婚姻政治
「ミンダウガス様、ジヴィンブダス公からの使者が来られました」
帯剣騎士団をからかって、ついでに神への生贄も得て帰還したミンダウガスに、部下が報告をする。
ミンダウガスは溜息を吐いた。
ジヴィンブダスは同じ高地人の公爵で、主要3家の中で現在は筆頭の地位にある。
無視は出来ない。
だが、ミンダウガスは政治的な話は面倒でしたくない。
二十歳にも満たない血気盛んな彼は、狩猟や農耕の計画ならまだ良いが、腹の探り合いとか恫喝し合いの政治は、出来れば関わり合いになりたくなかったのだ。
渋々ながら筆頭公爵の居城に向かう。
「おや、兄貴じゃないか」
見ると、兄のダウスプルンガスが不機嫌そうに立っている。
政治向きの事は兄がやってくれるから一安心と思ったミンダウガスに、ダウスプルンガスが顎をしゃくった。
その方向を見てみると、やはり不機嫌そうな表情で男が立っている。
その男はヴィーキンタスという。
低地、即ちジェマイティアの公爵の一人であり、民族的に気が合わない連中の頭目であった。
ヴィーキンタスは、先のハリチ・ヴォルィニ公国との和約に参加した21人の公爵の一人である。
彼等ジェマイティア人にしたら、東方のハリチ・ヴォルィニ公国との和平なんて大きな問題ではない。
彼等にとっては、境を接する帯剣騎士団との関係の方が重要だ。
改宗と共に、絶対的服属を要求して来る分かり合えない関係だから、戦って叩き潰すしかない。
リトアニア人が味方するならそれで良いが、どうにも反りが合わない。
それが不機嫌な理由だろう。
「どうやら揃ったようですね。
ジヴィンブダス公が待っていますわ。
早くお入りなさいな」
女性の声が促して来る。
「プリキエネ様ではないですか?
どうしてこの場所に?」
プリキエネ、それは本当の名前ではない。
プリキス公爵の未亡人だから、夫の名前から取った公人名である。
北条時政の娘が、父親の名を使って北条政子や北条時子(足利家に嫁ぐ)と名乗ったのを思い起こせば良い。
プリキス公の家名はルシュカイチャイ家である。
この家は、先の和約において最多である7人の公及び公爵代理人を出していた。
ジェマイティア人とリトアニア人、低地と高地を結ぶ中間地の重要家族というのがよく分かる。
「ジヴィンブダス公、揃ったようですな」
プリキエネがニコニコしながらそう伝えるも、ジヴィンブダスは冷めた表情である。
「公爵夫人、貴女の思いつきなのだから、貴女から話しなさい。
私はただの介添人に過ぎないのだから」
「とは言いましても、やはり女がしゃしゃり出てあれこれ進めるのは良くないのじゃないかねえ。
ジヴィンブダス公が言い出したって形にしないと立場が無いさね」
「あー、もうそれで良いから、早く話を進めなさい」
ミンダウガスは、何が何だか分からない。
ジヴィンブダス公の呼び出しだから来たものの、実際に仕切っているのはプリキエネ?
そんな頭に「?」を浮かべているミンダウガスに構う事なく、プリキエネが本題を切り出した。
「ヴィーキンタス公の妹御を、ダウスプルンガス公に嫁がせるってのはどうだい?」
ヴィーキンタスもダウスプルンガスも驚いている。
実は、ヴィーキンタスの妻は、ダウスプルンガスとミンダウガスの姉である。
気が合わないながら、この両家は婚姻関係にあった。
なのに、更にヴィーキンタスの妹をダウスプルンガスに嫁がせる?
「そこまですっ必要があっとかね?」
ヴィーキンタスが不快そうに尋ねる。
その件については、ダウスプルンガスも同意見のようだ。
ミンダウガスはまだ二十歳にも満たない若造だが、兄のダウスプルンガスとて、世間ではまだ若造に過ぎない。
それでも側室というか恋人というか、ただの遊び女というか、そういう女性は既にいた。
キリスト教社会ではない為、厳密な一夫一妻制ではないものの、ヨーロッパでは古代ギリシア・ローマの頃から基本は一人の妻しかおらず、再婚はその妻が死んだ後になる。
同じ母親から生まれた兄弟には、分割相続を行う。
そういう社会である為、結婚は重要な行事となる。
まだ部族社会に近いリトアニアでは、他の集団との同盟に繋がる政略結婚をする為、余り同じ集団と重ねて関係を結ぶより、折角の相手は他から迎えたいと思うものだ。
「うだうだ言ってんじゃないよ!
忌々しいキリスト教の騎士団と戦う為に、好き嫌いの垣根を乗り越えて団結すべきだって言ったのは、あんたら2人さね。
いまだに好悪の念で協力し合えてないから、この私が手を貸してやってんだよ。
それとも何かい?
私のメンツを潰そうって言う事かい?
まあ、私のような未亡人くらいはどうって事はないさね。
だが、私の属するルシュカイチャイ家を敵に回すとしたら、困った事になるんじゃないのかい?
お互いの立場を考える事だねえ」
プリキエネの凄みに、大の大人の男2人が圧倒されている。
(兄貴、もしかして兄貴はあのおば……)
「なんか言ったかい?」
(あ、あのお姉様に借りがあるんですか?)
ヒソヒソ話にも介入するプリキエネの圧に冷や汗をかきながら、ミンダウガスは尋ねた。
(ああ、昔にちょっとな)
(どんな借りだい?)
(お前は知らなくて良い。
知らない方が良い)
どうやら厄介な借りがあって、ダウスプルンガスはプリキエネが苦手なようだ。
様子を見るに、ヴィーキンタスも同じなのだろう。
「まあ、なんだ、高地の御当主が嫌だと言うんなら、そこの坊やでも良いんだよ。
姉さん女房も良いものさね」
プリキエネが妖艶な笑みを浮かべながら囁く。
「我が妹ば、経験豊富ん女のごたる言わないで貰えっか!」
ヴィーキンタスの抗議をサラッと受け流すと
「そうかい、じゃあ年上の何も知らない生娘と、二十歳にも満たない未熟な坊やとの番いになるのかい。
そいつは困ったねえ。
上手くいくわけがない。
どうだい、坊や、女の扱いが上手くなるよう、この私が訓練つけてやろうかい?
下手くそだったら、容赦なく……」
「ああ、もうやめて下さいよ」
「ほほほ、戯言よ。
そんな事を公然としたなら、私とてルシュカイチャイ家を追放されるわね。
だけど、若い者を揶揄うのは楽しいねえ」
(公然とじゃなければ良いのかよ?)
そう思いつつも、ミンダウガスはプリキエネとダウスプルンガスや自分との格の違いを感じていた。
(ちょっと勝てないな……)
結局ダウスプルンガスは、ジェマイティア公ヴィーキンタスの妹を妻に迎えたいと、媒酌人であるジヴィンブダス公に頭を下げた。
「やれやれ、やっと私の出番かい。
場所だけ貸して、知らぬ存ぜぬではいかないか。
という次第だ、ヴィーキンタス殿、よろしくお願い申す」
「……了解しもした。
確かに北の騎士団との戦にゃ、おはんらぁの支援があった方が強か。
俺いたちだけで十分と意地張らん方が良かどな」
かくして低地と高地の公爵間の婚姻が成立した。
それを見届けたプリキエネは、またミンダウガスを眺めている。
「な、何ですか?」
「人間観察だよ、坊や。
今は坊やでも、いずれ二十歳を超えて、一端の男になろうさね。
その時に使える男になるかどうか、それを見たいのだよ」
「で、どう見ました?」
「あんたは馬鹿かい?
そんなのはなってみないと分からないだろう!
私が今見ているのは、今の時点での坊やだよ」
「は、はあ……」
「散々坊や、坊やって呼んでるんだ。
私の評価はそれだよ。
だけどねえ、あんたの歳でも、もう成長の見込みの無い駄目男(能力は人並み以上だが人間性がダメ)とかボンクラ(人は良いが能力がダメ)とかゴミカス(能力がダメな上に人間性もダメ)とかも居るから、随分とマシだと思って男を磨いておきな」
兄だけでなく、自分にも火の粉が降ってかかろうとは思わなかったミンダウガスだが、どうして自分がこの場に呼ばれたのか、分かったような気がした。
まあ、プリキエネの言葉で分からされたと言うか。
「ジヴィンブダス公、今からでもあの坊やの妻も探しておきましょうか。
心当たりがあれば、私に構う事なく話を進めてくれて結構ですわ」
「ほう、プリキエネ殿の審査に合格したようですな」
「いえいえ、全然。
まだただの『坊や』ですからね。
しかし、しごき方次第で物になろうかと。
うーん、どうイジメ……じゃなくて試練を与えてやろうか、ゾクゾクしますわ」
呼ばれた理由は理解した。
その上でミンダウガスは思う。
……来るんじゃなかった、と。
おまけ:
プリキエネのイメージは、性格が綺麗なシーマ様(ガンダム0083)で。