ブスと蔑まれていた主人がなぜか美女になった9
僕が生まれ育った国。
この国のために懸命なる努力をした。
親から受け継いだ力と決められた未来に暗澹たる思いを抱いた幼い時代を超えて。
やがて幼馴染と誓ったのだ。
共にこの国を支えていこうと。
そうして僕は国で最高の神術士になった。
だが理不尽にも刃は突きつけられる。
初めて目にした本物のマレビトの姿に圧倒された。
我が国に降り立ったマレビトの姿を思い出す。
何という差だろうか。
本当のマレビトとはこんな化け物たちであったのか。
勝てるわけがない。
心が折れる音と共に、怒りも湧いた。
なぜ、と思う。
あのマレビトさえ。
もっとマシであったなら、こんなことにはならなかったのに…!
最後のあがきにと、八つ当たり気味に見えない紐を握った。
物の役にも立たないマレビトを追放する際にかけた首輪を強引に引き寄せる。
空間を破る手ごたえと共に確かな存在感。
時間がないから力技になったが、四肢の一つくらい欠けても今更だ。
その位のリスクは背負うべきだろう。
この国を守るために存在するはずなのに、なんの役にも立たなかった彼女の業は深い。
最後に少しくらい国の力になってもらわねば割に合わない。
目の前で圧倒的な力を振りかざす二人のマレビトたちに引き渡してもいい、あるいは王族を逃がす時間稼ぎにしてもいい。
頭の中で巡らせていた考えは、そうして現れた女に霞のように消された。
―彼女は僕らの国を完膚なきまでに屈服させた。
王が、膝を折り。
僕は床に這いつくばり、王子は失意に首を垂れる。
この国に降り立ったあの役立たずのマレビトが、その身に宿した奇跡の数々。
僕らの目は、あまりにも濁り過ぎていた。
国はここに滅亡したのだ。
けれど奇跡は終わりを知らない。
一身に寵愛を受けたマレビトの危機に応えてか、神がご降臨なさった。
何百年ぶりだろう?
少なくとも近代史にはなかったことだ。
豪奢な広間は荘厳な光に包まれ、光の中に尊きお方の存在だけを感じる。
神術を扱う者として、これほどの誉れはない。
国の終わりと神との邂逅。
僕の頭の中だけでは処理しきれない出来事が次々に起こる。
神の声は頭に響く。
言葉ではないなにかが、頭の中を直接揺さぶった。
聞かないことも出来ず、僕は頭を下げ続ける。
彼女にだけは少し穏やかに向けられる、かのお方の声は笑いを含んでいるように感じた。
『未熟な神術は見苦しかろう』
無駄のない神術を扱う彼女の前で、神はそういって僕らの神気を抑え込んだ。
感じたのは屈辱だったのか恥辱だったのか、もう今となってはわからない。
神が問う。
我がマレビトを如何に遇しているのかと。
冷や汗が流れた。
マレビトの冷遇により、たった今、国を失ったところだと、言えるわけもない。
けれどマレビトは「不満はない」と穏やかに答えた。
そうして彼女は神に一つ願った。
自分の事でもなく、国の事でもなく、時空裂の修復を。
神官の間で大きな問題になっていた事柄だ。
僕は国に仕える神術士であり、世界の安定を担う神官でもある。
神官の最優先事項はあの時空裂が現れてからその修復が至上命題となった。
幾度となく時空裂を塞ぐための神術が編まれたが、どうにもできずに今に至っている。
ゆっくりと広がる時空裂の侵食速度は速くない。
だがいずれどうにか対処しなければ世界が飲み込まれる。
神があの時空裂を閉じてくれるのなら、少なくとも神官としての僕は失意に沈まなくてもよくなるだろう。
だが神は語った。
目の前のマレビトの魂の事。
幾百の世界より重い、彼女の価値の話を。
当たり前のように語る。
この世界は、滅びゆくさだめ。
彼女を守るためのゆりかごに過ぎぬと。
ゆりかごを乗り換え、乗り捨て、ただ彼女の魂だけを守ると神が言う。
幼馴染が耳元でがなる。
神の声が聞こえない王子が、僕の顔色に何かを悟って必死に問う。
僕は乾く喉に唾を飲み込んで答えた。
「神は、仰せだ。この世界は、彼女のためにあると」
平服する。
神の願いに、否は唱えられない。
国の滅亡を受け入れた。
―だから世界の滅亡すら受け入れる。
受け入れられる、と?
…そんなわけがない。
そんなことを出来るわけがない。
この世界が滅ぶ?
愛する国を失い、踏みしめる大地すら奪われる?
この身に絡まった鎖は深く、いまとなっては愛しいばかり。
誓いあった幼馴染や、厳しくも指導してくださった師匠や、権謀術数で渡り合った戦友も、我々が作り上げてきた文明も、技術も、繋いできた命の何もかも。
―消える?
馬鹿な。
馬鹿な!
神に一瞬の叛意が湧いた。
けれど、同時に神気がごっそりと削れる。
だめだ!
この方法では無理だ。
神には勝てない。
神は絶対なる法則。
発した言葉は叶えられなければならない。
すでに神の定めた運命は周りはじめ、絡み合い、巻き込み、一つの結末へと走り出している。
世界滅亡へのカウントダウンを目前に突きつけられて、僕の止まっていた思考がやっと動き出す。
すぐに最高速に至った流れるような思考が目まぐるしく可能性を探し出す。
神にも、かのマレビトにとっても、この世界は無数にある有象無象の一つだろう。
けれど、僕にとって、世界は一つ。
この大地と、この空と、この海、ただ一つ。
滅ぼされてなるものか。
救える道はどこにある。
方法は一つ。
神の言葉の隙を探す。
示された事実。
為すべき事。
為されるべき未来。
禁じられていないこと。
そうして僕は心に決めた。
そうだ、一つだけ、世界を救う道がある。
たった一つ。
―そのために僕は大罪を犯そう。
この身は呪われ、輪廻の輪からも弾き出されるだろう。
けれど、もうそれしか方法はない。
彼女を弑し奉る。
死んだ肉体から切り離された彼女の魂を回収して他の世界に連れて行くと神が言った。
気付いていないのか、それとも…。
きっと恣意的だろう。
それはこの世界を救うための手段として、用意された抜け道のように思える。
―神が守るのはその魂のみ。
その肉体は神の範疇にはない。
我らに彼女を害することを禁じなかった意味がここにあるのではないか。
神の作為とは恐ろしい。
だが今はこれに縋るほかなかった。
この世界が彼女の肉体を守るためのゆりかごならば、守るものをなくせば、世界に意味はない。
滅びる、意味はない。
ならば世界の滅亡を前にそれを実行すればいい。
彼女の肉体を葬り去ればいいのだ。
魂と肉体のルールがこの世界を守るだろう。
そう、一度肉体を失った魂は、同じ世界で復活することはない。
神は約束通り、彼女の魂を連れ、別の世界でその魂を守るための肉体を作ることだろう。
また同じことが初めから繰り返されるだけだ。
それで世界は救われる。
この世界の代わりに、どこかの世界が犠牲になるだけの話。
彼女だって、少しばかり死ぬのが早まるだけの話。
この世界を滅亡に巻き込まないだけ、人間の心が残っていれば罪悪感から感謝すらしてくれるかもしれない。
ぐっと拳を握り、覚悟を決めた。
だが僕の企みを阻む理由を持つ存在があることを、僕は忘れていた。
目的と覚悟を定め、手段を探って床を見つめていた僕の目の前に銀色の刃が差し込まれる。
床と顔の間。
ぽたりと知らず流れていた汗が磨かれた鏡のような刀身に落ちる。
思わず距離を取るために顔を引いた。
簡単に僕を切り捨てられる凶器を握った男の顔を反射的に見上げる。
「―なにを考えている?」
国を滅ぼしにきたはずの炎のマレビト。
「あなたが何を考えているのか、わかっているつもりよ?」
その隣には氷の美貌。
じっとりと背中に汗が滲む。
熱のない目線が二対。
この世界に属さないものは世界中を探しても三人しかいない。
世界を渡ったマレビト三人。
ならば、この二人のマレビトにとっても、この世界は自分の世界ではないのだ。
神の子、マレビト。
彼らにとって、この世界の存在は神に逆らうほどの意味を持たない。
一瞬の怒りが目の奥を焼く。
世界の滅亡など、他人事か!
ここで死ぬわけにはいかない。
せめてたった一つの、世界を救う方法を誰かに伝えるまでは。
この志を、継ぐ誰かが現れるまでは。
「いけません。させません。その愚かな考えを今すぐに捨てなさい」
氷のマレビトが目を細めて命じた。
愚かと言うか。
生き足掻くこの僕を!
「…このまま世界が滅びるのを座して待てとおっしゃるか。あなた方もまた消えゆく魂の一つだと知ってなお、この僕を止めようと?」
怒りが頭の中を煮えたぎらせる。
気付けば僕は唸る様にそんなことを口にしていた。
言ってからはっとする。
そうだ、神は彼女以外の魂の救済に言及していない。
つまり、ここにいる二人のマレビトもまた、世界と共に滅びる可能性が高い。
神に、見捨てられたこの世界と同じく。
勝機だ。
僕を阻む壁として立っている彼らをこちら側に引き込める!
マレビトとて、命は惜しいだろうから。
だけど。
「さよう」
炎のマレビトはいささかの揺るぎもなく答えた。
短い一言に、床についていた拳をぐっと握る。
「…所詮は異世界からの来訪者であったか」
故郷から離れ、この世界にやってきたマレビト。
神に逆らう意味を持たせられなかったこの世界の存在価値を嘆く。
「そう思うか?」
冷ややかな声に、悔しさで閉じていた瞳をひらく。
「我らは自分の故郷を離れた時にまつろわぬ民となった。故に、辿り着いたこの場所が唯一の大地ぞ。―この世界こそが、今や我ら二人にとって唯一無二の世界」
思わぬ告白に驚いて目を見張る。
ならばなぜ、世界を救おうと足掻く僕を阻むのか。
二人のマレビトはもう僕を見てはいなかった。
穏やかで、哀れみの混じった、愛を視線にそそぐ。
その視線の先には、彼女がいた。
僕らに無防備な背を向け、凛と立つ。
謙ることもなく、恐れることもなく、驕ることもなく対峙する。
なぜか。
どうしてか。
世界を壊す存在であるはずなのに、眩しく見えて少し目を眇めた。
「叶えられる願いは、一つ…だけですか?」
『いかにも』
困ったような気配が彼女から立ち上る。
彼女には時空裂の他に神への願い事があったらしい。
『さて、たった一つの願いは如何にする?時空裂の修復か?それとも―』
神の声には少しだけ面白がるような色がある。
神の話を聞いた後ではその質問は酷に聞こえた。
時空裂を修復してしまえば、彼女は故郷へ帰れない。
それを知ってわざと神は問うのだ。
ああ、そうかと思った。
彼女すら、神にとっては世界よりは重い、けれど手の平で踊る魂の一つでしかないのかもしれない。
初めてマレビトが小さく、哀れな、運命に翻弄される、ただの女性に見えた。
ただの役立たずの道具から、強大な力を持った神の寵児に、そして世界が抱えた災厄へと移り変わり、その全てで僕は彼女を同じ人間として見てこなかった。
―やっと、そう思えた。
だから口にした言葉が世界を救う言葉ではなくとも落胆はない。
「では、わたしの大切な人たちに伝えて」
神に促された彼女は昂然と顔を上げる。
伝言だった。
彼女のたった一つのささやかな願いは。
世界の救世ではなく、自分の救済でもなく、伝える言葉。
けれど、その先の言葉は、僕の頭に直接染み込んだ。
「来世でまた会いましょう、と」
彼女の声に迷いはない。
思考が理解せずとも、感情が箍を外したように揺さぶられる。
それは別れの言葉。
もう探さなくていいと。
再会を諦める言葉。
懐かしき故郷に帰るより、この場所に守るものがあると。
現世で二度と会えぬ人々へ、さよならを告げる言葉。
この世界と命運を共にする、と。
憂いのない背に、僕は歯を食いしばる。
マレビト二人が、彼女に付き従っていた者たちが、彼女の背後で深く深く頭を垂れる。
高潔な魂と、哀しいまでに優しさに。
忠誠を。
愛を。
痛む胸の代わりに捧げられる全てを。
『ほう、それを願うか』
愉快だと神が今度こそ感情を隠さず高らかに笑う。
そうして不意に笑い声が収まった。
『ならば、時空裂はどうする?そなたがやるとでも?』
重くなった神の声がそう易々と事が成せるものかと言っているように聞こえた。
重圧に押しつぶされそうになる僕の耳に、それでも気圧されることなく響く声。
「塞いでみせましょう?あなたの力に頼らず。わたしと、マレビトさまと、わたしの大切な仲間と、それからこの世界の人々と」
辛うじて耐えていた堤防が決壊する音を心で聞く。
涙が流れた。
滂沱の、涙だ。
神に向かう背がひどく大きく見えた。
その背がくるりと身軽に振り返る。
「ねえ、手伝ってくれるでしょう?」
僕に合わせた目線が。
傾げた首が。
小さく浮かぶ笑みが。
―僕の魂を変えた。
僕は、彼らと同じように。
いや、それ以上に深く。
彼女に心を折った。