第三十三回 喫邪
さっそく舞台が設けられ、周囲の歓声を受けながら二人の兵が武舞台へ上がる。
その二人の戦士は表面上は、著しく対照的だった。
挑戦者の馮 嘉は見るからに目立ちたがり屋でお調子者であった。歓声が上がるたびに、それに応えて片手を高く上げて場を盛り上げる。
その馮嘉が手にするのは巨大な陌刀と呼ばれる刀剣だった。
柄も刃も長大な武器で、騎馬を人馬もろとも斬殺し得るという破壊力を秘めた刀剣だ。斬馬刀といえばイメージしやすいかも知れない。
試合である為に刀身には布が巻かれ、斬れないようにされているが、純粋な打撃力だけで十分に危険である。
筋骨たくましい馮嘉が巨大な陌刀を手にすると、まさに尋常ならざる迫力を発した。
一方、鍾馗の仮面を着けた喫邪はどこまでも静かで、泰然自若とした様子だった。
手にしているのは平凡な木剣である。仁王の如き馮嘉の前ではいかにも頼りない。
「こりゃ流石に馮嘉の勝ちか」「鶏を捌くのに牛刀を使うのかよ」などと、ただ見ているだけの新兵たちは囁いた。
だが、武舞台に上に登った馮嘉は、喫邪が仮面の奥に秘めた激しい炎に気が付いていた。
こいつ、燃えてやがる。
油断などできる相手ではないと悟り、馮嘉の顔からいつの間にか笑みは消えていた。
「では……始め!」
試合開始の銅鑼が叩かれると、まず初めに動いたのは馮嘉の方だった。
距離を詰めながら威嚇するように巨大な刀を大振りに振るう。
そうして激しく動きながらも、馮嘉はじっと喫邪の動きを観察していた。
こんな大振りの攻撃が当たらないのは承知の上だ。相手がどうやって対処するか、それが見たかったのである。
対する喫邪は必要な分だけ後ろに下がり、馮嘉の攻撃をやり過ごした。ギリギリの見極めである。
馮嘉の陌刀は巻き起こす刃風で、鍾馗の仮面の髭が揺れる。だが喫邪の体は一本の筋が通っているかのようにブレない。
陌刀の引き戻しが僅かに遅かった一瞬、今度は喫邪が動いた。
電光石火ともいうべき速度で間合いを詰め、陌刀を握る馮嘉の腕を狙う。
やべえ。しくった。
馮嘉の背筋にゾクリと冷たいものが走る。
だが間一髪、反応が間に合った。陌刀の柄で木刀を受けた馮嘉は、強引に陌刀を振って、肉薄する喫邪を押し返す。
「ぬおおおおっ!」
馮嘉の怪力には付き合わず、喫邪は身を退いた。
退いたのは一歩半、先ほどと同じく必要な分だけである。
そう来ると思ったぞ!
喫邪が必要な分だけ下がることを読んでいた馮嘉は、さらに果敢な一歩を踏み出す。
ピタリと張り付いて、獲物を陌刀の射程から逃さない。
「おりゃぁっ!」
今度の一撃は最初の威嚇のような腕力による大振りではない。腕の力ではなく体移動による一撃だ。
喫邪目掛けて最短の距離を通り、陌刀が唸る。
対する喫邪はやや体勢を崩している。
取った!
馮嘉は勝利を確信し、観衆が息を呑む一瞬。喫邪が奇手を見せた。
自ら仰向けに倒れるようにして、陌刀の刃を躱したのである。
「な……」
それは馮嘉にとって全く予想外の動きだった。その為に反応が一拍子遅れる。
喫邪は倒れ込みつつ、迫りくる刃を打ち払い、地面に背が付いたか付かないか、という瞬間にもう立ち上がっていた。
多くの観衆がいたにもかかわらず、倒れたはずの喫邪がどうやって起き上がったか、その瞬間を目撃した者はいなかった。それほどの早業だったのである。
馮嘉も例外ではない。
気が付けば、己の眼前に木刀が付きつけられていた。
完敗である。
馮嘉は悔しみがにじみ出た表情を存分に浮かべた後、嘆息と共に馮嘉は陌刀を置いた。
「……参った! 俺の負けだ!」
「それまで!」
おおおおおおっ!
決着が告げられると、試合を見ていた兵たちからどよめきが起き、退場していく喫邪に尊敬の念がこもった視線が向けられていた。
共に武挙試験を受けたからこそ、新兵たちは決して馮嘉が弱かったわけではないことを知っている。
そもそも長大な陌刀を軽々と使いこなす巨漢が弱いわけがない。
ただ喫邪がその上を行っただけのこと。
兵たちの興奮は観覧していた将軍たちにも伝染していた。
「なんとなんとこれは……」
「本当にあの者がこの都に潜んでいたのか」
「鴉兵の全てがあれほどの技量の持ち主ではないとはいえ……凄まじい」
「いや全く、あのような部下がいるとは石将軍が羨ましい限りですな」
羨望の眼差しを受けた石豹は照れを隠すように髭を撫でた。
「いや、ハラハラさせおって。まだまだ喫邪も青い。もっと危なげなく戦ってくれなければ困る」
「石将軍は厳しいな」
「あっこれは陛下……」
風演が言うと、石豹は媚びた笑顔を浮かべ頭を掻いた。
「あの者に褒美を取らすよう計らえ」
「勿体ないお言葉……喫邪も喜びましょう」
鴉兵喫邪と、羽林兵の見習い馮嘉の戦いは予定外の出来事だったもののそれ以外はつつがなく事が進んだ。
その後は予定通りに武挙を登第したこと、及び栄えある羽林軍に入隊したことを祝う酒宴が設けられ、将軍らも交え兵たちは歓談した。
上座、下座を問わず、宴の席で多く話題に上ったのは何と言っても先の試合についてである。
特に馮嘉の周囲ではそのことで盛り上がっていた。
なんと言っても戦った馮嘉本人が何度も戦いを振り返り、悔しがり、そして自分を負かした喫邪を絶賛していた。
さらに酔いがまわってくると、自然と馮嘉の声は大きくなっていく。
「いや、何度も言うがさっきは惜しかったな。あの喫邪って野郎はお前に勝って褒美を貰ったっていうぜ」
隣にいた者が馮嘉にそう言うと、馮嘉は大仰に首を振って全力で否定した。
「馬~~鹿! 馬ぁ~~~~~っ鹿野郎! 何にも分かってねえな。あの戦いはち~~~っとも惜しくはねえよ!」
「そ、そうか? あと一息に見えたが……」
「そのあと一息がでっけえんだよ!」
馮嘉はふう~と息を吐いて、あの瞬間の戦いの光景を反芻した。
「お前よぉ、最後の攻防んとき、喫邪が倒れてから起き上がったのが見えたか?」
「いや、見逃したけど」
「俺にも見えなかったんだよ」
手にした酒杯をグイと傾けて、馮嘉は酒を煽った。
「目の前にいたのに見えなかった。奴が倒れて、俺の攻撃がスカる、一瞬奴の姿が視界から外れる、そしたらもう奴が目の前に居た。何度思い出してもそうだ。あれはマグレとかじゃねえ。訓練して体得した技だ。まんまとやられたぜ」
「そこまで見破られたか」
「あん?」
馮嘉が酔眼を向けると、そこには鍾馗の仮面を被った喫邪が立っていた。
一気に酔いが覚めた馮嘉は、はっと目を見開く。
「お、お前! はは、い、いい所に来たじゃねえか!」
「ああ。石将軍の好意で呼ばれたのだ」
「何でもいいけどよ、テメエには言いたいことがいっぱいあるんだ! 座れ座れ! 飲め飲め!」
まるで思いがけず旧友に会ったかのように、馮嘉は興奮して席を勧めた。
喫邪は言われるがまま席に着き、馮嘉と酒を酌み交わす。
「おい、妙な技を使うじゃねえか。まさか自分から倒れて攻撃をかわすなんてな。一本取られたぜ」
「お前のように並外れた力と速さを併せ持った相手と戦うための工夫だ」
「あの時どうやって立ち上がったんだ?」
「戦場では時に足を取られ転ぶ時もある。そのような時に備えて訓練を積んだ」
「勿体つけずにどうやったのか教えろよ」
「口で説明するのは難しい」
「だったらここでやって見せろよ!」
「もう酔った。堪忍してくれ」
「なんだと、さっき座ったばっかりじゃねえか!」と馮嘉が詰め寄る。宴もたけなわ、会場は盛り上がっていた。
燕喜の場となった会場を縫うようにして、女官たちが酌をして回る。
用意してあった酒壺が次々と空になっていった。




