リトアニアの改宗?
西暦1251年、リトアニアの内戦はまだ続いている。
しかし、タウトヴィラス、ゲドヴィダス兄弟陣営は動けずにいた。
ジェマイティアに籠るヴィーキンタス、エルドヴィラス、そしてタウトヴィラス兄弟は、ミンダウガス軍から攻撃されていないが、代わりに封じ込められて出ても来られない。
彼等に味方をしたのは、同じ高地リトアニアの公爵であり、ミンダウガスの従兄弟のダウヨタスとヴィリガイラの兄弟、そしてシャウレイのブリオニス家3兄弟であった。
1219年にハリチ・ヴォルィニ公国との和約に署名した21人の公爵の内、内戦が始まる前に3人がこの世を去っている。
残った18人の内、7人が反ミンダウガスとなった。
それらの戦力を糾合し、かつリヴォニア騎士団とハリチ・ヴォルィニ公国の軍が南北からミンダウガスを襲えば、十分な勝ち目があったのだ。
だが、これはミンダウガス軍の副将ヴェンブタスの電撃作戦の前に、絵に描いた餅となった。
ヴェンブタスは軽騎兵を使ってブリオニス家3兄弟を屠る。
次いで、ミンダウガスが南北の敵を外交で懐柔している間に、ダウヨタスとヴィリガイラ兄弟も攻め滅ぼした。
高地リトアニアにはかつて5人の公爵が居て分割統治していたが、これでこの地は全てミンダウガスの直轄地となる。
ジェマイティアには南からはデルトゥヴァ公のリゲイキス公とジュオディキス公が、北からはルシュカイチャイ家のヴィジェイティス公とヴェルジース公の父子が侵攻し、要所を抑えている。
生活言語が通じないジェマイティアに対し、ミンダウガスは
「住民蜂起を起こさなければそれで良い」
という方針で臨んでいた。
迂闊に攻めると、リトアニア人に対するジェマイティア人の反感を買ってしまう。
かと言って放置すると、何をして来るか分からない。
そこで、彼等が居城から出て来ないよう、封鎖だけを行った。
戦上手のヴィーキンタスとは、戦わない事で勝とうとする。
打って出て来たら退き、帰城したら元の包囲陣に戻す。
食糧や水の封鎖という残酷な事もしていない。
本当に、ただ戦わないだけであった。
リトアニア内戦は、収まってはいないが小康状態にある。
そんな中、ミンダウガスとモルタ、その他家臣たちを引き連れてリガを訪れていた。
ただし息子のヴァイシュヴィルガスだけは残して来た。
訪問の目的は、キリスト教への改宗の為である。
ヴァイシュヴィルガスは、ポラツク公国を任されていた時期に、統治の為という名目で既に洗礼を受けていたからだ。
それは正教会式だったが、同じキリスト教徒に二度洗礼はさせられない。
それでもリトアニアという異教徒の大国を改宗させられる、この偉業にリヴォニア騎士団長アンドレアス・フォン・フェルベンは誇らしげである。
彼は嬉しさの余り、リガ司教を飛ばしてローマ教皇に報告を上げていた。
ローマ教皇インノケンティウス4世も、ヨーロッパで唯一残った異教国が、改宗するという報告に歓喜している。
ローマ教皇庁は、モンゴル帝国を脅威として認定している。
リトアニアは、モンゴルに対して足止めが可能な立地と思われた。
実際には交易に使う河川からは外れ、良港が無く、森と湖沼が覆っているから「侵略路としては面倒臭い」場所なのだが。
地図しか見ない偉い人にはそこが分からない。
それでも教皇は、ミンダウガスに
「賢い余は思いついたのだ!
いっそリトアニア王位を授けるのだ!」
とした。
ミンダウガスには、思ってもいない申し出である。
彼の非公式な立場は「筆頭公爵」だ。
公的にはそんな地位はない。
公的には今でも「公爵」ですらない。
彼はリトアニアの元首と見られているが、それに相応しい称号と地位を、キリスト教社会、即ちヨーロッパで通じるものを持っていなかったのである。
それが、「国王」となれる。
キリスト教の頂点、ローマ教皇は国家元首に対し、戴冠式で冠を授ける事でその地位を公認する。
皇帝、国王、大公、公爵、侯爵辺りが「国」と呼べる範囲の支配者だろう。
ミンダウガスは、国王という「今まで異教徒だったから、もっと軽く見られてもおかしくない」中、相応しい君主号を授けられるのである。
だが、これはすぐに出来るものではない。
国王就任には戴冠式が必須だ。
リトアニア国内に、それが出来る教会を建てなければならない。
また、これ程の高位の者に洗礼をする以上、神職者もまたよく考えられねばならない。
教皇は、正式な洗礼を行う者はローマから派遣されるものとした。
リガの司教は、仮の洗礼しか出来ない。
当然リガ司教区ではローマに対して文句を言うが、かつての帯剣騎士団野放しの前科がある為、言い分は無視されていた。
一方、ミンダウガスとフェルベン騎士団長との間では、きな臭い話もしている。
リトアニアと争い続けた帯剣騎士団が解体され、再編されたものがリヴォニア騎士団。
綱紀粛正され、馘首になった者もいるが、残った者もいる。
その者たちからすれば、リトアニアが改宗します、はいそうですか、とはいかない。
何らかの形で「勝った」証が欲しいのだ。
「ジェマイティアを、騎士団修道院に寄進します」
ミンダウガスの発言に、驚き、焦ったのはリトアニアの随員の方である。
騎士団の方は、地図を広げて見て、中々の面積に大いに喜ぶ。
「良いのか?
リトアニアのかなり広範な地になるぞ」
フェルベン騎士団長が確認をする。
いくら何でも気前が良すぎる。
「ジェマイティアは俺に逆らっている。
寄進するには丁度良い場所だ。
君たちにとっても、プルーセンとリヴォニアを繋ぐクールラントが安全になるから望む地ではないのか?」
「それはそうだが……」
まだ疑問を抱えている表情のフェルベンにミンダウガスが耳打ちした。
(あの地は、実は俺の統治が行き届いていない。
恥を晒すようだが、俺の領土と言い切れない場所なんだ。
領民も反抗的だし。
俺からしたら、手放しても痛くはない)
フェルベンはその回答に納得する。
と同時に、それなら要求を上乗せ出来ると判断した。
(ジェマイティアの寄進は分かった。
だが、結局他人の財産を放棄しただけで、真の意味の寄進とは言えない。
お前の財産を手放す、それこそが神への信仰の証なのだ)
(ではどうしろと?)
(土地の寄進は、狭くても良い、自分の領地を差し出せ。
それが真の信仰心というものだ)
ミンダウガスは
(やはりがめついな。
私欲か信仰かは図りかねるが、こいつらは財産を貪る)
と内心警戒する。
一方のフェルベンは
(納得いっていない様子だ。
だが、ここは退く訳にはいかん。
この男を屈服させない限り、リトアニアへの布教はままならないだろう。
この男に神の教えのありがたさを教え、かつ神と我々に従順な僕にする。
君主が真っ先に真の神の使徒となれば、領民はやがて従うだろう)
と、こちらも退く気はない。
(寄進の件、分かった。
ところで、お願いがあるのだが……)
(何だ?)
(俺も騎士団に加えて欲しい。
常にリガに居る訳にはいかないが、それでも俺も騎士として叙爵して欲しい)
(国王になる男が殊勝だな。
理由は?)
(もう貴方たちと戦いたくない。
俺が騎士団の一員になれば、国の平和が図れる)
フェルベンは
(そっちが狙いだな)
と、ミンダウガスの一連の行動が理解出来たように思った。
この男は国を守りたいのだ。
改宗するというのも、その気持ちから来ている。
ならば、徐々に教育していけば良い。
その上で
(この男を騎士団の一員として、リトアニアとの戦いを無くするのは悪くない)
とも計算する。
確かに同じ騎士団の領土を攻める事は、修道会の規則で出来なくなる。
しかし、騎士団の一員であれば戦争への参戦義務が発生する。
リトアニアに一番期待するのは、対モンゴル帝国の障壁としての役割だ。
障壁には強くあって貰わねばならない。
また、障壁が裏切るような事は避けたい。
だから、参戦義務を負わせ、かつ宗教で精神を支配していれば、リトアニアは有力な神の兵士の国となるだろう。
「諸君、聞いてくれ。
ミンダウガス公は、ジェマイティアの寄進の他、今後更なる奉仕を約束した。
我々もこの信心に応えねばなるまい。
彼の希望もあった。
ミンダウガス公を我が騎士団の一員として迎え入れたいと思う」
騎士団長の発言ではあったが、それでも反対が出た。
彼等はリトアニアには今まで痛い目に遭わされて来たのだ。
出来ればリトアニアなんて戦争で叩き潰して属国にしてやりたい。
そんな反対派を、フェルベンは一人ずつ説得していく。
「リトアニアを仲間にする一番の理由は、タタール人との戦いの為だ。
寄進させるだけでなく、裏切らないよう恩を売る必要もある。
下手な事をすると、あいつはタタールに鞍替えしかねないぞ」
結局反対派も納得し、ミンダウガスはリヴォニア騎士団の一員に加えられた。
帰路、側近たちが不満を漏らす。
「いくら従わないからと言って、同胞を売る事はないでしょう。
今まで共に戦って来た身内じゃないですか。
それに、寄進とは見返りが無いもの。
ただ損をしただけですぞ」
ミンダウガスは悪い笑顔になった。
「だから、俺も騎士団の一員となった」
「え?
それ、どういう繋がりですか?」
ミンダウガスが更にどす黒く笑う。
「騎士団の領土となる。
そこを騎士団の一員となった俺が治める。
騎士団領には変わりがない。
そして他の騎士は、同じ騎士団に属する者を攻撃してはならない。
名義が変わっただけで、他は何も変わらないって事さ」
この男、まだまだどす黒い笑顔を加速させる。
「そして、俺への反抗が酷い場合は、今度は同盟軍として騎士団を呼び寄せられる。
あいつらに恨みを集中させ、その後で俺が収める。
折角の騎士団の肩書だ、全て利用させて貰うぞ」
再婚後、調子を取り戻したミンダウガスは、一筋縄ではいかぬ英主に戻っていたのである。
寝所では凡君な事は内緒だが。
おまけ:
ヒントとしては、同じ時期の日本のやり方。
源頼朝「押領されていた荘園を、公家の皆さまに返還します」
公家「素晴らしい! これからも頼むぞ!」
源頼朝「つきましては、今後も勝手に荘園が奪われないよう、我々鎌倉が守っていきますが、
そ れ で よ ろ し い で す ね !」
と言って、名目上公家の荘園でも、実質的には鎌倉の御家人のものという扱いになりました。
……ミンダウガスなら
「騎士団に寄進しました。
自分の騎士団の一員です。
寄進した土地は騎士たる自分が管理しますね」
くらいは考えつきそうなので(腹黒いので)。
おまけの2:
教皇の台詞回しが、動画サイトでよくみる某枝豆の妖精みたいですが、気にしないで下さい。
この教皇、後々見ればミンダウガスに甘いので、ちょっと可愛い感じにしてみました。
(作者の過去に書いた教皇は、大概酷い描写だったしなあ。
俗物の権化にして、顎が尖ってそうな狂気の博打打ちのライバル・シクストゥス4世とか、
暗殺の影を纏わせまくったヨハネス8世とか、
「死体裁判」のステファヌス6世とか、
「祝え!
全キリスト教徒の力を受け継ぎ、時空を超え、過去と未来をしろしめすローマの王者。
その名もピウス3世。
新たな歴史の幕が開きし瞬間である」
とか……)




