ミンダウガスの結婚
「で、なんだアレは?
まだ気に入った女との結婚を他人に奪われた事で落ち込んでるのか?」
他人の城で寛ぎながら、領主の様子を馬鹿にしているのはルシュカイチャイ家の公爵未亡人プリキエネである。
ミンダウガスは、ヴェーリネス(死者の日)に見つけた美少女との結婚を考え、その地のヴィスマンタス公に預けたのが、これが失敗であった。
自分より7歳下の少女だから、分別ある大人に預けて成長を待ち、その公爵の養女として結婚をすれば政治的にも上手くいく……とガラにもなく考えたのが間違いの元だ。
まさか結構なオッサンであるヴィスマンタス公が、十代前半の少女を強引に自分の妻にするとは予想もしていなかった。
取り返しに行こうと兵を動かそうとしたが、兄のダウスプルンガス、筆頭公爵ジヴィンブダス公たちから猛反発され、諦めざるを得なかったのだ。
部下たちからも
「さっさと自分の物にしないからですよ。
ガラにもなく、カッコつけちゃって……」
「公は真っ直ぐやれば良かったのに、一回誰かの養女に、とか間怠っこしい事をしたからこうなったんですよ」
と皮肉を言われまくり、鬱々とした日々を送っていた所に、女傑プリキエネが押しかけて来たのである。
「押し掛けたとは人聞きが悪いねえ。
用事があったから来たんだがね。
その要件を話しても良いかね?
どうにも人の話を聞くような雰囲気じゃないから、待っていただけなんだが」
一向に話をせず、ただ暗い顔のミンダウガスを揶揄っているだけのプリキエネに、「押し掛けて来てどういうつもりか?」と文句を言った回答がこれである。
「用事があったんですね?
ずっと蜂蜜酒ばかり飲んでいるから、分かりませんでしたよ」
「女を失って呆然とした男を肴に飲むのも、まあ有りさね。
坊やは恋に失敗して男ってものになるのさ。
だが、いつまでも引きずるのはいただけないねえ」
「……まだ一月も経っていないんですが?」
「昨日より前は、もう過去の話さ。
そんな昔の事を引きずるのは、見苦しいものさね」
「そうですか?
そんな簡単に割り切れないんですが」
「割り切りな!
私が割り切れと言ったんだから、割り切れ。
でないと、話が出来ん」
圧が強い女傑に対し、やれやれと言った表情で向き直るミンダウガス。
ずっと傷心で居させてくれる気は無いようだ。
「用件を言う。
デルトゥバのビクシュイス公の娘と結婚しな」
デルトゥバはリトアニアの一地方である。
ここにもジェマイティア人のように、違う部族が定住している。
この地にはジュオディキス公、ブケイキス公、ビクシュイス公、そしてリゲイキス公という4人の部族公がいて、先のハリチ・ヴォルイナ公国との和約には全員が名を連ねていた。
ハリチ・ヴォルイナ公国との和約は、ミンダウガスが属する5人のリトアニア公、ヴィーキンタスたち2人のジェマイティア公、ウピテのルシュカイチャイ家7人、嫁候補を奪ったヴィスマンタスらシャウレイのブリオニス家の3人、そしてデルトゥバ公4人で21人の連名であったわけだ。
故に、デルトゥバのビクシュイス公とミンダウガスは、格的には同等である。
結婚に対し、失恋の痛みを別にすれば問題は無い。
無い筈ではあるが、だったら正式に申し入れをすれば良い。
何故プリキエネが仲立ちしているのだろうか?
「実は、ビクシュイス公の娘は訳アリでな」
プリキエネが事情を語った。
簡単な話、私生児なのである。
しかも母親の身分が低い。
後ろ盾が全く無い上に、正妻……本来リトアニアも一夫一妻制だが、その女性から睨まれている。
結婚適齢期になるまで、隠して育てていたのも拗らせた理由だ。
「要するに、引き取ってくれたら、ビクシュイス公には恩を売れるって事さね」
仲介する理由と、それによって得られるものをプリキエネは堂々と語っている。
ここまで打算的だと、むしろ清々しいくらいだ。
そんなプリキエネに、やれやれと思いながらミンダウガスは
「承った」
と回答する。
プリキエネは特に驚いた風もなく
「まあ、まずは合格さね。
婚姻は個人的な感情よりも、立場を優先する。
まずはビクシュイス公に返事を伝えておくよ。
その後、坊やのお兄さんや同族の長たるジヴィンブダス公にも話を通しておくよ」
そう言って立ち上がると、ミンダウガスに近づき
「私に恥をかかせるんじゃないよ。
やっぱり止めたとか言ったら、それは私に対する侮辱になるからね。
まあ、その時はあんたは私に対して、物凄い借りを作る事になるさね。
その時、どうなるかは分かったもんじゃないよ」
そう凄みを効かせて去っていった。
(やっぱり止めたって何だよ?
そんなに訳アリなのか?)
一抹の不安を抱えつつも、ミンダウガスは覚悟を決めた。
何となくこれが運命なのか、という思いも感じている。
プリキエネは遣り手ババ……もといお姐さまらしく、きちんと関係各位に話を通す。
一度兄のダウスプルンガスが訪ねて来て
「自暴自棄になっているのではなかろうな?
確かに公として、感情よりも縁を優先させるのは正しい。
しかし、女なら誰でも良いという荒んだ心でいると、その結婚は上手くいかんぞ。
どうなんだ?」
と覚悟の程を確かめた。
「どうでも良いと思う気持ちか……無い訳ではないが、もうそれこそどうでも良いよ。
兄貴、俺はもう二十歳も過ぎるし、大人として生きていかなければならないよな」
「ああ、そうだ」
「モルタを奪われたのは、俺が子供だったからだ。
考えから、人を見る目から、何かと甘かったからだよ。
プリキエネのおばさんに坊や呼ばわりされても仕方ない。
だから、俺は結婚を機に大人になる」
「やはり心配だな。
無理して言っていないか?
そうして我慢して妻を娶って、不満が残ったりしたらビクシュイス公に対しても不義だぞ」
「大丈夫だよ。
どんな女性でも、カウカスの化身と思えばどうって事はない」
カウカスとは、ドラゴンもしくはゴブリンのような姿をした怪物だが、同時に豊穣・収穫・富の精霊でもあり、気に入った家族には幸運をもたらすという神話上の存在だ。
相手を怪物に例えた事から、ダウスプルンガスは
「お前なあ……」
とミンダウガスにフェイスロックをかけながら説教をする。
散々な事を言っているが、ダウスプルンガスもミンダウガスも、まだビクシュイス公の娘を見た事は無かった。
婚約が確定し、ようやく顔合わせとなる。
初めて見たビクシュイス公の娘、ルアーナはその意味である「優雅な」からは少し遠い。
ハッキリした美少女であったモルタとは違い、儚げな、どちらかというと不幸顔の娘だ。
不幸以上に不吉な感じに見えるのは、顔色と体つきである。
色白が多い北国・バルトの女性ではあるが、それでも色白過ぎる。
深窓の令嬢というのを通り過ぎて「何か病気なのでは?」と思う程に白い。
現代の知識で言えば「白子症」であった。
単に隠し子だったというだけでなく、この異常な白さもまた差別される原因だったかもしれない。
そして体が弱いのか、非常に線が細い。
身長はそれなりに高いので、肉付きの少ない白い身体が不気味に感じられる。
「随分と色白だな」
ミンダウガスはズケズケと言い放つ。
ルアーナは悲しい表情になり、周囲は眉をひそめた。
「白いのを白いと言って何かおかしいか?
侮辱の意思は全く無いぞ。
俺はこういう不躾な男だ。
君も俺の妻になるからには、遠慮せずに思う事は言ってみろ」
そう言われてルアーナは「え?」という表情になる。
彼女は不吉がられるか、過度に気を遣われるかのどちらかで、こういう事を言って来る存在と会った事がなかったからだ。
「ホンマでっか?
今、妻とすると言わはりましたな?
その気持ち、変わりはないですね?」
父のビクシュイス公が、ミンダウガスの肩を掴んで確認する。
「最初からそのつもりだが、どうして変わると思ったんだ?」
ミンダウガスの問いに、ビクシュイス公は
「娘はこの通り、死人というか死神のような顔色をしとります。
肌だけでなく、瞳の色も髪の色も薄い。
預けた育ての親も、どこか怯えとりました。
その育ての親も死に、いよいよ不吉な存在として、我が城でもその……」
どうやら父親も、この色白過ぎる娘をどう扱って良いのか分からなかったようだ。
バルト神話にニヨラという女神が居る。
農耕の女神クルミネーの娘だが、地獄に住む「死を司る神」ピクラスに攫われてしまった。
ギリシャ神話の冥王ハデスが、豊穣の女神デメテルの娘ペルセポネを攫った話と似たようなものだが、異様に白いルアーナは、ニヨラのように死の神から愛されていて、人間が触れたら死を呼ぶ、なんて酷い事も言われている。
それでめミンダウガスは娶るのか?
「うん、確かに色は白いな。
だけど、他の部分は俺の好みだからな。
大事にしますよ、義父上」
その言葉に、ビクシュイス公は感動し、ルアーナは泣き崩れた。
兄のダウスプルンガスは
「物好きだよな」
と呟いていたが、立会人となっていたジヴィンブダス公とプリキエネの感想は異なる。
「ジヴィンブダス公、どう思う?
私はあの坊や……いやミンダウガス公は大した男だと思ったよ」
「そうだな。
ヴィスマンタス公が妻とした少女は、もっと目鼻のパッチリした美女だったというぞ。
つまり、ビクシュイス公の娘は、ミンダウガスの好みではないだろう。
それなのに、ああもぬけぬけと……」
「余程の女たらしでなければ、結構な気を遣う男だねえ」
「後者だろうな。
同族の長として、ミンダウガスの話は聞いていた。
短絡的な男、まだ子供だと思っていた。
だが、今日のあいつは今まで会ったミンダウガスとは違う。
大人になったようだ」
「失恋して成長した、なんて俗な事は言わないよ。
どうやら、坊やの中にそういう性質が眠っていたのかもしれないね」
ミンダウガスの品定めをしながら、プリキエネは舌なめずりをした。
「私もあちこちの公を見定めて来たけど、あの坊やがこれから一番鍛え甲斐がありそうだねえ。
他の連中より面白そうだよ」
女傑に目をつけられたミンダウガスである。
その眼鏡に叶っている事を、彼はこれから証明していく。
出会いだ結婚だと、平穏な日を送っているのは既に述べたように、「北の脅威」帯剣騎士団がエストニアを攻めているからだが、歴史の脅威はそれ以外にも有る。
その一つがリトアニアに迫ろうとしていた。
おまけ:
ミンダウガスの最初の妻の名前は史書にありません。
というか、居ただろうってくらいの扱いです。
なので、名前は創作しました。
(リトアニア女性の名前ではあります)