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ノヴゴロドにて

「ノヴゴロドの市長ポサードニクと会える事になった。

 北の狂信者に気づかれない内に、さっさと行って来い」

 いきなり面談を要求して来たプリキエネが、これまたいきなり重大な要件を伝える。


 ミンダウガス率いるリトアニアは、軍事改革の為に資金が必要だ。

 その資金を稼ぐには、巨大商業国家ノヴゴロド公国と手を組むのが良策だろう。

 しかし、ノヴゴロド公はハリチ・ヴォルィニ公国の内戦に介入して、リトアニアの一公爵と会ってる暇は無い筈である。


「もしかして知らなかったのかい?

 ノヴゴロドの権力者は市長ポサードニクなんだよ。

 ノヴゴロド公なんてのは、単なる傭兵隊長さね。

 対外でカッコつけてるだけで、アレは商売には何の関係も無い、外のルーシの国の公なり大公を連れて来て据えた君主でしかないのさ」


 外国に興味が無かったミンダウガスは、またも自分の無知に恥ずかしくなる。

 隣国で、条約を結んだハリチ・ヴォルィニ公国を見てルーシ諸国を見ていたから、グダグダな展開の権力争いに理解不能となって、脳がオーバーヒート状態になっていたのだ。

 しかし、プリキエネが言うには、ノヴゴロドだけを見れば事はそう複雑では無い。

 ノヴゴロド公はあちこちで戦争をしているが、それは元々の自国の富と兵力を持って来て使っての行為、ノヴゴロドの民には何の関係も興味も無い事である。


 ノヴゴロドの政治体制は珍しい。

 貴族ボヤールは存在しているが、大商人、職人や小売商の自由組合にも参政権がある。

 彼等は、政治上の代表として市長を選び、防衛上の指揮官として「公」の称号を対価に外部の君主を雇う。

 市長は任期一年で、民会で選ばれて交代する。

 公はノヴゴロドを防衛する責務さえ果たせば、外で戦争しようが構わない。

 公がノヴゴロドの富を私物化したり、ノヴゴロドの損になる事をしたり、責務を果たさない時は追放される。

 他の何とか公を連れて来て、新たにノヴゴロド公の称号を与えるだけだ。


「そんなやり方で、よく守れますね」

 ミンダウガスは自由主義より統制主義に近い。

 かつて兄と対立したのも、その思想の違いによる。

 バラバラな部族連合ではなく、誰かの統率で一丸にならないと、モンゴルやドイツ騎士団に亡ぼされてしまう、そういう危機感を持っていた。

 それだけに、ノヴゴロドの政治体制は理解し難い。


「ノヴゴロドが何をしているかなんてどうでも良いのさ。

 問題なのは、誰が市長になり、どういう影響力を持つのかだ。

 これから会う市長は、蝋商人の業界団体『イヴァン商人団』の代表も兼ねている。

 話を付けるには一番さね。

 今を逃すと、業界団体と市長と別々に交渉する事になるし、その時その二つが同じ意見とは限らないね」


 プリキエネはルーシ諸国の抗争には目もくれず、ただノヴゴロド公国の内情だけを調べていた。

 そりゃミンダウガスが何度ルーシのグダグダさについて意見を求めても

「興味がないから知る気もない」

 とつっけんどんな返事になる筈だ。


 そして、秘密裡に事を進めていた理由も分かる。

 ミンダウガスの父親は、ノヴゴロド公国に出向いた帰り道、帯剣騎士団に襲われて攫われた。

 先代の筆頭公爵ジヴィンヴダスも、ルーシを攻めた帰路に帯剣騎士団に襲撃されて命を落とした。

 帯剣騎士団の動きを見つつ、ノヴゴロド公国内の政情を把握・分析するのは、誰にも知られずにやった方が良い。

 秘密がどう漏れているのか分からないなら、秘密裡に最速で事を進め、相手が情報を手に入れて行動を起こす前に終わらせておくに限る。


「それで、商売仇と手を組む良い方法は思いついたのかい?」

 プリキエネが宿題について話を振る。

 ミンダウガスがそれに答え、何度か問答をした後、プリキエネは大口を開けて下品に笑った。

「坊やも相当悪どくなったねえ。

 うん、結構結構。

 私が見込んだ男なだけあるよ」




「お初にお目に掛かる、リトアニアのミンダウガス殿。

 この度は奥方様の懐妊、お祝い申し上げる」

 ノヴゴロド市長がミンダウガスを抱擁しながら挨拶をした。

 ミンダウガスは、妻の妊娠を祝して、神に供物を捧げると大規模な祭りを執り行った。

 民が歌い踊り、領主が振る舞うご馳走に喜ぶ。


 帯剣騎士団も、異教徒の長が妻の妊娠を喜んでいるものと、冷ややかに見ていた。


 そうして目眩しをして、ミンダウガスはノヴゴロド公国に少数の供だけを連れて向かったのだ。

 ノヴゴロド公国も帯剣騎士団を敵としているから、ミンダウガスの用心深さには好意的である。


「リトアニアの琥珀は素晴らしいですな。

 実に質が良い。

 琥珀の取り扱い量を増やす話なら、何度でもお話しさせて頂きますよ」

 イヴァン商人団代表でもある市長は、言外に「琥珀以外は話に乗らんぞ」と伝えた。

 ミンダウガスは素知らぬ顔で

「そんな事を言わないで下さいよ。

 俺たちリトアニアは、『イヴァン商人団』に加入したいと思って会いに来たんですから」

 と返した。


 プリキエネから蝋商人の業界団体について知らされたミンダウガスだが、それ以前から「商売仇と手を組んで蜜蝋を売る」には、彼等の身内になる他無いという考えに至っていた。

 しかし、それは新参の外様なだけに、発言権を与えられないまま安く買い叩かれ、彼等の下位に置かれる危険性も孕んでいた。

 プリキエネも同じ事を考え、同じ結論に至っている。

「ノヴゴロドが得をするのは我慢出来るが、私が損をするのは我慢ならないねえ」

 と彼女は言っていた。

 ミンダウガスが出発する前にした問答で、プリキエネはこの解決策を聞いて、笑ったのだ。


「ほう、我々の組合に入りたいと言われる。

 良いでしょう、我々と利益を一にするなら閉ざす門戸は有りません。

 ですが、お分かりですね?

 誰でも入れるといっても、怪しい方々からはそれなりの身の保証が必要なのですよ」

「我々は怪しいと言いたいのですか?」

「いえいえ、物の例えです。

 我々は同胞の為の互助会です。

 なのでリトアニアの方を迎えるとなれば……」

「幾ら払えと?」

「アハハ、そう焦りますな。

 若いお方は結論を急ぎ過ぎです。

 まあ、確かに市外にお住みの方を認めるには、幾らかお支払いいただき、我々が損をしないようにしていただきます。

 そうですな……」

 そう言って市長……というよりはイヴァン商人団の代表は、入会費、年会費、倉庫賃貸料、運送業組合への紹介費、損を与えた時の補償費前払い等等と、多額の支払い額を提示して来た。


「随分と高いですね。

 我々の事を甘く見ているのですか?」

 ミンダウガスは適正料金は知らない。

 しかし、吹っかけているのは分かるので、高いと口にした。

 代表は肩をすくめ、わざとらしく

「我々の好意に不満を持たれるとは残念です。

 別に我々は、貴方に入会して頂かなくても何も問題は無いのです。

 ではこの件は無かった事にしましょう」

 と返す。

 これでミンダウガスが焦って不利な条件を呑んでも、拒否しても困る事はない。

 余裕な表情の代表に、ミンダウガスはプリキエネが「悪辣」と評した対抗策を明かした。


「そうですね、この話は無かった事にします。

 では俺はこれからリガに立ち寄り、リガ大司教区と直接交渉します。

 教会では蝋が入り用だとか。

 リガ大司教区との蝋の交易はノヴゴロドが担っているとの事で、筋を通しに来たのですが、どうやら受け入れて貰えないようなので直接売りに行きます」


 代表は一瞬ギョッとするも、すぐに余裕の笑顔に戻る。

「無理ですよ。

 彼等はキリスト教徒、それも帯剣騎士団が認めた相手以外とは取引をしません。

 そんな事もご存知無い?」

 だがミンダウガスは、代表の笑顔をまたも強張らせる。

「俺が改宗すれば問題無いでしょうな。

 そうする用意はしてあるので」

「は?」

 世に名の知れた異教徒の頭目が何を言っているのか?

「貴方、知らないんですか?

 あの騎士団は頭がおかしい。

 改宗しても酷いことばかりしてるんですよ」

「あー、お湯がぬるくなりました。

 厚かましいですが、替えてくれますか?」

「これは……失礼しました。

 直ちに温かい湯と替えます」


 お茶が無い時代の飲み物が熱いか冷たいかなんてどうでも良い。

 代表は交渉の主導権を、三十歳にもならない若造に握られたのが腹立たしい。

 先程までは「若いお方」なんて下に見ていたのに、それとて演技に騙されたのか?

 こいつ、一体どんな経験をして来たのやら。


 お湯を替えて交渉再開。


「リトアニア公は、帯剣騎士団がどれだけ酷い連中か、認識が甘いようです。

 改宗しても、貴方が思うような事にならないのは明らかです」

「俺の思う事って、市長殿はどれだけ知っているんですか?」

「国を富ます事でしょう?」

「違いますよ。

 俺の願いは国を守る事。

 それには貴国と組んで、騎士団から国を守る戦力を調える方法と、改宗して騎士団が攻める口実を無くする方法とが有りましてね。

 後者の場合、戦わずに降り、かつ教会に必要な蝋を贈ると言えば実現するでしょうな。

 そう言えば、ノヴゴロドも必要な物をリガ大司教区に売って、教会を通じて騎士団の暴走を止めたりしてましたなぁ。

 噂でしたかな?」

(この若造が……)


 イヴァン商人団代表は、現在ノヴゴロド市長を兼任している。

 その市長という職責に、若いリトアニアの公爵は揺さぶりを掛けているのだ。

 リトアニアがカトリックに帰依し、リガ大司教区が欲しいものを供給すれば、今までそうやって安全を一部なりとも買っていたノヴゴロドに不利となる。

 だったらリトアニアの小僧の望みを聞いた方が得策か?


「リトアニア公、何が欲しいのか、腹を割って話して下さい。

 場合によっては、先程の補償費を全て無しにして、貴方たちの組合加入を認めよう」

 ミンダウガスの勝ちだ。

 ミンダウガスは、金で払ってくれるより、武具馬具を輸入して欲しい、その武具馬具が有れば、リトアニアは十字軍と、タタールに対する軍隊になると語った。

 市長にして商人団代表は、この条件が自分たちに不利は無いと判断した。

 特に帯剣騎士団に対する盾となる事を約束させて、ノヴゴロド公国はリトアニアの蜂蜜・蜜蝋輸出の窓口となる事を了承する。

 目的は果たされ、win-winで取引は成った。




 騎士団に見つからないよう、全速力でノヴゴロドから馬を走らせ、不在だった事を知らせないまま帰還に成功したミンダウガスは、身重の妻に抱きつきながら

「なまら緊張したよぉぉぉ。

 俺はああいう場は本当は苦手なんだべさぁ」

 と泣き言を零すのだった。

おまけ:

どんな苦労をして来たのだろう?

→信じて預けたら初恋の女性を奪われたとか、

 武闘派の癖に裏工作も得意な兄貴に散々邪魔されたとか、

 異常に鋭くキツい年上女性から何度も言葉責めされてるとか、

 国内で対等な公爵たちとやり合っているので、年齢よりはずっと鍛えられてます。

 向いてるかどうかは別にして。

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