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リトアニア建国記 ~ミンダウガス王の物語~  作者: ほうこうおんち
第1章:若き日のミンダウガス
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若き公爵ミンダウガスの一日

 リトアニアという地は、キリスト教社会からは「ヨーロッパにおける最後の異教徒の国」と言われている。

 異教なのは確かだが、国としては成っていない。


 ヨーロッパ社会において、バルト海沿岸より先にキリスト教化したのは、ルーシ(ロシア・ウクライナ・ベラルーシの辺り)である。

 そこに出来たノルマン人系国家キエフ大公国だが、その建国者、ヴァリャーグ(バイキング)のリューリクは、まずノヴゴロドを支配していた。

 このノヴゴロドは、軍事・政治的首都キーウとは異なる、経済・産業的な都市として発展する。

 特に毛皮の交易の中心地であり、キエフ大公国分裂後もそれが発展こそすれど、衰える事は無かった。

 このノヴゴロドから毛皮、蜂蜜、魚等をヨーロッパ各地に運び出す海路の出発点が、現代のバルト三国の地域である。


 バルト地域にはもう一つ交易路がある。

 それは「琥珀の道」といい、現在のグダニスク(ドイツ時代はダンツィヒ)からウィーンを経由し、アルプスを迂回してローマに至った道である。

 新石器時代には既に確認出来、古代ローマのネロ帝はこの道を逆進してバルトを征服しようとした。

 この道は現在は使われていない。

 グダニスク辺りでプルーセン人とポーランドが戦っているからだ。

 リトアニアの幸運と不運はここにあり、海路重視になった為、良港を持つエストニアとラトビアは狙われる一方、沼地と森林だらけのリトアニアは征服を後回しにされていた。

 逆に、重視されなかった事でリトアニアは、良く言えば古い伝統的な生活を送れていた、悪く言えば技術的に数世代遅れたままであった。



 キエフ大公国は、東ローマ帝国の東方正教会に属する。

 東方正教会は、ローマ・カトリックに比べれば改宗強要はしない方だ。

 それでもやはり、キリスト教を受け付けないスラヴ人も出てしまう。

 一方ローマ・カトリックは苛烈である。

 狂信的とも言えよう。

 西暦1054年の東西教会分裂シスマ以来、東方正教会もカトリックの攻撃対象となった。

 武力で制圧し、改宗させる事を善行とし、修道会に属する騎士団がその実働部隊となる。

 リヴォニアを占領した帯剣騎士団は、交易の要衝を抑えると共に、バルト諸族の信じる異教のみならず、ノヴゴロドからの東方正教会伝播をも阻止しようとしていた為、行動は苛烈化……というか「ヒャッハー!」化する一方であった。

 そして、リガのみならず、更に良港を手に入れるべくエストニアを占領した同じカトリック国デンマーク王国とすら争っていた。


 この戦乱の中、リトアニアは非キリスト教難民の受け入れ地となっている。

 キリスト教を拒否する者たちの安息の地……と言えば聞こえが良いが、実際の所リトアニアにおいても宗教は政治の道具、支配者が人民を従わせる為のシステムとなっていたのだ。

 とは言え、それは現代人の常識で判断するな、という注意書きに過ぎない。

 古来、どの宗教も支配と切っても切り離せるものではなく、神官が世俗の権力者を兼ねる事など当たり前だったりする。

 リトアニアの公爵も、そういったバルト宗教の神祇官を兼任していた。




「豊穣の神パトリムパスよ、貴方の御子に生贄を捧げます」

 未熟で粗暴なミンダウガスだが、公爵というか神官として儀式を執り行う際は異なる。

 若造に似合わぬ厳かな空気を纏い、言葉遣いも変わる。

 生贄と言っても、この場合物騒なものではない。

 村人を動員して捕まえたネズミを、パトリムパス神が創ったとされる神獣の蛇に与えるのだ。

 蛇もまた、村人を動員して、パトリムパス神の恩恵である麦で編んだ籠に入れてお迎えするのだ。

 蛇は普通にネズミを食べる。

 ネズミは言うまでもなく、穀物を食い荒らす。

 故にリトアニアの農村において蛇はありがたい存在なのだ。

 この祭事において、蛇がネズミを無事に食べてくれたらその年は豊作となり、ネズミを食べなければ凶作となる、そういう占いも兼ねている。

 弱らせて逃げられないようにしたネズミと、わざと空腹にさせた蛇という仕込みはあったものの、蛇がネズミを丸呑みにした様を見て、領民たちは歓喜の声を上げた。

 その後蛇は野山に帰され、捕獲したネズミは死体にして蛇の去った方に捧げられる。

 なお、この後も蛇に遭遇した場合、ミルクを与えるのがこの地の風習であった。


 一連の儀式を終えると、ミンダウガスは

「畑を耕せ、母なる川から水をいただけ。

 種を蒔き、麦を育てよ!

 今年は豊作という神のお告げだ!」

 と叫ぶ。

 領民たちもそれに応え、場は活気に満ちた。

 まあ、こんな儀式をやっても凶作の年だってある。

 人身御供はその時にするのだ。


「で、北の狂信者は動いたか?」

 既に楽器を奏でて踊り始めた領民たちの輪から抜け出したミンダウガスは、今度は軍事指揮官の表情になる。

「今のところは大丈夫っスねえ。

 ですが若殿、奴等は我々が農繁期になると、必ず妨害しに来ますからね。

 見張りは続けてますぜ」

「上出来だ」


 現地リーヴ人を使役し、軍事と神事だけに専念出来るようになった帯剣騎士団は、農繁期でも関係なく攻めて来る。

 大規模な部隊ではないが、それでも油断をすれば村を焼き討ちにし、畑を踏み荒らす。

 領地を持つ公爵は、自ら兵を率いて巡回警備もするのだ。

 リトアニアは森と湖と沼地を抱える国。

 奇襲を仕掛けやすいが、一方で敵が入り込んでもすぐには見つけにくい。

 見張りを置き、たまには自身でも見回っておく。

 ついでに沼地をチェックする。

 沼地での戦いで、リトアニア軍が帯剣騎士団のように身動き取れなくならないのは秘密があった。

 クールグリンダという、沼地に敷石をした秘密の通路を利用した機動というのが種明かしである。

 これも壊れたり、敵から見つかりやすくなっていないか、調べておく。

 たまには通路を作り替えておかねば、いつものパターンだと敵にも利用されてしまうだろう。

 とりあえず見回った限り、修理や隠蔽の必要はなく、まだ変える時期でもない為、ミンダウガスは兵たちに食糧調達を命じた。


 麦の中でも寒さに強いライ麦、それも種蒔きの時期だからおそらく3月くらいを想像するだろう。

 しかし今は9月である。

 リトアニア語の9月は「Rugsėjis」は、ライ麦を意味する「Rugiai」と種蒔きを意味する「sėti」を合わせたものだ。

 秋蒔きもするのだ。

 そして9月はコケモモとか、出始めたばかりのクラムベリーが採集出来る。

 革鎧を着た兵士たちを率いたミンダウガス公は、キノコやベリー類を集め、飽きたら近くの湖で釣りをしたりして、中々可愛らしい姿を見せていた。


「よーし、当分食うに困らんくらい採れたな?」

 豊かな自然の恵みを革袋いっぱいに詰め込んだムサい兵士たちが、可愛い笑顔で歓声を挙げた。

 収穫は上々。

 一部を見張り部隊に差し入れ、また一部をこの辺りの領主に礼金代わりに納入すると、ミンダウガスたちは自分たちの城に戻っていった。


「あー、疲れた。

 飯にするぞ!」

 ミンダウガスの家臣が料理を持って来る。

 ライ麦パン、さっき採ったベリー類を蜂蜜と混ぜたもの、釣った魚を捌いて香草というか野草と煮込んだスープ、そして前に狩猟した肉を焼いた質素な料理である。

 ミンダウガスは兵士たちと輪座し、共に食事をする事にしていた。

 蜂蜜酒ミードで乾杯し、腰の小刀で焼いた肉を小切りにし、木の皿に盛ると甘いベリーをソースのように掛けて食べる。


……現代のリトアニア人は結構カロリーを摂るのに太らないとの事である。

 ミンダウガスたちも、同じように蜂蜜やらベリー類大好きで糖分摂りまくりにも関わらず糖尿病になりにくいようで、実に羨ましい体質である。


 ミンダウガスは兵士たちと酒食を共にし、団結を強めていた。

 という計算より、こうして年の近い連中と騒ぐ方がミンダウガスには楽しい。

 政治の場での居心地悪さに比べ、兵士たちとは気を楽にして接していられた。

 彼は気を許す相手には、多少だらしない姿を見せる癖があり、それも部下からは魅力となっている。

 領民統治に宗教を使い、神官として厳か、兵の指揮官としては勇猛、生贄を捧げる時は残忍であっても、素のミンダウガスは年齢相応の若者なのだ。

 年若くして他人を欺く為に、愚か者の仮面を被り続けるとか、若年ながら政治や陰謀に秀でた者も存在するが、それに比べればミンダウガスは普通の少年に過ぎない。

 公爵として仕事しているだけ大人だが、歴史上の天才や悪人と比べれば、ずっとずっと凡人である。


 そうである事を許されていた。

 とりあえず、あと数年は彼が歴史上の凡人でいられる幸せな期間と言えよう。

 ミンダウガスは、仲間たちや領民たちと共に、時々記録に残らない騎士団の襲撃を退け、時には敵地にちょっかいを出しながら、略奪・放火をしたりされたりの変わりない日々を繰り返すのだった。


 本当に、あと数年くらいは……。

おまけ:

現代のリトアニア料理で重要な食材ですが

・ジャガイモ:南米原産でまだ伝わっていない

・ビーツ(甜菜、砂糖大根):伝来は16世紀頃

・ヨーグルト:まだ知られてなかった

という事で、それらを使わない料理を推測しました。

なお、ビールはドイツから伝わったので、丁度作中の時代のエピソードになります。

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