循環を断ち切れ! 最初に止めるのは地主の高利貸しだ!」
こうして魏高輔は、地主に変わって政府が農民へ低利で現金や作付けの為の種籾を貸し付ける法を制定した。
だが、法を制定しただけでは止まらないのが魏高輔である。
農民が逃げ出して荒田となった田畑を国や地方自治体に買い取らせ官田とし、流民になった小作農にそれを貸し与えることで農業基盤を安定化させた。
さらに水路を整備し新開発された灌漑用農機具である竜骨車を活用した開墾の技術指導なども積極的に行わせた
またこれは南部地方に限定されるが一部地域で行われていた二毛作を推奨、官田をモデルケースとして民田でも広く指導を行った。
二毛作では土地が弱ることを見越し、都市部から糞便を回収して堆肥を作る流れを確立しろとまで魏高輔が口を出せたのは、彼が机上の学問ではなく実際の農学について深く学んだ為である。
さらに検地を徹底させ、私領の面積に限度を設けた。一部の富豪層への掣肘である。
特に伊玄曹の故地である細嶺の伊氏への目は厳しく、伊氏の持つ多くの荘園が削られ民間へと払い下げられた。
これらの政策によって利益を損なわれた豪農、豪商層から魏高輔が多くの批判、非難を集めたのはいうまでもない。
が、魏高輔は批判に対していつも真っ向から言い返した。
「なあに言ってやがる! このまま小農の田畑が減り続け大官の荘園が増せば、行きつく先は昭国の破滅だ! 今ンうちに農政と財政を立て直す!」
さらに流通においても魏高輔は舌鋒鋭くまくしたてる。
「農民が汗水たらして作ったモンを買い占めて値段を吊り上げるバカがいる。作った農民も購う町人も幸せにならねえ! 政府が作物の一部は国が買いとって食料が不足してる地域に売る! わしの目が黒い内は食いもんに勝手に関を作るような真似は許さねえ! 大体一方で飢饉が起こって一方で食いモンが溢れてるのはおかしいだろうが!」
と、こうして均輸法が制定された。
「……うむ。それは民の為になろう。確実に法が実行されるようにせよ」
風演は魏高輔の苛烈とも言える迫力に押され、表向きこのように支持していたものの、裏では雪瑜に弱音を吐いた。
「どうも魏高輔は加減というものを知らぬように思える……以前もそうだったのだ。前回はこの辺りで反発が強まってなあ。魏高輔が命を狙われるかも知れん。下手をすればまた叛乱が起きるかも知れない」
「大家、安心してください。この雪瑜が皇城の内も外もしっかりと見張っております。二度とあのようなことは起こさせませぬ」
幼子を抱くよう雪瑜は風演を抱きしめて背中を叩いて安心させる。
実際、雪瑜が敷いた諜報網は既に後宮に留まらず、その外にまで根を広げていた。
程なくして、昭国南部のある地方で、豪族たちの不満が溜まっているという噂が朝廷内に流れた。
風演は再び怯えの色を見せる。
「あの地で何が起こっているのか考えるだけで、頭が痛い。孤に突き刺す刃を研いでいるに違いない」
「お労しや……しかし、噂は噂。確証はありませぬ」
「それはそうだが……」
「大家、そこまで気になるなら、直接ご覧になるというのはどうでしょうか?」
「な、に? どういうことだ?」
「南部への巡幸でございます。ここで悶々としていても答えが出ませぬ。不確かな報告で一喜一憂するよりも自らの目で見る方がはっきりいたすでしょう?」
「だが、それでは下手をすると自ら死地に向かうことになりかねぬぞ」
「巷間にて大家の声望は高く、古の聖王と並んで語られております。そのようなことはまずないでしょう。それに万が一の為に羽林軍がいるではありませんか。彼らがいれば大家の身は安泰でございます」
「……」
「私は行きたいなあ」
風演が口を開くよりも早く、雪瑜は甘えるような猫撫で声で先手を打った。
「魏高輔殿の……いや、大家の改革が民衆にどれほど感謝されているか、実際に見てみたい」
「それほどに感謝されているのだろうか? 聞こえてくる噂は――」
「大家が行ったのは農民の為の政。宮廷の者は実際に田畑で汗を流す者ではありませぬ。それは悪く言うに決まっています……宮殿に居るだけでは分からぬこともあるのです。それにねえ大家。あなたは天下の主なんですよ? この小さな宮殿と都に籠っているだけで満足ですか?」
「小さいか、この昭の都が」
「あなたの治める天下に比べたらほんの一部に過ぎません。私と共に都の外に参りましょう」
「お前にそう言われると、私も行きたくなってきた。早速巡幸の準備をさせよう」
「そう来なくては!」
雪瑜が風演を動かし南部への巡幸に誘ったのには無論魂胆がある。
一つは燻っているとされる反乱への牽制。地方の豪族には皇帝の武威を見せつけ、民衆には慰撫を施し反抗の根を事前に摘むこと。
そしてもう一つは自分が行った改革の成果を見ることだ。
伊玄曹を叩き潰したのは私の作った羽林軍と娘子軍だ。伊玄曹の後釜に魏高輔を呼び、奴の無茶な法令を通してやってるのも私の力だ。
いま昭国の政を為しているのは大家でも魏高輔でもない。この私だ。
それがどう結実しているか、私はこの目で確かめる必要がある。
いまや雪瑜の自我は帝国の全てを握っているという自負にまで肥大化していた。
宮殿に籠っているのが耐えきれないのは風演の方ではない。雪瑜の方だ。
猛獣が日々自身の縄張りを見回るように、彼女もまた自分の帝国を見回らずにはいられないのだ。




