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歴史テスト前夜に寝落ちしたら、ポンコツ偉人たちのコンサルタントになっていました 〜JK歴女が偉人たちに歴史的決断をさせるまで〜  作者: 牧野ハル


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第16話:決戦前夜、最後の軍議は……なし!?

永禄三年五月十八日、深夜。


清洲城は、巨大な蜂の巣を棒でつついたかのような、異様な喧騒と緊張に包まれていた。


私と木下藤吉郎くんが、今川軍の前線近くから泥だらけになって持ち帰った情報。


今川の先鋒は疲れ切っている。


大軍ゆえに行軍の列は長く伸びている。


そして、本隊の周辺では、将兵たちが戦の最中とは思えないほど油断し、のん気に握り飯を食べていた。


そのすべてを聞いた信長さんは、地図を見つめながら、たった一人で一発逆転の策を閃いた。


義元の本陣だけを、ピンポイントで強襲する。


二万とも、四万とも噂される今川軍全体を相手にするのではない。


狙うのは、ただ一点。


今川義元の首だけ。


それは、戦国の常識から見れば狂気に近い作戦だった。


けれど、敵の行軍が伸びきり、本陣の守りが薄くなる一瞬を突けば、二千の織田軍にも勝機はある。


少なくとも、信長さんの頭の中では、すでにその道筋が見えていた。


問題は、そこからだった。


城内には、尾張各地からかき集められた将兵たちが続々と集結しつつあった。


しかし、彼らを束ねる織田家の重臣たちは、信長さんの作戦など知る由もない。


彼らの頭の中にあるのは、ただ一つ。


今川の大軍が、ついに尾張へ押し寄せてくる。


その絶望だけだった。


「殿!! お目通りを願いまする!!」


ドバンッ!


広間の襖が乱暴に開け放たれた。


血走った目で転がり込んできたのは、重臣・柴田勝家と、老臣の林秀貞をはじめとする織田家の宿老たちだった。


彼らは皆、すでに具足を身につけている。


いつでも戦える。


あるいは、いつでも死ねる。


そんな悲壮な覚悟を、顔に張り付けていた。


「いよいよ明日は、今川の本隊が動くはず! 最前線の丸根と鷲津の砦は、今川の先鋒である三河衆の猛攻を受けること必至です!」


勝家が、床板が割れそうな勢いで額を打ちつけ、怒鳴るように叫んだ。


「殿! 今すぐ軍議を開き、織田軍の方針をお示しくだされ!!」


林秀貞も、青ざめた顔でそれに続く。


「籠城か、迎撃か! 丸根と鷲津に援軍を送るのか、それとも清洲に兵を集めるのか! 我ら家臣一同、殿の御下知を今か今かと待ちわびております! さあ、殿のご決断を!!」


広間の上座には、織田信長が胡座をかいて座っていた。


行灯の薄い灯りに照らされたその横顔は、どこかぼんやりとしている。


広間の隅に控えていた私は、胸がドキドキと早鐘を打つのを感じていた。


ここが、一つ目の山場だ。


信長さんの作戦は、理屈としては筋が通っている。


けれど、家臣たちにそのまま話せば、まず間違いなく止められる。


丸根と鷲津を囮にする。


今川の先鋒をそこで足止めさせる。


本隊が油断し、義元の周囲が薄くなった瞬間だけを狙う。


それは、言葉にすればあまりにも残酷な作戦だった。


勝家さんたちが聞けば、必ずこう言うだろう。


正気の沙汰ではない。


味方を見殺しにするのか。


せめて兵を分け、半分は砦の救援に向かわせるべきだ。


けれど、たった二千しかいない兵を二つに分ければ、どちらも中途半端になる。


砦の救援に向かった兵は今川の先鋒に絡め取られ、義元本陣を狙う兵は足りなくなる。


結果、織田軍は各個撃破されて終わる。


この作戦を成功させるには、戦力を一点に集めなければならない。


そして、作戦の核心を最後の最後まで隠さなければならない。


味方にさえ。


私は息を呑んで、信長さんを見つめた。


説得するのか。


怒鳴って黙らせるのか。


それとも、何も言わずに命令だけを下すのか。


信長さんは、ゆっくりと口を開いた。


「……あー、ふわぁぁぁ……」


出たのは、言葉ではなかった。


緊張感の欠片もない、大あくびだった。


「……は?」


勝家さんが、間の抜けた声を漏らす。


信長さんは頭の後ろで両手を組み、面倒くさそうに首をポキポキと鳴らした。


「勝家。林。お前たち、声が大きいぞ。やかましくてかなわん」


「と、殿……? 何を呑気なことを……」


勝家さんの顔が引きつった。


「軍議はどうなさるのですか! 今夜中に方針を固めねば、夜明けと共に今川の大軍が押し寄せてきますぞ!」


「軍議?」


信長さんは、まるで初めてその言葉を聞いたように首を傾げた。


「ああ、そんなものはせん」


「は……?」


広間にいた重臣たち全員の動きが、ピタリと止まった。


聞こえてはいけない言葉が聞こえた。


そんな顔だった。


「軍議はせん、と言ったのだ」


信長さんは、信じられないほど呆っけらかんとした顔で言い放った。


「だいたい、こんな夜更けに寄り集まって、ああでもない、こうでもないと喚いたところで、今川の兵が減るわけでもなかろう。時間の無駄じゃ」


「じ、時間の無駄……ですと!?」


勝家さんの顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まった。


「我らの命、いや、織田家の存亡がかかっておるのですよ!? それを時間の無駄とは何事ですか! 殿は、丸根や鷲津で震えながら夜を明かしている味方の将兵たちのことを、何とも思われないのですか!!」


「思わんな」


信長さんは、感情を押し殺したような声で言い捨てた。


「なっ……!」


勝家さんが絶句する。


信長さんは立ち上がり、ポンポンと着物の裾を払った。


「夜も更けた。もはやこれまでじゃ」


「殿、まだ何も決まっておりませぬぞ!」


林秀貞が、ほとんど悲鳴のような声を上げた。


信長さんは、眠たげに片目だけを細める。


「各々、帰って寝よ。わしももう眠い。明日のことなど、明日起きてから考えればよい」


それだけ言うと、信長さんは本当にくるりと背を向けた。


そして、広間の奥の寝所へと向かって歩き出してしまった。


「と、殿ォォォッ!! お待ちくだされ!! 殿ォォッ!!」


勝家さんが、血の涙を流さんばかりの顔で叫び、床にすがりつくようにして手を伸ばす。


けれど、信長さんは一度も振り返らなかった。


そのまま奥の襖の向こうへ消えていった。


残されたのは、絶望的な静寂と、冷え切った空気だけだった。


「……終わりじゃ」


林秀貞が、魂が抜けたような声で呟いた。


「織田家は、これで終わりじゃ。やはり殿は、大うつけであった……。国が滅びようという前夜に、軍議すら開かず『寝ろ』と仰る。あのような御方に、我らは命を預けておったのか……」


林さんの言葉に、反論する者は誰もいなかった。


勝家さんはギリギリと歯ぎしりをし、畳をバンバンと拳で殴りつけていた。


だが、やがて力尽きたように立ち上がる。


「……皆の者、各々の持ち場に戻れ」


その声は、悔しさで震えていた。


「殿がどうあろうと、我らは武士じゃ。せめて死ぬ時は、敵に向かって前のめりに倒れようぞ」


悲壮感と、主君に対する強烈な幻滅を漂わせながら、重臣たちは重い足取りで広間を出て行った。


その背中には、もうどうにでもなれという諦めと絶望が滲んでいた。


「史花様……」


誰もいなくなった広間の隅で、藤吉郎くんが小刻みに震えながら私にすり寄ってきた。


「殿は、頭がおかしくなっちまったのかだわ? せっかくオラたちが、今川の弱点を見つけてきたのに……やっぱりあの人は、ただの臆病者のうつけだったってことかぎゃ?」


藤吉郎くんの目には、涙が浮かんでいた。


彼もまた、信長さんの行動が理解できず、パニックを起こしかけていた。


「藤吉郎くん、よく考えて」


私は、彼の肩をポンと叩き、薄暗い廊下の奥――信長さんが消えていった寝所の方角を見つめた。


「殿は、逃げたんじゃないわ。戦うために、あえて『うつけ』を演じ切ったのよ」


「うつけを……演じた?」


「ええ。もしあの場で殿が『丸根と鷲津を見捨てて、義元の本陣だけを奇襲する』なんて言ったら、勝家さんたちはどうしたと思う?」


「そりゃあ……」


藤吉郎くんは、涙で濡れた目を瞬かせた。


「仲間を見殺しにするなんて絶対に駄目だって、泣いて反対するに決まってるだわ」


「そうよ。そして彼らは、勝手に砦を助けに行こうとするかもしれない。あるいは、兵を半分に分けようとするかもしれない。そうなれば、作戦の前提である一点集中は崩れて、私たちは確実に負ける」


私は、静かに息を吐いた。


「だから殿は、作戦の核心を誰にも言わないことを選んだの。自分の最も信頼する家臣たちから『大うつけ』と罵られ、絶望され、軽蔑されることを分かった上で、あえて何も話さず、彼らを追い返したのよ」


藤吉郎くんは、ポカンと口を開けた。


「じゃあ……殿は、みんなから嫌われるのを我慢して、作戦を守ったってことかだわ……?」


「そういうこと」


私は小さく頷いた。


「奇襲を成功させるためには、身内にさえ作戦の本当の狙いを悟らせてはいけない。織田家はもう混乱しきっている。信長は軍議すら開けない。そう見せることも、敵を油断させるためには意味がある」


「でも、そんなの……」


藤吉郎くんは、震える声で呟いた。


「つらすぎるだわ。殿、あんなにみんなから責められて……本当に平気なのかぎゃ?」


私は、信長さんが消えていった廊下の奥を見つめた。


「平気なわけないわ」


歴史の教科書には、信長が軍議らしい軍議を開かず、家臣たちを帰したとだけ書かれる。


でも、人間がそんなに簡単に、明日死ぬかもしれない恐怖と、味方を見捨てる罪悪感を切り離して、何事もなかったように眠れるわけがない。


「藤吉郎くん、ここで待ってて」


「史花様?」


「少し、信長さんの様子を見てくる」


私は泥だらけのわらじを脱ぎ、音を立てないように廊下へ出た。


うつけの仮面を被り、家臣たちを騙し切った若き大将。


その仮面の下で、彼が今どんな顔をしているのか。


私は、どうしても確かめなければならなかった。


明日を生き残るためにも。


そして、彼を本当に歴史の中の織田信長へ押し上げるためにも。


私は薄暗い廊下を、寝所の方へと静かに進んでいった。

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