後編
会場では、ヴィヴィアンが案の定ヒソヒソされていた。
しかし、友人である令嬢達が、彼女を慰めているようだ。友人たちは憎々し気な瞳でアロンとリリアナを見ている。女性の団結力って怖い。
アロンもさすがに気が付いたのだろう。虚勢を張るために、わざとリリアナの肩を抱いて彼女たちに近づいて行った。そして、大きい声でこう言い放ったのだ。
「お前達、第一王子たる私に、何か文句があるのか?」
やると思った。だって底抜けのアホだから。
リリアナはわくわくしたような表情をしている。
ヴィヴィアンを慰めていた令嬢達の瞳がぎらりと光った。
「お言葉ですが!!アロン様のなさりようはあんまりです!ここは公式の場ですよ!」
「婚約者はヴィヴィアン様ではないですか!!」
「この節操なし!雰囲気だけの男!」
まぁまぁ普通に罵倒されているが、アロンはひるまなかった。
「そのヴィヴィアンが私を受け入れないからだ!身分が高いからとずいぶんむちゃくちゃやっているようだし。このリリアナに比べると天と地の差だ!」
リリアナの名前を出したことで、令嬢達にさらに燃料が投下された。
「そのリリアナは男爵令嬢です!アロン様とは身分が釣り合いません!」
「ヴィヴィアン様は公爵家の方!おいそれと殿方と親しくなったりいたしません!」
「アロン様は肩書だけの最低野郎です!」
なかなか的を射た罵倒が聞こえる。誰だろう、褒めてあげたい。
段々、会場全体がアロンたちに注目し始めた。さすがにアロンもイライラしてきたようだ。
「くそ!私を誰だと思っているんだ!もういい、ヴィヴィアンとの婚約は解消だ!お前達、出て行くがいい!衛兵!」
会場を警備していた衛兵たちが、ざっとヴィヴィアンと令嬢達を取り囲んだ。
小さく悲鳴が上がる。
よし。ここが、良いタイミングでしょう。
私は、大きく息を吸って声を出した。
「待ちなさい!」
一斉に振り向いた人たちは、不思議そうな顔をしていた。
驚愕の表情をしたのは、アロンだけだ。
「兄上、あまりに無体すぎます。父上にお叱りを受けますよ」
「ジュリ、お前…!」
アロンの言ったことに、周囲はざわついた。
「え?あれが、ジュリ様?」
「どういうことだ?あれは、男じゃないか!」
皆が驚くのは当然だ。『僕』は、今まで王女として過ごしてきたのだから。
男性として皆の前に出るのはこれが初めて。ばっさりと髪も切ったし、清々しいことこの上ない。
実は、アロンと僕は双子の兄弟だったのだ。
双子の王子は不吉と言われ、両親は弟の僕を年子の王女として発表した。だから、僕は幼いころからドレスしか着たことがない。アロンはそれを散々馬鹿にしてくれた。
彼は兄として生まれたから王位継承者に選ばれただけなのに。僕は、弟に生まれただけでこの仕打ちだというのに。
アロンは微塵も同情してくれなかった。
女顔であることが不幸中の幸いだ。僕は、そこそこの美人として評判だった。
学生の間はそれで通し、成人したら辺境に領地をもらいひっそり暮らすはずだった。
だから、無気力にこの生活を送っていた。
だが、あまりにアロンがアホでヴィヴィアンが可哀想だったから、考えを変えたのだ。
まぁ、どちらにせよ女性として過ごすのは潮時だったのかもしれない。
少し前に声変わりしてしまったのだ。そのため、極力喋らないようにしていたら、皆話しかけてくれなくなってしまった。
今はもう、そんなこと気にしなくていい。僕は会場に朗々と声を響かせた。
「父上は、兄上に失望していますよ」
「なんだと!?どういうことだ!?」
「アホの兄上より、僕の方が次の王にふさわしいとおっしゃっておいででした」
「う、嘘だ!!」
「本当ですよ、王位継承権は僕に移りました。あなたが何も問題を起こさなかったら、父上もそうしなかったでしょうけどね。まったく、こんな場所で公爵令嬢に恥をかかせるとは…」
僕は、令嬢達の陰に隠れたヴィヴィアンに声をかけた。
「ヴィヴィアン嬢、兄上との婚約は解消です。でも、次は僕と婚約してくださいますか?」
令嬢達はきゃあきゃあ言いながら、僕とヴィヴィアンの間を開けた。
「ジュリ!ヴィヴィアンなんて、化粧の濃い趣味の悪い女だぞ!!」
アロンが顔を歪めて声を荒げたが、僕は爽やかに笑い返した。
「いえ?とても可愛らしくて趣味の良い女性ですよ?」
「なんだと!?どこを見て…!はぁ!?」
ヴィヴィアンを探し当てて、アロンの顎が外れんばかりに開いてしまった。
そりゃそうだろう。僕が選んだドレスを着たヴィヴィアンは、美しいお人形のようだった。
しかも、頬を赤くしてもじもじしているものだから、可愛さの暴力である。
僕は注目を浴びながら、ヴィヴィアンの前で跪いた。そっと手を取ると、彼女は小さく震えていた。
「ヴィヴィアン嬢、僕を受け入れてもらえますか?」
「…は、はい」
ヴィヴィアンがそう返事をした瞬間、周りからキャーッと歓声が上がった。
ピーピーと指笛の音も聞こえてくる。黙って成り行きを見ていた令息たちも盛り上がってしまったようだ。
割れんばかりの拍手に包まれて、僕は立ち上がった。
ヴィヴィアンはまだ信じられないという顔をしている。
「ほ、本当にジュリ様なのですか?」
「そうだよ。びっくりした?」
「心臓がまだばくばくいっています…」
「おや、可愛いね」
「か…っ」
「ふふ。その顔は、二人きりの時だけにして欲しかったなぁ」
アロンはすっかり魂が抜けたようになっているが、リリアナはみんなと一緒ににこにこ笑って拍手していた。彼女はてくてくと歩いて近寄ってくると、僕に声をかけた。
「ジュリ様、おめでとうございます!こんなにかっこよかったんですねぇ。いえ、元々美人でしたけれど」
「ありがとう、リリアナ」
誰も傍にいなくなったことに気が付いたアロンは、目を剥いた。
「リリアナ!お前まで!」
「え?」
「ジュリは私の地位を奪ったんだ!お前は私の恋人だろう!こっちへ来い!」
「…恋人…?アロン様と私は、恋人ではないですよね?」
「は!?」
「え?だって、いつも楽しくお話しているだけではないですか。ええと、言いにくいですが私達何もしていませんよね」
「!?」
それを聞いた周囲はざわざわし始めた。
リリアナには、即効性の睡眠薬を渡してある。二人で会う時には、必ず飲み物にそれを混ぜるように伝えてあったのだ。後は、アロンが寝て起きた後に、「とっても良かったです」と言うだけの簡単なお仕事だ。アロンがそれだけで勘違いできるアホで良かった。
アロンが寝ている間、リリアナは私が用意した解剖学の本を読んでいた。アロンの体で色々確認出来て、確かにとても良い時間だったらしい。それなりに話もしていたようなので、二人が親しくしていたのは間違いないが。
元々、リリアナは僕が男であると気が付いていた。医者志望だったため骨格の違いでわかったらしい。
僕が王位継承権を奪うつもりだと計画を話すと、彼女は応援してくれた。
だが、ハニートラップはしかける側も危険がある。しかし、アロンにハニートラップをしかける代わりに、高価な医学書をあげると言ったら、リリアナは嬉々として食いついてきたのだ。根性のある男爵令嬢だ。正直、グロい挿絵の医学書を読みふける姿はちょっと怖かった。
アロンは、愕然として膝をついてしまった。
プレイボーイを気取っていたら、ただの勘違い野郎だったとバレてしまったのだ。
僕が目配せすると、衛兵がアロンを連れて行った。後でたっぷり父上から叱られるがいい。
リリアナは、少し考えるとアロンを追った。
僕達はその後、ダンスを踊った。周りからは感嘆のため息が聞こえる。
踊り疲れると、僕は彼女をバルコニーへと誘った。
一息つくと、ヴィヴィアンはつつつっと僕から距離を取った。
さすが、公爵令嬢。きちんと節度ある距離を保とうという配慮だろう。
むずむずする。追い詰めてやりたくなるじゃないか。
「ヴィヴィアン?」
ぐっと体を寄せて彼女を壁側に押し付けると、彼女は真っ赤になった。
この時点で、股間蹴りを警戒したが、どうやらその気配はない。本気で嫌がっていない証拠だろう。
「ジュリ様…近いです…」
「うん。僕が選んだドレスを着た、可愛い婚約者をしっかり見ておきたいからね」
「そ、その位置では顔しか見えないのではないですか!?」
「んん?それもそうだね」
壁に手をついて少し体を離すと、確かに彼女の全身が見える。真っ赤なうなじから胸元、滑らかな線を描く腰、小さな足元。舐めるように眺めていると、ヴィヴィアンがおずおずと僕の胸を両手で押した。離れて欲しいという意思表示だろう。
「あ、あの…あまり見ないでください…」
「んー、思った通り可愛いわね…おっと、まだ口調が直らないな」
「ジュ、ジュリ様、離れてください。人に見られたら…」
「何か困ることがあるのかな?僕たちは婚約者なのだから、咎められはしないよ」
「で、でも!」
「じゃあ、僕の名前をきちんと呼んでもらおうかな」
「名前ですか?ジュリ様ではないのですか…?」
「本当は、ジュリアンと言うんだ。これから、そう呼んでくれる?」
女性として生きていくために、僕はずっとジュリと呼ばれていた。
彼女はちょっと間を置くと、僕の目を見た。
「えっと、ジュリアン様…?」
ヴィヴィアンは、はにかんで名前を呼んでくれた。
その瞬間キュンとしてしまった。そして、とても嬉しい気持ちになる。
「…意外と、これだけでぐっとくるものだねぇ」
「ジュリアン様?」
「うん。もう一度」
「ジュリアン様…」
「もっと」
「あ、あの!お顔が近いです!!呼んだら離れてくれるとおっしゃったじゃないですか」
「そんなこと約束してないけど?」
「!?」
騙された!と目を見開いた顔がとても可愛いので、軽く頬にキスをしたらヴィヴィアンの膝がかくっと折れてしまった。僕が思わず抱き留めると、彼女はいやいやするように首を振った。
「おやおや。離すと倒れてしまうよ」
「だ、大丈夫です!!」
「まったく、君はどこまで可愛いんだろうね。女性なんて、見慣れていると思ったけどなぁ」
「み、見慣れてる!?」
「あぁ、今まで女性として暮らしてきたから、周りに女性が多くて当然でしょう。変な想像した?」
「し、してません!」
真っ赤になって否定すると、嘘だとばれると思う。
「だから、こういうことするのは君が初めてだよ。妬いた?」
抱き締めて頬ずりすると、彼女は限界を超えたようだ。
「~~~~ッ!!」
ヴィヴィアンはもう声も出ず、ぷるぷると涙目になってしまった。
「ごめんね、あんまり可愛かったから」
「ひ、ひどいです!」
彼女には刺激が強かったらしい。この辺でやめてあげることにした。
楽しみはこの先にとっておこう。
まぁ、自信は無いけど。
念願の男として生活するようになって、こんなに可愛い人が傍にいるのだから。
ヴィヴィアンはまだ涙目で恨めし気に僕を見つめている。
「ジュリ様が、こんな方だとは思いませんでした」
「…ジュリ様?」
僕がちらりとヴィヴィアンを見つめると、彼女はしまったと口に手を当てた。
そして、恐々と僕を見つめ返してきた。
なんだろう、その上目遣い。わざとなのだろうか。
「…お仕置きを受けるための口実かな?」
「ちが、違います!ジュリアン様…!」
「黙って」
それからバルコニーは静かになった。
どれだけ時間が経っても、誰もそこには近づかない。
新しい王子と婚約者の邪魔をする無粋な者は、ここにはいないのだ。
〇〇〇
アロンは、追いかけてきたリリアナを見て涙ぐんだ。
「リリアナ、戻ってきてくれたのか」
「はい!アロン様、最後に足底筋を調べさせてください!」
「!?」
「あと、それだけがまだだったんです!」
「どういうことだ!?」
「えっと、アロン様が寝てる間、全身の筋肉の動きとか調べてたんです。後は足部だけなんです!」
「ぜ、全身!?…死にたい…」
「本当ですか!?じゃあ死んだら解剖させてください!」
「!!」
後で衛兵に聞いたところによると、アロンは王宮に行くまでしくしくと泣き続けたそうだ。
ありがとうございました!