記憶
真っ白なハードカバーに手書きで「天界探索」と書かれた本を開くと、たちまち辺りは青白い光に包まれ、次に気がついた時には、僕は、逃げ惑う人々の真っ只中にいた。
「神軍が下界人に負けたらしい、早く、さらに上の階層に逃げるんだ! 下界人が攻めてくるかもしれない」
「お母さ〜〜〜ん」
「神軍が負けるなんて、なんて体たらくなんだ」
逃げ惑う大人達は口々に不安や不平を言いながら慌てふためき、親とはぐれた子どもはその場で泣き叫んでいる。
僕は、先ほどまでソイニー師匠の書庫にいたはずが、急に喧騒な状況に放り込まれ状況が飲み込めずに混乱している。
そんな中、僕の左側から大きな荷車を運んでいる馬が突っ込んできた。
僕は、周りの混乱に気を取られ、馬の存在に気づかず、気がついた時には、回避不能な距離まで馬が迫ってきていた。
「しまった‥‥‥」
僕は、腕で顔を覆い、目をつぶった。
‥‥‥が、いつまで経っても衝撃がこない。
目を開けると、馬はすでに右側の方向に走り去っていた。
「一体どうして‥‥‥、まさか‥‥‥」
僕は、魔専で受けた授業を思い出す。
高等魔導の一つに、自分の記憶を物体に移植するという魔導があると習ったことがある。
恐らく、これは、ソイニー師匠が、自らの記憶を本に移したのではないか。
僕は、自分の仮説を確かめるために、周りにいる人に話しかけてみるが、やはり誰も僕の声に気がづかないし、触れようとした時に、僕の手はすり抜けてしまった。
僕は確信する。これは、ソイニー師匠の記憶の中だと。
そして、人々の話す内容から、ここは天界だということも。
僕は、辺りを見渡す。すると聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ユキナ、こっちです。この混乱がチャンスです」
後ろを振り返ると、路地からソイニー師匠が出てきた。そして、その手には、ローブに身を包んだ謎の人の手が握られていた。
ソイニー師匠は、ローブに身を包んだ謎の人を引き連れて、大通りに出て、人の流れに逆らいながら僕の横を通り過ぎていく。
「ソイニー様!」
僕の横をちょうど通り過ぎた時、ソイニー師匠の背後から声をかける人物がいた。
ソイニー師匠は後ろを振り向き、目を丸くする。
「アマテウス! どうしてあなたがここに? あなたは上層階の護衛担当では?」
「あ、はい、そうなんですが、下界人の侵攻の可能性が高まったので、この最下層に緊急配備されました。それより、ソイニー師匠、やっと天界に戻ってきていただけたのですね。」
「いや、私は、また下界に戻らなければなりません」
「そんな、上界のピンチに駆けつけていただけた訳ではないのですか?」
「ごめんなさい、アマテウス」
「そうなんですね、それより、そちらの方は!?」
アマテウスはローブの中を覗き込んで、謎の人物の顔を確認しようとする。
しかし、すかさずソイニー師匠はそれを阻止する。
「アマテウス、今回ばかりは見逃してくれませんか?」
「ソイニー様、まさか、また上界に逆らうようなことを!?」
「お願いです、アマテウス」
「ソイニー様、私は、ソイニー様の後輩です。尊敬するソイニー様のことですから、正しいことを為しているのだと思いますが、ソイニー様、これ以上、上界に逆らってしまっては、ソイニー様ほどの魔導の実力があっても、もう二度と、上界に戻ってこれなくなってしまいます」
「アマテウス、私は、上界に戻るつもりはありません、そして、私は、今、命をかけて使命を全うしているところです」
ソイニー師匠は、まっすぐ、アマテウスを見据える。
アマテウスは、ソイニー師匠のまっすぐな目を見続けることができず、目線を落とす。
しかし、その行為がソイニー師匠をさらに追い込むことになる。
「そのローブを被った方の指なんですが‥‥‥、その指輪は、まさか!」
アマテウスは、息を飲み驚く。
「ソイニー様、まさか、あなたはとんでもないことをしようとしていませんか? それはダメですよ。ソイニー様」
「アマテウス、ここは黙って見逃してください。これは上界のためでもあるのです。あなたは、常々、上界の下界に対する政策に不満を漏らしていたではないですか、それを解決するにはこの方法しかないのです」
「ですが‥‥‥、それは、やはり、見過ごせ‥‥‥」
アマテウスが、言いかけた時、ローブを着た人物はアマテウスに近づき、アマテウスの手を握り、そして、語りかける。
「アマテウスさん、どうか今回だけは、見逃していただけませんか?」
「やはり、あなた様は、ユキナ様‥‥‥。どうしてこんな」
「もはや、腐りきって、下界を虐げるこの上界を建て直すには、私が下界に行くしかないのです。私を信じてくれませんか?」
「このことは、天界大統領は‥‥‥」
「もちろん知りません」
「‥‥‥分かりました。ソイニー様とユキナ様を信じます。信じますので、どうかこの上界を正しい方向に導いてください」
「はい、全力を尽くします。本当にありがとう、アマテウスさん」
謎の人物ユキナはアマテウスにお礼を告げると、ソイニー様と手を繋ぎ、歩みを進めようとする。
「あ、そっちは」
ソイニー師匠とユキナに再度アマテウスが声を掛ける。
「そっちは、すでに緊急事態につき、門が閉鎖されています」
「そうなの? それは困りました」
ソイニー師匠は、すぐさま代替案を考える。
「ソイニー様、私が、下界に通づるほとんどの人が知らない門を知っています。そちらに案内します」
「本当ですか? アマテウス」
「はい、こちらです。ついてきてください」
そう言うと、アマテウスは、2人を案内し始める。
僕は、その後ろを送れないようについていく。
アマテウスは、2人を街はづれの豪邸に案内した。
「ここは、別荘ですね」
ユキナ様が呟く。
「そうです、ユキナ様には親しみがある場所かと思いますが、ここの地下に隠された門が存在します」
「そうだったんですか? 知りませんでした」
「はい、恐らくほとんど忘れ去られたゲートだと思います。私は、この別荘の守衛を任された時に偶然発見したのですが、別荘の管理表にもこのゲートのことは記載されておりませんでしたので、恐らく誰も知らないと思います」
「ここからなら、誰にも見つからずに下界に降りられるのね」
「はい、しかし、問題がありまして、前にこのゲートを試しに使った際に、確認したのですが、このゲートは、日本王国の学校のような場所の地下に繋がっているようなのです」
「そうですか、それなら都合がいいです。今から、日本王国に行こうとしていたので」
「そうでしたか、それなら私は、ここまでと致します。どうかご無事でいてください。ソイニー様もご武運を」
ソイニー師匠はアマテウスの手を握りながら
「アマテウス、この恩は忘れません」
といい、アマテウスと別れた。
そして、ソイニー師匠と、ユキナ様は、別荘の地下にいき、秘密の門をくぐる。
僕も後を追い、門をくぐり抜けて上階に登ると、そこは、見覚えのある場所であった、
そう、そこは、魔専であった。




