立国
クロスボウという兵器がある。
機械式の弓矢で、威力が高く射程距離が長い。
代わりに高張力の弦に、矢を再装填する手間が掛かる。
だが、鎧を撃ち抜く程の威力は魅力であり、かつ恐怖の的であった。
ローマ教皇はクロスボウを「神が嫌う武器」に認定し、キリスト教徒相手に使用する事を禁止した。
実際はキリスト教徒相手にも使用されまくったが、やはり猛威を振るったのは対異教徒である十字軍戦争である。
イスラム教徒に対しクロスボウは発射され、発展していった。
リトアニア人はキリスト教から見ればバリバリの異教徒であり、クロスボウは以前から使用されていた。
しかし、リトアニア人は今までは脅威に思っていない。
確かに当たれば恐ろしいが、一発撃たれた後は間隔が開く。
森の中で戦うなら、高威力だが発射間隔が長いクロスボウより、威力も射程距離もそこそこでも発射間隔が短い狩猟用短弓の方が扱いやすい。
と言った具合に、武器の性能は認めつつも攻略可能と思っていたのだが、クールラントで見たドイツ騎士団のクロスボウはかつて知っているものと威力と発射間隔の短さが違っていた。
相変わらず森での戦闘ならどうにかなるが、開けた地では圧倒的に不利になる為、ミンダウガスはこれも入手する手配をしたのだった。
「これが西の騎士団の機械弓……」
それはベルトフック式次弾装填であった。
ルーシや帯剣騎士団が使っている、鐙を踏んで背筋で弦を引くよりも、楽に高張力の弦を引きやすい。
「ノヴゴロドの商人が言うには、これでも最新型ではなく、もっと強力な弓を引ける捲上式装填というものもあるそうです。
まだ数が少ないから、売っては貰えないそうですが」
ミンダウガスは溜め息しか出ない。
キリスト教世界では日々兵器が強化されていっている。
リトアニアに閉じこもっていては分からない事だ。
今、捲上式装填を模倣しても、すぐにもっと使いやすいものが開発されるだろう。
それでも、まず目の前のものから技術を物にしないと。
「各地から集めた鍛治や木工細工師に、これと同じ物を作らせよ」
バルト海沿岸地域は原始人の集落ではない。
ローマ帝国の時代から、ヨーロッパ南部とは交易があった。
故に、各民族・部族・村落で鍛冶師や職人がいた。
彼等が琥珀を加工したり、その為の道具を作成・修理して経済活動をしていた。
ミンダウガスは村々に住まう鍛治や細工師を自分の城に集めて、工房を用意して作業をさせている。
職人も数を揃えて集約した方が、やれる事も規模も増えるのだ。
分業制というやり方も出来る。
当然、今までが自由なリトアニアだったから、文句を言う職人や、供出に渋面する公も多かった。
しかし、ドイツ騎士団という脅威に各地の公爵たちも渋々指示に従う。
ミンダウガスの指示は、全国民に馬を飼う事の奨励もあったが、こちらはすんなり従った。
バルトの民は馬が好きだから、これは受け入れやすい。
そして極力歩兵を少なくして、モンゴルに倣った軽騎兵にしたい。
そんな中、軍事上の腹心であるヴェンブタス公が報告を上げて来た。
「やはり馬上から機械弓は扱えない。
購入した馬具で馬上での姿勢は安定したが、それでも一発打ったら、馬上で再装填が出来ない。
威力が強い新型は、打った後は大きいから邪魔になる。
一発打ったら捨てていくのは論外だろ?」
「当然だ!
高かったんだぞ」
「分かっている。
だから、機械弓の専門部隊を作る事を勧める」
「歩兵だな?」
「歩兵だ」
「うーむ……。
まあ歩兵も必要ではあるが……」
「出来るだけ騎兵を増やしたいって思いは理解している。
しかし、どう頑張っても騎兵となる馬を用意出来ない者たちが居てな」
「なんだそれは?」
「リヴォニアから逃げて来たレット人だよ」
現在のラトビア地域も多民族居留地であった。
リヴォニアに名の由来のリーヴ人(フィン・ウゴル語族)の他、レット人(バルト語族)、ラトガリア人(スラブ語族)がそこに居た。
リーヴ人は帯剣騎士団と激しく戦っている。
レット人は戦いを避けて、言葉が似ているリトアニアに亡命して住み着いてしまった。
財産も無く、土地も無く、山や湖で食べ物を採ってリトアニア人と対立したり、農奴となってリトアニア人にこき使われているレット人。
難民である彼等を兵として使う事で、弱い立場の彼等を正式に領民に組み込む事をヴェンブタスは考えたのだ。
その兵種として、馬を自弁出来ない以上歩兵にせざるを得ず、だったら機械弓の専用兵にすれば良いのではないか?
「中々面白い考えですな」
ミンダウガスの舅で、財務担当のヴィクシュイスが口を挟む。
「体一つで逃げて来た者もいるから、レット人からは税が取れない。
領民は不満を持っています。
税の代わりに兵役に就かせ、働き次第で土地を与えましょう。
それなら領民も納得するし、土地を与えて農民としても文句を言わないでしょう」
ヨーロッパでは古くより、軍隊を経験して一人前という考えがある。
まともな市民なら自前で甲冑と槍・盾を用意して兵役に就くというのが古代ギリシャの考えだった。
軍務に就いて国家の為に働いて、元老院への参加資格が認められるのが古代ローマだった。
国民皆兵で、兵士でないと民会でも発言権が無かったのがゲルマン人である。
キリスト教の影響で変わっているが、基本的に戦争参加は貴族ならではの高貴義務という意識は残っている。
リトアニアでも、兵隊として働いたなら、難民ではなく同じ領民として認めるという意識がある。
亡命レット人の生活の安定の為なら、彼等も兵役を引き受けるだろう。
「ヴィクシュイス殿、その土地を用意しないとなりませんな」
「まあ、多少は用意出来ます。
しかし、難民の数が増えれば、いずれ土地が足りなくなります。
その時の為に……」
「我々も外に打って出て、領地を拡大せねばなるまい……」
ミンダウガスも、多くの統治者同様、拡大主義に方針を切り替えざるを得ない。
リトアニアは、今や北と西の非キリスト教徒の聖域となりつつあった。
レット人だけでなく、エストニア人、プルーセン人といった民族が逃げて来ている。
彼等に無料飯を食わせる訳にもいかない。
いずれ彼等を上手く民として組み込む政治が必要となる。
ミンダウガスは、居城ヴォルタ城を拡大し、次第に首都機能を拡充していった。
官僚というべき事務・政務の担当者を雇い、政庁で仕事をさせる。
軍は、公爵たちが自弁する部隊は残しつつも、出来るだけヴェンブタス公に一元管理させる。
工房や軍を養う為の商取引も、ミンダウガスの元で管理して行う。
部族連合、公爵たちの寄り合い所帯であったリトアニアは、こうして少しずつ国家としての体制を整えていった。
だが、やはり不満を覚える公爵たちも居る。
ミンダウガスの兄で、抵抗勢力を束ねていたダウスプルンガスの考え、好きにやらせろ、命令するな、いざという時には協力するからそれで良いだろ?、それ以上を求めるな、というのが皆の意識だったのだ。
西の脅威を認めたから、ミンダウガスの統制に従っているが、それが無いならこんなのは嫌だ。
そしてジェマイティア地方ではミンダウガスのやり方を無視している。
民族が違う、言葉も余り通じないこの地方では、義兄のヴィーキンタスが相当にミンダウガスに好意的で強力的だが、それはこれまでと比較しての話。
リトアニアの公爵たち以上に独立独歩の気風が強く、ジェマイティアはリトアニアの対等な隣人だと思っている(事実そうだが)彼等は、会計も別々だし、軍の指揮系統も別、当然民政も異なるやり方を通していた。
ミンダウガスも、言葉が違うジェマイティアについては強く言えないし、義兄で戦上手なヴィーキンタスが敵対しないだけで良しとしていた。
ヴィーキンタスもそれを是とし、彼はもう一人のジェマイティア公エルドヴィラスと共に、ジェマイティアだけでクールラント奪還の戦いを続ける。
こうした内部の不安要素が多分に残っているものの、リトアニアはついに国家として名乗りを挙げた。
西暦1236年、公爵会議はミンダウガスを首長として認め、リガ大司教区及びリヴォニア帯剣騎士団、ドイツ騎士団、ルーシ諸国に対し立国を伝えたのである。
「我々はリトアニア公国だ」
と名乗った訳ではない。
この辺りがリトアニアだのジェマイティアだのと呼ばれているのは大分古くからである。
ただ一人の君主、国の代表となった事を告げ、ここから内側は自分の領域だから、侵略したら叩きのめすと言外に伝える。
代表者と国境をはっきりさせ、国と呼べる存在になったと分からせた。
ようやく国としてのリトアニアの歴史が始まる。
君主たるミンダウガス、この時僅かに33歳であった。
おまけ:
この頃、帯剣騎士団の元には改宗した部族が搾取されていないか、ローマから調査団が派遣されて動きが取れないでいました。
一方のドイツ騎士団は、占領したクールラントやプルーセンに都市を作って文明化させようとしてました。
どちらも「まあ、そうだろうなぁ」という行動ですな。




