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第二十二回 妊娠

「護景」

 雪瑜は信頼する若い宦官を呼んだ。

「この手紙を廉安公主様に届けてくれ」

「れ、廉安(れんあん)公主様にですか?」

「おう、そうだ。頼んだぞ。雪瑜が是非ともお近づきになりたいと言っていたと伝えてくれ」

 雪瑜は手紙と共に護景に手間賃を握らせる。

「承知致しました。いよいよ仕上げでございますね」

「そうだ。最後に外堀を埋めなければならん……」

 ふと、雪瑜は天を仰いだ。

「人殺しの片棒を担ぐのは嫌だろう。こんなことに巻き込んですまないな。いつかお前に報いてやるからな」

「私共にそのような言葉をお掛けになってくれるのは、貴女様くらいなもの。それだけで満足でございますよ」


 雪瑜の手紙が廉安(れんあん)公主へと届くと、すぐに二人の間でお互いの使者の往来が始まった。

 そして三日と経たず、雪瑜は直接廉安(れんあん)公主と顔を合わせるようになっていた。



 その頃、天香妃は体調を崩し、床に伏せがちになっていた。

 こんな時に……い、いや、待てよ……。

 主人の不調にカラブランは唇を噛んだが、考えようによっては一時天香妃が動けないことは都合がよいかも知れない、と思い直した。

 普段カラブランは天香妃に随従し、不便がないように取り計らう。

 天香妃が衝動的に言いだすワガママを叶えてやり、時には天香妃を諫めることもしなければならない。

 そのせいでカラブランは時間が取れず、周囲で起こっていることに対して疎かになっていた。

 だが、主人が動けないならば多少の時間が取れる。

 

「天香妃様を頼んだぞ」

「はっ。お任せください」

 カラブランはお抱えの医者に念押しした。

 後宮内の暗闘において、軽視してはならないのが医官である。仮に敵対する派閥が医官を取り込んでしまった場合、命を守る手立てはない。

 また嬰児殺しなども簡単にできてしまう。

 多数の人間を手にかけた恵徳妃の行状が露見しなかったのも、焦螟を通じ医官を抱き込んでいたからだ。

 天香妃の場合、その体に触れる者、服用する薬を作る者などは、実家である伊家から送り込まれた者たちで固めていた。

 そうした上でカラブランは一時主人から離れ、自ら情報収集に奔走することにした。


 一方で病床に伏せる天香妃は、額に皺を寄せ、恨めし気に虚空を睨んでいた。

 その胸には不信と不満が渦巻いている。

 今頃自分は皇后となっていてもおかしくはなかったのに!

 それを邪魔した恵徳妃め! 

 後を継いだ(サル)め!

 頼りない無能な家来どもめ!


 苛立った天香妃は身を起こすと酒杯に手を伸ばした。

「あっ、まだお酒は……」

「うるさい!」

 自分を止めようとした医者を振り払って天香妃は杯を掴む。

 だがその瞬間。

 パキッ。

「!?」

 突然、掴んでいた杯が割れた。

 酒がこぼれ天香妃の服に染みを作る。

「どいつもこいつも……! 何をしているの! さっさと新しい服を持って来なさい!」

 天香妃は周囲に向って叫んだ。

 さらに侍女が慌てて持ってきた服にもダメ出しをする。

「これじゃない!」

「え……では、どのお召し物を……?」

「裾が紫の奴よ! 分からないの!」

「あの、それは先日汚れて処分したはずでは?」

 バチン。

 天香妃は侍女の頬を張り飛ばして怒鳴りつけた。

「そんなわけないわ!! さっさと持ってきなさい!!! 私にいつまでこんな格好をさせておくつもり!」

 半べそをかきながらその侍女が部屋を出て行くと、天香妃はさらに別の侍女に向っても叫ぶ。

「さっきから姿が見えないカラブランはどこ?」

「カ、カラブラン様は調べ物があるとかで、外出しております……」

「あいつめ……この私を放って一体どこをほっつき歩いているのかしら……!」


 天香妃の苛立ちは募っていく。

 そしてちょうどその時、天香妃に訪れる者がいる者がいた。

「あ、あの、天香妃様……廉安(れんあん)公主様がお見えになっております」

「廉安公主だって?」

 天香妃は思わず聞き返した。

 廉安公主は現皇帝の父の姉、つまり風演の伯母に当たる女である。

「あの古狸が私に何の用があると?」

「さ、さあ……」

 体調は良くないが、皇族の訪問を袖にするわけもいかないと考え、天香妃は不調の体をおして廉安公主に会うことにした。



「えっ欧陽充媛ですか? ええ、皆に好かれておりますよ。はい、どちらの欧陽充媛も……」

「あたしゃ雪瑜様が好きだねえ、いつも気前がいいしさ」

「あの方はしっかりこちらを見て下さるんだよね。確かに言い方はキツい時もあるけど、どんな小物も必ず名前で話しかけるしさ。そこへいくと他の妃の方は“おい”、とか“そこの”が精々。天香妃様なんて、自分の侍女の名前を殆ど知らないんじゃないのかい?」

「ここだけの話……天香妃様の侍女の中にも欧陽充媛についてる奴はいるらしいよ。それも一人や二人じゃないって……」


「……なんということだ」

 雪瑜に関する情報は、霞がかかったかのようにぼんやりとしていて、人伝に聞いたばかりでは、しっかりと伝わってこなかった。

 だが、今その理由が分かった。

 想像以上に後宮内の空気が変化している。


 多くの人間が欧陽玲と雪瑜が次の皇后になると睨んでいた。

 その恩恵に与るべく、宮女も宦官も競って玲と雪瑜のために働いている。

 しかもそれは単に偉くなるとか、皇帝の後ろ盾があるからという理由だけではないように思えた。

 庶人として過ごしてきた玲と雪瑜は、貴族的な思想が薄い。官位の低い者に対しても、労りを持って接している。

 どうやらそれが人を惹きつけている様だった。


 反対に、恵徳妃殺しの疑いを掛けられている天香妃に対しては、宮女たちもどこかよそよそしい。

 これでは情報を集めるどころではなかった。

 人が退いている。

 そのことに気付いたカラブランは人心を繋ぎとめるために、奔走した。

 独自の判断で手足となる宮女・宦官たちに金品を与え、その親族に災難があった場合は見舞い金を出した。

 だが、一朝一夕ではどうにもならない。


「これでは到底……」

 カラブランは青筋を立てた。

 何か起死回生の手がいる。

 そう考えていた矢先、宮女の一人が走ってきて、天香妃がカラブランを呼んでいることを伝えた。

 嫌な予感がする。

 そう思いつつも、カラブランは天香妃の元に急いだ。

 主の機嫌をこれ以上損ねてはならない。


 そして天香妃の元に駆け付けると、その場にいた意外な人物に面を食らった。

「こ、これは廉安公主様……」

 廉安公主がここへ何の用だ?

 その疑問が晴れる前に、天香妃はキビキビとした口調でカラブランを(なじ)った。

「カラブラン、お前、何処をほっつき歩いていたのかしら?」

「は。調べ物をしておりました」

「何を調べてたの?」

「後宮内に天香妃様を中傷する噂があり、その源を調べていたところです」

「……もしかしてお前がその噂の源泉なんじゃないの?」

「は……?」

 カラブランは驚いた。本当に驚いた。

 天香妃様はいったい何を言っておられる?

「まさか、そのようなことはあるはずがございません! いったい誰がそのようなことを!」

「そこに居られる廉安公主様よ」

「なっ!!」

 廉安公主は扇子を片手に、涼しい顔で天香妃とカラブランのやり取りを見守っていた。

 そしてカラブランは全てを悟った。

 廉安公主は雪瑜の差し金……離間工作だ。

 天香妃はなおも疑いの眼差しを向けてくる。

「お前、本当は(サル)と繋がっているんじゃないの?」

「まさか! この私が!」

「ふうん、まあいいわ。とにかく、今後は私の許可なく傍を離れることを禁じるわ」

「は、はい……」

 カラブランは頭を下げながら、顔を歪めた。

 

 な、なんということだ。

 これでは私も身動きが取れない。どうにかして伊宰相にお嬢様を説得していただかねば……。

 廉安公主め、まさかこれほど容易くお嬢様を篭絡するとは!

 いったいなにを吹き込んだのだ。


「ふふふ、私の周りでチョロチョロと飛び回る羽虫のことの他にも、廉安公主様はいろいろと教えてくださったわ。これであの目障りな(サル)も終わりよ」

「い、いけませんお嬢様! 廉安公主様が何を申されたのかは存じ上げませんが、一旦その情報を精査するべきです!」

 カラブランは身を挺して諫言した。

 これはいけない。

 間違いなくその情報は雪瑜の罠だ。そのまま通すわけには行かない。

 だが、廉安公主も身を乗り出して反論した。

「その方は妾の言葉を疑うのかえ?」

「そうよ、カラブラン。お前は黙っていなさい。公主様に無礼よ」

「く……」


 この場は下がるしかない、と身を退いたカラブランだったが、廉安公主が帰るとすかさず主人に食い下がった。

「お嬢様、廉安公主は信用なりません、突然このように近づいてくるなどあまりにも不自然です!」

「カラブラン、いつ私がお前に月旦(人物の批評のこと)を頼んだのかしら?」

「お願いでございます、せめて背景の調査だけでも!」

「あまりイライラさせないで頂戴。お腹の子に悪いわ」

「え?」


 天香妃はニヤリと笑って自分の腹を撫でた。

「これでこの子が男なら全ての問題は片付く。私が皇后よ」

「なっ!?」

 天香妃から突然飛び出た発言には、カラブランは目を剥いて驚いた。

「は、は……」

 しばし茫然とした後、カラブランはやっと言葉を絞り出した。

「ご、ご懐妊、まことにおめでとうございまする!!」


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