帰って来たモンゴル
十字を組んで狙って来た敵は、必殺騎射の狙い撃ち。
燃える街にあと僅か。
轟く叫びを耳にする為、モンゴルは帰って来た。
偉大なる大ハーン・チンギス汗の長男ジョチ、その次男がバトゥである。
ジョチの領土は、現在のカザフスタン辺りである。
二代目大ハーン・オゴタイは、最もルーシ地域に近いバトゥに、領土の西側への拡大を命じた。
バトゥは、14年前にもルーシを攻めたスブタイを副将とする。
他にチンギス汗の孫で、従兄弟のグユク、モンケが副将となっていた。
こうして3万5千の弓騎兵を中心とした大軍を率いたバトゥは、1236年中にキプチャク草原を再征服し、1237年11月にウラジーミル・スーズダリ大公国に対して
「モンゴルに服属せよ」
という使者を派遣した。
これがモンゴルによるルーシ侵攻の始まりとなる。
なお、前回のカルカ河畔の戦いは、モンゴル軍にしたら「行き掛けの駄賃」でしかない。
ちょっと足を伸ばしたら、そこに居た連中と争いになり、蹴散らしてやった程度のものである。
今回は領土を得る為に行う、本格的な攻撃であり、前回以上の猛威が予想されるのだが、ヨーロッパ人たちは全く分かっていない。
「いよいよ奴等が戻って来たか……」
ノヴゴロド公国からの商人が、ミンダウガスに最新情報を知らせる。
ノヴゴロドはルーシの北西端っこに在る。
モンゴルの脅威はまだ受けていない。
しかし商業国家であるノヴゴロドは、一早く情報を察知すると、その情報を元に動き出していた。
矢面に立つ国には武器や兵糧を売る。
あるいは傭兵を斡旋する。
リトアニアのように情報を欲する国には、最新の情報を売る事で見返りを得る。
リトアニアに要求する見返りは、十字軍対策であった。
ノヴゴロドもまた、十字軍の標的とされている。
カトリックか正教会という次元ではなく、ノヴゴロドが経済的に豊かな国だから狙われているのだ。
まだ新任の「傭兵隊長」ことノヴゴロド公アレクサンドル・ヤロスラヴィチの実力を実戦では知らないノヴゴロド市民は、使えるものなら何でも使おうとしていた。
「さて、俺が若い時から訴えていた、タタールが戻って来たという知らせだ」
ミンダウガスが公爵たちにそう伝えるも、彼等の危機感は薄い。
先のシャウレイでの大勝が、再び彼等を傲慢にしていた。
「なあに、また沼地に引き摺り込んで勝てば良いだけだ」
「騎士団も、昔は怖かったが、今では軽く勝てるしなあ」
「というか、そんなに怖いのなら、筆頭公爵を辞めて勇敢な者と交代したらどうだ?
『シャウレイの英雄』ヴィーキンタス公を筆頭公爵にすれば、どんな相手にも勝てるだろう」
「……おいは御免こうむいもっそ」
「は?
ヴィーキンタス公、何か言われたか?」
「…………」
(おいとは無関係のリトアニアの為に、矢面に立たされるのは嫌ごわす)
こんな感じである。
「……どうしたら良いんですかね?」
思い上がった公爵たちの態度に業を煮やして、ミンダウガスはプリキエネに相談を持ち掛ける。
彼女も最近は体を壊したようで、以前のように好き勝手にあちこち出歩いて、貴族たちを冷やかしたりしなくなった。
わざわざ美味い酒で釣って、招待したのである。
「確かにこの酒は美味い。
だけど、対価としては安いねえ。
もっと何か無いのかい?」
「では、次なる美酒を……」
「あんたは馬鹿かい?
体壊した女に、馬鹿の一つ覚えのように酒を勧めるとか、何も考えられなくなったのかい!」
「そうですね、失礼しました。
俺は貴女を失望させない、それが貴女を味方にする時の約束でしたね。
何も考えていないような、ありきたりのつまらない事は言ってはいけない……。
そうだ、ビールなんてどうですか?」
「あんたねえ、それも酒だろう?」
「ですからね、この近辺ではビルジャイで細々と作っているのですが、この度ノヴゴロドを通じて買い付けに成功したんですよ。
ただ俺の所は武器の輸入で手一杯でしてね。
国内に売り捌く担当が欲しいんですよ。
普及すれば結構な儲けになるように思いますが。
その儲けで、ビルジャイでビールを造っている者たちにも頑張らせる。
そういう仕事、本当に俺の所では手が回らなくて困ってましてねえ。
どうでしょう?
ルシュカイチャイ家の方でどうにかなりませんか?」
プリキエネはミンダウガスを睨む。
そして
「まあ、合格にしとくよ。
成功するか失敗するか、五分五分って所かね。
確実に儲けられるのなら、もっと高い評価にしたさね。
まあ良い、ノヴゴロドの商人にルシュカイチャイ家筆頭の所に来るよう伝えときな。
あの曲者のキンティブタス公なら、上手い事やってくれようさ」
と溜息混じりに言った。
「私は蜂蜜酒の方が好きだからね、麦酒(ライ麦で作った発砲しないもの)とかビールとかは余り好かない。
特にビール、ありゃドイツ人の酒だろ?」
「そうですよ。
だから交渉する際に使えるから、用意をしておかないと」
プリキエネは今までのつまらなそうな表情を改め、まじまじとミンダウガスを見る。
「ドイツ人と交渉する気かい?」
ミンダウガスは頷いた。
「西のドイツ騎士団は、北の帯剣騎士団よりは話が通じそうですからね。
何回か試してみたんですが、帯剣騎士団は全然ダメでした。
あいつらは自分が得する事しか考えていない。
それに比べてドイツ騎士団は、ある程度相手の言い分を聞けば、こちらの要求も呑んでくれました。
まあそれは現場レベルでの話で、国と国の事や、宗教絡みとなると、どちらも狂信的で妥協して来ませんが」
ミンダウガスの回答を咀嚼すると、プリキエネはまあまあだな、という表情になり
「うん、合格。
そして、そこにあんたが求めている答えがあるさね」
と返す。
「へ?」
「戦うばかりが能じゃない。
北の狂信者……ありゃローマ教皇からも見放された愚連隊だが、西の連中はそれより随分マシと聞く。
そしてヴィーキンタスに負けた北の騎士団は、解体されて西の騎士団に組み込まれたそうだ。
相手はこれからは西のドイツ騎士団に変わる。
話し合いで解決出来るなら、それも良いさ。
で、それも含めてあんたの足を引っ張って来る公爵ども……どうせあんたの従兄弟や、シャウレイの馬鹿兄弟だろう?
あいつらを黙らすには、一度あいつらにも見て貰えば良いのさ。
折角タタールがおいでになったんだ。
偵察がてら、見て来るのは有益な事だろ?」
「……なるほど」
幾らミンダウガスがモンゴルの脅威を説いても、公爵たちは甘く見ていて話を聞かない。
ミンダウガスが伝えるモンゴルが、余りにも現実離れした軍隊だからだ。
だが、自分の目で見れば信じる他なくなる。
攻めて来てからでは遅い。
まだルーシに留まっている内に、その脅威を共有すべきであろう。
「2つ忠告しておく」
「何でしょう?」
「1つ目だけどね、『その目で見て来い』なんて上から目線で言ったら、言う事を聞く連中じゃないって事さね。
連中が自ら見に行きたくなるような言い方をするんだよ。
私をここに来させる時に使った、美味い酒があるんですとか、そういった釣り文句が必要だ」
「分かりました。
考えておきます」
「それともう一つ」
そう言うと、プリキエネは間を置く。
重要だからか、一旦蜂蜜酒で喉を潤してから語を続けた。
「いつまでも私に頼れると思うな。
私はこうして、体が昔とは違って自由に動き回れなくなって来ている。
そう見えないかもしれないけど! 私は、あんたよりずっと年上なんだよ」
「そうですね。
プリキエネ様はもう何歳になりましたかな?
確か……」
「実年齢口にしたら殺すよ……」
「は……大変失礼しました」
(この殺気、まだまだ大丈夫なんじゃないのか?)
それは、そろそろベテランと言える戦場経験を持つミンダウガスの背中に、冷たい汗が流れる程の殺気であった。
プリキエネに喝を入れられたミンダウガスは、自分はしっかり準備しつつ、公爵たちに対しては「待ち」の姿勢を取る。
まだモンゴルの脅威は遠く、リトアニアの者には実感が薄い。
だが、そう遠くない未来、リトアニアから遠くないルーシ地域に現れるであろう。
それで彼等は脅威を知る。
それまでに自分は、せめて守れるだけの準備を整える。
モンゴルの脅威を知った公爵たちが団結してくれたら、それで遅過ぎる事はない。
焦って色々言って、バラバラになってしまう方が困る。
ルーシ諸国のように内乱なんか起きたら目も当てられない。
ルーシ諸国は、前回のモンゴル襲来時はノヴゴロド公ムスチスラフによって内乱を収め、全ての国が一丸となって対抗した。
それでも勝てなかった。
今回のモンゴル襲来において、ハリチ・ヴォルィエ公国はどうにか内乱を収められた。
だが、前回のムスチスラフのような、全ルーシを一つに出来るカリスマ指導者が居ない。
まだ内乱中の国も、ようやく統一出来た国も、各個にモンゴルを迎え撃つ事になるだろう。
(その後、タタールはどこに向かうのだろうか?)
ミンダウガスにも分からない。
モンゴルは一体何を考え、どこまで行こうとしているのか?
ミンダウガスは自嘲気味に笑った。
(諸公にタタールの事を知れと言う前に、俺ももっと連中の事を知らないとダメだな)
帰って来たモンゴル軍が、まだルーシの入り口付近に居る時、その脅威を知る男は
(何をしてでも国を守り切ろう)
という決意を一人固めたのであった。
おまけ:
現在のリトアニアは地ビール大国で、300以上の種類があるそうです。
逆に蜂蜜酒文化は日常生活にはほとんど残ってないそうです。




