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それからの日々の話をしよう(R15版)  作者: 鈴乃


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2/12

 次の週明け、俺は久しぶりに出勤の支度をした。

 職場復帰の日にぴったりのいい天気だ。


 とはいえ初日ということで、仕事は午後からになっている。


「お久しぶりです、シェフ」


 俺は職場の玄関を開けた。

 カウンターわきの椅子に腰かけたじいさんがちらっと視線を上げる。


「おう」


 とじいさんは言った。手元の新聞をたたんで、脇にあったエプロンに腕を通す。

 彼がここのオーナーシェフだ。


「大変だったな。(なべ)は振れるのか」

「もちろん」


 俺はシェフについて厨房に入った。


 自宅から2駅先の小さなレストランだ。テーブルが24席と、カウンターが8席。

 5年前までは二人で厨房を回してたが、シェフが腰を痛めたので、去年から厨房にもアルバイトを入れている。


「おはようございまーす」


 玄関から若い声がした。18才くらいの青年が立っていた。俺は手を振った。

 彼が今話したアルバイトくんだ、あとで紹介する。


「今日もお願いします、シェフ」

「シェフならあっちだ」

「冗談よしてください」


 俺は苦笑した。

 しばらくぶりの職場の空気は心地よかった。

 事件の日から途切れていた日常が再びつながった気がして、俺は気持ちを新たに仕事にとりかかった。



「お疲れさまでーす」

「ああ、また明日な」


 時計の針が22時を指した。

 玄関ドアの看板を裏返し、アルバイトくんが帰っていく。まだティーンだからな、店の営業時間までだ。


 俺は手入れを終えた包丁をラックに戻した。よく使いこまれた包丁が11本、予備も含めて揃っている。


「一本持って帰っていいぞ」


 シェフは作業台を拭きながら言った。

 俺は驚いた。

 どの包丁も、俺がここで働く前からシェフが使ってきた品だ。値段だって安くない。


 シェフは肩越しに俺を見た。


「予備もあるんだ。家にもう一本使い慣れたのがあったっていいだろう」

「ありがとうございます。……じゃあ、これを」


 俺はシェフズナイフを一本選んだ。

 シェフは小さい目を細めて笑った。


 30分後、俺は片づけを終わらせて店を出た。

 包丁を包むのに少し手間取(てまど)ったが、仕事終わりのいつもの時刻だ。


 俺は気の早い木枯(こが)らしに肩をちぢめて帰りを急いだ。

 そんなに長く休んでいたつもりはないが、いつの間にか季節は進んで、冬じたくのシーズンになっている。


 ポケットのスマホが鳴った。マシューだ。


「もしもし?」

『こんばんはライアン。今平気?』

「ああ、帰り道だ。なにしてたんだ?」


 なんてな、他愛(たあい)もない雑談だ。今日のできごとや明日の天気を語り合ったら、話題は次の約束になる。


『きみが良ければまた週末に泊まってもいいかな』

「もちろんだ。夕食は何がいい?」


 電話の向こうでマシューが苦笑した。


『次は食べすぎないよ! 寒くなってきたから、シチューは?』

「いいアイデアだな」


 俺はおやすみを言って通話を切った。


 ふむ、シチューか。

 俺は冷蔵庫の中身を思い返した。今日明日一人で食べる分はさておき、週末を二人で過ごすには心もとない。

 特にシチュー肉だ。今日買って数日熟成させれば、週末にはちょうどいい具合になるだろう。


 俺は道を変えてスーパーマーケットに寄った。

 そう長居(ながい)はしなかったが、家に着くころには日付が変わろうとしていた。


「……これは切らないとな」


 俺は牛の塊肉(かたまりにく)をキッチンに置いた。

 他の食材は冷蔵庫に収まったが、一抱(ひとかか)えほどの塊肉は少しばかりサイズオーバーだ。シチューに使わない分は切り分けて冷凍しておこう。


「せっかくだから今日の包丁を使うか」


 俺はケースから包丁を出した。軽く洗って水分を拭いて、手になじんだ()を握る。


 包丁の刃先が肉の塊に埋まった。

 右手から背筋にいやな寒気が走った。手のひらの感覚がにぶくなって、妙に現実感が遠のく。


 俺は背後に人の気配を感じた。そいつが今にも俺の首を()めようとしている気がした。


 俺は勢いよく振り向いた。

 誰もいなかった。そりゃそうだ、いるわけがない。

 包丁を握りしめた手が小刻(こきざ)みに震えていた。


――――落ち着けよ。


 俺は苦笑いして自分に言い聞かせた。

 もう冷房がいらない気温なのに、やけに汗をかいている。

 俺は深呼吸した。


――――大丈夫だよ。今はしっかり包丁を握ってるだろ?


「……包丁を握ってたら、なんだ?」


 俺はぞっとした。

 今、何を考えた?

 もし振り向いて、もし誰かがいて、あの日と同じことが起こったら。


 俺はまた、この包丁で誰かを殺すのか?

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