第二十三回 月巧妃
皇帝風演は高らかに宣言した。
欧陽玲と雪瑜、一つの身に二つの心を持つ者に、三妃の位を与える。
後宮の妃嬪は単なる伽役ではなく、公的な役職でもある。
ましてや三妃ともなれば、その影響力は後宮内だけに留まるものではない。
百官が見守る中、雪瑜は三妃の印綬を受け取った。
「おお……」
流石の雪瑜も、印綬を受け取る手が震える。
印綬を首から下げた雪瑜は、高官たちの前で抱負を述べた。
「蒙きを啓き、四海を遍く照らす陛下は、当に太陽の如し。私はただ月の如く陛下の影となり、その帝業を巧く佐けたいと願うのみ」
こうして三妃の位は再び定まった。
月巧妃 雪瑜。そして、月巧妃 玲の誕生である。
勅が発せられると、後宮の雪瑜と実家の欧陽家に、手土産を携えた訪問客が相次いだ。
訪問者の目的は、三妃の位を背景に権勢を振るうであろう欧陽家との繋がりを作ることである。
積み上がった付け届けの山を見て、雪瑜らの父である欧陽乙はほっと息を吐いた。
彼にしてみれば、とりあえずは利益を回収できた、といったところだ。
およそ三年間、雪瑜は後宮内では表舞台に上がらずに雌伏していた。
その間、裏では相当の額の金を宮女や宦官に配り、さらに皇族との繋がりまで作っていたのである。
交際費にはかなりの金額を使っていた。
給金だけで足りない分は、全て実家から出ていたのである。
欧陽乙が一息ついたのも当然だろう。
「やれやれ、これでしばらくは首を括らずに済みそうだ。だが、この先はどうなることやら……」
と、欧陽乙は一族の行く末を案じて嘆息した。
「しかし……あれの母がもし生きていたら……やはり誇らしいと思うだろうな」
雪瑜の元にも、連日多くの進物が届いた。
際限なく送られてくる進物に、玉蘭などは閉口していたが、雪瑜に驚きはない。
殆どの物は一瞥しただけで、手に取ることもなかった。
「欲しいものがあるならあげるわよ、玉蘭」
「い、いえ。そんな」
「ホラ、これなんかいいんじゃない?」
と、絹の服を取り、強引に玉蘭に手渡した。
「でもこれは、雪瑜様と玲様に贈られた品物ですし……」
「どうせ私も玲も着ないわ。ほら他の子たちにも持って行っておやり、別にいらないならお金に換えてもいいから」
「は、はあ」
雪瑜は惜しげもなく宮女たちに進物を与えたが、それでも絶えず進物はやって来る。
玲ではないが、雪瑜ですらだんだんと貴族の持つ膨大な富に呆れはじめた。
彼女は欲深い女だが、それでも庶民出身である。その経済感覚は貴族よりずっと庶民的だ。
『膏血を絞る』という言葉がある。重税を取り立てるという意味だ。
貴族の富とは即ち、その下にいる者の血と膏なのだ。
下町を遊び場にしていた雪瑜は、そのことをよく理解していた。
やはり今年も飢饉が起こった地方もあるというが……いま私に進物を贈って来る連中は、そのときに何かしただろうか?
これもまた、いつか糺さねばならぬことだ、と感じた。
神都の廷臣だけでなく、各地の豪族たちも、目敏い者はおこぼれに預かろうと、進物を携えた使者を月巧妃の元に送った。
送られてくる書状を読むだけで一苦労である。
代り映えしない祝賀の言葉に、雪瑜はぼやく。
「へつらいばかりだな……つまらん」
「まあそういう物ですよ、雪瑜様」
だが、その中の一書が雪瑜の目に留まった。
他の書状は宛名が月巧妃となっているのに、その一つだけが後宮娘子将軍となっていたのである。
「これは……石豹将軍からだ」
将軍からの書状をを読み進めていくと、雪瑜の顰めツラが徐々に解きほぐされ、ついこらえきれず吹き出してしまった。
そこにあったのは、単なるおべんちゃらではなく、諧謔に満ちた文章だったのである。
「ははは! 石豹将軍は面白いな! 他の奴らとは一味も二味も違う!」
「何が書いていたのです?」
と、玉蘭が覗き込んだ。
「早く自分より偉くなって、引き上げて欲しいと言ってきたわ。はっはっは! 証拠の残る書状で堂々とこんなことを書くとはな! しかも北方の良馬を贈ると書いてるぞ、面白い趣向だ」
「そういえば石豹将軍は最近また戦に勝ったそうですね」
「ああ。友軍が敗れたのを救出し、反撃に出てこれを撃破したそうだ。いまは二州の節度使を兼ねている」
「へえ。凄い方なんですねえ」
玉蘭は数年前に見た小太りのおじさんを思い出したが、その時の印象と噂に聞く大将軍というイメージがどうしても結びつかなかった。
「ところで馬はともかく……そろそろ進物も蔵に入りきらないな」
月巧妃となった雪瑜は、長年恵徳妃が住まいとしていた宮殿に移っていたが、それでも手狭に感じるほどであった。
「そうですね、どう致しましょう?」
「しょうがない。護景、どこか別の蔵にでも仕舞っておいてくれ」
「承知しました」
貴族豪族から贈られてくる進物は、そのまま右から左へに運ばれていった。
連日、たくさんの品が届いたが、唯一雪瑜が望んだ品はまだ届かない。
──天香妃の牡丹である。
雪瑜が所望の品を今か今かと待ち受けていた頃、天香妃と風演が面会していた。
「ようやくお気に入りの欧陽充媛が三妃となられたようですわね。おめでとうございます、陛下」
「うむ……そのことなのだがな」
風演は言い辛そうに口を開いた。
「雪瑜と玲に、何か祝いの品を贈ってやりたいと思って悩んでいたのだが……先日これは、と目についたものがあってな」
「陛下の目に適った品とは何でございますか?」
「それが、花王宮の庭に生えている牡丹の木だ」
「!?」
風演の言葉を聞いて、天香妃は体を強張らせた。
「どうだろう、ほんの少しで良い。月巧妃に分けてくれないか?」
あまりの衝撃に天香妃は言葉が出てこなかった。口をパクパクと動かすのが精一杯である。
天香妃の顔は一旦青くなり、次第にカッと頭から首筋まで朱色に染まった。
「私の牡丹を充媛に差し出せと言っているのですか!」
「まあ、そういうことだが……」
「嫌でございます!」
「ううむ」
牙を剥いた雌豹のような迫力に、一瞬風演はたじろぐ。
いつもであればここで風演は折れていた。
だが、それを予想していた雪瑜は、護景を風演に同行させていた。さらには焦螟もいまや雪瑜の側に立っている。
二人の宦官は風演ほど容易く折れない。
「恐れながら、天香妃様。玲様と雪瑜様はもはや充媛ではなく三妃でございます」
「なんだと!?」
「ま、ま、天香妃様。この花王宮にたくさん生えているうちの、ほんの一本で良いのです。それなら構いますまい?」
へりくだるような笑みを浮かべながら、焦螟が言う。
だが。
「ダメよ!」
天香妃は突っぱねた。
「あの猴にやるような花はないわ!」
この暴言に護景が素早く反応した。風演も顔をしかめている。
「天香妃様、月巧妃様に対し、いまの言葉は聞き逃せませぬ!」
「だったらなんだっていうの、猴の小間使い風情が!」
「もうよい! やめよ、天香妃! 孤はしかと言い渡したぞ!」
「お断りいたします! 陛下の言葉でも聞けませぬ!」
激しい言い合いの末に、天香妃は風演を拒絶し追い返した。
天香妃が皇帝に対しても一歩も引かないのは、本人の性格もさることながら、時の宰相にして門閥貴族の代表格である伊家の権勢を物語っている。
それでも、風演の目の前で雪瑜を罵倒したのはまずかった。
宦官の支配する後宮こそ、伊家の権勢も及ばない数少ない空間だったのである。
「天香妃の奴め、気の強い女だとは思っていたがこれほどとは!」
追い返された風演も、流石に怒りを露わにした。
「では如何いたしますか?」
「穏便に済ませようとしたが、もうよい。元々この後宮にある物は全て孤の物だ。無理やりでも持っていくぞ。老爺よ、後のことは任せた!」
「これはこれは……致し方ありませんな」
と小柄な老宦官は呟いた。
パン、パン、パン!
天香妃と風演のやり取りを報告された雪瑜は、手を拍って喜んだ。
「ハハハハ! 大家に逆らうとは、所詮世間知らずのお嬢ちゃんだな。死は近いぞ」
「……ところで雪瑜様、一つ気になる情報があります」
「なんだい、護景?」
「天香妃様が妊娠しているという噂を聞きました」
「本当か!?」
「今日見た限りでは、まだ外からは分かりませんでした」
「……」
「如何いたしましょう?」
雪瑜は首を振った。
「何も変わらんさ。だが計画は早める必要がある。もう少しあいつを嬲ってやりたかったが……」
自身の思考を反芻するかのように、雪瑜は呟いた。
「娘か息子か、どっちだろうなぁ。娘なら問題ないが、息子だと少し面倒なことになる……」
しばらく瞑目していたが、やがて眼を開いた雪瑜は突然笑い出した。
「ははははっ!」
「妙案が思い浮かんだようですね」
「いや違うよ。ふっ護景、妲己を知っているか?」
「妲己? 殷の紂王を惑わせたという、あの……?」
「そうだ。その妲己だ」
護景が怪訝な顔をして見つめていると、雪瑜は笑った訳を話した。
「妲己は妊婦の腹を裂いて、その赤子が男か女か知ろうとしたらしいな」
「はい。伝説ではそうなっています。正直、作り話かと思われますが……」
「あながちそうとは言えんぞ。私はいま妲己の気持ちがよく分かったわ。もしかしたら彼女も、私と同じ状況だったのかもしれん」
「え……」
「はははは! いま私は天香妃の腹を裂いてでも、その子供が男か女か知りたくなったのよ! 一瞬でも自分が伝説の悪女と同じことを考えたことに驚いたわ。笑うしかあるまい!」
雪瑜が笑った理由を聞き護景の背筋に冷たいものが走った。
まさか雪瑜様は……。
「で、では」
「やらんよ、そんな面倒なことはな。結局、妲己は失敗したのだ。だが私は失敗しない」
今回少しMTG風味




