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リトアニア建国記 ~ミンダウガス王の物語~  作者: ほうこうおんち
第3章:新国家リトアニアの苦難
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リトアニア公国の出発

 リトアニアは、それまでの部族連合社会を脱し、君主を抱く国家として立った。

 ただそれは徐々に成った事であり、この年に確実に建国というのは分からない。

 日本で例えよう。

 ちょうどミンダウガスと同世代の政権に、鎌倉幕府というのがある。

 この成立年は意見が分かれる。

 源頼朝が鎌倉に本拠地を置いて独立政権を立ち上げた時か、全国支配の要の守護・地頭を設置する権限を得た時か、奥州藤原氏を滅ぼして敵対勢力を消滅させた時か、軍事・警察・土地支配権の確立年か、征夷大将軍に任じられた時か、果ては朝廷すら屈服させた承久の乱の時か。

 ミンダウガスのリトアニアも、徐々に政権基盤を整えていった為、いつからミンダウガスがリトアニアの代表と看做されるようになったのか不明である。

 西暦1236年に、かつて和平条約を21人のリトアニア公たちと結んだダニエル公と、今度はミンダウガスが一人で再交渉した事で、彼が国家の君主となった事が周知の事実となったのだ。


 中世における国家の定義は難しい。

 とりあえず統一された外交、同じ旗印の軍隊、政府の存在としてみよう。

 どこと交渉したら良いか分からないから、公爵全員呼ばざるを得なかった外交は、ミンダウガスが窓口として一本化された。

 公爵たち手持ちの私兵連合軍から、ようやく「リトアニア軍」というものが出来た。

 そして、それらを運用する官僚組織がミンダウガスの下で機能し始めた。

 国家と看做す事が出来る。


 しかし、キリスト教世界において国家とは、キリスト教を信仰し、ローマ教皇もしくは東ローマ皇帝が王や大公(プリンス)(デューク)として認めた者が統治する領域に限られる。

 帯剣騎士団やドイツ騎士団は、異教のリトアニアとミンダウガスの存在を認めなかった。

 公式には、ここは単なるリトアニアとジェマイティアであり、決してリトアニア大公国でもリトアニア公国でも無いのだから。

 ミンダウガスとて、日本風に言えば「酋長」のようなもので、キリスト教社会における「公爵」ではない。

「地方における有力者」という古い意味での公ではあるが、教皇の祝福も、皇帝や国王からの叙爵も受けていない、単なる部族の頭目に過ぎない。

 だが、完全に認めていないかというと異なる。

 彼等にしても、交渉窓口が一つになるのは都合が良い。

 国家としても元首としても認めていないのに、ミンダウガスに対して

「キリスト教に改宗せよ、さもなくば滅ぼすぞ」

 と言って来るようになった。




 国家として立ち上がったものの、リトアニアは統一国家とは言い難い。

 ジェマイティア地方は別の国のようなものであり、一応ミンダウガスを上に置いてくれているだけだ。

 また各地の公爵たちも、勝手に外国と戦争をしたりはしないが、相変わらずリヴォニア、ルーシ、クールラント、ポーランド等に侵入しては撃退されを繰り返していた。

 蜂蜜・蜜蝋・木材・毛皮の輸出に関してはミンダウガスが管理しているが、琥珀や魚やベリー類といった大規模な商取引にならないものは、各公爵が自由に外国商人と交易している。

 輸入の方は武器の他は穀物となる。

 ライ麦以外の麦も必要なようだ。


 という状態だが、現時点でミンダウガスは更なる統制・独裁を望んではいない。

 亡き兄から言われた「古きリトアニアらしさ」も守りたい思いがあり、とりあえずドイツ騎士団相手以外の案件は大目に見ていた。

 手が回らないというのもある。

 リトアニアは国家として発展を始めたばかりで、まだやる事が多い。

 そのやる事に比して人材が少ない。

 ミンダウガスはスラブ人も官吏として雇い始めている。


 国家とは「家」でもある。

 君主の私生活と、国の政治は近世以前は切り離せない。

 ミンダウガスは後継者を指名している。

 リトアニア公位を世襲とするなら、後継者が出来た事で、君主は戦場でその身を張れるようになる。

 生命を落としたり、捕虜となっても、後継者がいれば体制は維持出来るからだ。

 その一方で彼の妻・ルアーナが、3人目の子を出産後に体調を崩して寝込んでしまっている。

 元々健康な方ではなかった。

 長男・長女の出産では無事だった為、ミンダウガスも油断をしていたが、本来出産とは母体を危険に晒す行為なのである。

 特に医療が発展していない時代において、時に女性は出産後に命を落とす。


 ルアーナが健康を損ねた事は、ミンダウガスにも影響を与えていた。

 彼は元々帝王教育など受けていない。

 兄が居た時は、基本的に軍事と神事だけやっていれば良く、その他の事はちゃらんぽらんでもどうにかなっていた。

 しかし、筆頭公爵として外国と交渉したり、内政で公爵たちの意見を調整したり、原始的ながら経済にも関わるようになると、能力はともかく精神が疲弊するようになった。

 だから、仕事が複雑化してストレスが溜まるようになると、ミンダウガスは妻に依存し始める。

 色々と溜まったものを発散していたし、まともに答えられなくても黙って愚痴を聞いて欲しかった。

 それなのに妻が病気になった事で、肉体的な接触は出来なくなったし、愚痴を零したくても調子が悪くて眠っていて適わなかったりする。


「側室でも持たれるか?」

 これを言ったのは、舅のヴィクシュイスだ。

 時に情緒不安定になっているミンダウガスを見かねての発言である。

 まあ、この時代の女性の扱いは悪く、基本一夫一妻制であるが、妻が病気になって子を望めない場合に、外に他の女性を作る事は「キリスト教世界においてすら」よくある事だった。

 だがミンダウガスはこれを拒絶。

「我が事ながら情けないな。

 ルアーナは子を産んでくれたのだから、十分妻の役割を果たしてくれた。

 だから俺も、夫の勤めを果たさないとな。

 いつまでも弱音を吐き続けている訳にはいかない」

 と強がっている。

(まあ、筆頭公爵としての仕事はちゃんとしているし、夫婦の事も不満は無いと聞いている。

 婿殿はきちんとしている、決して悪くはない。

 だが、政務で疲れ果てて、たまに奇行に走っているのは、いくら強がっていても、見ていて辛いものがある。

 第二夫人くらい、私は認めるよ)


 ルアーナ自体がヴィクシュイスの私生児、即ち外の女に産ませた子だ。

 この辺はキリスト教信者ではない為、緩かったりする。

 だが、当の本人が第二夫人を拒否しているのだから、もうこれ以上は言うまい。




 リトアニアが内に苦労を抱えながらも、国として形を整えていくのを、外は黙って見守っている訳ではない。

 帯剣騎士団がリトアニア攻撃を画策していた。


 帯剣騎士団は焦っている。

 帯剣騎士団とドイツ騎士団は、同じドイツ人の騎士修道会だ。

 だがドイツ騎士団は、帯剣騎士団の余りの評判の悪さに

「一緒にして貰っては困る」

 と嫌悪感を示し、帯剣騎士団からの提携要請を拒絶している。

 それどころか、教皇の許可が無い限り、帯剣騎士団に対する一切の支援を拒否すると通達。


 教皇庁はリヴォニアにおける改宗した諸民族への搾取を調査し、騎士団を痛烈に批判するに至った。

 ハリチ・ヴォルィニ公国に侵攻し、一部地域を占領しているが、ここもダニエル公が勢力を盛り返した事で維持が怪しくなっている。

 更に、一度は追い払ったデンマークが、再度エストニアへの野心を見せている上に、新たにスウェーデンもその地への侵攻を伺い始めた。

 帯剣騎士団が策を弄して幽閉に追いやったデンマーク王の復帰を手助けしたのは、ドイツ騎士団と見られる。

 そして、余りの評判の悪さ、及び実際の行動から、リガ大司教区と帯剣騎士団修道会すらも対立するようになっていた。

 リガ大司教は、そろそろ安定したい。

 なのに、最早布教目的なのか、サディスティックな行動こそ目的で布教は名目に過ぎないのか分からない帯剣騎士団の所業は、信仰の邪魔でしかない。

 一方の騎士団も、大司教はただミサなんかをしていれば良く、大司教区並びに騎士団領の統治や徴税、経済活動に口を挟んで欲しくはない。

 傀儡であれば良いと思っている。

 両者は非難し合った。

 結局騎士団が武力をもって大司教を抑え込むが、その行為が更に彼等の評判を落とす。


 そんな中、光明はローマ教皇グレゴリウス9世が1236年2月19日に出した教皇勅書である。

 教皇は、異教徒ながら国家としての体制を整え、帯剣騎士団及びドイツ騎士団に従わない異教徒の亡命を受け入れて巨大化しつつあるリトアニアを目障りに感じたらしい。

 ついにリトアニアに対する十字軍派遣命令が出された。


 グレゴリウス9世はドイツ騎士団にプルーセン領有の許可を出した人物である。

 本来ならドイツ騎士団にやって貰いたい所だ。

 しかしこれは、帯剣騎士団に巡って来た名誉回復の機会である。

 帯剣騎士団長フォークウィンは、ドイツで十字軍参加を呼びかけ、ホルシュタインから多数の参加者を得るに至る。

 更に騎士団は、ルーシ諸国の一つプスコフ公国にも十字軍参加を命令する。

 プスコフ公国はカトリックではなく、正教会を信じる国だが、もうそんなのはどうでも良い。

 かくして3千の兵力を集めたフォークウィンは、リトアニアへの出征を開始した。

 西暦1236年、大規模な戦争が始まる。

おまけ:

書き切れなかったダニエル公のハリチ・ヴォルィニ公国統一戦争。

1234年、キエフ大公に誰を据えるかを巡る戦いで敗北。

1235年、貴族たちによって追放され、ハンガリーに亡命。

貴族たちはチェルニゴフ公ミハイルを君主に迎える。

しかしダニエルはハンガリーの支援を受けて反撃し、ミハイルを撃破。

1236年は捕虜交換を巡って交渉中。

この時期、ダニエル公とミンダウガスが何らかの交渉を持ったと、ハリチ・ヴォルィニ公国側の記録にはあるけど、何かは不明。

不可侵条約の再締結じゃないのかなあ?

明確にミンダウガスをリトアニアの君主として認めているようで。

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